Chapter8 調査
その下校途中、街中で未来さんの姿を見つけた。願ってもない機会だ。彼女の正体が死神なのか探るために声をかける。「未来さん」
「あ、修香ちゃん」
まだ勘違いされたままだった。
なんとなく、並んで歩く。未来さんは、音楽室の物置きですっかりくすんだシンバルのような色合いのコートを着ていた。
「まさか潤香ちゃんが私たちのグループに入ってくれるなんて思わなかったよ」
「ああ見えて、寂しがり屋なんです」
適当に言っておく。
「それにしても奇遇だね、こんなところで会うなんて。もしかすると私たちって普段の生活の行動範囲が近いのかもね」
「何してたんですか、ずいぶん周りを気にしてたみたいですけど」
「アイドルだからね、プライベートでも常に誰かに見られてることを意識しないと」
「なるほど」
「あなたこそ私の追っかけ?」
「違います。学校の帰り道です」
返事をしたところで、身体が歩道から車道に傾いた。レンガ調のタイルに躓いたのだ。とっさに、未来さんがぼくの腕を掴む。「危ない!」
転倒を防いだあとも、未来さんはぼくの腕を掴んだままだった。まるで何か思うところがあるみたいに。
「気を付けてね、あなたってぼんやりしてるところあるから」
「気を付けます」
未来さんがぼくの腕を離す。それからまた別の会話をした。
「未来さんって八重歯が素敵ですよね」
「八重歯って刃が語源なんだよ。でも、欧州だとドラキュラとかのイメージと重なって、よく思われないみたい」
たしかに、その歯は鋭く雄々しさがある。そういえば、鈴葉の目に抱くイメージと酷似しているかもしれない。
「そうだ、今度事務所に顔出しなよ。潤香ちゃんもあなたに会いたがってたし」
「潤香が?」
「バージョンアップした自分を見てもらいたいんだって」
「その触れこみがすでに不安なんですけど」
「じゃあまたね、車には気を付けるんだぞ」
未来さんが八重歯を見せて笑う。
「未来さんも気を付けてください。どこかにお出かけみたいなので」
「私は引っ越しのバイトに向かうところ!」
未来さんは大きく手を振りながらその場を去っていった。
*****
相変わらず、学校で潤香と話す機会もなく、日々が過ぎていった。週末、事務所のレッスン室を訪ねる。
潤香がいた。なぜか、とても久し振りに会ったような気になる。鏡張りの部屋であることを活かして、表情管理の練習をしていた。
「お、来たね」
未来さんもいたので頭を下げる。
「私たちのアイドルグループって、メンヘラアイドルっていうコンセプトなんだけど、そのレッスンを潤香ちゃんにね」
潤香はメンヘラから遠い極地にいる。無味乾燥っていう感じだ。
三人で輪になって座る。レッスン室の床はひんやりと冷たい。
「潤香とメンヘラって真逆な感じがするけどできるの?」
「できる」
潤香はこくんと頷き、意気こみを示すように両手の拳を胸で掲げた。練習の成果をぼくに見せるつもりらしい。
「君、最近私に会いに来なかったけどどうして?」
早速、役に入った潤香がぼくに話しかけてくる。物憂げな表情をして、目も潤んでいた。
「学校でもたまに目が合う程度だったよね。寂しかった」
「う、うん」
まるで突然、彼女の中に感情が生起したみたいだ。
「鈴葉さんとよく一緒にいるところを見た」
「鈴葉? どうして五鈴の名前が出てくるの」
「何でもない」
潤香がうつむく。それから僕の目をじっと見つめた。
「君が私以外の女の子と一緒にいるところを見るのは耐えられない。胸がキュッってなって苦しくなる」
「そ、そうなんだ」
「だから私のことだけ見てて」
潤香を直視できない。心臓の鼓動が早くなっていた。
「どう? メンヘラだった?」
「う、うん」
「潤香ちゃん感情豊かになってきたでしょう、アイドルらしく」
「ですね」
「今度事務所でオーディションがあるみたいなの。私たちも着実にステージに立つ瞬間が近付いてる」
潤香は着実にアイドルとしての道を歩んでいる。彼女が大きなステージに立ったとき、ぼくの存在も消滅するのだろうか。
未来さんがレッスン室を去り、潤香と二人きりになった。すっかりいつも通りの潤香からは、何の感情も読み取れない。
部活のことで部長から伝言があったので、伝えることにした。
「そうだ、週末にアイドル研究部の野外活動があるんだけど」
「うん」
「部長が潤香も参加しないかって」
「私も行っていいの?」
「もちろん」
*****
週末、アイドル研究部の野外活動に出かけた。とはいっても、劇場でアイドルのステージを観覧するだけだ。空は小康状態で、少しずつ晴れ間がのぞいてた。
「今日は潤香ちゃんも一緒なのね」
「うん」
副部長に話しかけられると、潤香は無表情に頷く。
「ここ最近部室に顔見せてなかったけど忙しかったの?」
「レッスン」
「実はさ、新しく所属する事務所が見つかったんだ」
ぼくが補足すると、部長が細い声で言った。
「何て言ってるの?」
「おめでとうって。私も崖から応援してるって」
「影からでしょ。何でそんなところから応援するんですか……」
相変わらず間違った通訳だ。
そうこうしているうちに建物が繁茂する通りを抜け、劇場に着く。地方にあるボウリング場のような外観の建物だ。コールアンドレスポンスを交えた観覧のあと、握手会にも参加した。建物を出ると、即座に解散の流れになる。
「頑張ってくださいね」
そう声をかけ、副部長が部長に抱擁を交わしていた。
「これから、何かあるんですか?」
気になって、訊ねてみる。相変わらず部長の返事は小さくて、鼓膜の網に引っ掛からない。
「部長ね、これから決戦なの」
「決戦?」
「アイドルオーディションの最終選考」
「え、いつのまに」
驚きで声がうわずった。部長がアイドル好きなのは知っていたが、オーディションを受けていたことは知らなかった。
「前に話したって言ってる。二人きりのときに」
「ハハ……」
例によって聞き取れなかったらしい。
部長たちと別れ、潤香と事務所へ向かう。稠密な市街地の中を進む。ドラッグストアや雑居ビル。
潤香は風で乱れた髪を手櫛で整えていた。
「君はどうしてアイドル研究部に入ったの?」
「部長と初めて会った日、放課後だったんだけどさ」
「放火後だった?」
「潤香はぼくのことを何だと思ってるの……」
仕切り直して、続きを口にする。
「ちょうど校舎から出て下校するところだった。急に土砂降りの雨が降ってきたから、正面玄関まで引き返したんだ。そこに部長がいた。ずぶ濡れのぼくを部室まで連れていくと、サインが書かれたアイドルグッズのハンドタオルを手に取って頭を拭くから、大事なものじゃないんですかって訊いたら——」
「うん」
「今は君の方が大切だって」
「聞き取れたの?」
「そのときはね。で、雨がやむまで一緒にDVDを見て過ごしたんだけど、たまに部室に遊びにいくようになって、入部したっていう感じかな」
潤香が無表情でぼくを見つめる。何か言いたそうに見えたが、それ以上は感知できなかった。
「そういえば、潜入捜査の成果はどう? 未来さんはやっぱり怪しいの?」
「ううん、まだ尻尾は掴めてない」
潤香がうつむいた。
「彼女はずっとアイドルで、力の片鱗を見せない。そういう外的な態度を得るために、アイドルになったのかもしれない」
「なるほど」
「気を付けて、君の魂を回収しようとするかもしれない」