Chapter7 夢
紋切り型の挨拶を終え、潤香と帰路に着く。ふと、鈴葉との約束を思い出す。こうやって、同じ家に帰るのも、あと数回かもしれない。
「少年」
潤香が唐突に言った。
「あの人には気を付けた方がいい」
「あの人って、未来さん?」
潤香がこくん、と頷いた。
「君をただならない目で見てた。彼女、死神かもしれない」
「考え過ぎだよ」
思えば、死神という存在がどういうもなのか、ぼくは何も知らない。潤香の実年齢も、その力の全容も。
「やっぱりソロ活動は撤回する」
「え、どうして急に?」
「彼女と同じグループに入って同行を調べる」
「……そっか」
「これからレッスンに忙しくなると思う。それに君の幼馴染との約束通り、事務所に住まないといけない」
「そうだね」
全てが収まるべき場所に収まりつつある。なのに、どうして少し胸がちくっとするのだろう。
「大丈夫、学校でも会える」
「うん」
ぼくは潤香の言葉を甘受した。
それから程なくして潤香が部屋を去った。
*****
潤香がぼくの家を去ってから、ある夢を頻繁に見るようになった。それは、ぼくが屋上から落ちる夢だ。
鉄筋コンクリートでできた建物の屋上で、そこに立つぼくは、心なしか、いつもより視座が低い。何かを見ようとして身を乗り出し、へりから落ちる。隣にもう一人いて、そいつも一緒に落ちる。
地面でぺちゃんこになったぼくたちに誰かが近付いてくる。潤香との出会いにも、どことなく似ている。
夢はいつもそこで途絶えた。
「そういう夢を最近よく見るんだ」
ぼくは鈴葉にその話をした。学校の昼休みで、場所はまさに屋上だ。給水タンクが背にある。
鈴葉は心配そうな目でぼくを見つめていた。
「無意識の抑圧が原因なんじゃない?」
顎を引いて、肯定を示す。
「そういえば話は変わるけど、潤香ちゃんよかったわね。事務所の所属が決まって」
「ありがとう。色々と尽力してくれて」
「元気出しなさいよ。この方が二人のためなんだから」
「わかってる。でもさ、生きるって何だろう」
「息をすることじゃない?」
「シンプルな答えだね」
「最大公約数とか因数分解って言葉を知らない? 便利な考え方だから覚えておいた方がいいわよ」
鈴葉は空になった紙パックを見つめていた。オレンジジュースにも肉体があり、実在が残る、とぼやいていたことがある。だから、彼女はいつも紙パックを潰す。なるべく小さくなるように。
「最近潤香ちゃんとはどうなの?」
「家を去ってから、ほとんど話す機会もないよ。クラスにいるときの潤香はぼくと距離を置いてる」
ぼくが幽霊であることを隠すために、何かと注目を集める自身から遠ざけようとしているのかもしれない。
「そう、私はてっきり潤香ちゃんが話したがると思ってた。だって言語的な倒錯を求めてそうだから、彼女」
「潤香ちゃんが?」
「意識的かどうかはわからないけど、彼女が不完全な言葉を話すのは、心のどこかであなたによる補完を希求してるからだと思う」
「ただのボケとツッコミだと思ってた」
「彼女は言葉による混ざり合いを求めてる」
「話が難しくてついていけない」
鈴葉の目が体の機関から独立して浮き出る。その視線は切っ先をイメージさせた。何かを切り分けようとしているみたいに。
「鈴葉ってさ」
また話題を変える。風が吹き、肌が粟立った。遠くに林立する建物を眺める。
「事務所に所属してる鹿児未来ちゃんのこと知ってる?」
「知ってるけど、一応」
「どういう子?」
「ちょっと待って。質問の意図が掴めないんだけど。次は未来さん?」
「人聞きが悪い。別にちょっと訊いてみただけだよ」
「未来さんねぇ。真面目でいい人なんだけど、たまにスケジュールNGがあって、何か裏でやってるみたい。あと——」
鈴葉は意味ありげに、そこで言葉を切る。
「あと?」
「ちょうど昨日、同じ質問を未来さんからされた。五味君ってどんな子って」