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おかあさんに、とどけるひかり

作者: 星渡リン
掲載日:2026/01/17

 冬の朝は、音が小さい。

 ストーブが、ことこと。

 やかんが、しゅう。

 カップの湯気が、ふわっ。


 窓には霜がついて、銀のレースみたいに光っていました。

 しゃりん、と鳴りそうなくらい、きらきら。


 でも、家の中はあったかいのに、どこかさびしい。

 ユナは寝室の戸をそっと開けて、布団の中のお母さんを見ました。


 お母さんは眠っていました。

 頬は少し赤くて、息がゆっくり。


「おかあさん……」


 ユナは小さな声で呼びました。

 お母さんは目を開けて、少しだけ笑いました。

 笑うと、すぐに疲れたみたいに目を閉じます。


 ユナは水を運びました。

 タオルを替えました。

 おでこに手を当てて、「だいじょうぶ?」と聞きました。


 できることは、これくらい。

 それが、くるしい。


 病気は、すぐにはよくならない。

 がんばっても、がんばっても、朝になるとまた同じ。

 ユナは「もっとできることがあればいいのに」と思って、胸の奥がつん、としました。


 夜。

 家族が眠って、家が静かになったころ。

 ユナはこっそり窓辺に座りました。


 外は暗い。

 でも雪は、街灯の光でちいさく光ります。

 きらり。

 きらり。


 ユナは目をこすりました。

 涙が出そうで、出ないふりをしました。


「はやく……元気になってほしい」


 そうつぶやいたとき。


 ちりん。


 どこかで鈴の音がしました。

 ちりん。

 ちりん。


 ユナが窓を見ると、霜のレースの向こうに、小さな影が立っていました。

 星くずの帽子。

 白いマント。

 靴の先が、ちかっ、ちかっ、とまたたいています。


 窓を開けると、冷たい空気がふわっと入りました。

 その冷たさの中で、影がにこっと笑いました。


「こんばんは。ほしの看病さんです」


「……看病さん?」


「うん。夜にだけ、こっそり来るんだよ」


 看病さんは、ユナの顔をのぞきこみました。

 目が星みたいに澄んでいて、やさしい。


「お母さんのこと、心配だね」


 ユナはうなずきました。

 うなずくと、こらえていた気持ちが少しこぼれそうになりました。


「ねえ。わたし、何もできない……」


 看病さんは首をふりました。


「できるよ。たくさん。

 病気とたたかう力は、お母さんの中にある。

 ユナはその“力の火”が消えないように、やさしく守るんだよ」


「守る……?」


 看病さんは、小さなガラスびんを取り出しました。

 手のひらに乗るくらい。

 中は空っぽ。

 でも、びんの底が、うっすら銀色に光っています。


「これ、光のびん。ここに“ひかり”を集めて」


「ひかり?」


「薬じゃないよ。気持ちがあったかくなる光。

 集めた光は、夜に、ぽうっと光って、寝室をやさしく照らすんだ」


 看病さんは指を一本立てました。


「ルールは四つ。短いよ」


 ちかっ、と指先が光って、ユナの耳に言葉が入ってきました。


「『ありがとう』を言うと、光がひとつ落ちる。ちかっ。

 あったかい匂いで光がふくらむ。ぽわっ。

 小さな親切で光が増える。きらきら。

 無理をしすぎると光がしぼむ。しゅん。……休むのも看病」


 ユナはびんを胸の前で両手で持ちました。

 冷たいはずのガラスが、ほんのりあったかい。


「……やってみる」


 看病さんはうなずいて、鈴を鳴らしました。


 ちりん。


「じゃあ、まずは台所から。光は、湯気の中にもいるよ」


    ◆


 次の日の朝。

 ユナはおばあちゃんのそばに立っていました。


「おばあちゃん。スープ、つくりたい」


 おばあちゃんは少し驚いて、それからやさしく笑いました。


「いいねえ。お母さん、喜ぶよ」


 鍋に水を入れて、野菜を切って。

 ことこと。

 ことこと。

 部屋にあったかい音が広がります。


 湯気が、ふわっ。

 ふわっ。


 その湯気に、ユナがびんを近づけると――


 ちかっ。


 びんの中に、ちいさな光がひとつ落ちました。

 星の粒みたいな、あたたかい光。


「入った……!」


 おばあちゃんがユナの頭をなでました。


「ありがとうねえ、ユナ」


 その「ありがとう」で、また。


 ちかっ。


 びんの底に、光がもうひとつ。


 スープができました。

 湯気がふわふわ。

 匂いが、あったかい。


 ぽわっ。


 びんの中の光が、ふくらみました。

 ふくらんで、やさしくゆれました。


 ユナはお盆を持って寝室へ行きました。


「おかあさん、スープだよ」


 お母さんは目を開けました。

 少しだけ起き上がって、スプーンを口に運びます。


「……おいしい」


 声は小さい。

 でも、その一言で、ユナの胸がぱっと明るくなりました。


 きらきら。


 びんが、ほんの少し明るくなった気がしました。


    ◆


 別の夜。

 ユナはお母さんの枕元に、紙を持ってきました。

 花の絵。

 月の絵。

 やわらかい線で描いた、春の絵。


「見て。お花。春になったらね……」


 お母さんはゆっくり見て、少しだけ笑いました。

 笑うと、頬がゆるみます。

 その笑顔が、ユナの中で光りました。


 ちかっ。

 ちかっ。


 びんの中の光が、ふたつ、またたきました。


 ユナは短い昔話を読みました。

