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雪の花 桜のかほり

作者: ヒロオカ トモエ
掲載日:2026/06/18

この物語は『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』の中で語られた、とある恋物語を短編として描いた作品です。

 雪が降っていた。

 寒冷地であるこのブリーズ王国では珍しくないことだ。幼い子供達が寒さにも負けずに遊んでいる。


 ネージュは雪が好きだった。

 雪が降る日は誰にも邪魔されず、セシルと遊べるからだ。


「ねえ、セシル。」


「何でしょうか、ネージュ姫。」


「好き。」


「駄目です。」


 ネージュは頬を膨らませる。


「まだ何も言ってないわ。」


「言いました。」


「好きって言っただけよ。」


「それが問題なのです。」


 宰相家の次男であるセシルは、幼い頃から妙に真面目だった。国王の娘であるネージュは、それが不満だった。


「どうして駄目なの?」


「ネージュ様は王女です。」


「そうね。」


「私は宰相の息子です。」


「知ってる。」


「だから駄目です。」


「意味が分からない!」


 本当に分からない顔をする。

 セシルは額を押さえた。

 この人は、自分がどれほど周囲を振り回しているか、まるで分かっていない。


「好きなの。」


「駄目です。」


「大好き。」


「駄目です。」


「好きになって。」


「駄目です。」


「どうしても?」


「駄目です。」


「ねぇ、どーーしても?」


「駄目です。」


「どーしてもどーしても?」


「……。」


 ネージュは一歩近づく。

 雪と交ざったほのかに甘い香りがした。

 セシルは知っていた。

 王女が誰にでもこんな笑顔を向けるわけではないことを。


「好き。」


「駄目です。」


「大好き。」


「もっと駄目です。」


「世界で一番好き。」


「……卑怯です。」


 とうとうセシルは顔を覆った。


「そんなことを言われたら……。」


 肩が小さく震える。

 ティアラと言い張るカチューシャに雪が積もる。

 頬を赤くしたネージュが笑う。

 本当に雪のお姫様のようだった。そんな彼女のことをずっと守りたいと思ってしまうほどに。

 その顔を見た瞬間、セシルは理解した。

 もうとっくに負けていたのだと。

 そして観念したように息を吐いた。


「負けました。」


 ネージュの顔がぱっと明るくなる。


「本当!?」


「本当です。」


「好き?」


「好きです。」


「私のこと?」


「ネージュ様以外に誰がいるんです。」


 その日。雪の王国に、小さな恋が咲いた。





 春が来た。留学先の王立学園の桜並木はとても美しかった。

 ネージュは桜を見上げる。

 ブリーズ王国では雪で覆われるため、この美しい景色が珍かった。


「綺麗ね。」


 ネージュがセシルの腕を組む。


「そうですね。」


 自分の気持ちを認めてからは、セシルの全てが愛おしかった。


「でも雪の方が好きだわ。」


「意外ですね、寒がりなのに。」


「雪の日はセシルと遊べたもの。」


 かつて少年少女だった子供達は、美しい青年に育っていた。セシルとネージュは並んで歩く。





 王立学園での日々は、慌ただしかった。

 留学生であるネージュとセシルにとって、外国語で学ぶのは、他の生徒の何倍も労力がかかる。

 二人は放課後に図書館で勉強するのが日課となっていた。


「どうして、論文ってこんなに回りくどい聞き方をするのかしら?」


「生徒の理解力や考えを導き出すためじゃないのでしょうか?」


「うー……、セシル。」


「今度は何ですか?」


「眠いわ。」


「試験前ですよ、ネージュ。」


