第4話 はい喜んでーっ!!
「この迷宮を、俺の好きに……? ははっ、なに言って――」
何度考えてみても、信じ難い提案だった。だが、口元が勝手に緩む。もしや、という期待が本能を強く刺激していた。
そんなハルトの心情を知ってか、クロエはさも残念そうに語り始める。
「ここは私が封印された場所でね。復活するには、今一度この迷宮を運営する必要があったのだけれど……その様子だと、諦めるしかなさそうね」
「えっ、運営? ちょ待って!? もっと話を――!?」
「あぁっ、残念だわ! あなた程の逸材を逃すことになるなんて……! ――さて、私の存在を知ってしまったあなたはどうすべきかしら……」
演技めいた口調から一転。クロエの目が鋭く細められる。真剣な視線がハルトを貫いた。
生唾を飲み込むハルト。背筋に冷たい汗が滴る。
クロエは考える素振りを見せた後、手をポンと叩いて告げた。
「うん。悪いけれど、口封じの為に消えてもらうわ」
それは、実質上の死刑宣告であった。
「今までの数々のご無礼をお許しください魔王様ァァァァァ!! なります、なりますッ! あなた様の配下に喜んでなりますぅッ! だから殺さないでくだしゃいぃぃぃぃっ!!」
ハルトは反射的に、即座に態度を翻した。
(――ハッ!? つい反射的に!?)
惨めなまでの卑屈さと情けなさに、内心頭を抱える。だが、死んでしまえば大好きな迷宮探索はもう二度とできない――それだけは絶対に避けたかった。
「そ、理解が得られて嬉しいわ。ネモ、縄を解いてあげて? お茶とお菓子の用意もね」
「ぷぶっ……わ、分かったぜ」
クロエが満足げに口角を上げ、手を二回叩くと、何故かそれに応じる声があった。
「……え? モネイ、商会長?」
玉座の後ろから颯爽と現れたのは――〈アラカセギン商会〉の長とそっくりな、淡い緑髪の麗人だった。
魔族の特徴である二本の角を頭に持ち、見た目は二十代中ごろ。白シャツに黒手袋、スラリとした体躯が映える装いだった。
彼女は指でタイを緩め、丸眼鏡を押し上げると、カツカツとヒールを鳴らしながらハルトに歩み寄る。
「な、なぁ。あんた、もしかして……」
「ちょーっと待ってろよ~、今ほどくから」
優しく言葉を被せながら、ネモが鼻歌混じりに縄をほどき始める。
「ほい、お兄さんはもう自由だ」
「ご苦労様、ネモ」
縄解きは思いのほかアッサリと終わった。
解放感と共に訪れる逃走のチャンス。だが、魔王の御前だ。迂闊には逃げられない。その以前に、ハルトは女の正体が気になっていた。
(モネイ商会長と似てる……いや、瓜二つだ。でも角なんか無かったし……別人か?)
困惑しつつも頭を上げると、先程までは無かった小さな机が眼前に置かれていた。続けて、クッキーの皿が出される。
「ほれ、茶だ」
「あ、あぁ……」
ネモが用意したのだろう。茶葉の香りが鼻腔をくすぐる。
思考を一旦放棄したハルトは、差し出されたカップを受け取ると、そのまま口を付け――
「あ、美味しい――って違うだろッ! いくらなんでも話が旨過ぎるぞ!?」
そもそもの話、復活する為に魔王がわざわざ人間を雇うこと自体がおかしいのだ。
「危うく流されるところだった……! やっぱり、帰らせて頂きますぅっ」
危機感を覚えたハルトはすぐさま立ち上がり、その場から逃げようとした。
「あら、良いの? こんなチャンスを逃して。あなたの、だぁい好きな迷宮を好きに出来るというのに」
「うぅっ」
だが、魔王の方が一枚上手だった。弱点を的確に突かれ、ハルトの足が釘付けになる
『迷宮の知識と経験を活かせる天職さえあれば』――以前呟いた言葉が、現実味を帯びてくる。理性の防壁は決壊寸前だ。
「……た、確かに、惹かれるものは……ある。でも今は、冒険者稼業で忙しいんだ!!」
だが、同じ轍を二度も踏む訳にはいかない。ハルトは葛藤しながらも否定的な姿勢を取った。
「あら? それはおかしな話ね」
クロエが不思議そうに小首を傾げる。
「だってあなた、パーティを追い出されたんでしょう?」
「ふぐぅっ……!!」
不意打ちを食らい、ハルトは胸を押さえて膝を突いた。
魔王の誘いに、仲間に裏切られた悲しみが追い打ちをかける。だが、ここで折れる訳にはいかない。
「で、でもね? 俺にも色々と都合があるし……! それに、魔王様のお手を煩わせるのも忍びないなぁ、なんて……!」
内心では魔王への恐怖を叫びながらも、ハルトは必死に退散を試みた。
「この期に及んでまだ迷うの?」
するとどういう訳か、突然クロエが立ち上がり、ハルトに歩み寄ってきた。
ハルトの眼前に立ち止まるクロエ。遠目からでしか見られなかった容姿が、今はくっきりと見て取れた。
幼さを微かに残す十代後半の顔立ち。
白く透き通った肌に、宝石のような蒼い瞳が印象的だった。
後ろで結い上げた長い白髪は、松明の灯りを受けて銀糸のようにきらめいている。
背は高くなく細身で、中肉中背のハルトよりやや低い。
クロエはハルトを見上げると、悪戯っぽく微笑む。
「ハッキリしない男は嫌われるわよ?」
「ッ!?」
それだけで、ハルトの心臓は大きく跳ねた。
美しさもさることながら、男を誘うような黒装束が非常に目に毒だ。薄い胸や肩、お腹や太股――あらゆる部位から肌色が覗いている。
(――き、綺麗だ。てかなんだその服装!? 露出多すぎだろ……!?)
