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500年は長すぎる ~仙女様は過保護~

作者: mizuki.r


 迷いの森には伝説がある。

 その奥深くには、昔々、この地方を収めていた領主の城があり、悪い仙女に呪われたお姫様と彼女を守る人々がずっと眠り続けているのだという。

 といっても、この何百年もの間、眠れる王女どころか城を見た者もない。だからそれはおとぎ話に過ぎないと、まともな考えの者には思われていた。

 でも、何しろそこは迷いの森だ。入り込めば迷ってしまい、真っ直ぐに通り抜けることはかなわない不思議の森。だから、実は伝説は本当かもしれない。とこっそり思う者もいないわけではなかった。

 だって、その方が面白そうだし、それにちょっとロマンティックだし。



 そんな森の奥。ほんとにあった城の一室。

 眠り姫は、唇になにか柔らかなものが触れた感触で目覚めた。

 ああ、その時が来たのね。

 夢から覚めうっすらと開いた彼女の目に入ったのは、薄化粧をして派手な巻き髪のカツラをかぶった男だった。

 ナニコレ?

 救いを求めて見回した視界に映るのは、レースがビラビラついて、宝石でキラキラと飾られた派手な衣装。そして、息を止めたくなるほどに強烈な甘ったるい匂い。

 なのに同時に理解もしてしまっていた。

ついに仙女が選んだ運命の相手が現れたのだ。だって目が覚めちゃったんだから。

 青年はうるんだ瞳で彼女を見つめている。

「無理。このまま眠っていたい」

 思わずつぶやいてしまった言葉は、王子にははっきりとは聞きとれなかったようだ。

「ああ、よかった本当に目覚められたのですね」

 嬉しそうに言われてしまった。柔らかくて存外心地いい声だ。

 跪いて、そっと彼女の手をとるその動きも優雅で美しい。

 あれっ。けっこういける?

 いやでも、これは……。やっぱりないか。だってまるで道化だし。

 眠り姫はため息を飲み込んだ。



 眠り姫こと、オーロラが永い眠りを強いられたのは、そもそも生まれたときの祝いの宴がきっかけだ。

 彼女はその当時、バーラルと呼ばれた小さな国の王と王妃の間に生まれた娘だった。

 初めての王女の誕生に国中が沸き立ち、城では祝宴が開かれたのだが、その祝宴に、王たちは嫌われ者の森の仙女を招待しなかったのだ。

 ハブられてキレた仙女は呼ばれていないパーティーに押しかけると、恐ろしい呪いをかけて高笑いと共に帰っていった。

「オーロラ姫よ。おまえは16歳を迎えるその日、糸車の針を指に刺して死ぬだろう」

 ハブられたくらいで殺すなよ。とか、なぜ16まで待つの。とか突っ込みどころは様々あるのだが、そこまでによほどの恨み辛みの積み重ねがあったのか、あるいは仙女がよほどねじくれた性格だったのか。まあ、なにかしらの理由はあったのだろう。

 それはともかく、幸いなことに、その場にはなぜか都合よく、まだ贈り物をしていなかった善き仙女リラが残っていた。

 強い力を持つ彼女は、なんとかそれを眠りの呪いに変えてくれたのだ。

 しかし、本来は死の呪い、さすがに一晩眠っておしまい。というわけにはいかない。人としての一生を全うするほどまでの永い眠りの後、彼女を現世に引き戻したいと望む相手からの口付けを受けることが目覚めの条件だった。

 かくして16歳になった日、オーロラは城の探検の最中に、悪い仙女がこっそり用意した糸車の針を指に指してしまい。深い眠りに落ちたのだ。

 眠りの中で、仙女からだいたいの事情を知らされたオーロラは、ちょっとキレそうになった。過保護な王夫妻は、その辺の事情を娘には何も教えていなかったから。

 知っていたらその日はフラフラ出歩かずに籠もっていたのに。

 でもポジティブなオーロラは、すぐに思い直す。

 呪いなのだから、どんな対策をとっても、きっとなにかが起こって同じことになっていたんだろう。下手に知ってしまって、その日までをくよくよしながら過ごすよりはましだった。