「五分だけ。」


「十分前も同じことを言いました。」


「論文に睡魔が隠れているのよ。」


 そう言いながらネージュはセシルの肩に寄りかかる。


「私、あなたのこの白檀の香り、好きよ……。」


 そう言い残すとネージュは深い寝息を立てる。

 セシルは小さく溜め息をつくと、椅子に掛けていたジャケットをネージュの肩にそっと掛けた。


「私もネージュの春のような桜の香りが好きですよ。」


 セシルは寝ているネージュに囁いた。



 同級生の友人も増えて、少しずつ学園生活も慣れ始めた頃。

 ネージュはどこか得意げな顔で、ラッピングされた小さな袋を抱えていた。


「セシル、今日の料理実習でクッキーを初めて作ったのよ。」


 ネージュは嬉しそうにラッピングされたクッキーを見せる。


「王城では厨房すら入れませんからね。良い経験になりましたね。」


 そう言ったセシルに不満そうなネージュ。


「王立学園では恋人のためにお菓子を作るのが流行っているのよ。」


 セシルは気づいた。


「ネージュからのクッキーが楽しみです。」


「素直でよろしい!はい、どーぞ。」


 セシルはゆっくりと開ける。

 中からは砕けたクッキーが出てきた。


「嘘?!なんで?」


 ネージュは慌てる。

 セシルは袋からクッキーの欠片を全て出す。

 そして、パズルのように破片を組み合わせていく。


「もしかして、この形は桜ですか?」


「そのつもりだったのよ。散っちゃったけど。」


 ネージュがそう言うと、セシルが微笑んだ。


「これなら二人で食べれますね。」


 そう言いながらクッキーの欠片をネージュの口元へ運ぶ。


「さぁ、どうぞ。」


「私は子供じゃないわ。」


「それでは、ネージュが私に食べさせてください。」


「それは、恥ずかしいわ!」


 結局、ネージュは口を素直に開いた。


「桜はまた咲きますから、その時にリベンジしましょう。今度は二人で。」


「次は絶対に成功させるわ。」


 ネージュは拳を握った。

 その姿にセシルは小さく笑った。



 季節は流れた。

 王立学園最大の行事である舞踏会の日がやって来た。

 大講堂には各国の留学生や貴族の子弟達が集まっていた。

 セシルは会場の隅で壁にもたれていた。


「セシル!」


 振り返った瞬間、言葉を失う。

 ネージュだった。

 雪の結晶を模した髪飾り。

 まるでブリーズ王国の冬の夜空のような蒼のドレスに、ジルコニアが散りばめられてる。

 まるでネージュが美しい星空を纏ったようだった。


「どう?」


 ネージュがその場で一回転する。

 ドレスの裾が会場のライトに反射して、オーロラのように光のカーテンが広がる。


「似合う?」


 セシルはその美しさに圧倒されていた。

 ネージュが不安そうな顔になる。


「……セシル?」


「反則です。」


「え?」


「そんな格好をされたら誰でも見惚れます。」


 ネージュの顔が真っ赤になる。


「そ、そんなに?」


「はい。そんなにです。」


「可愛い?」


「それ、聞く必要がありますか?」


「あるわ。」


 セシルは観念したように息を吐いた。


「美しいです。私が見たどの景色よりも輝いて見えます。」


 ネージュは満面の笑みを浮かべた。


 やがて開会の挨拶が始まる。

 留学生代表として名前を呼ばれたネージュが壇上へ向かう。

 ざわめいていた会場が静まる。

 ネージュは堂々と前を向き、異国の言葉で挨拶を紡いだ。

 誰一人としてネージュから目を逸らさない。

 会場中が美しいネージュの声に聞き入っていた。

 その中で、セシルは少しだけ笑った。

 入学したばかりの頃は外国語の発音に苦労していた。

 論文を読んで居眠りしていた彼女。

 影では、誰よりも努力していた。

 そんな彼女は誰よりも美しかった。

 