自然と、顔と胸が熱くなる。
男としての性に葛藤していると、突然クロエが額に手をかざしてきた。
「な、なにをっ」
「これは、あまり使いたくなかったのだけれど――」
困惑するハルトを他所に、クロエはそっと目を閉じ、囁くように唱えた。
「【記憶投影】」
その瞬間、ハルトの眼前に変化が訪れた。
「な、なんだ!? 空中に黒い何かが……!」
突如として浮かび上がる、黒い長方形の何か。黒一色の画面に色が入り、まるで生きた絵画のような光景が、音を伴って映し出される。
宿屋の一室で動く二人の男女の姿――それはハルトにとって、余りにも痛々しい記憶。
『 ハルト。俺達のサポートしか出来ないオマエは……クビだ』
「…………」
状況を理解できず、ハルトは呆然とした。
彼等は、ハルトの心に深い傷跡を残した元凶――かつての仲間達の姿だった。
『……ごめん、ハルト。私達はもう……終わりなのよ』
恋人からの離別の言葉。かつての仲間達が静かに去っていく。
その瞬間――ハルトの胸に、冷たい棘が突き刺さったような感覚が甦った。
「イヤァァァァッ! なんてもん見せんだァッ!? もう思い出したくないのにぃぃぃぃっ!!」
過去を暴かれたハルトは悶絶し、その場でジタバタと転げ回った。
「ふぅん……まともに話も聞かず退散、ねぇ……」
対するクロエは少しも悪びれない。それどころか、思うところがあるようだった。
「支援役はどの仕事でも大切なのに馬鹿だなぁ……で、金に困って、美人商人の依頼を請けたと……」
「なんでそれ知って――まさか……あんた、やっぱりっ!?」
魔族が知るはずのない情報に、ハルトの動きが止まる。
その視線の先で、ネモがニヤリと笑った。
「そうさ、あたしがその美人商人――〈アラカセギン商会〉のモネイってわけ。一緒に探索したんだからさぁ、もうちょい早く気付いてくれよな?」
あの時の男っぽい口調と容姿。それに今の言葉が加われば、もはや疑いようもない。
「いや、でも角が……!」
「あぁ、普段は魔族だとバレないように魔導具で隠してるんだ。これは魔界の――〈ボロモウケ商会〉製でな。あたしはそこの商会員」
そう言いながら、ネモはタイピンを軽く叩き、角を透明にしたり戻したりしてみせる。
「なるほど……〈聖教会〉が魔族を許すはずないもんな」
「そーゆーこと。あいつら、マジでネチっこいだろ? バレるの面倒だから、一応警戒してんの」
「いや必要ないだろ……お前等、人間より遥かに強いじゃん」
人間と魔族の間には、身体能力も魔力も圧倒的な差がある。並の冒険者では太刀打ちすらできないだろう。
だが、ハルトはふと我に返る。
「……というか、俺はなんで縛られてたわけ?」
「逃げられたら困るし、万が一襲われたら面倒だしな」
「俺にそんな勇気ねえよっ!? 魔族なら尚更なぁっ!」
情けない反論をした途端、クロエが静かに手を打った。
「はい、そこまで」
それだけで空気が変わる。ハルトもネモも自然と口を閉じ、クロエに視線を向けた。
「ハルト……あれだけの光景を見せても、まだ〝忙しい〟と言い訳するつもり?」
「で、でもなぁ。なんでそこまで俺に――まさか、お前、俺に惚れて……?」
「ないわ。そんな可能性、微塵もね」
「グハァッ!?」
クロエの一言で、ハルトは膝から撃沈した
彼女は呆れ顔で黒い投影画面を消しながら言う。
「それでも、あなたの知識と実力は一目置いているわ。新しく設置した罠、ほぼ全部回避してみせたし」
「つまり、俺はテストされてたってわけか……!」
「正解」
クロエは満足げに微笑んだ。
「で、確認なのだけれど……今の貯金はどれくらい?」
