雪の花 桜のかほり
この物語は『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』の中で語られた、とある恋物語を短編として描いた作品です。
雪が降っていた。
寒冷地であるこのブリーズ王国では珍しくないことだ。幼い子供達が寒さにも負けずに遊んでいる。
ネージュは雪が好きだった。
雪が降る日は誰にも邪魔されず、セシルと遊べるからだ。
「ねえ、セシル。」
「何でしょうか、ネージュ姫。」
「好き。」
「駄目です。」
ネージュは頬を膨らませる。
「まだ何も言ってないわ。」
「言いました。」
「好きって言っただけよ。」
「それが問題なのです。」
宰相家の次男であるセシルは、幼い頃から妙に真面目だった。国王の娘であるネージュは、それが不満だった。
「どうして駄目なの?」
「ネージュ様は王女です。」
「そうね。」
「私は宰相の息子です。」
「知ってる。」
「だから駄目です。」
「意味が分からない!」
本当に分からない顔をする。
セシルは額を押さえた。
この人は、自分がどれほど周囲を振り回しているか、まるで分かっていない。
「好きなの。」
「駄目です。」
「大好き。」
「駄目です。」
「好きになって。」
「駄目です。」
「どうしても?」
「駄目です。」
「ねぇ、どーーしても?」
「駄目です。」
「どーしてもどーしても?」
「……。」
ネージュは一歩近づく。
雪と交ざったほのかに甘い香りがした。
セシルは知っていた。
王女が誰にでもこんな笑顔を向けるわけではないことを。
「好き。」
「駄目です。」
「大好き。」
「もっと駄目です。」
「世界で一番好き。」
「……卑怯です。」
とうとうセシルは顔を覆った。
「そんなことを言われたら……。」
肩が小さく震える。
ティアラと言い張るカチューシャに雪が積もる。
頬を赤くしたネージュが笑う。
本当に雪のお姫様のようだった。そんな彼女のことをずっと守りたいと思ってしまうほどに。
その顔を見た瞬間、セシルは理解した。
もうとっくに負けていたのだと。
そして観念したように息を吐いた。
「負けました。」
ネージュの顔がぱっと明るくなる。
「本当!?」
「本当です。」
「好き?」
「好きです。」
「私のこと?」
「ネージュ様以外に誰がいるんです。」
その日。雪の王国に、小さな恋が咲いた。
◇
春が来た。留学先の王立学園の桜並木はとても美しかった。
ネージュは桜を見上げる。
ブリーズ王国では雪で覆われるため、この美しい景色が珍かった。
「綺麗ね。」
ネージュがセシルの腕を組む。
「そうですね。」
自分の気持ちを認めてからは、セシルの全てが愛おしかった。
「でも雪の方が好きだわ。」
「意外ですね、寒がりなのに。」
「雪の日はセシルと遊べたもの。」
かつて少年少女だった子供達は、美しい青年に育っていた。セシルとネージュは並んで歩く。
◇
王立学園での日々は、慌ただしかった。
留学生であるネージュとセシルにとって、外国語で学ぶのは、他の生徒の何倍も労力がかかる。
二人は放課後に図書館で勉強するのが日課となっていた。
「どうして、論文ってこんなに回りくどい聞き方をするのかしら?」
「生徒の理解力や考えを導き出すためじゃないのでしょうか?」
「うー……、セシル。」
「今度は何ですか?」
「眠いわ。」
「試験前ですよ、ネージュ。」
「五分だけ。」
「十分前も同じことを言いました。」
「論文に睡魔が隠れているのよ。」
そう言いながらネージュはセシルの肩に寄りかかる。
「私、あなたのこの白檀の香り、好きよ……。」
そう言い残すとネージュは深い寝息を立てる。
セシルは小さく溜め息をつくと、椅子に掛けていたジャケットをネージュの肩にそっと掛けた。
「私もネージュの春のような桜の香りが好きですよ。」
セシルは寝ているネージュに囁いた。
