1、生不憫勇者を見に行こう!
不憫なキャラが大好きだ。
懸命に生きているのに理不尽にみまわれて泣き叫ぶ姿に、胸がときめく。
人前では明るく振る舞っているのに、ひとりきりになると重たい過去を引きずってうめく姿が愛おしい。
信じていた相手に裏切られて心折れた絶望顔でご飯が食べられる。
自己犠牲が報われず泥にまみれて涙をこぼすのも良い。
無力感に苛まれて自分を責める姿なんてかわいくてたまらない。
前世の記憶はほとんど残っていないけれど、そんな不憫キャラたちが大好きなのは、死んでも治らなかったらしい。
「ここってオウドゥノ王国じゃない。っていうことは不憫属性の塊、勇者たんがいるっ!?」
オウドゥノというのは、とあるファンタジーゲームに出てくる国名。
ゲームの名前は忘れてしまったけど、主要登場人物のひとりがたいそう不憫なキャラだったことは、しっかりはっきり覚えている。
そして自分が生まれたのがそのゲームの世界だと気づいたのは、貴族の令嬢に転生してから十回目の誕生日を迎えた朝だった。
「いまは王国歴二一三年……ということは、本編がはじまる十年前! つまり、勇者たんは生まれ故郷にいる時代っ!」
そうとわかれば、居ても立っても居られない。
ネグリジェを脱ぎ捨て身につけたのは、持っている中で一番簡素なシャツとズボン、それからベスト。
長い赤髪はまとめてキャスケットに押し込んで、部屋を飛び出す。
「オリビアお嬢様っ!? こんな朝早くにどちらへ!」
「ごめん、ナタリー。行かなきゃいけないところができたの! 夕飯までには戻るわ」
ちょうど廊下を歩いていたらしいメイドのナタリーに告げて、階段を駆け降りる。
振り向かず玄関の扉を開けて飛び出した私は、空に向かって指笛を吹いた。
「ニコ、飛ぶわよ!」
「ヒィン!」
いななきと共に現れたのは、白い翼を広げた天馬。
舞い降りてきたその背に飛び乗れば、ニコはひづめで地面を蹴って、空へ。
視界が一気に開けて、風が耳元でうなる。
王都を眼下に見送り進行方向へ指を向ける。
「北の国境を目指して、ニコ!」
勇者たんの生まれた場所は、北のはずれにあるカイソ村。
王都を出て野を越え山越え、人の住める土地の端っこにある。
だけどニコの翼にかかればひとっ飛び。
「夕飯までには帰るから〜!」
豆粒のようなナタリーに叫んだけれど、聞こえただろうか。
確かめる余裕はない。羽ばたきはじめたニコから振り落とされないよう、しがみつくので忙しかったから。
※※※
「ニコは目立つからこの辺りで待ってて」
カイソ村のそばで地上に降りて、ニコを野に放つ。
まるで私の言葉がわかっているかのように、草影に歩いて行くニコは賢い馬なのだ。
「さあて、勇者たんのお家はどこだったかな〜」
前世だと思われるゲームの記憶を振り返りながら、うっきうきで歩き出す。
モノローグで語られていた勇者たんの生まれ育った村は、燃えていた。
ゲームの時間軸では無表情、ほぼ喋らないクールな勇者たん。そんな彼が幼い姿で泣きじゃくる様は心にキュンキュン響いて、背負った重たい過去にのたうちまわって鼻息を荒くした瞬間を昨日のことのように覚えています。
「んふ、んふふふ、ゲームのモノローグでも見られなかった七ちゃいの生幼児勇者たん〜」
ゲームの中で、人と異なる領域にあるはずの魔物が勇者たんの村を襲うのは王国歴二一六年のこと。つまり悲劇のはじまりまであと三年あるということだ。
公式ファンブックでも見られなかったかわいそかわいい勇者たんの幼児期が拝めるなんて、私の今世は神が与えたもうたボーナスチャンスに違いない。
この感謝の気持ちをどこに課金して昇華すれば良いのかわからないが、それはまた後で考えよう。
「今は目の前の推しに全神経を集中させねば、失礼ってもの!」
がさがさがさ、と草むらを進んでいくと、聞こえた。
──これは、幼いながらも勇者たんのベリキューボイスっ!
本能が訴えるままに草陰から村を見れば、いました。
──いました!!!!! 勇者たんっ(公式未発表激レア幼少期)!!!!!
興奮のあまり脳が沸騰して鼻血をはじめ、顔中からありとあらゆる液体が吹き出す。と思ったのだけれど。
「……あ、無理だわ」
私の顔からあふれたのは、涙だけ。
破裂しそうな興奮なんてとんでもない。
だって、無理。
両親の手を引いて笑う幼児の無邪気な顔。
そこに、絶望を知った青年の感情が抜け落ちた顔を重ねて見てしまったら。
もう無理だった。
だって、ゲームの中の勇者たんが絶望したのは、幸せを知っていたから。
温かな家族と幸せな日々が切り裂かれ、踏みにじられ、めちゃくちゃになったからこそ、未来を思い描けなくなって勇者になったのだから。
自身の命なんて顧みず、凶悪な魔物に向かって行けたのは、魔物に幸せを壊されたから。
重たい過去を背負うキャラは苦悩を抱えていて、だからこそ愛おしかった。
だけど、それは創作のなかだから愛せたのだ。
それが今、私はその創作のなかの世界にいる。
そしてかわいそかわいい推しもまた、その創作の世界のなかにいる。
つまり、生きているのだ。キャラクターのひとりじゃなく、生きている人としてそこにいる。
そんな相手が幸せをめちゃくちゃに壊されて、心に傷を負って、絶望に溺れていく姿なんて、推せるわけがない。
「無理無理、無理無理!」
これから彼に、この村に襲い掛かるであろう悲劇を思うと涙が止まらない。
苦しいほど湧き上がる悲しみが、推しに会えた喜びを凌駕する。
私はどうして前世の記憶を抱えて生まれてきたの?
絶望する勇者たんを眺めるため? ううん、ちがう。
──決めた。
悲しみが吹き荒れる胸のなかで、私は私に誓う。
「勇者たんを救おう。重たい過去を背負った不憫キャラなんて、創作のなかだけで十分。ここが私の現実なら、推し最高ベリベリハッピーエンドにこそ全力課金させていただかねばっ!」
この人生は神の与えたもうたボーナスチャンスなのだろう。
だったら私の全身全霊をかけて、勇者たんをハッピーエンドに導いてみせる。
私は拳をにぎって決意した。