 拍手が起こる。

 割れんばかりの拍手だった。

 壇上から降りてきたネージュがセシルに尋ねる。


「セシル、どうだった?」


「ブリーズ王国の民として、誇らしかったです。」


「え?」


「あなたは、とても立派な王女ですよ。」


 ネージュが少しだけ寂しそうな顔をする。


「……そう。」


 その返事にセシルは気づかなかった。


 会場に最後の曲が流れる。

 セシルは手を差し出した。


「一曲、お願いできますか。」


 ネージュは微笑む。


「もちろん、喜んで。」


 二人は静かに踊った。


「卒業しても一緒よね?」


 セシルの腕の中でネージュが小さく尋ねる。


「はい。お約束します。」


 セシルは迷わず答えた。

 エスコートした手を握る。

 その夜の思い出は、二人にとって美しいものとなった。





 秋が過ぎ、冬が訪れる――。

 慣れ親しんだ王立学園にも、珍しく雪が降った。


「セシル!見て、雪よ!」


 ネージュが中庭に走り出す。


「そんな走ったら転びますよ。」


 敷き並べられたレンガに滑り、ネージュが本当に転ぶ。

 セシルが慌てて駆け寄り手を差し出す。

 差し出された手を取るふりをして、自分の方に引き寄せるネージュ。

 セシルも転ぶ。

 子供の頃のように雪まみれになったお互いの姿を見て、二人で笑う。


「雪の日は特別だわ。」


「私ね、雪の日は好きなの。」


「どうしてですか?」


「セシルと出会った日だから。」


「あの日もこんな風にパウダースノーが降っていましたね。」


「セシル、私、ずっとこうしていたい。」


 幼い日の約束は、今も変わらない。


「ねぇ、セシル。卒業しても一緒よね?」


 ネージュが笑う。


「はい。いつまでも一緒です。」


 雪が髪飾りに積もる。

 セシルはふと、幼い日のカチューシャを思い出した。

 セシルも笑った。


 あの時は、本気で信じていた。

 ずっと、隣にいられると。





 月日は流れ、王立学園の桜の木が再び蕾をつけ始めた頃。


 ネージュの様子が急におかしくなったことに、セシルは気づいていた。

 最近の彼女は、窓の外を眺める時間が増えた。以前のように無邪気に笑うことも少ない。

 そして、その理由を知ったのは一通の書簡が届いた日だった。

 ブリーズ王国から届いた書簡を読んだネージュの顔色が変わっていく。


「ネージュ、何かありましたか?」


「ううん、なんでもないわ。」


 隠すように書簡をしまうネージュの様子に、何か良くない知らせがきたことだけは分かった。

 セシルには何も聞けなかった……。



 数日後。

 桜並木を歩いていた時だった。


「セシル。話があるの。」


 ネージュが足を止める。


「どうしました?」


 ネージュは少し俯いた。

 風が吹き、桜の蕾が揺れる。


「話さなきゃって、ずっと思っていたけど言いたくなかった。」


 セシルは黙って続きを待った。


「ブリーズ王国から来た書簡のことよ。」


 やはり、あの書簡だった。

 セシルは静かに頷く。


「父からですか?」


「ええ。宰相閣下の名義だったけど、お父様の意見でもあるわ。」


 ネージュは自嘲するように笑った。


「王女らしく、国のために仕事をしなさいって。」


 その言葉に、セシルの胸がざわつく。


「何か決まったのですか?」


 ネージュは答えない。

 少しだけ沈黙が流れた。

 そして意を決したように口を開く。


「婚約するの、私。」


 ネージュはそう言って笑った。

 けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。


「隣国との同盟のために、婚約が決まったの。」


 セシルは言葉を失う。

 王女である以上、いつかは向き合わなければならない話だと分かっていた。

 それでも、あまりにも突然だった。


「……そうですか。」


 ようやく出た言葉は、それだけだった。


「もっと驚いてくれると思った。」


 ネージュは冗談めかして言う。


「……。」


「驚いてるように見えないわよ。セシル。」


「……見せないようにしているだけです。」


 ネージュは少しだけ目を伏せた。

 その仕草だけで、どれほど傷ついているのか分かってしまう。


「……断れないのですか?」


 自分でも情けない質問だと思った。

 ネージュは苦笑する。


「断ったら、ブリーズ王国が困るの。」


「同盟を結ぶなら他に方法だって……。」


「ないわ。」