◇
同級生の友人も増えて、少しずつ学園生活も慣れ始めた頃。
ネージュはどこか得意げな顔で、ラッピングされた小さな袋を抱えていた。
「セシル、今日の料理実習でクッキーを初めて作ったのよ。」
ネージュは嬉しそうにラッピングされたクッキーを見せる。
「王城では厨房すら入れませんからね。良い経験になりましたね。」
そう言ったセシルに不満そうなネージュ。
「王立学園では恋人のためにお菓子を作るのが流行っているのよ。」
セシルは気づいた。
「ネージュからのクッキーが楽しみです。」
「素直でよろしい!はい、どーぞ。」
セシルはゆっくりと開ける。
中からは砕けたクッキーが出てきた。
「嘘?!なんで?」
ネージュは慌てる。
セシルは袋からクッキーの欠片を全て出す。
そして、パズルのように破片を組み合わせていく。
「もしかして、この形は桜ですか?」
「そのつもりだったのよ。散っちゃったけど。」
ネージュがそう言うと、セシルが微笑んだ。
「これなら二人で食べれますね。」
そう言いながらクッキーの欠片をネージュの口元へ運ぶ。
「さぁ、どうぞ。」
「私は子供じゃないわ。」
「それでは、ネージュが私に食べさせてください。」
「それは、恥ずかしいわ!」
結局、ネージュは口を素直に開いた。
「桜はまた咲きますから、その時にリベンジしましょう。今度は二人で。」
「次は絶対に成功させるわ。」
ネージュは拳を握った。
その姿にセシルは小さく笑った。
◇
季節は流れた。
王立学園最大の行事である舞踏会の日がやって来た。
大講堂には各国の留学生や貴族の子弟達が集まっていた。
セシルは会場の隅で壁にもたれていた。
「セシル!」
振り返った瞬間、言葉を失う。
ネージュだった。
雪の結晶を模した髪飾り。
まるでブリーズ王国の冬の夜空のような蒼のドレスに、ジルコニアが散りばめられてる。
まるでネージュが美しい星空を纏ったようだった。
「どう?」
ネージュがその場で一回転する。
ドレスの裾が会場のライトに反射して、オーロラのように光のカーテンが広がる。
「似合う?」
セシルはその美しさに圧倒されていた。
ネージュが不安そうな顔になる。
「……セシル?」
「反則です。」
「え?」
「そんな格好をされたら誰でも見惚れます。」
ネージュの顔が真っ赤になる。
「そ、そんなに?」
「はい。そんなにです。」
「可愛い?」
「それ、聞く必要がありますか?」
「あるわ。」
セシルは観念したように息を吐いた。
「美しいです。私が見たどの景色よりも輝いて見えます。」
ネージュは満面の笑みを浮かべた。
やがて開会の挨拶が始まる。
留学生代表として名前を呼ばれたネージュが壇上へ向かう。
ざわめいていた会場が静まる。
ネージュは堂々と前を向き、異国の言葉で挨拶を紡いだ。
誰一人としてネージュから目を逸らさない。
会場中が美しいネージュの声に聞き入っていた。
その中で、セシルは少しだけ笑った。
入学したばかりの頃は外国語の発音に苦労していた。
論文を読んで居眠りしていた彼女。
影では、誰よりも努力していた。
そんな彼女は誰よりも美しかった。
拍手が起こる。
割れんばかりの拍手だった。
壇上から降りてきたネージュがセシルに尋ねる。
「セシル、どうだった?」
「ブリーズ王国の民として、誇らしかったです。」
「え?」
「あなたは、とても立派な王女ですよ。」
ネージュが少しだけ寂しそうな顔をする。
「……そう。」
その返事にセシルは気づかなかった。
会場に最後の曲が流れる。
セシルは手を差し出した。
「一曲、お願いできますか。」
ネージュは微笑む。
「もちろん、喜んで。」
二人は静かに踊った。
「卒業しても一緒よね?」
セシルの腕の中でネージュが小さく尋ねる。
「はい。お約束します。」
セシルは迷わず答えた。
エスコートした手を握る。
