Chapter4 修羅場
脳天を打つような、特大の物音で目を覚ます。両親が長期の出張中で、ほとんど一人暮らしであるはずなのに、そんな物音を出す存在はただ一人。
二階の自室を出て、階段を駆け下りる。ぼくの生活は死後も忙しい。
リビングに瓦礫が転がっていた。あらゆる方角の壁が破壊され、その中央に、死神姿の潤香ちゃんがいた。右手に巨大な鎌を持ち、浮遊している。下半身がなく、ローブの裾が波打っていた。顔はドクロで、眼窩にあるべき眼球が欠けている。
「何してるの……? 家がメチャクチャなんだけど」
「ゴキブリがいる」
潤香ちゃんは言い、鎌を振り回した。粉塵が舞う。どこにゴキブリがいるのか、見当もつかなかった。
「ゴキブリ一匹のために、家を壊滅させないで」
「獅子博兎」
「どういう意味?」
「ライオンはウサギを狩るのにも全力」
嫌な全力だ。
「あ、君の頭にとまった」
「頼むからこっちに来ないで!」
絶叫しながら身をすくめる。が、彼女は意に介さず、鎌を振りかぶる。背後の壁に刃が突き刺さった。
衝撃で、砕けた壁が飛び散る。恐怖に包まれながら、床の瓦礫を眺めていると、ようやく動かなくなったゴキブリを見つけた。
「安心して。もう脅威は去った」
潤香ちゃんが人間の姿に戻る。
「いや、真の脅威は、まだ目の前にいるんだけど」
「哲学?」
「哲学じゃない」
半壊した自宅の中で朝食をとる。ぼくの感覚が麻痺しはじめているのか、料理はきちんと味がして美味しかった。それに、ちゃんと右手もある。
「僕が学校から帰ってくるまでに、ちゃんと修理しておいてね」
「わかってる」
また信用できない「わかってる」だ、などと考えていると、潤香ちゃんがポケットの中に手を突っこんで、何かを取り出した。
「そうだ、これ君にあげる」
ドクロのヘアピンが机の上に置かれていた。
「きっと似合うはず」
「別に、こういうの普段はつけないよ。あのときは急いでたから、母さんのヘアゴムを借りてたけど」
「ただのヘアピンじゃない。これには私の力が宿ってる。これで離れていても、私の疲労に関わらず、君の実体化を補助してくれる」
「そうなんだ」
「外に出るときは必ずつけていって」
そう言うと、潤香ちゃんは身体を伸ばし、ぼくの頭にヘアピンをつけた。
「うん。似合ってる」
*****
なるべく普段通りに、という理由で登校した。鈴葉と合流し、いつもの通学路を歩く。
「めずらしいわね、ヘアピンなんかして」
鈴葉がぼくの前髪を指差す。潤香ちゃんの言いつけを守っていたからだ。
「今日は特に女の子みたい。ナンパ待ち?」
「……ナンパ待ちじゃない。贈り物なんだ、これ」
「へぇ、そうなの」
にこにこと返事をして、鈴葉の顔が固まった。
「ん? ちょっと待って」
それから、怪訝な顔に変わった。額の血管が浮き上がり、動く。まるで心臓の鼓動みたいに。
「誰から? 男が男にヘアピン贈ったりしないよね?」
「怖い」
それに顔も近い。
「その女に会わせて」
「ちょっと待って、まだ女の子って決まったわけじゃ……」
「今日中にね」
*****
授業を終え、鈴葉とぼくの家に向かう。どうしてぼくの家なのか、彼女は少し不思議そうな顔をしていたけど、黙ってついてきた。
玄関を開け、リビングに着く。定位置のソファに潤香ちゃんの姿があった。穴の開いた壁は、全て元通りになっていた。
「……こちら居候の川村潤香ちゃんです」
「川村潤香? たしかあんたの推しの?」
「はじめまして、綺麗なお姉さん」
鈴葉の表情が硬直する。
「二人はどういう仲なの……?」
「同棲してる」
「恋仲ってこと?」
「うん」
「潤香ちゃんは適当に返事しないで! ややこしくなるから」
「あんたも突っ立ってないで、早く説明責任を果たしたら?」
「説明責任って何……」
なぜか、ぼくにも飛び火した。壁際で正座をさせられる。潤香のいるソファとは反対方だ。その真ん中に、鈴葉がいた。
「ぼくたちは遠い親戚なんだ。潤香ちゃんは理由あって家に帰れないから、うちで寝泊まりしてるんだよ」
「へぇ、そう」
「ね、潤香ちゃん」
「うん。私たちの間柄は入籍」
「親戚ね……」
潤香ちゃんの失言で、鈴葉の表情がけわしくなる。そのあとで思案顔になり、やがて何かを受け入れたような顔になった。
「なるほど。だからあんたは、潤香ちゃんのアイドル活動を応援してたのね」
彼女の自走的な解釈で、ひとまず追及を逃れた。それにしても、会話が一向に前に進まない。砂漠の上でするゴルフみたいに。
「でもさ、この前のサイン会をドタキャンしたせいで、事務所をクビになったみたいなんだ」
「クビになったの?」
「そうそう。社宅も追い出されて行くところがないから、ぼくの部屋に泊まってるんだ」
「ドタキャンじゃなくて迷子。それも、君のせい」
「そこで、鈴葉のお父さんの事務所に掛け合ってもらえないかな」
「それは無理。言っておくけど、私たち親子の仲の悪さを甘く見てもらったら困る。父さんは、子役を辞めた私のことが好きじゃないの。自分の先行投資が無駄になったって、逆恨みしてる」
「そこを何とかさ」
「勝手に話が進んでるけど、私はもう働きたくない」
足取りを揃えるために、潤香ちゃんのいるソファに駆け寄った。肩を掴み、鈴葉から背を向けさせたあと、耳打ちをした。
「ぼくの未練を解消して魂を回収できないと、困るのは潤香ちゃんだよ?」
「……」
「いいから、ぼくに話をあわせて」
もう一度、鈴葉の後方まで移動する。
「私もアイドルに復帰したい。子供の頃からの夢」
「ね、潤香ちゃんもこう言ってるし、お父さんに掛け合ってよ」
鈴葉は考えこむように、視線を下に向けた。それから顔を上げ、強い口調で言った。
「じゃあ頼んでみてもいいけど、それには条件があります」
「条件?」
「もし、うちへの所属が決まったら、潤香ちゃんは事務所で寝泊まりしてもらいます。若い男女が同じ屋根の下なんて風紀が乱れてる」
「でも、この家から離れたくない」
潤香ちゃんがソファの上で呟く。
「じゃあ、五味が事務所で寝泊まりして」
「それは意味不明というか不審者すぎる」
「もしくは、私の豪邸に住んで」
「二人が同じ屋根の下で住むのは風紀が乱れないの?」
「私たちは姉弟みたいなものだからいいの! お互いの裸だって何回も見てる」
「えっち」
潤香ちゃんは、ソファでうつ伏せになりながら、顔だけを横に向けた。海綿体みたいだ。
「とにかく適切な距離感を心掛けて」
「わかってる。私は歩く倫理観」
潤香ちゃんの「わかってる」は本当に信用ならない。
「本当の本当に?」
「しつこい」
ソファの上の潤香ちゃんが上半身を起こし、死神の姿になっていた。幸いにも、鈴葉はぼくの方を見て、頬を膨らませていた。
「ちょ、ちょっと」
急いで立ち上がり、潤香ちゃんをなだめようとした。それから鈴葉を玄関に連れていき、半ば追い出すように帰宅させた。