 即答だった。

 きっとセシルに伝えるまで何度も考えたのだろう。

 何度も……

 何度も……

 そのたびに答えは同じだったのだ。


 桜の蕾が風に揺れる。


「ねぇ、セシル。私ね……。」


 ネージュは空を見上げる。


「普通の女の子になりたかったな。」


 その言葉に胸が痛んだ。

 王女として生まれた彼女が、一度も口にしなかった本音だった。


「街で買い物して。」


 ネージュは笑う。


「恋人のためにお菓子を作って。」


 少し笑顔が歪む。


「恋人の肩を借りて図書館で居眠りして怒られて。」


 ネージュの声が震える。


「恋人と……舞踏会で踊っ……て。」


 ネージュは涙声になっていた。


「そして……。」


 ネージュは唇を噛む。


「好き……な人と結婚……したかった……。」


 ネージュは涙を拭い、空を見上げる。


「そんな普通の人生が欲しかった……。」


 セシルは何も言えない。

 言えば崩れてしまう気がした。

 自分も同じことを願っていたから。


「逃げたい……逃げたいよ、セシル。」


 ぽつりとネージュが呟く。


「全部捨ててしまいたい。」


 涙が零れた。


「王女なんてなりたくない。」


 もう止まらない。


「どこか遠くへ行きたい。」


 セシルは目を閉じた。

 手を取って、「一緒に逃げよう」と言いそうになった。

 そう言えば、きっと彼女はついてくるだろう。

 だが、それは出来なかった。

 ネージュは誰よりもブリーズ王国を愛していることを知っていたから。

 例え逃げたとしても、その先で彼女が苦しむことも分かっていたから。

 セシルは自分の心を殺して言った。


「駄目です。」


「どうして!?なんで!?」


「今だけは王女じゃなくてネージュでいたいのよ!」


 泣き崩れるネージュに触れようとした手を止めるセシル。

 



 卒業式の日が来た。

 王立学園の桜は満開だった。

 けれど、二人の間には以前のような穏やかな空気はなかった。

 残された時間で話すことはいくらでもあるはずだった。

 思い出も。

 伝えたい言葉も。

 それなのに、何を口にしても別れに繋がってしまう気がした。


 卒業式が終わる――。


 友人達は未来の話をしていた。

 就職先、帰国、婚約。

 新しい人生の門出に胸を高鳴らせている。


 ネージュとセシルは桜並木を歩く。

 何度も一緒に歩いた道だった。

 けれど、今日が最後だった。


「覚えていますか?」


 先に口を開いたのはセシルだった。


「最初にクッキーを作ってくれた日です。」


 ネージュが小さく笑う。


「桜の形にしたかったのに、粉々になったクッキー?」


「はい。」


「懐かしいわね。」


「桜はまた咲くと言いました。」


 セシルは空を見上げた。


「ちゃんと咲きました。」


 ネージュもつられて見上げる。

 風が吹く。

 花びらが舞った。


「そうね。」


 それ以上は続かなかった。


 桜は咲いた。

 けれど、あの時の二人の約束はもう叶わない。

 それを知っているから。

 卒業の日、桜が散っていた。

 まるで祝福のように……。

 まるで別れのように……。


「さようなら、セシル。」


 ネージュは笑った。

 泣かなかった。

 彼女は国の王女だから。

 国の役目があるから。

 大人になった彼女は分かっていた。


 桜の花びらが二人の間を通り過ぎていく。

 セシルはそれを目で追った。

 何かを言えば、決意が揺らいでしまう気がした。


「あなたの幸せを祈っています、ネージュ様。」


 セシルも静かに微笑んだ。

 泣かなかった。

 臣下として支える立場だから。

 彼女の選択を尊重するしかないと分かっていた。


 愛していたから、二人は背を向けた。

 愛しているから、振り返れなかった。





 一年後の王城――。


 長い廊下の向こうからネージュが歩いてくる。

 彼女は、美しい王女になっていた。

 かつて、カチューシャをティアラだと言い張っていた少女は、もうそこにはいない。彼女の頭の上には、雪の結晶をモチーフとした宝石が散りばめられたティアラが飾られている。


 セシルは足を止める。

 ネージュも気づく。

 二人の目が合う。

 セシルは、無言で頭を垂れる。

 たった、それだけだった。


 何も言わないのではなく、何も言えない。

 もう、雪の中で手を取り、笑いあった子供ではいられないのだ。

 

 今の二人は成人して、王女と臣下になった。

 