「金貨五枚。どっかの親切な商会長さんがくれたやつだ。多少使ったけど、成功報酬がまだだからな。節約すれば、まだ持つさ」
肩を竦めて、ハルトが横目でネモを睨む。
「あぁ、前金のことか。だが残念――」
「……?」
「あたしはさ、一度も〝依頼完了〟とは言ってないぜ?」
「……え?」
ハルトの表情が凍る。記憶を探しても、確かに〝依頼完了〟などと言われた覚えはない。
「依頼は、まだ終わってない。むしろここからが本題だ」
ネモがクロエと視線を交わし、小さく頷く。
「あなたへの本当の依頼、それは――私の復活を手伝うことだったのよ」
「はあぁぁっ!? 聞いてないぞ、そんなの!!?」
ハルトが絶叫すると、ネモが肩を竦めてほくそ笑む。
完全に、魔王とその配下にしてやられていた。
「あぁクソッ、嵌められたぁ!! もう好きしろよおぉっ!!」
観念したハルトは、どさりと椅子に腰を落とした。
そんな彼に、クロエが穏やかな笑みを向ける。
「私はね……迷宮好きのあなただからこそ、ここを任せたいの。来る者すべてを楽しませる、〝娯楽迷宮〟の運営をね」
「…………エンタメ迷宮?」
「それが守れるなら、迷宮の構造をどれだけ弄っても良いわ」
「ま、まさか……この迷宮を、俺の好きに魔改造して良いのか……っ!?」
ハルトの身体が震え出す。クロエは目を細め、挑発的に微笑んだ。
「ええ。あなたの理想とする迷宮を、あなたの手で、ね……作りたいでしょう?」
「つっ、作りたいぃぃぃぃぃっ!!」
冒険者の両親と共に迷宮を巡り――罠・強敵・財宝・危険、その全てを愛してきたハルトのロマンが、今、爆発した。
「お、おのれ魔王っ! 俺の弱点を正確に突き、あまつさえ逃げ道まで潰すとは! 卑怯だぞ!!」
「でも……顔、にやけているわよね?」
「くぅっ! 迷宮好きな自分が恨めしいぃぃぃっ!!」
――つまりは、それはもう、愛でしかなかった。
「待遇はそうねぇ……七日働けば、金貨二十五枚」
「ニジュゥゴマウィ!?」
ハルトの目がギラリと輝く。一週間における最低限の生活費〝金貨二十一枚〟を優に超える給金だ。
「さらに、冒険者から奪った戦利品は給金に加算、住み込みで三食付き、湯浴みも完備」
「――ふっ、普通に冒険者するよりっ、遥かに高待遇だとォォォォッ!?!?」
その瞬間、ハルトの脳裏に過去の冒険生活がフラッシュバックする。
不安定な収入、ボロ宿、飯抜きの日々――それら全てを過去にできる、甘美な誘惑。
(迷宮天国……そして、そしてェッーー貧乏地獄からの脱却ぅぅっ!!)
これから訪れる至福の日々に、ハルトの顔が限界まで緩んだ。
「ぐふっ、グフフフフ……!」
「返事は聞くまでもなさそうね?」
「だな」
ネモと目を合わせ、クロエが小さく肩を竦める。
「それじゃ、先に伝えておくわね。今あなたが見ている私は、魔力で構成された幻体で、まだ完全に復活は――」
もはや外から聞こえる声は、ハルトの耳に届いていなかった。
(俺だけの迷宮! 俺だけの楽園!! 冒険者? 魔王? 知るかそんなもんッ!!)
魔王を前に逃走は不可能。生活費は必須、だが単独では稼げない。
この状況で導き出される答えはただ一つ――
欲望の波に流され、ハルトは立ち上がった。
「――はい喜んでーっ!! この超エリート冒険者のハルトにお任せをっ! 魔王様復活のため、最っ高に面白い迷宮を作ってやるぜェェェェッ!!」
そうして、詳細も聞かぬまま、ハルトは声高らかに依頼を請けたのだった。
ネトコン締切(2024/07/31)に合わせた連続投稿は終了!
次は8/3の夕方頃に投稿します! その日以降、可能な限り毎日1話投稿を心掛けますので、読者の皆さん、お楽しみに~!
※2025/04/16に大幅な改稿を行いました。