Chapter6 アイドル
「転校生を紹介します」
教員の明朗な声がクラスに響いた。
手続きの詳細は不明だが、潤香がぼくの高校へ転校してきた。学校に一緒に通う、という宣言通りだ。
「川村潤香です。よろしく」
教室が色めきたつ。「かわいい」と方々から声が飛んだ。まだアイドルとして駆け出しだから、知名度は今一つでも、彼女の持つ美貌は自明だった。
転校生という存在に対する興奮の余韻を残しながら、授業がはじまった。そして坂を転がるように、あっという間に放課後になる。
「君は何の部活に入ってるの?」
「アイドル研究部」
「そこに案内して。私が全員を骨抜きにする」
「心配だな……」
教室を出たあと、潤香の要望で、部室棟の一階にあるアイドル研究部まで移動した。部員は、ぼくを入れて三人。あとの二人は、それぞれ部長と副部長で、両名とも三年の女性徒だ。
ノックのあと、六畳一間の部室に入る。事前に転校の情報を掴んでいたのか、扉を開けた瞬間、二人とも席を立ち、潤香に駆け寄ってくる。
「本物の川村潤香ちゃんだ! 小っちゃくてかわいい!」
副部長が嬌声を上げた。部室にはアイドルのDVDとポスター、サイリウムなどのグッズが所狭しと置かれていた。
「やっぱり違うね、私たちとは」
「私は芸能人の卵。オーロラがある」
「オーラね、それと引き換えに語彙力を失ってるから」
「そんなことない。私は生き字引で君は生き地獄」
誰が生き地獄だ。
「二人は面識があるの? 五味君が潤香ちゃんのファンなのは知ってるけど」
「色々とあったんです」
「何度も一夜をともに過ごした仲」
「……本当なの? 五味君」
「早速ゴミ扱いされてるんですけど」
誤解を解いたあと、脇でぼくたちの会話を見守っていた部長が口を開いた。が、聞き取れない。部長は極端に声が小さかった。
「何て言ってるんですか?」
「よろしく、って言ってるよ」
こういうとき、ぼくはいつも副部長に助けを求める。彼女は部長の小声を通訳するエキスパートだった。目は山なりで、髪色はアッシュブラウンだ。身長は百六十五センチくらいで、部長と並ぶと、身長差が目立つ。部長は背が小さく、潤香に負けじ劣らず、小動物の印象がある。流麗で、しなるような黒髪が目を惹いた。
また部長の口が動く。音はない。
「何て言ったの?」
潤香が通訳の副部長を見た。
「くつろいでいってね、って。貴重品とか全部置いてって」
「いや、そんなこと言ってないですよね、絶対」
副部長がいたずらに微笑む。
部室を出たあと、渡り廊下で潤香が急に立ち止まった。空を見上げて、どこか遠くへ思いを馳せるみたいに。
「どうしたの?」
「幽霊も悪霊も校舎にいない」
「いや、その方がいいと思うけど」
「私はこのエリアに来たばかり。なのにおかしい。この近辺は魂の残留が極端に少ない」
めずらしく潤香が神妙な顔をして言う。
「私以外にも近くに死神がいる」
「え?」
「君のことを狙うかもしれない」
*****
週末、鈴葉からの連絡を受け、彼女の父親に事務所への所属を直談判することになった。彼女は弓道部の練習で来られないというから、話が違う。
事務所の応接室に通され、革張りのソファに腰かける。鈴葉の父親と、マネージャーらしき女性が目の前にいる。
潤香もぼくの隣に座った。表情はなかった。その水槽は、透明からかけ離れている。
「川村潤香ちゃんだね?」
鈴葉の父親が口火を切った。潤香が顎を引く。
「五味君の親戚って本当かな」
「本当です」
鈴葉の父親はグレーヘアで痩せている。相手を射るような鋭い視線は、娘とそっくりだった。
「ソロで活動していたと聞いてるが、君はどうしてアイドルに?」
潤香は少し間を取って、質問に答える。
「昔、アイドル好きな知人がいた。推しについて話す彼女はいつも幸せそうだった。でも彼女の身に不幸があったとき、私は何もしてあげられなかった」
「不幸とは?」
「普通の生活が送れなくなった」
多分、幽霊になったのだ。ぼくは潤香の言葉を思い出す。「前にも君みたいな子と出会ったことがある」
思えば、ぼくは潤香について何も知らない。
「私は自分の無力を実感した。物理的な力の限界を知ったから、別のアプローチを考えた」
「それがアイドルだったんだね」
「アイドルになれば、もっと多くの人を救えると思った」
「君はそのために全てを犠牲にする覚悟が?」
「うん、私の魂まで捧げる」
ソファとソファの間にあるテーブルの上に、契約書が用意される。隣に添えられたペンを持ち、潤香がその場でサインをした。
「せっかくだから事務所を見学していくといい。私たちはもうファミリーだ」
「うん」
「それに、五味君とも違う意味でもそうなるかもれない」
「こっち見ないでください……」
鈴葉の父親と隣の女性に一礼し、退室した。
廊下に出ると、迷子になった。潤香が音の鳴る方へ駆けていくので、ついていく。辿り着いたのは、レッスン室のような場所だ。
両開きの扉を潤香が開ける。
簡素な部屋で、前面が鏡張りになっていた。レッスン着の女性がダンスの振り付けを確認していた。ぼくたちに気が付くと、招き入れるような仕草をする。
会釈をして、部屋の中に入った。天井の照明が多い。
「あなたたち新しい研究生?」
「うん」
「私は鹿児未来。まだデビュー前のグループで活動しているの」
「川村潤香。ソロで少しだけ地下アイドルやってた」
「よろしくね」
未来さんは人当たりのいい笑みを浮かべていた。笑うと頬にベイゴマを押しあてたような笑窪ができる。八重歯で、少し大人びた雰囲気があった。大学生かもしれない。
「二人ともかわいいね。よかったら、私のグループに入らない?」
「あ、ぼくはだたの付き添いです」
未来さんが目を細めた。ぼくを見て、表情の均整が少し崩れているような気がする。理由はわからない。ぼくたちは初対面だ。
「五味修人って言います」
「そうなんだ。修香ちゃんも今からアイドル目指さない?」
「目指しません」
「かわいいし、ぼくっ子だし、才能あると思ったのに」
未来さんが項垂れた。多分、女性だと思われている。というか、名前も間違われている。
「潤香ちゃんはどう?」
「私はソロ」
「そっか、残念。でも、同じ事務所の仲間としてこれからよろしくね」
また未来さんの視線がぼくを刺す。