 すれ違う二人――。

 そこに残ったのは懐かしい桜の香りだけだった。



 再会の日から数週間。

 セシルは以前にも増して政務に没頭していた。

 王女の婚約が近い。

 そんな噂は王城中に広がっていた。

 聞きたくなくても耳に入る。

 隣国との同盟。

 王家の悲願。

 王国の安定。

 どれも正しい。

 だからこそ反論できなかった。



 その夜。

 机の上には書類が山積みになっていた。

 だが、セシルの視線は一文字も追えていない。

 気付けば思い出してしまう。

 幼い頃の雪の日に無邪気に交わした言葉を。


「好き。」


「駄目です。」


 王立学園の満開の桜の中で交わした言葉を……。


「卒業しても一緒よね?」


「はい。」


 そして卒業の日――。


「さようなら、セシル。」


 ペン先が止まる。

 何度忘れようとしても無駄だった。





 王女の婚約が決まった夜。

 王城は祝賀ムードだった。

 王女ネージュ・ブリーズ殿下の婚約発表されると拍手と祝福の声が会場に溢れた。


 誰もが喜んでいた。

 ただ一人を除いて。

 セシルは式典の最後まで顔色一つ変えなかった。いや、変えられなかった。


 その夜、セシルは酒を飲んだ。

 愛しい人を忘れるために。

 しかし、酔えば酔うほど彼女の表情が鮮明になる。

 眠れるようにロッキングチェアに腰掛け、本を読もうとする。

 だが、文字が頭に入らない。

 目を閉じて眠ろうとした。

 だが、夢に出てくるのは自分の名前を呼ぶネージュ。

 そして、夜明け前――。

 セシルは立ち上がった。


「一度だけでいい。もう一度だけ、奇跡が欲しい。」

 

 セシルはいても立ってもいられなかった。


 神話を信じて、女神ツーユーが祀られる神殿へ向かった。

 己の命と引き換えに、願いを一つだけ叶えてくれる。

 そんな口承伝承こうしょうでんしょうを信じて神殿を訪れた。

 

 神殿の最奥。

 誰もいないはずの祭壇に雪が降っている。

 天井も夜空もない。

 その場所に、ただ白い雪だけが静かに舞っていた。

 その中心に、一人の女性が立っている。

 白銀に輝く姿。

 その姿は美しく、それ以上にこの世の者とは思えない恐ろしさを感じた。


(女神ツーユーは実在したのか……。)


 セシルは自分の目を疑った。

 次第に不思議な感覚に襲われる。そこにいるだけで、自分という存在が世界から切り離されていくような錯覚を覚えた。


「セシル……。」


 声が響く。

 しかし、何も聞こえない。

 魂に直接語りかけられているようだった。


「我が愛する子孫よ。」


 女神の瞳が向けられる。


「セシル……、我に何を望むのです?」

 

