15.「復讐ではなく正義」
馬車は夜の森を抜けていく。
月明かりが、道を照らしている。
「あと一時間ほどで、中立地帯に着く」
ポールが地図を確認しながら言った。
「ガルゼイン帝国の使者は、既に到着しているだろう」
私は深呼吸した。
緊張している。
初めての、本格的な外交交渉。
しかも相手は、何十年も戦い続けてきた敵国。
「エリーゼ嬢」
ポールが私の手を握った。
「大丈夫だ。君ならできる」
「……はい」
私は頷いた。
「でも、少し緊張しています」
「それは当然だ」
ポールは微笑んだ。
「緊張しない方がおかしい」
「ポール様は、緊張しないんですか?」
「いや、している」
ポールは正直に答えた。
「俺も、外交交渉なんて初めてだ」
私は少し驚いた。
「ポール様も?」
「ああ。俺は武人だ。剣を振るうのは得意だが、言葉で戦うのは不得意だ」
ポールは苦笑した。
「だから、君の力が必要なんだ」
私は少し勇気が出た。
(そうだ。ポール様も緊張している)
(私だけじゃない)
「エリーゼ嬢」
「はい?」
「一つ、聞いておきたいことがある」
ポールは真剣な顔になった。
「もし交渉が決裂し、戦闘になったら——」
「逃げます」
私は即答した。
「約束しましたから」
ポールはホッとした顔をした。
「ありがとう」
「でも——」
私はポールを見た。
「ポール様も、無理はしないでください」
「え?」
「あなたは、私を守ろうとして無茶をしそうです」
私は真剣に言った。
「もし、あなたが傷ついたら——私も辛いです」
ポールは少し驚いた顔をした。
そして——優しく笑った。
「わかった。約束する」
彼は私の手を強く握った。
「俺たち、一緒に無事に帰ろう」
「はい」
私は微笑んだ。
その時——
馬車が急停止した。
「どうした?」
ポールが御者に尋ねた。
「中立地帯に到着しました」
私たちは馬車を降りた。
そこは、広い草原だった。
月明かりが、草原を銀色に照らしている。
そして——
向こう側に、人影が見えた。
ガルゼイン帝国の一行だ。
「来たか」
ポールが呟いた。
私たちは、ゆっくりと歩いていく。
草原の中央へ。
向こう側からも、人影が近づいてくる。
やがて——
双方が対峙した。
ガルゼイン帝国の一行は、五人。
中央に立つのは、背の高い男性だった。
漆黒の髪、鋭い目つき、そして——
魔族特有の、赤く光る瞳。
「初めまして」
男性が口を開いた。
低く、威厳のある声。
「ガルゼイン帝国、第三軍団長ヴォルフガングだ」
「リュミエール王国、北の辺境伯ポール・バーバルマンだ」
ポールが応じた。
「そして、こちらは——」
「エリーゼ・エクセキューター」
私は一歩前に出た。
「軍略顧問として、同席させていただきます」
ヴォルフガングは少し驚いた顔をした。
「エクセキューター?処刑人の?」
「はい」
私は冷静に答えた。
「何か問題でも?」
「いや……」
ヴォルフガングは首を振った。
「ただ、意外だった。処刑人の娘が、和平交渉の場に立つとは」
(まぁ、私も意外ですけどね)
「では、早速本題に入ろう」
ポールが言った。
「なぜ、交渉の日程を変更したのか?」
ヴォルフガングは少し表情を曇らせた。
「……実は、帝国内部で問題が起きている」
「問題?」
「皇帝が、病に倒れた」
私とポールは顔を見合わせた。
「それは……」
「皇帝の後継者争いが始まっている」
ヴォルフガングは続けた。
「第一皇子は、戦争継続派。第二皇子は、和平派だ」
「なるほど……」
私は理解した。
「つまり、今が和平交渉のチャンスだと」
「その通りだ」
ヴォルフガングは頷いた。
「第二皇子は、この戦争を終わらせたいと考えている。だが、時間がない」
「第一皇子が次期皇帝になれば、戦争は激化する」
「はい」
ヴォルフガングは深刻な顔をした。
「だから、満月を待てなかった。今夜、和平の合意を得たい」
私は少し考えた。
(これは……チャンスだ)
(でも、同時に罠の可能性もある)
「ヴォルフガング殿」
私は一歩前に出た。
「質問があります」
「どうぞ」
「なぜ、あなたは和平を望むのですか?」
ヴォルフガングは少し驚いた顔をした。
「なぜ、と?」
「はい。あなたは軍団長です。戦争が続けば、権力も地位も保たれるはずです」
私は冷静に言った。
「それなのに、なぜ和平を?」
ヴォルフガングは黙った。
そして——静かに語り始めた。
「俺には、息子がいる」
「息子?」
「ああ。十歳だ」
ヴォルフガングの目が、少し優しくなった。
「息子は、いつも聞いてくる。『お父さん、なぜ戦うの?』と」
彼は月を見上げた。
「俺は、答えられない。なぜなら、俺自身もわからないからだ」
「……」
「俺たちは、何十年も戦い続けてきた。だが、なぜ戦うのか、もう誰もわからない」
ヴォルフガングは私を見た。
「ただ、国境があるから。敵だから。そう思っていただけなのかもしれない」
私は胸が熱くなった。
(この人も……同じことを考えていた)
