1.「処刑人の娘」
私が初めて処刑台に立ったのは、五歳の春だった。
父に手を引かれて石畳の階段を上った時、周囲から聞こえてきたのは悲鳴と罵声だった。
「あの子供まで連れてくるなんて……」
「さすがエクセキューター家。穢れた血は子供にも流れているのね」
「目を合わせてはいけません。死の気配に触れてしまいますわ」
貴族たちは顔を背け、平民たちは怯えた目で私を見た。けれど父は何も言わず、ただ私の手を強く握り返してくれた。
「エリーゼ。よく見ておけ」
父の声は静かだったが、そこには揺るぎない誇りがあった。
「これが私たちの仕事だ。世間がどう言おうと、誰かがやらねばならない。お前はこの仕事を恥じる必要はない」
(五歳児に見せる光景じゃないと思うんですけど、お父様……)
内心でそう思ったが、口には出さなかった。父の教育方針は「実地訓練が全て」なのだ。
断頭台に据えられた男は、貴族の横領と殺人の罪で死刑を宣告されていた。彼は涙を流しながら叫んだ。
「俺は無実だ!陰謀なんだ!信じてくれ!」
けれど誰も耳を貸さなかった。裁判は終わっている。判決は絶対だ。
父が剣を振り上げる。刃が陽光を反射して、一瞬だけ虹色に輝いた。
そして——落ちた。
私は目を逸らさなかった。というか、逸らせなかった。父が「ちゃんと見ろ」と釘を刺していたからだ。
処刑の後、父は私に一冊の黒い革表紙の帳簿を渡した。
「この者の最期の言葉を記録しろ。日付、名前、罪状、そして彼が最期に何を言ったか。全てだ」
私は震える手でペンを握った。五歳児に字を書かせるのも大概だと思ったが、父の顔は真剣そのものだった。
几帳面な文字で書き記す。
『王歴512年、春。貴族ヴェルナー・シュタイン。横領と殺人。最期の言葉「俺は無実だ」』
「よくできた」
父が私の頭を撫でてくれた。
(褒められても、全然嬉しくない案件なんですけど……)
それが、私の仕事の始まりだった。
それから十三年。
私、エリーゼ・エクセキューターは十八歳になった今も、父の補佐として処刑に立ち会い続けている。
黒い帳簿はすでに三冊目になった。そこには百を超える死刑囚たちの最期の言葉が記されている。
「俺は無実だ」
「陰謀だ」
「神よ、真実を」
そして時には——
「すまなかった」
「罪を償う」
真に罪を認める者もいた。けれど、多くは何かを訴えていた。
私はただ、それを記録する。感情を挟まず、事実だけを。
それが私の役目だ。
ちなみに、字はめちゃくちゃ上達した。もう「処刑記録書道家」を名乗れるレベルである。需要はゼロだが。
王都リュミエールの社交界では、私の存在は忌避の対象だった。
「エクセキューター家の娘よ。近づいてはいけません」
「死を扱う家系ですもの。穢れが移りますわ」
「無属性だそうですよ。測定儀式で何の反応も出なかったとか。やはり呪われているのでは?」
十歳の時、全ての貴族の子供が受ける「魔力測定儀式」で、私の魔力は何の属性も示さなかった。
火でも、水でも、風でも、土でも、光でも、闇でもない。
測定石は何も反応せず、ただ透明なままだった。
昔、無属性で呪い持ちの公爵令嬢が塔に幽閉されていた、と噂で聞いたことがある。
私もいつか幽閉されてしまう日が来るんだろうか。
「無属性……」
審査員の魔法使いが困惑した表情で呟いた。
「これは……珍しい。いや、異常と言うべきか」
周囲の貴族たちがざわめいた。
「やはり呪われているのね」
「処刑人の血がそうさせたのだわ」
「穢れた娘」
(いや、単に測定石が壊れてるだけかもしれないじゃないですか)
内心でそう思ったが、誰も聞く耳を持たなかった。というか、測定石に文句を言う貴族令嬢は前代未聞らしい。
私は何も言わずに測定石を返し、一礼して退出した。
背筋を伸ばして。誇りを持って。
そして心の中で測定石に「お前のせいだからな」と念を送った。
帰り道、父は私の頭を撫でてくれた。
「気にするな、エリーゼ。属性がないことは、無能を意味しない。ただ、まだ世界が理解していないだけだ」
「はい、お父様」
私は微笑んだ。この人だけは、いつも私を信じてくれる。
(まぁ、処刑人の娘で無属性って、設定盛りすぎな気もしますけどね)
しかし、本当の地獄は母が亡くなってから始まった。
私が十二歳の時、母は病で亡くなった。優しくて、聡明で、私を心から愛してくれた母。
「エリーゼ、あなたは強い子。どんなことがあっても、自分を信じて生きなさい」
それが母の最期の言葉だった。
そしてその一年後、父は再婚した。
相手は公爵令嬢——シーナ様。
彼女は美しく、社交界で評判の良い女性だった。しかし、継母となった彼女の本性は冷酷そのものだった。
「あなたは『死神の娘』よ、エリーゼ。私の娘、クラレリアとは格が違うのです」
初対面でこれである。
(せめて一週間くらいは猫被ってくれません?)
