幽霊との邂逅 その7
その少女は、宙に浮いていた。
文字通り、地面から1メートルくらいの空中に、浮遊していたのだ。
これが、本当の、飛行(非行)少女。
なんちゃってー。
待てっ、美湖っ!
帰らないでくれっ!!
お願い!!!
その少女は、宙に浮いてさえいなければ、ゴスロリの様な黒いドレスを着た、普通の女の子に見えた。
その類い稀な美しさは別として。
肌は透き通るように白く、髪は黒色で、非常に整った顔立ちをしていた。
特徴的なのはそのつぶらな瞳で、右眼の下には、小さな泣きボクロがあった。
とにかく、これが例の幽霊少女に違いない。
俺は正直、悲鳴を上げて逃げ出したかったけど、なんとか我慢して、その場に踏み止まった。
そして、横目で幽霊少女の様子をうかがいながら、自転車の前カゴに入れた、リュックサックに、手を伸ばした。
この時のために用意した、幽霊退治の秘密アイテムを、リュックから取り出すためだ。
「?」
件の幽霊少女は、俺の不審な動きが気になったのか、宙に身体を浮かせたまま、こちらをまじまじと見下ろしている。
俺は、そんな空中からの視線にも臆することなく、まずはリュックから、白いレジ袋を一つ取り出した。
そして、その袋の中に入っている粉を、わしづかみにすると、それをパパッと、幽霊少女に向かって投げつけた。
「んっ?何、これ?塩?ちょっと、やめてよ。服が汚れるじゃない」
服に付いた塩を、パンパンと手で払う、幽霊少女。
あれっ?
清めの塩は、効果がないのか。
ならば、次のアイテムだ。
すかさず俺は、リュックから、次のアイテムを取り出した。
そして、それを、幽霊少女の目の前に突きつける。
「悪霊退散!!」
幽霊少女が、空中で眼をパチパチさせる。
「何?その、木の棒?」
「十字架だよっ!!」
どうやら、十字架も効果はないようだ。
やはり、使いかけの鉛筆を組み合わせて作ったのが、良くなかったか。
今のところ、俺が用意したアイテムは、幽霊少女に対して、何の効果も及ぼしていない。
せっかくネットで、悪霊が嫌がるものを、色々調べたのに。
そういえば、幼馴染の美湖は、ネットの情報は半分以上、嘘だから、信用するなと言っていた。
くそっ!
俺は、ここで死ぬのか?
この幽霊少女の手によって。
いやっ!
諦めるな、俺!!
俺にはまだ、とっておきのアイテムが残されている!!!
俺はリュックに手を突っ込んで、三番目の、そして、最後のアイテムを取り出した。
それは、ある液体の入った小瓶だった。
俺は願いをこめながら、その小瓶の蓋を開け、幽霊少女に対して、中の液体をエイヤッと振りかけた。
「えっ?何、この黄色い液体は?って、臭っ!!ま、まさか、これってー!?いやあぁぁーっ!!ばっちいっ!!服が汚れるーっ!!」
やったぜ!
この「聖水」は、やはり効果があるようだ。
幽霊少女は、明らかに嫌がっていた。
最初は「聖水」が何なのか分からなくて、ネットで細かく調べた時は、ビックリしたけどな。
まさか人間の分泌物に、こんな効果があったなんて。
やはり、ネットの情報は、常に正しいのだ。
俺は、さらに追い打ちをかけるようにして、幽霊少女に「聖水」を勢いよく振りかける。
「いやああぁぁーっ!!堪忍してぇーっ!!!」
とうとう幽霊少女は、俺に背を向け、空中を浮遊しながら逃げ始めた。
調子に乗った俺は、その背中に向かって、次々と「聖水」を振りかける。
「悪霊退散!!悪霊退散!!」
堤防の路肩を、悲鳴を上げて飛び回る幽霊少女を、その下で、ぐるぐると追い回す俺。
俺の中で、正義とは真逆の、邪悪な感情が徐々に目覚めていく。
で、あったがー。
「あれっ?」
だが、調子に乗って使っているうちに、とうとう、小瓶の中の「聖水」は無くなってしまった。
もう一滴も、残っていない。
くそっ!
もっと、大きな瓶にすればよかった!
飛びながら逃げていた幽霊少女は、俺からの攻撃が止むと、くるりと、こちらを振り向いた。
そして、おそらく、瓶の中の液体が無くなったのを察したのだろう。
スーッと空中を浮遊して、こちらに近づいて来た。
恐ろしい怒りのオーラを、身にまといながら。
間違いなく、俺を殺す気だ。
ひどいっ!!
一体、俺が、何をしたって言うんだ!?
だが、なんとかしなければ、命が危ない。
何か、何か、助かる方法はないか。
そうだっ!!
俺の頭に、電撃のように名案が浮かんだ。
俺の「聖水」を、直接かけてやる!!!
ジーッ!!
俺は、ズボンのチャックを下ろした。
「うぎゃあああーっ!!!あんた、何してんのよっ!?死ねーっ!!!」
俺は、幽霊少女の叫びと共に、見えない力で数メートル後方に吹き飛ばされ、堤防の立木に、背中から激突した。
「きゅう!!」
そして、木の根元に倒れ込んだ俺の方に向かって幽霊少女は、空中に体を浮かべながら、ゆっくりと近づいてきた。
それから、俺の目の前まで来ると、そこでピタリと止まった。
地面に無様に転がる俺を、空中から、冷ややかな目で見下ろしている。
殺る気満々だ。
俺は恐怖に震え上がり、か細い声で、幽霊少女に哀願した。
「お願い、助けて」
「おまえには、じごくすら、なまぬるい」
「ひえええーっ!!」
俺は思わず、両手で顔を隠した。
すると何を思ったのか、幽霊少女は、俺の事をジロジロと見つめ出した。
そして、少し間を置いて言った。
「その手の包帯と眼帯。あなた、大怪我をしてるのね。一体、どうして?」
「こ、交通事故で」
俺はとっさに、大ウソをついた。
幽霊少女の目から、怒りの色が急速に消えていく。
「そうー。あなたも、事故の被害者なのね。本当、許せないよね」
幽霊少女はそう言うと、悲しそうに目を伏せた。
あれっ?
もしかして助かる?
俺の中二病も、たまには役に立つもんだな。
だが、俺の淡い期待は、すぐさま打ち砕かれた。
「それじゃ、あなた、私に協力しなさい」
「へっ?」
わけもわからず、間の抜けた返事をする俺。
すると幽霊少女は、空中から俺を見下ろしながら、人差し指を上に立て、それをピピッと左右に動かした。
その瞬間、俺の左手がカッと熱くなった。
「ううっ!!」
驚いた俺が左手を見ると、手の甲に、何か、不思議な模様が浮かび上がっている。
「これは、呪紋。あなたが、私の従者になった証よ。私、吸血鬼ってわけじゃないんだけど、昼間に活動するのはちょっと苦手なの。だから、いい?あなたは日中、私の代わりに、私を跳ねた赤い車を捜すのよ。詳しい情報を教えるから、それを手がかりにして、捜しなさい。もし見つけられたら、私を穢した罪は許してあげる。でも見つけられなかった、その時はー」
宙に浮かぶ幽霊少女は、手刀でシュッと首を切る仕草をした。
「あなた、随分と、いい加減な性格みたいだから、これくらいのリスクがないと、真剣になれないでしょ?」
幽霊少女はそう言うと、ニヤッと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
空から俺を見下ろしながら。
ううっ、こいつ、やっぱり悪魔だ。
見かけは、天使だけど。
地べたに這いつくばりながら、俺はそう思った。
[続く]