その夜の思い出は、二人にとって美しいものとなった。
◇
秋が過ぎ、冬が訪れる――。
慣れ親しんだ王立学園にも、珍しく雪が降った。
「セシル!見て、雪よ!」
ネージュが中庭に走り出す。
「そんな走ったら転びますよ。」
敷き並べられたレンガに滑り、ネージュが本当に転ぶ。
セシルが慌てて駆け寄り手を差し出す。
差し出された手を取るふりをして、自分の方に引き寄せるネージュ。
セシルも転ぶ。
子供の頃のように雪まみれになったお互いの姿を見て、二人で笑う。
「雪の日は特別だわ。」
「私ね、雪の日は好きなの。」
「どうしてですか?」
「セシルと出会った日だから。」
「あの日もこんな風にパウダースノーが降っていましたね。」
「セシル、私、ずっとこうしていたい。」
幼い日の約束は、今も変わらない。
「ねぇ、セシル。卒業しても一緒よね?」
ネージュが笑う。
「はい。いつまでも一緒です。」
雪が髪飾りに積もる。
セシルはふと、幼い日のカチューシャを思い出した。
セシルも笑った。
あの時は、本気で信じていた。
ずっと、隣にいられると。
◇
月日は流れ、王立学園の桜の木が再び蕾をつけ始めた頃。
ネージュの様子が急におかしくなったことに、セシルは気づいていた。
最近の彼女は、窓の外を眺める時間が増えた。以前のように無邪気に笑うことも少ない。
そして、その理由を知ったのは一通の書簡が届いた日だった。
ブリーズ王国から届いた書簡を読んだネージュの顔色が変わっていく。
「ネージュ、何かありましたか?」
「ううん、なんでもないわ。」
隠すように書簡をしまうネージュの様子に、何か良くない知らせがきたことだけは分かった。
セシルには何も聞けなかった……。
◇
数日後。
桜並木を歩いていた時だった。
「セシル。話があるの。」
ネージュが足を止める。
「どうしました?」
ネージュは少し俯いた。
風が吹き、桜の蕾が揺れる。
「話さなきゃって、ずっと思っていたけど言いたくなかった。」
セシルは黙って続きを待った。
「ブリーズ王国から来た書簡のことよ。」
やはり、あの書簡だった。
セシルは静かに頷く。
「父からですか?」
「ええ。宰相閣下の名義だったけど、お父様の意見でもあるわ。」
ネージュは自嘲するように笑った。
「王女らしく、国のために仕事をしなさいって。」
その言葉に、セシルの胸がざわつく。
「何か決まったのですか?」
ネージュは答えない。
少しだけ沈黙が流れた。
そして意を決したように口を開く。
「婚約するの、私。」
ネージュはそう言って笑った。
けれど、その笑顔はどこかぎこちなかった。
「隣国との同盟のために、婚約が決まったの。」
セシルは言葉を失う。
王女である以上、いつかは向き合わなければならない話だと分かっていた。
それでも、あまりにも突然だった。
「……そうですか。」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
「もっと驚いてくれると思った。」
ネージュは冗談めかして言う。
「……。」
「驚いてるように見えないわよ。セシル。」
「……見せないようにしているだけです。」
ネージュは少しだけ目を伏せた。
その仕草だけで、どれほど傷ついているのか分かってしまう。
「……断れないのですか?」
自分でも情けない質問だと思った。
ネージュは苦笑する。
「断ったら、ブリーズ王国が困るの。」
「同盟を結ぶなら他に方法だって……。」
「ないわ。」
即答だった。
きっとセシルに伝えるまで何度も考えたのだろう。
何度も……
何度も……
そのたびに答えは同じだったのだ。
桜の蕾が風に揺れる。
「ねぇ、セシル。私ね……。」
ネージュは空を見上げる。
「普通の女の子になりたかったな。」
その言葉に胸が痛んだ。
王女として生まれた彼女が、一度も口にしなかった本音だった。
「街で買い物して。」