 と、思うことにしよう。

 そして、逞しい騎士や凛々しい若者が、いつか彼女を目覚めさせてくれる日を夢見ていた。いたのだが。

 この芸人のような派手ななりのひょろっとした男は……。

 しかし、この男が永い眠りを終わらせてくれたのは確かなのだ。

「ありがとうございます。あなたがわたしを目覚めさせてくださったのですね」

 オーロラは、彼女をうっとりと見つめる男から微妙に視線をそらしながらぎこちなく微笑んだ。

 男の頬が白粉の上からも分かるくらい赤く染まる。化粧していない耳は真っ赤になっている。なんかちょっとげっそりした。

 そんなことをしていると、いつか王女と共に眠りについていた城のあれこれも目覚め始めた。

 部屋では、凍り付いたように固まっていた暖炉の炎が音を立て始める。ちょっと暑い。どうやら今の季節は夏のようだ。

 部屋の外からは、ぱたぱたと人の足音が聞こえてきた。

 目覚めたときに周囲が知らないものばかりでは寂しいだろう。と、仙女が城の人々も眠らせていたのだ。

 親ばかな王夫妻はともかく、他の人々には迷惑なことだと思われるかもしれないが、一応家臣たちも選ばせてもらえたので、嫌なものは去っている。ただし、その当時は世間が狭くて、大体の人間関係はほぼ城の中で閉じていたので、城に残ることを選んだ者は結構多かった。

「姫様!」

 飛び込んできたのはオーロラの最も信頼する侍女のべルトだ。ベッドの傍らにいる青年を見て固まった。

 城の人々も、夢の中で善き仙女の御業について知らされて共有している。だから、この青年が選ばれた目覚めのための青年なのだとはすぐに分かっただろう。

とはいえ、そのすっとんきょうな姿にベルトは機能を停止してしまったようだ。



 それから数時間、オーロラは、目覚めた王と王妃と共に青年と向かい合っていた。

「わたしはこの辺りを収める王の息子フロリモントです。三番目の王子ですから、本来気楽なものなのですが、いろいろと思うことも多く。今日も鬱々と森の端をさまよっていました。その時に、森の中に姫の幻を見たのです。あまりの美しさに心惹かれ、ついついその姿を追ううちにこの城に辿り着きました。そして仙女様より、その……どうすれば目覚めさせられるかを聞いて……。失礼かとも思ったのですが、それで目覚めていただけるものならと。あのっ、どうか、わたしに姫に求婚することを許してください!」

 親子は戸惑ったよう視線を彷徨わせる。

 え、芸人じゃなかったんかい!

 50年や100年も寝ていれば、新しい王がいることは予想の範囲内。

 だが、これが王子?

 たしかに、衣装の生地の質はかなり良さそうだ。色も派手だが品はある。宝石も本物のようだ。

 でも、その見たこともない形や意匠は斬新すぎるし、粉をはたいた変な形のかつらもあり得ないし、それにオーロラたちにとっては、男が化粧をするのは芸人だけだ。

 よね……。

 と、戸惑っていると突然。きらきらと光が満ちて、一人の女性……一応、女性と言っておこうか。の姿が現れた。

「おめでとう。ようやく、あなたを目覚めさせる相手を見つけることができました」

 あたりに瞬く光に負けない、きらっきらの笑顔。仙女のリラ様だ。

「苦労したのよ。人柄がよくて、そこそこ能力も合って、身分の問題も無くて、なにより女性の好みのストライクゾーンがオーロラちゃんで、絶対浮気しそうにない男。ちょっと厳しすぎたみたいで500年たっちゃつたけど、まあ見つかったから結果オーロラよね♡」

「500年!!!」

 オーロラたちが同時に叫ぶ。

「あらら、そんなに叫ばなくても」

「だって人の一生くらいは眠ることになる。とはおっしゃいましたが、だとしたらせめて100年くらいだと」

「あー、ごめんね。そこ、そんなに気にするところだった。たしかに100年くらいたったところで呪いを解く条件は満たしてたんだけど、ちょっとうっかりしてて200年目くらいまで忘れちゃってたのよ。だけどその頃って、この辺、戦乱の時代に入っちゃってなんか危なかったの。こんな時に目覚めさせるのもなぁ~。と思ってたら、またうっかり100年くらいたっちゃって、そしたらなんかオーロラちゃんと相性のいい男が見つけにくくなっちゃったの。でも、いい子見つけたでしょ。結果オーロラ! なんちゃって」

