5、ハッピーエンド……?
「どこへ行く気だ。まだ話しが終わっていないが」
地を這うような低い声。
ゲームでも聞いたことない、どすの効いた声だ~! なんて、喜べるはずもなく。
ハッピーエンドに沸き立つ心がしおしおとしょぼくれていく。
「え、ええ~っとぉ。あ、ほら! ここは王城だから一般人が勝手に入ったってばれたら怒られちゃう! だから、早く出ていきたいなあ、って……」
背後にいるフィビンをちら、っと上目遣いに見上げる。ぴくり、彼の形の良い眉が揺れたような気がしたけど、首ねっこを掴む手は緩まない。
まだだめか。
フィビンはやさしいから、こうやってお願いすればたいていのことは許してくれたのに。さすがに魔王が関わるとなると、いつも通りとはいかないらしい。
「フィビンへの説明はちゃんとするよ! 後で、二人きりになったときに、ね?」
「二人きり……」
ぴくぴく、と動いた眉に、もうひと押し! と思ったとき。
「天馬の乙女は一般人ではないだろう。遠慮せず、ゆっくりくつろいでいってくれ」
それはそれは良い声で言ったのは、正統派王子、じゃなくてセイトーハ王子。
聖女さまのとなりに身を起こし、乱れた髪を整えざまの麗しい笑顔。
そのあまりに完成されたワンシーンに、一瞬「はい、よろこんでー!」と飛びつきそうになったけど(最推しは不憫勇者たんだけど、王子も聖女も好きだったんだよぉ!)、ぐぐぐっとこらえて帽子をまぶかにかぶり直す。
大丈夫、大丈夫! 今日もばっちり男装してきてる!
「て、天馬の乙女ってなんのことですかネー? 僕はオーリ。いたって平凡な村の青年ですヨー?」
二十歳にもなって『少年』を自称することは、さすがにできなかった。
青年というには多少たよりないかもしれないけど、でも、これで私の正体が令嬢オリビアであるということには、たどり着けまい!
と思ったのに。
「オーリ、その見た目で青年はさすがに無理がある」
ため息をひとつ。フィビンの手が私の帽子を取り上げた。
こぼれ落ちる赤い髪。
「ひゃあ!」
うっかりあがった声の高さに自分で驚いて、両手で口をふさぐ。
「いや、本当にもう今さらだ……」
「そうだねえ。天馬の乙女が少年の恰好をして国中を飛び回っていることは、公然の秘密みたいなものだからね」
フィビンの呆れ声に王子がうなずく。
いや待って、公然の秘密ってなに!?
驚いて聖女さまに目をむければ、彼女はおっとり笑う。
「勇者様と並んで、天馬の乙女様も民に大人気ですよ。わたくしも、いつかお目にかかれたらと思っておりましたの」
お会いできてうれしいです、と聖女が差し出す手を断れるものがいるだろうか? いや、いない。
もれなくオーリもにへにへと笑いながら握手をしてから、はっとした。
前に聖女、後ろに勇者。左右は王子と騎士に、それぞれ塞がれている。
しまった!
慌てて逃げ道を探すけど、主役級の三人プラス本物の騎士を相手に平凡令嬢が逃げられるはずもない。
唯一の味方であるはずの天馬は窓辺で花瓶の花をもしゃもしゃ。
裏切り者ぉ、と歯ぎしりするオーリの肩に、ぽんと置かれたのはフィビンの手だ。
「オーリ、全部聞かせてもらうぞ」
「ふぇ……はいぃぃぃ……!」
不憫勇者の満面の笑みの迫力といったら。
震え上がったオーリは、とうとう観念した。
※※※
王子の部屋で洗いざらいを話し終えるころには、空に星がきらめいていた。
洗いざらい、本当に記憶にあるすべてを吐かされたオーリ改めオリビアはぐったりとする。
令嬢だということがバレてしまったので、本当はきちんとした所作をすべきなのだけれど。
「疲れたのか? ほら、茶を飲め」
テーブル(とても重厚)のうえに置かれたカップ(めちゃくちゃお高そう)を無造作に持ち上げたフィビンが、ひざに抱えたオリビアの口元にカップを持ってくる。
そう、この勇者さま、話の間じゅうオリビアをひざに乗せていたのだ!