 女神が問う。

 セシルは静かに答えた。


「ネージュが……ネージュ様が幸せになれる未来を。」


 女神は沈黙する。


「それは誰の幸せですか?」


「ネージュ様の。」


 雪が降り止み、世界から音が消える。

 女神はただセシルを見ていた。


「違いますね。」


 女神は即答すると部屋の空気は冷たくなった。


「あなたは嘘をついています。本当は何を願うのですか?」


「……。」


「ネージュ王女の幸せですか?」


「はい。」


「違いますね。」


 さらに、冷える空気に息さえも凍りそうになる。


「国の未来ですか?」


「……違います。」


 女神は優しく微笑んだ。


「あなたは何十年も彼女を見続けた。それで、何を願っていたのです?」


 長い沈黙が落ちる。

 祭壇に舞う雪だけが静かに揺れていた。

 セシルは目を閉じる。

 認めてしまえば終わりだと思っていた。

 臣下として、王女を支える者として、決して口にしてはならない願いだった。

 しかし、そんな虚勢も女神の前では通じなかった。

 絞り出すように言葉を紡ぐ。


「私が……。」


 セシルの声が震える。


「私がネージュを幸せにしたかった。」


 唇を噛み締める。

 それでも言葉は止まらなかった。


「私の人生は、ネージュへの愛で出来ていました。」


 女神は何も言わない。

 ただ静かに見つめている。


「それがあなたの願いなのですね。」


「……はい。」


 ようやく認めた。

 子供の頃から抱き続けた想いを。

 誰よりも彼女の幸せを願いながら。

 誰よりも彼女を幸せにしたかったことを。

 女神は微笑むように呆れた顔をした。

 その表情が哀れみだったのか、慈しみだったのか、セシルには分からない。

 ただ、祭壇に舞う雪が少しだけ優しくなった気がした。


「ようやく言えましたね。」


 女神の瞳が細められる。


「我が子孫も結局、愛に生きるのですね。」


 舞い落ちる雪が、そっとセシルの肩に積もる。

 不思議と冷たくはなかった。


「その願い、叶えてあげましょう。」


 この出来事が夢だったのか、幻だったのか。

 セシルは狐つままれたような体験だった。

 しかし、セシルの心の中に確かな答えだけは残っていた。

 




 数か月後――。


 王城の庭の満開の桜の下。

 知らせを聞いたネージュは立ち尽くしていた。

 信じられない話だった。

 王家が認めた。

 宰相も認めた。

 誰一人として反対していない。

 隣国との同盟問題は解決した。

 王国を支える新たな外交路線が整い、王女の政略結婚は不要になった。

 ネージュの脳裏には、彼の顔が浮かんでいた。あの雪の日から変わらず、自分を守ろうとしてくれた人。

 まるで、どこかの誰かが強引に運命を書き換えたかのようだった。


 足音が聞こえて振り返る。

 そこにはセシルがいた。

 雪の日から変わらず、ずっと好きだった人。

 けれど、どこか違って見えた。

 あの日の少年のまま、誰よりも頼もしい大人になったセシルだった。


「ネージュ……。」


 二人の間に敬称が消えた。

 ネージュの瞳から涙が零れる。


 何度夢に見ただろう。

 何度名前を呼びたかっただろう。

 それでも叶わないと思っていた。


「どうして……。」


 ネージュの声が震える。


「どうしてなの?」


 ネージュは涙を拭うことも忘れていた。


「王家が認めたの。」


 一歩近づく。


「お父様も。」


 もう一歩。


「宰相閣下も。」


 そして立ち止まる。


「どうして誰も反対しないの?」


 セシルは少し困ったように笑った。


「実は、かなり反対されました。」


「え?」


「何度も。」


 ネージュが目を丸くする。


「でも、諦めませんでした。」


 セシルは桜を見上げる。


「諦められなかった。」


 風が吹く。

 花びらが舞う。

 もちろん覚えていた。


 あの春の日……初恋が終わりを迎えた日。

 互いの想いを胸に秘めたまま別れた日。

 何も言えず、口づけに想いを託した。


「あなたが幸せなら、それでいいと。」


 静かな声だった。


「でも駄目でした。」


 ネージュは息を呑む。


「どれだけ自分に言い聞かせても……どれだけ忘れようとしても……あなたしかいなかった。」


「だから。」


「今度は、私があなたを幸せにしたい!」


「もう二度と譲れません。」


 セシルは片膝をついた。

 そして手を差し出した。


「ネージュ・ブリーズ。」


「はい。」


 セシルは優しく微笑んだ。


「あなたを幸せにします。」


 セシルは、内ポケットから指輪を出した。


「結婚してください。」


 ネージュは泣きながら笑った。


「……ずっと、あなただけを愛してた。」


 ネージュは王女という立場も忘れて、セシルの胸に飛びこんだ。

 見つめ合うセシルとネージュは人目もはばからず、キスをした。一回、二回、三回……その先は、彼女の護衛達も数えなかった。


 春風が吹く。

 桜の香りが二人を包み込む。


 雪の花は、ようやく春を見つけた。


 あとがき


 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 本作は『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』第58話「雪の花 桜のかほり」に登場した劇を、一つの短編作品として再構成したものです。

 もし、ネージュとセシルの恋を楽しんでいただけたなら、とても嬉しく思います。

 また、この物語が生まれた世界にも興味を持っていただけましたら、本編もお楽しみいただければ幸いです。

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