 よほど気にいったのか繰り返す。仙女には笑いのセンスはないようだ。

 オーロラはため息をつき。王と王妃は頭を抱えた。

 そう、ほぼ不老不死の仙女の時間感覚はおかしかった。

 しかも、誕生祝の日に、贈り物をし忘れていたことからも分かるように、力はあるけれど、かなりのんびりした性格でもあるのだ。



 そんなわけで、オーロラは王子や護衛たちと一緒に馬の上にいた。

 求婚を受け入れるかどうかは別にして、というか、リラ様の乱入でなし崩しに無かったことになっているが。とりあえず森の中に城があったというニュースの証人として王子に同行することにはなったのだ。

 乳母は心配そうだったが、まあ仙女様が人柄は保証している相手だし、王と王妃が信頼できる護衛や侍女のベルトもつけてくれたし、それになにより、今、森の外がどうなっているか、オーロラは自身の目で見てみたかった。

 フロリモントが馬に乗れるのかどうかが心配だったが、馬具が少し変わっていたらしくとまどっていたことと、香水の匂いを嫌がらない馬を探すのが大変だったこと以外は、特に問題なかった。

 やがて森を出ると、王子を探していたらしい供の者たちが右往左往しているところにぶつかった。皆かつらをつけてビラビラした服を着て香水臭いところを見ると、フロリモントが変わった趣味なわけではなく、そういう時代なのだろう。

 オーロラたちはちょっと目を見合わせてため息をついた。

王子のお供たちのほうでも、奇妙なものを見るようにオーロラたちの様子を伺っている。

話を聞いていると、衣装が変だとか、女が馬にまたがって乗るなんて破廉恥だとかよくわからないことを言っている。だが、フロリモントから、森から連れ出してくれた恩人たちだと説明されて、口をつぐんだ。

 彼らと合流して、フロリモントの城へ向かう。

 少し汗ばむような陽気の中、森を抜け、街を抜けて辿り着いた城はオーロラたちの知っているそれとはかなり異なっていた。

 平地の、それも都市の真ん中。川はあるけれど、それは堀のように周囲を巡っているのではなく、街のほぼ中央を流れている。

 入口に門衛はいるけれど、堀や跳ね橋もない。

 というか、なによりパッと見て華やかさが違う。

 手前には夏の花の咲き誇る庭園が広がり、その向こうに広がった城はむしろ館と呼びたいような開放的な建物で、高い塔などは見当たらない。そしておびただしい窓があり、そこにはどうやらガラスがはまっているようだ。

 これでは攻められたらひとたまりものないのでは。とオーロラは少しだけ不安になる。

 建物の中に入ると、中は窓から取り込まれた昼の日差しで明るく、瀟洒な装飾に覆われていた。

 城の人々はおおむね王子の一行と同じような服装や様子をしている。また、気になったのは女たちのウエストがやたら細いことだ。身分が高そうなほど、いっそうに細い。あれで息ができるんだろうか。手でひねれば簡単にねじ切れてしまいそうだ。

 そんなことを考えながら歩いていると豪華な客室に案内された。

 王子は報告してくるからしばらく休んでいて欲しいと言って去り、一行は部屋に取り残された。

 部屋は王子の衣装と同じくらいキラキラしている。白い壁に金で縁取りがされ、燭台も天井から下がっている灯りも、透き通った飾りが下がりきらめいていた。床には足が埋まるほど毛足が長い絨毯が敷かれている。

 オーロラについてきた侍女や護衛も、すました顔をつくりながらも興味津々の様子で周りを見回している。

 部屋にはこの城の侍女だという女性が何人か残っていた。王子から、一行の世話を言いつけられたようだ。

 彼女がオーロラに勧めたのは、堅いスツールではなく、王座のような背もたれのあるものだった。

「はうあっ」

 座ったオーロラは声を上げてしまった。クッションのような見た目だと思った座面は、本当にフカフカと柔らかくて体が包み込まれる。

 なんて楽なのかしら。

 侍女は声にピクリとしたけれど、すぐに表情をもどしてすましている。 

 やがて、お茶とお茶請けが運び込まれてきた。

 机の上に小さくて色とりどりの菓子が並べられる。さらに、カラフルな花の絵付けがされた、つるつるとした焼き物の華奢な取手のついたカップの中に、ポットから透明感のある赤茶色の湯が注がれ、まずはオーロラの目の前に置かれた。