「俺は、息子に——」
ヴォルフガングの声が震えた。
「平和な世界を残したい。戦いではなく、穏やかな世界を」
私は思い出した。
ライナスの言葉を。
『和平が実現したら、故郷に帰って畑を耕したい』
(みんな、同じなんだ)
(誰も、戦いたくない)
(ただ、守りたいものがあるから、戦っている)
「ヴォルフガング殿」
私は一歩前に出た。
「私たちも、同じです」
「同じ?」
「はい。私たちも、平和を望んでいます」
私は真剣な目で彼を見た。
「この無意味な戦いを終わらせたい」
ヴォルフガングは私を見つめた。
「……君は、本気か?」
「はい」
私は頷いた。
「私は、処刑人の娘です。死を見続けてきました」
「そして、無実の者が裁かれるのも見てきました」
私は拳を握った。
「だからこそ、誓います。もう二度と、無意味な死を生まないと」
ヴォルフガングは黙った。
そして——微笑んだ。
「君は……強いな」
「いいえ」
私は首を振った。
「私は、ただ——」
「正義を信じているだけです」
ヴォルフガングは深く頷いた。
「わかった。では、和平の条件を話し合おう」
ポールが一歩前に出た。
「まず、国境線について——」
その時——
森の中から、何かが飛び出してきた。
黒い影。
複数。
「伏兵だ!」
ポールが叫んだ。
瞬間、黒い影が私たちに襲いかかってきた。
「くっ!」
ポールが剣を抜いた。
ヴォルフガングも戦闘態勢に入る。
「これは……罠か!?」
ポールが叫んだ。
「違う!」
ヴォルフガングが答えた。
「これは、第一皇子派の刺客だ!」
「第一皇子派!?」
「和平交渉を阻止するために、送り込まれたんだ!」
黒い影——魔族の刺客たちが、次々と襲いかかってくる。
「エリーゼ嬢、下がれ!」
ポールが私の前に立ちはだかった。
けれど——
刺客の一人が、私に向かって飛びかかってきた。
(まずい!)
私は反射的に避けた。
けれど、完全には避けきれない。
刺客の爪が、私の腕をかすめた。
「くっ!」
痛みが走る。
その時——
空が明るくなった。
雲が晴れ——
月が完全に姿を現した。
そして——
満月だった。
(え……満月!?)
(でも、あと三日あったはず——)
その瞬間、私の体に電流のような感覚が走った。
視界が変わる。
刺客たちの動きが、スローモーションに見える。
彼らの攻撃の軌道が、光の線として見える。
(これは……)
私は理解した。
無属性の力が、再び覚醒した。
前回とは違う力。
【未来予測】——相手の動きを読む力。
「エリーゼ嬢!」
ポールの声が聞こえる。
けれど、私は冷静だった。
刺客の攻撃が見える。
避ける場所がわかる。
「右から!」
私は叫んだ。
ポールが反射的に右を防御する。
刺客の攻撃が、ポールの剣に弾かれた。
「次は左上から!」
再び叫ぶ。
ポールが対応する。
完璧に防御できた。
「エリーゼ嬢……君、何を……」
「わかるんです」
私は冷静に答えた。
「敵の動きが」
ヴォルフガングも気づいた。
「君……無属性か?」
「はい」
「ならば、満月の力で——」
「真実を見る力と、未来を予測する力」
私は微笑んだ。
「これが、無属性の真の力です」
刺客たちが、再び襲いかかってくる。
けれど——
もう怖くない。
「ポール様、三体同時に来ます。前方、左、右です」
「わかった!」
ポールが構える。
「ヴォルフガング殿、背後から二体です」
「了解!」
ヴォルフガングが振り返る。
私の指示通りに、刺客たちが現れる。
そして——
完璧に迎撃した。
「すごい……」
護衛の兵士たちが呟いた。
「エリーゼ様、全部見えてる……」
戦闘は、あっという間に終わった。
刺客たちは、全員捕らえられた。
私は深く息を吐いた。
(終わった……)
満月の光が、優しく私たちを照らしている。
ポールが駆け寄ってきた。
「エリーゼ嬢、怪我は!?」
「少しかすっただけです。大丈夫」
私は微笑んだ。
ヴォルフガングも近づいてきた。
「君は……本当に無属性だったのか」
「はい」
「そして、満月の夜に真の力を得る」
ヴォルフガングは感心したように言った。
「噂には聞いていたが、まさか本当とは」
「噂?」
「ああ。『無属性は、全ての属性の根源。満月の夜に真実を見、未来を予測する』と」
ヴォルフガングは微笑んだ。
「君がいれば、この和平交渉は成功するかもしれない」
私は嬉しくなった。
「ありがとうございます」
「さあ、交渉を続けよう」
ヴォルフガングが言った。
「刺客は排除された。もう邪魔は入らない」
私たちは再び、草原の中央に集まった。
満月の光の下で。
和平交渉が、再開される。
(これは、復讐じゃない)
(正義だ)
(無意味な戦いを終わらせる、正義)
私は心の中で誓った。
必ず、和平を実現する。
ライナスのために。
ヴォルフガングの息子のために。
そして——
全ての人々のために。
満月が、私たちを見守っている。
その光は——祝福のように優しかった。




