ワンちゃん、頼まれる。
“そいつは血の匂いだろう”
頭の中で聞こえた声は、割に低い女のそれだった。
もちろん突然のことにぎょっとした俺は、左右に視線を走らせるが、街道には牛車とあの不細工な三人しか存在していない。
しかも不自然なのはその連中が黙々と俺の横を通り過ぎようとしていることだ。
いや、きょろきょろと周囲を見渡した俺に不審そうな目を向けたが、それは俺に対しての反応だ。奴らが声に驚いた様子はなく、「獣野郎が首のノミでも気になったんだろう」とでも言わんばかりにすぐ俺からも興味を外す。
つまり奴らにはさっきの声が聞こえていないのだ。当然他の誰の姿も確認していないだろう。俺も今は牛車の動く車輪と、三人の足音、そして降り止みそうにない雨の音しか聞こえない。
(おいおい……、訳がわからねえことだらけなのに、今度は謎の声ですかァ!?勘弁しろよ頭痛くなってきたぜ……。)
“へえ、面白え。随分面構えと頭ン中が違うんだな、アンタ?――おっと。今度は無駄にきょろきょろすんじゃないよ、アタシはアンタに話し掛けてるのを気取られたくないんだ。”
ほ、ほおわぁぁぁぁぁぁぁぁっーー!?
……俺は思わず叫びそうになったのをぐっとこらえる。体中の毛が逆立ったのがわかった。
――ふざけんなっ!いきなり頭ん中で喋られたら誰だってどっから話をしてんのか、周囲の確認ぐらいするわ!!
という脳内のツッコミに、またもやまともな反応が返ってきた。
“失礼だねぇ、人がコソコソ物陰にいるみたいにさぁ。私ゃアンタの目の前の車の中さ。別に隠れて話をしてるわけじゃないよ。そりゃアンタの早合点てもんだ。”
……もしかして、僕ちん頭の中の一人会話の全部を聞かれてるわけ?
考えるだに恐ろしい想像が頭をよぎり、咄嗟にそこで考えるのをやめる。
“全部じゃない。精々あんたが馬鹿みたいに頭の中で言葉にして喋ってることぐらいが聞けるだけで、アンタの記憶だの感情だのは知れた事じゃないよ。そんなもんまで一々頭に入ってきたら、こっちの気が狂っちまわぁ。”
――――いや、十分じゃねえかっ!?
頭で心の限りそう叫んだが、相手はさして興味も無さそうに、鼻を一つならしたきりだ。
しかしなんというか、さっきから、高飛車というか随分と余裕綽々の風情を感じさせる物言いが鼻につく相手だ。
幸いにもそのわだかまりの感情は伝わっていないらしかったが。
(大体お前の言うことが本当かどうかなんてわからねえじゃねえかっ!?)
“わかるも糞もあんたらにゃ刀とのやり取りがどうなってるかなんて常識だろうに、……妙な事を言う。それに頭の中身が全部筒抜けなら、アタシの言葉が嘘だろうがアンタにはもうどうしようもないだろう。会ったばかりとはいえ、少しは信用して欲しいねえ。こっちはちっとアンタに頼み事をしなけりゃあいけないんだし、さ。”
無茶言うな、という喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、さらに驚くべき相手の言葉に目を丸くする。
(た、頼み事ぉっ――――!?)
“そうだ。厚かましいとわかっちゃいるが、見ず知らずのアンタに私は厄介になるしかない。頼む!名も知らぬ人、この鬼翔丸一世一代、掛け値無しの願いだ!そこの三人をぶっ飛ばしてくれ!!”
エエェェェェェェ――――――――ッッ!?
い、いきなり何言っちゃってんのォ、この人!!?ぶっ飛ばしてくれ、ってペットボトルロケット飛ばすんじゃねえんだぞ!?
三人と馬車を見比べながら、倫理的にも、あとその、……実力的にも問題があるとしか思えない相手の言葉に俺は困惑するしかない。
だってさ俺、リアルじゃ喧嘩なんかしたこともないもやしっ子だもの。いや、今も間違いなくリアルだけど。
“頼む!あんたも侍なら、黙ってあたしの言う事を聞いてくれ!これは紛れもなく人助けだ!そこの三人を倒すぐらい、あんたにはわけないことだろう!?”
いやいや、私侍じゃないですからっ!?何を根拠に難しくないとか言っちゃってんのアホか!?大の男三人、しかも腰に刀ぶら下げてる奴らを丸腰一人で倒すんだぞ!?
“さ……、侍じゃ、ない――!?…………で、出鱈目言うんじゃないよ、引き受けたくないからって!この力強い澄んだ気配を放てる奴らが、侍以外にこの世にいるもんか!そもそも私と話が出来てる時点で、――刀と心を通わす事が可能な存在なんて、侍しかいないだろう!!”
だから違うっつってんだろがッッ!!?
漫画とゲームが好きな生粋の現代っ子なんだよ俺はよ!!侍なんぞとっくの昔に絶滅しちまった世界から来てるの!!
て、いうか何ださっきから刀、刀って?!
てめえ自分が刀だとでも言うつもりなんですかァ!?
“応よっ!覚えとけ、私が天下の一振り、鬼斬りの名刀、鬼翔丸仁華様だっ!!”
えええええええええっ!???
ま、マジで刀だったのかよ俺が会話してたの嘘ォ!?ファンタジー世界怖い!脳天の遥か斜め上を気軽に飛んで行きやがる!
――――ちょォっと待て、どうやって刀が喋ってんだ!?
“どうやって……?刀と侍が互いの心を通わせて意思疎通できなきゃ、端からどうやって戦おうって言うんだよ!?確かにアンタの手元に無くても話せるのはあたしの水際立った霊力の賜物だが、もともと刀と侍は話せて当たり前!それ以外なら話せなくて当然!唯一無二、極上究極断金の信頼関係!それが侍と刀だろうが!”
知るっくぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!?
なんだその無駄に熱い設定はぁぁぁ!!?
こっちは知らねえ内にまず人間を失格してんのに、どうして侍なんて設定が後ろから付け足されてんだよッッ!?間違いなくウチの家計は農民サラブレッドだよッッ!!御先祖の遺物とか有ったところで鍬と鋤しか出てこねえんだよ!埋蔵金探して庭を掘り返して、出てくるのが掘る道具だったら涙が出るわ!
…………鍬と鋤って意外と字面かっこいいのね、ビックリした。
“…………ほ、本当に侍じゃないって言うのか?”
違う!断じて違う!
起きたら侍口調で喋らされる呪いがかかってただけのただの一般人だ!
“……そ、そんな…………!!――ッ!いや、いい!この際アンタが侍だろうがなかろうがそんな事はどうでもいいんた!ただそこの三人からこの子を助けてやってくれ!!”
な、何ィ――ッッ!?
人の話聞いてやがったのか、この健康鉄分!?
受ける受けないじゃないの、無理だって言ってんの!!弱っちいワタクシには大の男三人から………え?この子を、……取り返す?
“そうだ!!アンタが侍じゃないなら、無理を承知で頼む!私の主人を、この稚いキクリ姫を、どうか助けてやってくれ!!”
ぜ……、全然話が見えないんですけどォーーーーッッ!!?
これあんたらの牛車じゃないの!?あいつら護衛じゃないの!?あんたら、成金と愉快な仲間達珍道中じゃなァいのォーーッッ!!??
“それこそ断じて違う!!こいつらは本物の護衛を斬り殺してなりすました盗賊だっ!!”
や、厄介事のレベルがインフレしてたァァァッッ―――――!!!!?