 オーロラは戸惑ったように侍女のベルトに視線を向ける。ベルトは困ったように王宮の侍女の方をちらちらと見ていたが、やがて、思い切ったように口を開いた。

「こちらが毒見用のものでよろしいのですか」

「はっ」

 部屋にいた侍女とお茶を運んできた侍女がとまどったように視線を交わす。部屋にいた侍女は一瞬眉間に皺を寄せたが、すぐにそれを消すと感情のない声で。

「毒見ですか。私どものもてなしが信用できないと」

 ものすごい圧だった。しかしベルトも負けてはいない。

「何をおっしゃいます。どのような状況であれ、供の者が念のために先に口をつけるのは当たり前のことではありませんか。もしも本当に疑っているのなら、毒見などいたしません。」

「信用していなければ毒見をしない? 意味が分かりません」

「なぜですか。信用のできないところで出されたものなど、一切口にされないのですから、毒見など必要ないのは当たり前ではないですか。信用していいだろうと思っている場で、信用を確信にかえるために毒見をするのです」

 侍女二人はしばし無表情に視線を絡み合わせた。

 ベルトのほうが少し若く体格もよく、城の侍女のほうが風格はあるが、二人の佇まいはどこかに似たものがある。

 そばにいるだけで冷や汗が出そうな緊張感が漂っていた。

が、やがて、城の侍女が額の皺を緩め、すっと肩の力を抜いた。

「つまり、そちらのお国ではそういう習慣でいらっしゃるのですね。存じ上げず申し訳ありませんでした。今、毒見用のものをご用意いたします」

「ご配慮感謝します」

 まるで何事も無かったかのような。そう、それはまさにプロ同士の会話だった。

 やがて、新たに運ばれてきたカップに注がれた飲み物を口にしてベルトは首を傾げた。

「これは? 見た目は色が濃いですが、味も香りも癖が無くて飲みやすいです」

「南方から取り寄せた茶という植物の葉を醗酵させたものです。菓子などの味を邪魔しないので、近頃好まれております」

 城の侍女は、どうやらこの客人は自分たちとは違う習慣を持っていると飲み込んだようで。迷う様子もなく説明をした。

「まあ、南方のものなの!」

「はい、よろしければそちらのミルクと砂糖もお好みでお入れください」

「砂糖? これのこと? わたくし、塩かと思っていたわ」

「あ、甘うございます。塩ではありません。これはハチミツのような、いえ、それよりより癖がなくてあっさりと」

 砂糖を少し口に含んだベルトはかなり驚いたようで、いつもより口数が多い。

「はい。そちらも南方よりもたらされたサトウキビと呼ばれる植物の樹液を精製したものでございます。そちらの菓子もほとんどが砂糖を使っております」

「ほんとうに、風味が変わらずに甘味が付くのね。すごいわ。それにこの茶? ミルクも合う」

 次いでベルトが切り分けて毒見したのは、季節のキイチゴの載った華やかなタルトだった。細く白い糸のような飾りが乗っている。

 口に入れると、ピクリと彼女の肩が揺れたが、動揺をおし隠してオーロラに差し出す。

「そちらは砂糖を溶かしたものを飾りにつかっております」

「あら、これもお砂糖なの」

 白い部分が甘く、酸味の強いキイチゴにとてもよくあっていた。タルトの生地もオーロラの知っていたものよりサクサクと軽い。

 紅茶を一口。

 柔らかな香りとわずかな渋みが、強い味を洗い流してくれる。

「美味しいわ」

 思わず華やいだ声が出てしまう。 

「キイチゴは大好きなの。そのまま食べるよりも美味しい」

「お気に召していただけたようで幸いです」

 城の侍女はわずかに目元を緩めた。

 そんな和やかな時間を過ごしていると、侍従らしき男性が入って来た。

「陛下が拝謁を許されるそうです」

 格下を相手のその言葉に、オーロラのおつき者たちが気色ばむ。

しかし彼女は、小さく首を振って見せた。

 たしかに、一国の王女であるオーロラに対してその言葉は失礼である。だが、このしばらくの間だけでも、オーロラは実感していた。ここは彼らの知っている世界ではない。自分たちの当たり前を押し通してもいいことは無いだろう。

