5話・非日常の一こま
他愛もない日常の風景。
当たり前すぎて素通り出来てしまうような。
そんな気に留める価値もない程の空気に溶け込んでしまうかのような場面。
なのに。
彗にとってみたらソレは日常ではなく、非、日常だった。
従姉弟でありながら彗にとっては特別な。他と比べる事など出来ない程の存在である雫。その雫が、ナーダと楽しげに言葉を交わしている。
一見その表情は変わらないように思える。だけど彗にはわかってしまう。その表情が実は、雫が楽しい時に浮かべるものだという事に。
一瞬足元が崩れ落ちたような感覚に膝から崩れ落ちそうになるが、手を伸ばせば届く位置にあった壁に手を叩きつけるように当て、身体を支える。
こんな事で倒れてなんかいられない。
たとえ、それがどんなに衝撃的だったとしても。
「その鉱石ってどういうのがあるの?」
「色はこれ、というものはないな。属性の数だけあるといってもいい。魔力が籠められている物もあれば、何もない物もある」
「へぇ…まっさらなものがあるって事ね」
「あぁ。媒介に出来るんじゃないかと研究する者もいるな」
「ふぅん。面白そう。あ…そういえばカード」
そう言って雫が取り出したものは、一枚の透明なカード。特殊な文字が彫られ、それが雫のものだとわかる印にもなっている。
これで受け取った相手のカードを使い、連絡を取れるのだ。ナーダ自身誰かとカードを交換する、という事は基本的にしない。
家族や、休日でも会うような友人に渡している程度だ。その光景を見ていた彗自身、ナーダからカードは受け取ってはいない。大体が騎士団詰め所で会うからなのだが、それでも目前に広がる信じたくない場面に、流石の彗も言葉を失った。
「(……何時の間に仲良くなったんだ…? そういえば最近雫に会ってない。会ってないけど、別に珍しい事じゃないし、雫はよく篭るからそれを邪魔されるような携帯は好きじゃなくて…)」
ソレは、ナーダも同じだった。はず。
「彗~。眉間の皺~。ナーダとか、彗の従姉弟殿とかの珍しい態度にやられちゃってるよねぇ~。珍し」
「……」
何処から現れたのか、ルアルが口元に笑みを称えながら彗の後ろからひょっこりと顔を覗かせるが、あえて無言を貫き通した。あえて、というよりは、何を言っていいかわからないだけだったが。
人の感情に対して敏感なルアルは、その様子を満足気に眺めながら1回だけ頷くと。
「それ、彗にふられた女の人がよく浮かべてる表情だよねぇ。彗はねぇ、従姉弟殿がいなかったら今頃刺されてるんじゃないかなぁ」
表面上はにこやかに。目元は弧を描き穏やかな表情を浮かべているようにも見える、が、それはあくまでも見た目だけ。
実際はそれとは正反対な性格だという事を既に理解している彗は、嫌そうに目を細めながらルアルを見下ろした。
「あはは。彗もナーダも友達だからねぇ。まぁ、フェアにいこうよ」
「…つまりそれって…いや、うん。いいや。あの表情見ればわかる」
ルアルから釘をさされた形になったが、彗自身特に何かをする気はなかった。
「あれ、素直」
「お前って本当に心底性格悪いよな」
最終的に収めるつもりでも、それまでの多少のいざこざなら面白がって見るタイプだ。剣や魔法では彗やナーダに勝てなくても、別のジャンルならルアルはほぼ無敵だろう。
「褒め言葉嬉しいなぁ」
「褒めてないけどな」
それについては即座に切り返す。
やはりルアルは面白そうに笑うだけだが、その声で雫が彗のいる場所を見上げた。久しぶりに向けられる視線。
「あ。居たんだ」
その唇から紡がれた言葉はこの上なくあっさりとしたものだったが、それでも雫の視界に収まった事が嬉しくて彗の表情から笑みが漏れた。
地球に居た頃は当たり前だった会話。
ここに来てからは当たり前ではなくなった邂逅。