ネージュは笑う。
「恋人のためにお菓子を作って。」
少し笑顔が歪む。
「恋人の肩を借りて図書館で居眠りして怒られて。」
ネージュの声が震える。
「恋人と……舞踏会で踊っ……て。」
ネージュは涙声になっていた。
「そして……。」
ネージュは唇を噛む。
「好き……な人と結婚……したかった……。」
ネージュは涙を拭い、空を見上げる。
「そんな普通の人生が欲しかった……。」
セシルは何も言えない。
言えば崩れてしまう気がした。
自分も同じことを願っていたから。
「逃げたい……逃げたいよ、セシル。」
ぽつりとネージュが呟く。
「全部捨ててしまいたい。」
涙が零れた。
「王女なんてなりたくない。」
もう止まらない。
「どこか遠くへ行きたい。」
セシルは目を閉じた。
手を取って、「一緒に逃げよう」と言いそうになった。
そう言えば、きっと彼女はついてくるだろう。
だが、それは出来なかった。
ネージュは誰よりもブリーズ王国を愛していることを知っていたから。
例え逃げたとしても、その先で彼女が苦しむことも分かっていたから。
セシルは自分の心を殺して言った。
「駄目です。」
「どうして!?なんで!?」
「今だけは王女じゃなくてネージュでいたいのよ!」
泣き崩れるネージュに触れようとした手を止めるセシル。
◇
卒業式の日が来た。
王立学園の桜は満開だった。
けれど、二人の間には以前のような穏やかな空気はなかった。
残された時間で話すことはいくらでもあるはずだった。
思い出も。
伝えたい言葉も。
それなのに、何を口にしても別れに繋がってしまう気がした。
卒業式が終わる――。
友人達は未来の話をしていた。
就職先、帰国、婚約。
新しい人生の門出に胸を高鳴らせている。
ネージュとセシルは桜並木を歩く。
何度も一緒に歩いた道だった。
けれど、今日が最後だった。
「覚えていますか?」
先に口を開いたのはセシルだった。
「最初にクッキーを作ってくれた日です。」
ネージュが小さく笑う。
「桜の形にしたかったのに、粉々になったクッキー?」
「はい。」
「懐かしいわね。」
「桜はまた咲くと言いました。」
セシルは空を見上げた。
「ちゃんと咲きました。」
ネージュもつられて見上げる。
風が吹く。
花びらが舞った。
「そうね。」
それ以上は続かなかった。
桜は咲いた。
けれど、あの時の二人の約束はもう叶わない。
それを知っているから。
卒業の日、桜が散っていた。
まるで祝福のように……。
まるで別れのように……。
「さようなら、セシル。」
ネージュは笑った。
泣かなかった。
彼女は国の王女だから。
国の役目があるから。
大人になった彼女は分かっていた。
桜の花びらが二人の間を通り過ぎていく。
セシルはそれを目で追った。
何かを言えば、決意が揺らいでしまう気がした。
「あなたの幸せを祈っています、ネージュ様。」
セシルも静かに微笑んだ。
泣かなかった。
臣下として支える立場だから。
彼女の選択を尊重するしかないと分かっていた。
愛していたから、二人は背を向けた。
愛しているから、振り返れなかった。
◇
一年後の王城――。
長い廊下の向こうからネージュが歩いてくる。
彼女は、美しい王女になっていた。
かつて、カチューシャをティアラだと言い張っていた少女は、もうそこにはいない。彼女の頭の上には、雪の結晶をモチーフとした宝石が散りばめられたティアラが飾られている。
セシルは足を止める。
ネージュも気づく。
二人の目が合う。
セシルは、無言で頭を垂れる。
たった、それだけだった。
何も言わないのではなく、何も言えない。
もう、雪の中で手を取り、笑いあった子供ではいられないのだ。
今の二人は成人して、王女と臣下になった。
すれ違う二人――。
そこに残ったのは懐かしい桜の香りだけだった。
◇
再会の日から数週間。