 そもそも、その王とオーロラの立場がどのようになるのかもよく分からないのだ。


 


 謁見の間には、王と王妃と先ほどの王子が待っていた。

 王は、フロリモントをさらに派手にしたようななりだった。一段と大きなカツラ。濃い赤の衣装。そしてフリルと宝石と刺繍の量は息子の倍ではきかない。もちろんきっちり化粧もしている。比べて見ると、フロリモントの衣装はかなり簡素なものだった。外出着だからなのかもしれない。

 そして驚くべきは王妃の衣装だ。顔と同じくらいの高さに結い上げた髪に、さらにそれと同じくらいの高さのある髪飾り。ウエストは両手を合わせれば握れそうなほど細く、その下のスカートはトンデモなく広がっていて、周囲に人が近寄れそうにない。

 笑ってしまいそうになるのを押し殺してオーロラは胸に手を当てる礼をした。付き添いの者たちは跪いているので、顔が隠れるのがうらやましい。

「王子より話は聞いている。500年前に突然姿を消したバーラルの姫だと」

 王は感情のこもらない声でそう言った。隣の王妃は冷たい表情でこちらを見ている。

「どうやらそのようです」

 オーロラにとっても別に確信のあることではないので、少し首をかしげながら答えた。

「そのようですって。其方が王子にそう言ったのではないですか」

 王妃は険のある口調を隠すつもりも無いようだ。

「バーラルの領主の娘であることは確かですが500年も前に急に消えたというのは仙女様に伺っただけですので、実感がなくて。その間ずっと眠っておりましたから」

「はっ、そんな言葉が信じられるものですか。どうせ噂を聞いて息子を騙そうとしているんでしょう」

 王妃は敵意全開だ。

 オーロラは、つられて戦闘モードになりそうになるのを必死にこらえながら、言葉を選ぶ。とはいえ、ちょっと慇懃無礼になってしまうくらいは仕方ない。

「まあ、どんな噂でしょう。わたくしたちは眠っておりましたから存じ上げませんわ。それに、フロリモント様を騙してなにかいいことがございますのかしら?」

 王妃の手の中で扇子が軋んだ。

と、突然。

「ほんとーだよ。ね、オーロラちゃん」

 すっかり聞き慣れてしまった間延びした声が響き渡ると、あたりにキラキラとしたエフェクトがかかり、その中からオーロラにとっては見慣れた年齢不詳の美女が現れた。

「ごめーんね。最近、人間ちゃんがめんどくさいから、なんか仲間の子たちがあんまりこっちこなくなっちゃってるのよ。でもね、わたしたちには、500年や千年くらい時間を止めてちょいちょいっと眠らせるくらいは簡単なの。ええっと。もうちょい正確に言うとオーロラちゃんを眠らせてから、512年と8か月ね。信じられないかなぁ♡」

 王妃はあまりのことに開きかけた口もそのままに目を見開いて仙女を見ている。

 かろうじて立ち直りの早かったのは王の方だった。

「お待ちください。しかし今では私がこの国の国王です。いきなりバーラルの王と言われても認めるわけにはいきません」

「んー、それは別にいいんじゃないかな。オーロラちゃんのパパって。えっとね。あの子にもわたしの加護をあげてるから、ちっちゃいころから知ってるけど、もともとあんまり欲がなくて王とかしたくない子だったのよ。それに、一応眠る前に聞いたの。オーロラちゃんだけを眠らせるか、一緒に眠るか。そしたら、目覚めたオーロラちゃんを守ってあげたいから、全部無くしても一緒に眠るって」