私は内心で呆れたが、表情には出さなかった。
そして彼女の連れ子——義妹クラレリアは、金髪碧眼の美しい少女で、社交界では「光の天使」と称賛されていた。
光属性の魔力を持ち、優雅で、笑顔が美しい。
初めて会った時、彼女は私に満面の笑みを浮かべた。
「お姉様、私、お姉様のこと尊敬していますの。お姉様はとても……特別ですもの」
その目が全く笑っていなかったのを、私は見逃さなかった。
(ああ、この子、腹黒いタイプだ)
長年の処刑立ち会いで培った観察眼が、即座に警告を発した。
案の定、その夜から私の部屋には奇妙な遺品が置かれるようになった。
処刑された貴族の遺品。呪われていると噂されるもの。
それから私は、毎晩悪夢に苦しむようになった。
血まみれの断頭台。泣き叫ぶ死刑囚たち。そして私を指差して「お前のせいだ」と叫ぶ亡霊たち。
けれど私は冷静だった。
(これ、絶対にクラレリアの仕業だよね)
私は部屋の隅々を調べ、ついに遺品に微かな魔力の痕跡を見つけた。
闇属性の魔法。
悪夢を見せる呪い。
「……やはり」
私は遺品を布で包み、密かに処分した。
そして記録をつけた。黒い帳簿に記録するのは死刑囚の言葉だけではない。
『クラレリア・エクセキューター。闇属性魔法使用の証拠。光属性を自称しているが矛盾。要調査』
(いつか、この帳簿が役に立つ日が来るかもね)
私は几帳面に日付と状況を記録した。
処刑人の娘の特技——それは記録魔だ。
そして今日、私は王宮の謁見の間にいた。
「エリーゼ・エクセキューター。南の辺境伯、ダミアン・グリュンヴァルト殿との婚約を、ここに宣言する」
王の声が広間に響く。
私は淡々と一礼した。政略婚だ。愛などない。
(まぁ、処刑人の娘に恋愛結婚の選択肢があると思ってなかったし)
ダミアン・グリュンヴァルトは、南の辺境を治める若き伯爵だった。商業ルートを管理し、豊かな領地を持つ。社交界でも人気がある。
金髪で整った顔立ち。貴族らしい優雅な物腰。
けれど彼が私を見る目は、明らかに嫌悪に満ちていた。
(ああ、これは地雷案件ですね)
婚約の儀式が終わった後、彼は私に近づき、冷たく言った。
「君は処刑人の娘だろう?正直に言うが、君の手を握るのも嫌だ。この婚約は政略だ。愛など期待しないでくれ」
私は何も答えなかった。ただ彼を見つめ返した。
「……返事はないのか?」
「期待などしていません」
私の声は静かだった。
「私も、この婚約が政略だと理解しています。ですから、どうぞお気になさらず」
ダミアンは不快そうに顔をしかめ、踵を返した。
(まぁ、こっちも別に好きじゃないし。むしろ面倒が減っていいかも)
私は内心で肩をすくめた。
どうせこの婚約、長続きしない気がする。
なぜなら——
「あら、ダミアン様!」
廊下の向こうから、甘い声が響いた。
クラレリアだ。
金髪を優雅に揺らし、白いドレスで近づいてくる。まるで光の妖精のようだ。
「クラレリア嬢。お久しぶりです」
ダミアンの表情が一変した。嫌悪から、好意へ。
(うわぁ、わかりやすい)
「ダミアン様、今日は素敵ですわ。エリーゼお姉様との婚約、おめでとうございます」
クラレリアは私にちらりと視線を向け、にっこりと微笑んだ。
その目が「お姉様から彼を奪うのは簡単よ」と語っていた。
(ああ、もう取る気満々じゃん。どうぞどうぞ、ご自由に)
私は心の中で手を振った。
というか、この流れ、確実に「妹に婚約者を奪われるフラグ」である。
テンプレート過ぎて、逆に清々しい。
けれど——
「それは違うな」
低い声が響いた。
振り返ると、そこには見知らぬ男が立っていた。
漆黒の髪、深い青い瞳。長身で、軍服を着た厳しい顔立ちの男。
(うわ、めっちゃ強そう)
「北の辺境伯、ポール・バーバルマンです」
彼は私に一礼した。
「初めまして、エリーゼ・エクセキューター嬢。あなたが処刑人の娘だと聞いた。でも、それがどうしたというのですか?」
私は目を見開いた。
「……は?」
「仕事に貴賤はない。あなたの家系が担う役割は、国にとって必要不可欠なものだ。それを『穢れ』などと呼ぶ者は、ただの無知だ」
彼の声には、侮蔑も同情もなかった。
ただ——敬意があった。
(え、この人、本気で言ってる?)
私は呆然とした。
初めてだった。
誰かが、私を対等に扱ってくれたのは。
「あなたは……」
「俺は偏見を持たない。実力と誠実さだけを見る。それだけだ」
ポール・バーバルマンは、そう言って去っていった。
私は呆然と彼の背中を見送った。
隣でダミアンが不機嫌そうに呟いた。
「あの田舎武人が……余計なことを」
(田舎武人?今の人、めっちゃかっこよかったんですけど)
私は内心でダミアンの美的センスを疑った。
けれど、それだけだ。
私はダミアンと婚約した。この先、彼の冷たい視線に耐えながら生きていくのだろう。
そして多分、クラレリアに婚約者を奪われる。
(まぁ、その方が面倒がなくていいかもね)
私は処刑人の娘。
穢れた血の娘。
けれど——
私には、誇りがある。
父が教えてくれた。この仕事は必要なことだと。
だから私は、背筋を伸ばして生きる。
誰が何と言おうと。
黒い帳簿を抱えて、私は王宮を後にした。
明日もまた、処刑台に立つのだろう。
死刑囚の最期の言葉を、記録するために。
そして、密かにクラレリアの悪行も記録するために。
(いつか、この帳簿が火を噴く日が来る。その時が楽しみだ)
私は几帳面に記録をつける。
それが私の、ささやかな復讐——いや、正義の準備だった。