前よりもずっと貴重になってしまった雫との対面。
「騎士団の演習場に俺がいてもおかしくないだろ」
「それもそうだね」
彗の言った言葉にそれもそうだと雫が頷く。その後はナーダに視線を移し、機嫌の良さそうな笑みを浮かべてナーダへと話していた。聞こえる会話は決して艶めいたものではなく、寧ろその入り口にすら立っていないもの。
雫の研究者魂を刺激する鉱石の数々に、話題は尽きる事はないらしい。
「長そうだねぇ」
「そうだな」
長いんじゃなくて、これは尽きない。
彗の姉と雫が話す時は、大体がこういう感じになっていた。その都度、彗は会話に入れずにただ楽しげに言葉を交わす雫と姉を見ているだけだった。
どうやらその立場は、ここでもかわらないらしい。
「あんなに遊び相手がいるのに、本命に人が近づくのは嫌なんだねぇ」
ルアルの底知れぬ笑い声と共に、スルリ、とそんな言葉が彗の耳に入り込む。いつもだったらその言葉を発したルアルの表情を横目で確認するのだが、何故かそれが出来ずに彗はただ下を見下ろすだけ。
見てはいけないと、本能が警告したのかもしれない。
「あ、残念。僕の素敵な笑顔が見れたのにねぇ」
「見たくねぇよ」
ルアルの邪悪な笑みなんて、頼まれても見たくない。思わず見ないように左手で目を隠すように覆うと、息を吐き出すだけの溜息をついた。
「俺に恨みでもあったりする?」
今日のルアルは中々のものだ。普段は猫を被ってはいるが、ここまで自分を出すのは珍しい。思わず聞いてしまえば、返ってくるのはルアルの無邪気に聞こえる笑い声だけ。
声だけ聞くと可愛い少年。
既に中身を知っている彗としては、含みがあるとしか思えない声。
「うぅん。まっさかぁ。ただの観察」
「…そうか」
わかってはいたが、はっきりと言われると更に疲れが増すような気がして、彗にしては珍しく肩をがっくりと落とした。
今まで感じた事のない疲れの所為か。彗にしてはその態度以上に珍しいのだが、雫の視線には気付かずにただ項垂れるだけ。
「どうした?」
何かを観察するような。一瞬ルアルを彷彿されるような眼差しだが、あえてそれには触れずにナーダが尋ねると。
「彗のあんな態度、初めて」
「そうなのか?」
確かに項垂れる彗は珍しいかもしれないが、雫に対してはよく落ち込んでいるから然程珍しさも感じさないナーダに対し、雫は迷わずに頷く。
「法則さえ見つければ帰れる。迷いすぎた人間が落ちた先が異世界。あぁ、うん。法則は彗なんだ」
ぶつぶつと呟く雫。
「……つまり、きっかけは彗ならば、帰る法則も彗、なのか?」
「まだ確信は得てないけどね。ねぇ、ナーダ。この世界の、神隠しの目撃情報ってある?」
確信はないという割りに、迷い無く言葉を口にする雫を視界へと収めながらナーダが1回だけ頷く。
「それ、私でも見れる?」
「いや、それは大丈夫だ。俺が見せよう」
気になる言い方だが、雫はあえて突っ込まずにナーダの言葉に甘えておく事に決めた。元々、この国は異世界人に対してかなり優しい。勿論非人道的なものや犯罪は裁かれるが、本人が帰る為の手段を調べる為ならば、余程の事が無い限りは資料を集める事に手間取る事はない。
しかも、雫自身研究員として数々の発明し、既にこの国所か他国でもその発明品は無くてはならないもの。そしてその性格から信用度はかなり高いのだ。その雫が見たがり、ナーダが補佐をすれば無理な事はほぼないと言える。
「ありがと」
くすり、と笑みを漏らす雫に、ナーダは首を軽く横に振る。
「いや。この程度は造作もない…」
多分、珍しいのは。
変わったのは彗だけじゃないんじゃないか。
「(と俺が思うのは、まだ早いか)」
先日までは彗の従姉弟、という認識だったのだ。
それなのに、変わったと言い切るのはまだ早いかと、口には出さずに胸の奥に留めておいた。