「でしたら、一貴族として受け入れるということでよろ」

「あ、じゃあ。城と森があの子たちの領地ということで」

「え、あ、いや、しかしあそこは王都にも近い重要な」

「だって、今まで人が入れなかったところだよ。重要も何もないじゃん。しておいてくれるよね? ね?」

 仙女の杖が王の首に突き付けられている。

「あ、ええと、そうですね。そのくらいでしたら」

 王は、冷や汗を流しながら後ずさるが、杖はピタリと首に突き付けられたまま。

「じゃあ、この場で誓っておいてもらおうかな。あとになって聞いてないとか言われると困るし」

「誓いですか」

「うん、仙女に誓って」

「え、それはもしや違えると雷に打たれるという」

「そうよぉ」

 リラがにっこりと笑う。

「伝説ですよね」

「あら、仙女が本当にいるのに誓いは伝説だと何故思うの」

「うう……」

 口ごもる王に仙女はにっこりと笑いかける。

「なにか問題ある。別にないでしょう。ほら誓って、仙女リラの名にかけて」

 そして、きっちりオーロラたちの立場を認めさせると、仙女様は振り返りこちらに手を振る。

「また、遊びに行くね~」

 意図的に親しいことを強調して釘をさしているのか、天然なのかよくわからないが満面の笑みでキラキラと消えていった。



 仙女リラ様の強権でオーロラたちの立場は無事守られることになった。

が、それなりの時間になってしまったので、さすがにこれから森へは戻れない。一泊して戻ることになり、オーロラたちは客室に案内された。

「疲れたわ。お湯はないのかしら」

「聞いてまいりますわ」

 出て行ったベルトはしばらくすると大丈夫だと戻って来た。

やがて、先ほどの侍女とは違うもう少し若い娘たちが、大きな壺とリネンを持って現れた。

「こちらに置いておきます」

 オーロラとベルトは思わず顔を見合わせた。

 これでは体は洗えない。

オーロラは、めんどくさいから、もういいかしら。とも思ったがベルトは立場上そうもいかなかったようだ。

「あの、お湯をつかいたいとお伝えしたつもりだったのですが、これは?」

 侍女は少しめんどくさそうに。

「はい、ですから、体を拭くお湯です」

 横柄な口調にベルトの眉間にまた皺が寄る。

「はい? お湯を浴びるのに、その洗面器でしろと? それとも部屋を水浸しにしろと? もちろん、ご用意いただけないというなら、それは仕方ありませんが、それならそうとおっしゃっていただければ、そのつもりでおりますのに、先ほどはご用意いただけるとおっしゃっていたではありませんか」

 城の侍女は不審そうに聞いていたが

「お湯を浴びる……?」

 目を見かわして首をかしげている。

 ピキリッ。ベルトのこめかみに

「あなた方はわざわざ馬でここまでおいでになった姫様に風呂も使わせないおつもりですか! きちんと浸かれるように浴槽とたっぷりのお湯を持ってきてください。姫様はお疲れなんです」