セシルは以前にも増して政務に没頭していた。
王女の婚約が近い。
そんな噂は王城中に広がっていた。
聞きたくなくても耳に入る。
隣国との同盟。
王家の悲願。
王国の安定。
どれも正しい。
だからこそ反論できなかった。
◇
その夜。
机の上には書類が山積みになっていた。
だが、セシルの視線は一文字も追えていない。
気付けば思い出してしまう。
幼い頃の雪の日に無邪気に交わした言葉を。
「好き。」
「駄目です。」
王立学園の満開の桜の中で交わした言葉を……。
「卒業しても一緒よね?」
「はい。」
そして卒業の日――。
「さようなら、セシル。」
ペン先が止まる。
何度忘れようとしても無駄だった。
◇
王女の婚約が決まった夜。
王城は祝賀ムードだった。
王女ネージュ・ブリーズ殿下の婚約発表されると拍手と祝福の声が会場に溢れた。
誰もが喜んでいた。
ただ一人を除いて。
セシルは式典の最後まで顔色一つ変えなかった。いや、変えられなかった。
その夜、セシルは酒を飲んだ。
愛しい人を忘れるために。
しかし、酔えば酔うほど彼女の表情が鮮明になる。
眠れるようにロッキングチェアに腰掛け、本を読もうとする。
だが、文字が頭に入らない。
目を閉じて眠ろうとした。
だが、夢に出てくるのは自分の名前を呼ぶネージュ。
そして、夜明け前――。
セシルは立ち上がった。
「一度だけでいい。もう一度だけ、奇跡が欲しい。」
セシルはいても立ってもいられなかった。
神話を信じて、女神ツーユーが祀られる神殿へ向かった。
己の命と引き換えに、願いを一つだけ叶えてくれる。
そんな口承伝承を信じて神殿を訪れた。
神殿の最奥。
誰もいないはずの祭壇に雪が降っている。
天井も夜空もない。
その場所に、ただ白い雪だけが静かに舞っていた。
その中心に、一人の女性が立っている。
白銀に輝く姿。
その姿は美しく、それ以上にこの世の者とは思えない恐ろしさを感じた。
(女神ツーユーは実在したのか……。)
セシルは自分の目を疑った。
次第に不思議な感覚に襲われる。そこにいるだけで、自分という存在が世界から切り離されていくような錯覚を覚えた。
「セシル……。」
声が響く。
しかし、何も聞こえない。
魂に直接語りかけられているようだった。
「我が愛する子孫よ。」
女神の瞳が向けられる。
「セシル……、我に何を望むのです?」
女神が問う。
セシルは静かに答えた。
「ネージュが……ネージュ様が幸せになれる未来を。」
女神は沈黙する。
「それは誰の幸せですか?」
「ネージュ様の。」
雪が降り止み、世界から音が消える。
女神はただセシルを見ていた。
「違いますね。」
女神は即答すると部屋の空気は冷たくなった。
「あなたは嘘をついています。本当は何を願うのですか?」
「……。」
「ネージュ王女の幸せですか?」
「はい。」
「違いますね。」
さらに、冷える空気に息さえも凍りそうになる。
「国の未来ですか?」
「……違います。」
女神は優しく微笑んだ。
「あなたは何十年も彼女を見続けた。それで、何を願っていたのです?」
長い沈黙が落ちる。
祭壇に舞う雪だけが静かに揺れていた。
セシルは目を閉じる。
認めてしまえば終わりだと思っていた。
臣下として、王女を支える者として、決して口にしてはならない願いだった。
しかし、そんな虚勢も女神の前では通じなかった。
絞り出すように言葉を紡ぐ。
「私が……。」
セシルの声が震える。
「私がネージュを幸せにしたかった。」
唇を噛み締める。
それでも言葉は止まらなかった。
「私の人生は、ネージュへの愛で出来ていました。」
女神は何も言わない。
ただ静かに見つめている。
「それがあなたの願いなのですね。」
「……はい。」
ようやく認めた。
子供の頃から抱き続けた想いを。
誰よりも彼女の幸せを願いながら。
誰よりも彼女を幸せにしたかったことを。
