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Chapter9 未練

 事務所に着くと、建物の前で立ちすくむ少女がいた。とても不安そうで、よく見ると、それはさっき別れたはずの部長だった。


「あれ、部長?」


 向こうの目も点になる。


「まさか、部長のオーディションってここですか?」


 こくん、と部長が頷く。


「潤香の事務所もここなんです」

 

 部長は驚きで目を大きくしたあと、下を向いた。顔を上げると、彼女の顔から不安が消え去っていた。胸の前で小さくガッツポーズをすると、部長は建物の中に消えていった。声も小さいけど、足音も静かだった。


 事務所の廊下にある椅子で、オーディションの終了を待つ。


「受かるといいね、部長」

「私もそう思う」


 やがてオーディションが終わったらしく、順番に参加者が廊下に出てきた。その中に部長の姿もあった。


 ぼくたちの姿に気付くと、嬉しそうに駆け寄ってきた。


「どうせなら一緒に帰ろうと思って待ってました。一人で帰るのは心細いかと思って」

「待っててくれて、ありがとうって」

 

 すかざず潤香が通訳をした。いつのまに通訳の技術を習得したのだろう。


「礼には及ばない。旅は(くつ)()れ世は情け」

「たしかに長旅だと靴擦れするけど」

 

 部長が背伸びをしてぼくの頭を撫でる。

 

 ぼくは彼女のことを小動物みたいだと思っているけど、案外それは、向こうも思っていることなのかもしれない。




 *****




 それから、部長のオーディション結果発表の日になる。


 部室の長机の上に、部長のスマホが鎮座している。合格なら、五時に先方から電話で連絡があるらしい。時計の針は、四時四十九分を差していた。秒針を眺め続け、五時を差したとき、部長のスマホが振動した。


 部長はぎこちない動きでスマホを手に取ると、機械的に耳にあてた。それから小さな頷きを繰り返し、電話を切った。


「……受かったって」

 

 何と、はっきりと聞き取れる声で部長が言った。彼女の声をほとんど初めて聞いたような気がする。


「やった!」


 副部長が部長に抱き着く。さらにその上から潤香が抱き着く。眺めていると、部長と目が合った。微笑むので、ぼくも微笑みを返す。

 

 こっそり用意していた菓子とジュースを長机の上に並べる。人数分のグラスにジュースを注ぎ、音頭を取った。なんだか、自分のことのように嬉しい。

 

「これからは同じ事務所の仲間」


 お菓子を口に運びながら、潤香が呟く。


「潤香ちゃんと同じ事務所なの?」


 副部長が訊ねた。


「みたいですね、たまたま」

「危ないファンもいるから用心した方がいい」

「どうしてぼくの方を見るのさ」


 部長が小声でなにかを呟く。すぐさま副部長が通訳する。

 

「夢は大きくぶどう園ライブだって」

「武道館ライブですよね……」

「あと、将来的には五味君をマネージャーにしたいって」

「それは嬉しいかも」


 和気あいあいと時間は流れ、祝いの会はお開きになった。


 ぼくは片付けのために部室に残った。潤香は「用があるから先に帰る」と言って急ぎ足で部室を出ていった。


 机の上のゴミをビニール袋の中に詰めていく。ふと顔を上げると、左横に視線を感じる。先に帰ったはずの部長が、部室と廊下の境界線上に立っていた。


「あれ、部長」


 部長が手を伸ばし、ぼくの頬に触れる。


『最近元気なさそうだったから』

 

 スマホのメモ帳の画面にそうある。どうやら声が届かないことを気にして、スマホを使ってくれているらしい。

 

「心配してくれたんですね」

 

 思わず頬が緩む。


 部長はスマホで顔を隠すようにして上目遣いでぼくをのぞいていた。背後の夕陽が部屋を一色に染め上げている。


『急に消えたりしない?』

「消えたりしませんよ」

 

 ぼくの答えに、部長は安心したように微笑んだ。そして、スマホをポケットにしまうと、部室から出ていった。

 

 部長が去ったあとで、もう一度イスに座り直した。頭部に手を伸ばす。久し振りにドクロのヘアピンを取ってみる。右肩から手の先まで、ほとんど透明になった。どうしてか、前より欠損部が増えているような気がする。


 いや、本来ならぼくはもう消えているはずなのだ。存在の残滓ざんしとなり、潤香の力によって肉体が保持されているだけなのだ。自律的な生はもう失われている。


 ただ、生きているふりをしているだけなのかもしれない。


 それから、ぼくも帰路に着いた。夜になる前の、人々の静かな営みがある。消失も表出も平等だ。


 歩き続け、人気(ひとけ)のない路上に潤香の姿を見つけた。じっと、何かを見下ろしていた。こんなところで何をしているのだろう。


「潤香?」

 

 呼びかけると、いつもより感情のこもった声で潤香が言った。「君は来ない方がいい」

 

「見たくないものを見ることになる」

 

 忠告を無視して、潤香の背中を追い越す。

 人が倒れていた。ぐったりとして動かない。何だか無機質なもののように思えたが、視線を全体から顔にフォーカスしていく。

 

 それは地面に横たわった部長だった。


 口元がだらしなく開き、白目を剝いていた。全身は力なく、折れた首から血が出ていた。


「え」

 

 頭が真っ白になる。さっきまで部室で話していたはずだ。ぼくのことを心配して、照れ笑いを浮かべていた——。


「彼女、トラックに轢かれた」


 潤香が冷たい声で言った。


「車道に飛び出した子供を助けようとしてた」

「そんな……」


 視界が揺れる。潤香の言葉に違和感を抱く。まるで、事態をあらかじめ承知してみたいだ。たしか、部室を出るときにも「私は用があるから先に帰る」と言っていた。


「もしかして用って……?」

「そう、これ」

「どうして部長を助けなかったんだ!」

「私は人間の死に介入できない」


 潤香が死神の格好になる。

 

「彼女の魂を回収する」

「待って! お願いだから待ってよ」


 自分の声が震えていることに気付く。

 

「ま、まだ今ならぼくのときみたいに助かるかも」

「君は例外」

「部長は仲間なのに!」

「関係ない、これが私の役目」

 

 間断なく潤香は言う。芯まで冷えきった声で、視線は下降を保っている。

 

 雨が降ってきた。ちょうど、部長と出会った日にもこんな風に雨が降っていった。でも雨はなにも洗い流さなかった。むしろ悲愴を肌に固着させるために降っていた。

 

「この子に未練はない。アイドルになってなにかを成し遂げたいというより、大好きな部員が喜ぶ姿を見るのが望みだった」


 頬をつたって涙がこぼれた。それは雨と混ざって、地面の水紋になる。

 

「本当の潤香は冷たいんだね」

「私は死神」

「全部嘘だったの? さっき部室で部長の合格をみんなと喜んでたのも、ステージで見せてた姿も——」

「そう、これが本当の私」

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