「え、風呂?」

「お湯につかる?」

 侍女たちが本気で不思議そうに声を上げた。

「あたりまえでしょう」

 侍女二人は困ったように顔を見合わせた。

「そんなものありませんけど」

「あなた方にはなくても貴い方が毎日湯に浸かるのは当たり前でしょうが!」

 その時、扉が開き、控えの間にいたあの侍女が入って来た。

「どうしたのです。騒がしい」

「侍女長様。この方が、お湯を浴びたいとおっしゃって」

 あの侍女は侍女長だったらしい、彼女はきょとんとこちらを不思議そうに見た。

「お湯を浴びる?」

 本当に戸惑っているように彼女はしばらくこちらの様子をうかがっていたが、やがてはっとしたように手を合わせた。

「あ、そういえば、古い時代にはそういう習慣があったと聞いたことがございます。もしや、お客様のお国では今でもそうなのですか」 

 今度はオーロラたちが絶句する番だった。

「え、今はお風呂が無いの? 体を清めたいときはどうするの?」

「普通に絞ったリネンで清めさせていただきます。湯を浴びる習慣はたしか病の原因になるからと廃れたと聞いていますが」

 オーロラは青ざめた。

「え、まさか。この国では誰もお風呂にはいらないの」

「はい」

「王様や王妃様も」

「もちろんでございます。はしたないことですから」

 もしかして強烈な香水の理由は……。

 オーロラとベルトはじっと顔を見合わせる。

「わかりました。勝手を言って申し訳ありませんでした。ありがたくそちらをお借りします」

「いえ、こちらこそ。ご希望に添えずに」

 あくまでも、理由が分かれば理性的な二人ではある。

 しかし、侍女二人を先に出させた後、侍女長は一人戻り。

「あの、そちらのお国では皆様お湯をつかうのですか。病気になりませんの」

「皆ではございません。高貴な方だけで、貧しいものはときどき水浴びをする程度です。ですが、主様方も姫様ずっとお元気ですよ」

 侍女長はちらりとオーロラを見やるとあわてて目を伏せ。部屋を出て行く。

 風呂は使えなかったが、寝台は椅子と同様、寝心地が良くて幸せだった。



 目が覚めると、見慣れないドレスが用意されていた。どうやら着替えを手配してくれたらしい。

 差し出されたのはなんだかやけに小さい胴着ととんでもなく広がったスカートのドレスだった。

 胴着は細すぎて、成人女性がとても着られそうにはない。

「これ、子ども用ではないの?」

 嫌がらせかしらと思いながら尋ねると、城の侍女は目をまるくして大げさにおどろいてみせた。

「いいえ、王妃殿下の昔のお召しものですわ」

 言われて見ると、あの腰の細さならはいるかもしれない。

「貴婦人ならこのくらいは普通です。まずはコルセットできちんと締めていただけば」

「コルセット?」

 侍女の取り出したのは、なにやら布を分厚く縫った女性用の鎧のようなものだった。

 仙女様は安全な時代だと言っていたけれど、貴婦人も鎧を着なければいけないくらい危険なのかしら。

 連れてきた侍女のベルトに視線をやると、彼女も不審そうにその子どもの胴体のような布の塊を見ていた。

「いったいなんですの?」

「まあ、コルセットをご存じない!」

 城の侍女たちは大げさに声をあげると、嫌な笑いを口元に浮かべた。

「いままでどんなお育ちをしていたのかしら」

 腹はたつが、押し問答をしていても仕方がないので、言われるがままに袖を通して背中を向ける。と、

「ぐぇっ」

ものすごい力で紐が引き絞られた。ベルトが侍女を引きはがした。

「無礼者! 姫様になにをするのです」

「そちらこそ何をするのです! 乱暴な」

「乱暴なのはそちらでしょう。そんなどうみても拷問具をだしてきて」

「ごうも……。コルセットなんだからきつく締めるのは当然でしょう! きちんとした貴婦人なら子どもの頃からコルセットを締めて育ちますから、そんなだらしない腰はしていません」

「はあっ! 姫様以上に貴い方がどこにいるっていうんです」

 侍女たちがエスカレートしてきたせいで、オーロラはかえって落ち着いてしまった。

「あの、もしかして、この国の貴婦人はみんなこんな苦しいものを身に着けてらっしゃるの? まともに息もできないと思うのだけど」

「息くらいできます」

「でも、走ったりしたらすぐ苦しくなりそうだし、すぐ気絶しそう」

「走れない?」

「すぐ気絶?」

 侍女たちの表情が変わる。 

「え、それは。でも貴婦人が走る必要はないし……」

「やはりそうなの。まあ、そんなものつけていたらそうなるわよね。あなたがただって、けっこう締めているのでしょう」

 オーロラは視線が侍女たちの腰の辺りに落とし、気の毒そうに眉を下げた。

「お仕事をしなければいけないのに、それでは苦しいのではなくて。……、あ、でも、それはあなた方がしたくているのよね。確かにとても素敵よ。でも、わたしには無理そうなの。昨日のドレスを持ってきてくれる」

 侍女の一人がそっと自分のお腹の辺りを抑える。もう一人も死んだ目をしていた。言葉に出さなくても、二人は苦しいです。と言っているように見えた。

 こうしてオーロラの初の500年後訪問は終わった。

 特に引き留められることも無かったので、部屋で朝食をとったあとはさっさと引き上げる。

 ちなみに、朝食は。

 層を成した、バターの香り高いパンと、ほろ苦いなにかをミルクと合わせ甘味を加えた飲み物で、どちらも大変美味だった。

 