女神は微笑むように呆れた顔をした。
その表情が哀れみだったのか、慈しみだったのか、セシルには分からない。
ただ、祭壇に舞う雪が少しだけ優しくなった気がした。
「ようやく言えましたね。」
女神の瞳が細められる。
「我が子孫も結局、愛に生きるのですね。」
舞い落ちる雪が、そっとセシルの肩に積もる。
不思議と冷たくはなかった。
「その願い、叶えてあげましょう。」
この出来事が夢だったのか、幻だったのか。
セシルは狐つままれたような体験だった。
しかし、セシルの心の中に確かな答えだけは残っていた。
◇
数か月後――。
王城の庭の満開の桜の下。
知らせを聞いたネージュは立ち尽くしていた。
信じられない話だった。
王家が認めた。
宰相も認めた。
誰一人として反対していない。
隣国との同盟問題は解決した。
王国を支える新たな外交路線が整い、王女の政略結婚は不要になった。
ネージュの脳裏には、彼の顔が浮かんでいた。あの雪の日から変わらず、自分を守ろうとしてくれた人。
まるで、どこかの誰かが強引に運命を書き換えたかのようだった。
足音が聞こえて振り返る。
そこにはセシルがいた。
雪の日から変わらず、ずっと好きだった人。
けれど、どこか違って見えた。
あの日の少年のまま、誰よりも頼もしい大人になったセシルだった。
「ネージュ……。」
二人の間に敬称が消えた。
ネージュの瞳から涙が零れる。
何度夢に見ただろう。
何度名前を呼びたかっただろう。
それでも叶わないと思っていた。
「どうして……。」
ネージュの声が震える。
「どうしてなの?」
ネージュは涙を拭うことも忘れていた。
「王家が認めたの。」
一歩近づく。
「お父様も。」
もう一歩。
「宰相閣下も。」
そして立ち止まる。
「どうして誰も反対しないの?」
セシルは少し困ったように笑った。
「実は、かなり反対されました。」
「え?」
「何度も。」
ネージュが目を丸くする。
「でも、諦めませんでした。」
セシルは桜を見上げる。
「諦められなかった。」
風が吹く。
花びらが舞う。
もちろん覚えていた。
あの春の日……初恋が終わりを迎えた日。
互いの想いを胸に秘めたまま別れた日。
何も言えず、口づけに想いを託した。
「あなたが幸せなら、それでいいと。」
静かな声だった。
「でも駄目でした。」
ネージュは息を呑む。
「どれだけ自分に言い聞かせても……どれだけ忘れようとしても……あなたしかいなかった。」
「だから。」
「今度は、私があなたを幸せにしたい!」
「もう二度と譲れません。」
セシルは片膝をついた。
そして手を差し出した。
「ネージュ・ブリーズ。」
「はい。」
セシルは優しく微笑んだ。
「あなたを幸せにします。」
セシルは、内ポケットから指輪を出した。
「結婚してください。」
ネージュは泣きながら笑った。
「……ずっと、あなただけを愛してた。」
ネージュは王女という立場も忘れて、セシルの胸に飛びこんだ。
見つめ合うセシルとネージュは人目もはばからず、キスをした。一回、二回、三回……その先は、彼女の護衛達も数えなかった。
春風が吹く。
桜の香りが二人を包み込む。
雪の花は、ようやく春を見つけた。
あとがき
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
本作は『ママじゃない~攻略対象の母に転生したので、破滅エンドを潰します~』第58話「雪の花 桜のかほり」に登場した劇を、一つの短編作品として再構成したものです。
もし、ネージュとセシルの恋を楽しんでいただけたなら、とても嬉しく思います。
また、この物語が生まれた世界にも興味を持っていただけましたら、本編もお楽しみいただければ幸いです。
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