 おばあちゃんが昔してくれた、あの話。

 「寒い冬の夜、星が毛布をかけてくれた」という話。


 お母さんは目を閉じて聞きながら、うなずきました。


「……ユナの声、あったかい」


 その言葉で、びんの光が、ぽうっと落ち着きました。

 まぶしくない。

 目にやさしい光。


    ◆


 ある日。

 ユナは折り紙と手紙を持って、近所を回りました。


 お母さんが寝ている間、買い物を手伝ってくれたお隣さん。

 ゴミ出しを代わってくれた向かいのおじさん。

 玄関前の雪かきをしてくれた人。


 ユナは小さな声で言いました。


「いつも……ありがとうございます」


 すると、みんながやさしく返しました。


「こちらこそ」

「だいじょうぶだよ」

「お母さん、よくなるよ」


 そのたびに、ユナの胸があったかくなって――


 ちかっ。

 ちかっ。


 びんの中の光が増えていきました。

 きらきら。

 きらきら。


 家に帰って、びんを窓辺に置くと、光がゆっくり整っていきます。

 夜の暗さを、少しだけやわらかくする光。


    ◆


 でも、毎日が順調ではありませんでした。


 ある夜。

 お母さんの咳が続いて、熱も下がらなくて。

 ユナの心は、焦って走りました。


「わたしが、もっとがんばれば……」


 ユナは眠らずに水を替え、何度も様子を見ました。

 目がしょぼしょぼして、足がふらふら。


 そのとき。


 びんの光が、


 しゅん。


 と、小さくなりました。

 さっきまでぽうっとしていたのに、しぼんでしまった。


「……どうして」


 ユナは唇をかみました。

 がんばってるのに。

 がんばらなきゃいけないのに。


 そのとき、窓の外で。


 ちりん。


 ほしの看病さんが現れました。

 いつもより声が静かでした。


「ユナ。ひとりで背負わないで」


「でも……わたしががんばらないと」


 看病さんは、やさしく首をふりました。


「ユナの光は、お母さんを治す魔法じゃない。

 でも、寂しさを減らして、力が戻るのを待つ時間を、あたためることはできる」


 看病さんは指を折って言いました。


「お医者さん。薬。休むこと。

 それに、ユナのやさしさ。

 みんなで支えるんだよ」


 ユナの肩が、ふっと下がりました。

 涙が一粒、こぼれました。


「……わたし、こわかった」


「こわいときは、言葉にして渡そう」


 看病さんはびんを指しました。


「光を少しだけ取り出して、言葉に混ぜて」


 ユナはびんの口をそっと開けました。

 光がひとすじ、ふわっと出てきます。


 ぽうっ。


 ユナは小さな紙に書きました。

 短い言葉。

 まっすぐな言葉。


『だいじょうぶ。

 ゆっくりでいいよ。

 いっしょに春を見よう』


 ユナはそれを枕元に置いて、お母さんの手を握りました。

 お母さんの手は熱いけれど、ユナの手はあったかい。


「おかあさん……」


 お母さんは目を開けて、ゆっくりうなずきました。


 その瞬間。


 びんの光が、もう一度。


 ぽうっ。


 と戻りました。

 しぼんでいた光が、整って、やさしく光りました。


    ◆


 それからしばらくして。

 ある朝。


 お母さんが少し長く起きていられる日がきました。

 窓の霜が、前より薄い。

 外の光が、少し強い。


 ユナがスープを持っていくと、お母さんはにっこりしました。


「今日は……おいしいって、もっと言える気がする」


「ほんと?」


「うん。……おいしい」


 その言葉は、春みたいでした。


 窓の外。

 雪の端っこに、小さなつぼみがひとつ。

 冷たいのに、ちゃんと生きている。


 ユナはびんを見ました。

 光はもう、前みたいに大きく光りません。

 でも、底に小さなきらきらが残っています。


 ちかっ。

 ちかっ。


    ◆


 お医者さんの許可が出て、短い散歩の日がきました。

 まだ風は冷たい。

 でも空は青くて、光がやわらかい。


 ユナはお母さんに手ぶくろをはめてあげました。

 ひとつずつ。

 ゆっくり。


「冷たくない?」


「大丈夫。ユナの手が、あったかいから」


 ふたりは家の前を少しだけ歩きました。

 足元の雪は、きゅっ。きゅっ。

 空の光は、きらり。きらり。


 ユナはびんをポケットに入れていました。

 びんは強く光りません。

 でも、ちゃんと、そこにある。


 ユナは思いました。


 光は、急いで治すためじゃなくて、

 待つ時間をあたためるためにあるんだね。


 お母さんが笑うと、春はちゃんと近づく。


 窓辺の霜は、もうすぐ溶ける。

 でも、ユナの胸の中の光は、ずっと、ぽうっとあたたかいままでした。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


病気って、すぐにはよくならないことがあります。

その「待つ時間」は、寒い夜みたいに長く感じることもあります。

だからこのお話では、奇跡の魔法ではなく、スープの湯気、みかんの香り、「ありがとう」、手を握ること――

そんな小さな光が、待つ時間を少しだけあたためる、という形にしました。


ユナが学んだのは、「がんばり続ける」ことだけじゃなく、休むことも看病だということ。

ひとりで背負わないこと。

やさしさを受け取って、返すこと。

それが、春を呼ぶ力になると信じています。

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