 城に戻ったオーロラは、心配して待っていた両親に外の様子や王との話し合いを報告した。

 リラもちょろりと現れて、心配ないと太鼓判を押してくれる。

 とりあえず、城の若手を何人か宮殿や街に送り、より詳しく状況を探りつつ、しばらくのんびり暮らそうということになった。

 暮らしの方は、眠りについたのが収穫の後だったので一年分くらいは備蓄もあるし、仙女のおかげで、豊かな森が彼らのものなので、まあなんとかなるだろう。

川や泉もあるし、木の実や果物、食用や素材になる動物もいる。売ればそれなりの価値が付くものもあるようだ。

 外と関わるのはちょっとめんどくさそうだが、いい具合に森に囲まれているので、最低限のやり取りだけでいいだろう。



 そんなある日、意外……でもない来客があった。

「急に帰ってしまわれたので、なにかあったのではと心配で」

 子犬のような目をしてオーロラを見つめているのは、あのフロリモント王子だった。

「べつに特に何もありませんわ。お話合いも終わりましたし、あまり長く滞在してもご迷惑かと」

「ですが、求婚のお返事もいただけないまま、わたしに何も言わずに居なくなってしまわれて、もしや何か失礼なことをしたのかと」

 あ、忘れてた。そういえば求婚されてたっけ。

 と思ったのは面には出さず。

「ああ、そのことでしたらお気になさることはありません。口づけ一つで結婚を迫るようなことはいたしません。どうやらそちらの国での女性の美しさの基準にわたしはそぐわないようですから、無理せずに……」

「あなたがいいんです。一目ぼれだったんです」

 王子が悲痛に叫ぶ。

「あの、でもわたくし。あのコルセットとかいうのも無理ですし、香水の匂いも苦手ですの。それに、お風呂に入れないのもちょっと」

「だったら、わたしもですっ。女性のあの細すぎる腰が気持ち悪くてダメなんです。仙女様にあなたの幻を見せられた時、今まで出会った中で一番美しい方だと思いました。それに、馬に乗る姿もりりしくて素敵ですし、けっこうはっきりおっしゃるのも。その、とても好ましいと」

「でも、そのわたくし、昔の女なので男性のお化粧もカツラもちょっと苦手で」

 王子は勢い込んで続けた。

「なら大丈夫です。実はわたしは派手な衣装が苦手なんです。カツラも化粧も香水もほんとは身に着けたくありません。着るものは飾りのないシンプルなものが好きです。香水も苦手です。古典や歴史が好きで、姫の時代の話が大好きなんです。こちらのお城を見たときは夢みたいだと。それに風呂とか、ものすごくあこがれてました。そのせいで変わり者だと噂になったくらいに。私ではダメですかっ!」

 オーロラはちょっと引いてしまった。

「それ、わたしというより、わたしの時代がお好きなのでは」

「そ、……、それもなくはないです。でも、あなたに惹かれたのは本当なんです!」



 かくしてフロリモントは王位継承権を放棄して、オーロラの元に婿入りすることになった。

 そして、意外と隠れた同好の士は多かったという彼の発案で、訪れた人が中世風の生活を楽しめる宿として城を公開することになった。

 客は500年前のコスチュームを身に着けて城と森を散策し、湯舟で汗を流してから500年前風の料理に舌鼓をうつ。

 これは、コルセットに飽き飽きしていた貴婦人や、風呂に魅せられた貴族に大人気になった。

 といっても、実は料理は王子の城の料理人を招いてメニューをアップグレードしてあったし、城内にある椅子やベッドは最新式のふかふかのものになったりはしている。

 ちなみに、あの侍女長はじめとする侍女たちも風呂とコルセット無しの一日を堪能して嬉しそうに帰っていった。

 それから、なんとお忍びで王や王妃も……。

 どうやら最近、コルセットを着ないドレスも流行し始めているらしい。コルセットが無いとスカスカして落ち着かないという層も王妃を筆頭にけっこういるらしいので、まだ一部ではあるが。

 オーロラは幸せだった。

 なにしろ、カツラを脱ぎ、化粧を落とし、バーラル風の衣装に着替えた王子は、けっこうオーロラの好みの顔立ちだったのだ。ちょっと体形がと思っていたのも、森の中を案内して歩くからか、年ごろのせいか、ひょろっとしていたものが厚みも出て随分としっかりしてきた。声は元々好みだ。

 そしてそれは、どうやらフロリモントの方でも同じらしい。

 時々、遊びに来る仙女リラが、そんな二人にドヤ顔を向けてくるのがちょっとめんどくさいが。

 まあそのくらいは我慢できるくらいにはみんな幸せだった。

時代考証はストーリーに合わせてますので、ザルです。

気になった方は、すみませんでした。

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