第三章・水没した町 (8-1)
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夜もすっかり更けた頃。
山にはエンジン音の咆哮や、タイヤが道路にすれた時に出るけたたましいスキール音が響き渡っていた。
そこへ、山奥から一匹の大きなけものがのっそりとその姿を現した。
山の動物にとって、この自然界にはない騒音は大の苦手であった。しかし、自動車やオートバイというものが危険であることを、本能的な直感で分かっていたため、山道へと下りてくるようなことは滅多になかった。それに、たまに小動物がうっかり道路に飛び出し自動車に轢かれて死んでしまった、というような場面も目撃しているので、君子危うきに近寄らず、ということは彼らにも理解できていたのだ。
しかし、それも節度なく度重なると、ストレスは限界に達し、怒りも頂点になる。感情は人間の専売特許ではないのだ。
怒りに我を忘れ、山から出てきたけものは、何とか連中に報復したいという思いに駆られた。しかし、自分が単身で立ち向かっても、猛スピードで向かってくる自動車に叶うわけがない。やるせない思いが、悔しさと怒りをさらに増長させた。
すると、そのけものの思いに呼応するように、湖の中から邪塊が次々と飛び出してきた。人に限らず、さまざまな動物のネガティブな感情、そういったものに連中は惹きつけられる。そして、それらはけものの内部に入り込み、彼の心も身体も支配していった――。
――
三都まどかはそろそろ眠ろうかと布団を敷いていた。まだ眠るには少々早い時間かと思われるが、こんな山奥でひっそりと生活していては、夜も更けるととりたててやることもなくなってしまう。だから、この父子は普段はかなり早い時分に床に就くのだ。それは翌日の日中の過酷な労働に備えて、体力を蓄えるという目的もあった。父親は朝早くから街へ出ては日雇い労働に勤しむのが日課であったし、まどかも父の留守中に家の掃除をしたり街へ買い物に出掛けたりしなくてはならない。
しかし、この時は少し事情が違った。まどかはこの近辺に何やら不穏な空気が渦巻いているのを感じた。父親の信治の方を見ると、彼はとなりの部屋で安酒を煽り、すでに泥酔状態にあるようだ。こっそり出て行っても気づかれないに違いない。
まどかはこっそり小屋から出て、妖しい情念を感じる方へと急いだ――。




