Chapter5 新しい朝
夕食をすませ、自室にこもる。疲れを癒そうとしたところで、ドアノックがあった。ドアに顔を向けた、十五センチくらい開いたドアから潤香ちゃんが覗いていた。
「一緒に寝たい」
「え?」
無許可のまま潤香ちゃんがぼくのベッドにもぐりこむ。湯上りで顔は桜色に蒸気していた。
その上目遣いの瞳が、ぼくを捉える。
「妖艶な私に見惚れてる?」
「妖艶というか、幼稚園児みたいだけど」
「幼稚園児じゃない」
普段は長期出張中の両親の部屋で寝ているが、どういう風の吹き回しだろう。落ち着かない。それに、鈴葉がこの光景を見たら卒倒しそうだ。
「ねぇ」
潤香ちゃんが呟く。
「君はどうして私を推してたの?」
ぼくは天井を向きながら、考える。横から淡い息遣いが聞こえた。
「中学の頃さ、潤香ちゃんが出演してた地下ライブによく通ってたんだ」
「うん」
「ある日劇場の雰囲気がいつもと違ったから、顔見知りの常連さんに、何かあったんですかって訊ねたら、アイドル業界の偉い人が見学に来てるって言われてさ」
こくん、と潤香ちゃんが頷く。
「あのとき、ライブの出演者は、みんなその人の顔色をうかがってた。歌唱中も、その人がいる後方ばかり見てさ。でも潤香ちゃんだけは違って、お客さん一人一人の顔を見てた。その姿に心惹かれたんだ」
「それは、私が人の魂を見る死神だから」
「それでも嬉しかったんだ。中学時代はいじめられて、クラスメイトに無視されながら透明な日々を過ごしてたから、あの日の出来事は特別だった」
ずっと自分は透明だと思って生きてきた。中学時代のいじめが、そういう気持ちを強くさせた。人は簡単に、人をいない者にする。無視したり、人間性をなじって殺してしまう。誰とも目が合わない日が続き、自分はどこにも存在しないんじゃないか、と思っていた矢先、潤香ちゃんと出会った。
彼女の瞳の中で、ぼくはたしかに生きていた。だからこそ、ぼくは彼女に自分を投影し、自分のことのように推すことを決めたのかもしれない。
「潤香ちゃんこそ、どうして一緒に寝ようなんて言ったの?」
「私が近くにいないと、君は消えるかもしれない」
「そっか」
潤香ちゃんの方を向くと、彼女もぼくの方を向いてた。すぐ真横に彼女の顔がある。膝頭の感触があり、微かに胸元が隆起していた。
「このままぼくの肉体が消えたらどうなるの?」
「肉体だけが消え、救済されなかった魂はずっとこの世を彷徨うことになる。そして、いずれ悪霊になる」
「それは嫌かも」
「前にも君みたいな子と出会ったことがある。でも私は救えなかった」
その声はいつになく弱々しかった。彼女がぼくに抱く感情の正体はわからない。ただ一つたしかなのは、ぼくたちがそばにいて、視線で繋がっていること。魂と呼ばれる生の神髄は、常に目を通して他人に伝えられる、とオースターも言っていた。
彼女がいる限り、ぼくはまだ生きている。
「これからは学校も一緒に通う。私は君のそばにいる」
潤香ちゃんがぼくの身体を握りしめた。彼女の持つ熱が、じんわりと身体に伝わる。
「だから消えないで」
「大丈夫。消えたりしないよ」
「約束」
*****
また新しい朝がやってくる。
脳天を打つような、特大の物音で目を覚ます。両親が長期の出張中で、ほとんど一人暮らしであるはずなのに、そんな物音を出す存在はただ一人。
二階の自室を出て、階段を駆け下りる。リビングの彼女は鎌を持ちながら、目をきょろきょろさせている。嫌な予感しかしない。
「何してるの?」
「蜘蛛がいた」
「獅子博兎はやめてね……」
「わかってる」
「潤香のわかってる、は信用ならない」
ふと、潤香と目が合う。
ファンと推し。
幽霊と死神。
家主と居候。
ぼくたちの関係を言いあらわす言葉はたくさんあるけど、結論付けるのは、まだ少し先でもいいかもしれない。