第3話 勇者
八月三日。王国本土・港町テムウスの病院。
洗面所で、手をごしごしと洗っている。
どれだけ手を洗っても、脂のぬめぬめとした感覚が抜けない。
魔族の脂まみれの血の感覚がぬけない。
「あっ! いたいた! アガルシーくぅん。探したんだよぉ。なんか帰郷してみたら君が魔王討伐隊に加わったって言うから本当に‥‥‥」
「顔が変わってる‥‥‥?」
「変わってない変わってない」
それは幼馴染だった。
キツキ・カンズラーという名をしており、やたらと中性的。
「俺はまた君に嫌われることをしたのかい? ‥‥‥名字呼びだ」
「気付いてない内は咎めるつもりはないよぉ。取り敢えず生きてて良かった。ほんとうにね。出払ったほとんどの隊員が死んじゃったんだろ。おばさん、元気なかったよ」
「手紙を出そうかと思ってるんだ。その為に、写真の現像を待ってるんだ」
「写真?」
「近くの写真館で撮ってもらったんだ。帰ってきた時に」
ジャバ、ジャバ‥‥‥。
手を洗っている。手の皮が剥がれてしまう勢いで。
キツキはそれを見て見ぬふりしながら、「そっか」と返す。
「それで、『よかった〜』とはならないよ。今回は良かったとしても、次がダメかもしれないんだよ。もう懲りたでしょ、帰ろうよ」
「ごめん、責任は果たさなくちゃならないんだ」
「責任って。なんの」
「ごめん、言えない」
しばらくの静寂。
「まぁいいや。でもさあ、魔王ってのはわかるんだけど‥‥‥」
「なにか?」
「昔、古代の授業でさぁ、習ったじゃん。大昔存在してた魔王バンガは悪さをしていたところ、勇者キズムにこてんぱんにされて、心を入れ直したって。おぼえてる?」
「あったね。よくおぼえてるね」
「今度は勇者、現れないのかなぁ」
キツキのその言葉に、ケイムは少しだけ俯いてから「勇者なんて現れないために、人間が頑張らなくちゃならないんだ」と言った。
昔から度々感じていたどこか遠くを見るような目。
「魔王は、勇者が現れる前に討伐するのがベストなんだ」
その日のことだった。
勇者が現れた、という号外が全世界にばらまかれた。十七歳‥‥‥ケイムやキツキと同い年の少女だった。
キツキは「タイムリーだねぇ」とふわふわとした感想を出したが、ケイムはそれどころの話じゃなかった。
勇者が生まれてしまった。マイナスポイント。しかも、勇者は十七歳のまだまだ子供。さらなるマイナスポイント。
そしてなにより、新たなる勇者は。
「アウィ」
「え?」
「彼女の子孫だ」
世界が、世界がどんどん駄目な方向に進んでいく。
世界がまた嫌なことに巻き込まれていく。世界が、世界が‥‥‥また、どんどんと暗雲に包まれていく。ケイムは焦っていた。どうにかできないものか、と。
「焦っているな」というのは、キツキにもわかった。
なにがどういう理屈でそうなっているのかはわからないけれども、目の前の幼馴染は絶望でもしているような目をしている。
「キィ」
「キツキ、俺‥‥‥」
「キィ、行ってよし」
翌朝、病室にケイムの姿はなかった。二本の短刀に仕立て上げた得物も消えていたので、おそらく出払ってしまったのだろう。
消えていたので第四隊の隊長は驚いていたが、キツキは「すぐにわかりますよ」と極めて冷静につとめた。
心中穏やかではないが。