いわく「離したら逃げようとするだろう」と。
さすが十年の付き合い、バレていた。
そしてそんな体制でいる以上、きちんとした所作だとかそんなことは些末すぎると、諦めたのだ。
「うぅ〜……」
観念したオリビアは差し出されるまま、紅茶に口をつける。
ぬるくなった紅茶がのどに心地いい。
「ふむ……勇者と天馬の乙女が世界の危機を未然に食い止めていた、と」
「そして危機が訪れると同時に解決してくださったのですね」
「信じがたいと言いたいところだが、実際に魔王が現れたわけだからなあ」
「ええ、そして消滅しましたね」
王子と聖女は聞かされた話を咀嚼するように、言葉を交わす。
それからそろってため息をついた。
「認めざるを得ない、いや、すべて事実なのだが。それを知るものがあまりに少なく、証拠となるものがなあ」
「わたくしが『魔王は去りました』と言うのも、そもそも魔王の出現を知らない人々をいたずらに怯えさせることになりかねませんものね……」
「うむ、しかし魔王を討ち倒した報奨を理由もなく与えるのも、反感を買いかねん」
「辺境の地でこぼれる魔物を討伐してくださっている、という事実はありますけれど。そのことでお渡しできるお礼では、とうてい足りませんものねえ」
困った様子のふたりを見て、オリビアはゆるゆると手をあげた。
「あの〜、もしかしてフィビンへのご褒美のお話ですか?」
「ああ。あなたへの感謝ももちろん忘れてはいない。だが、あいにくと私や聖女は私欲で動かせる金を多くは持たないのでな。どうやって公に説明したものか……」
あごに手をやり難しい顔をする王子に、オリビアは慌てて首を横に振る。
「いや! あの、私のことは数にいれないでください! というか、そっとしておいていただいたほうが嬉しいというか……」
「まあ、なぜですか? 天馬の乙女さまのおかげで勇者さまが早くに戦う術を身に着け、この国が守られましたのに」
「なにか、やましいことでも?」
「ぴえっ!? そんな!」
おっとりと頬に手をあてる聖女さまになごんだと思ったら、いじわるく笑う王子の言葉に肝が冷える。
やましいことだなんて、王子に言われたらまるで国家反逆罪でも企ててるかのようじゃない!?
「やましいことなんて、ひとっつもありません! ただ単に、私は未婚なので。悪目立ちして結婚相手が見つからないとなると、困ってしまうので!」
ただでさえ、フィビンにかかりっきりで婚約者もいないまま二十歳を迎えてしまっているのだ。
両親はおっとりしているからか急かしたり、見合いを進めてきたりもしないけれど。さすがにオリビアだって生涯独身のまま推しだけを見つめているつもりはなかった。
推しは推しとして愛しつつ、信頼のおける相手と家を存続できたらいいな、と思ってはいるのだ。
どんな相手かはまだ未知だけれど、できればいっしょにフィビンを推してくれるような相手が良いなあ。
なんて、にへにへ笑っているオリビアの耳元で。
「結婚相手なら、俺がいる」
それはそれは良い声が、ささやくではありませんか。
「っっっ!?」
とっさに耳を抑えて振り向いたオリビアは、あまりに至近距離にあった推しの顔に瞬間沸騰した。
いや、だって無理でしょう。
好みが過ぎる幸薄顔が、目の前にあって。しかもとろけんばかりに熱のこもった瞳に自分を映しているだなんて!?
「オーリは……オリビアは気づかれてないと思ってたようだが、俺ははじめからあんたが女だって気づいてた。あんたが俺のことだけ気にかけてくれてたから、今のままの関係でも良いかと思ってたけど」
フィビンが顔をあげて、ようやくオリビアは空気が吸えた。
いや、でもあまりに顔が近すぎて推しの吐息を吸っているのでは?
その事実に気づいて改めて呼吸困難に陥りかけたのだけれど。
「王子、何かもらえるというのなら、俺はオリビアと結婚できるだけの地位が欲しい」
真っ直ぐな瞳で。真っ直ぐな声で。
なんてことを言うのか、この勇者さまは。
あまりに一途なその姿に、オリビアの胸がぎゅうっと詰まる。
「オーリ、オリビア」
視線を移した瞬間、そんな目をするのは卑怯だ。
そんな、愛おしさと切なさを集めた、熱のこもった視線でとらえるなんて……。
「俺の初恋を叶えられるのはあんただけだ。あんたが俺をずっと隣に居させてくれるなら、俺は一生幸せだから」
どうか、俺の手を取ってくれないか。
推しが震える声で、潤んだ瞳で、一心に見つめてきて訴えるのに、抗えるものがいるだろうか?
「う、あわ、はわわ……はひぃ……!」
オリビアは何もかもがキャパオーバーで、目を回してしまった。
真っ赤になって倒れ込む身体は、フィビンの腕にしっかりと抱き止められる。
意識を飛ばしたオリビアはまだ知らない。
うわごとのようにつぶやいた言葉が「はい」という返事だと受け止められていたこと。
オリビアの両親はとっくの昔に勇者と愛娘の仲を知っていて、勇者が婿入りしてくるのを待っていたこと。
一年をおかずに、勇者と天馬の乙女の結婚式が、王子と聖女の結婚式と合同で挙げられること。
それはそれは盛大な式となり、四人は人生の終わりまで騒がしく、けれど幸せに過ごすことを、自称平凡な令嬢は、まだ知らない。
〜終わり〜