第1話 不穏な噂
日を跨いでしまった……申し訳ありません。
エンタメ迷宮の人気は以前にも増して上昇したようだった。
朝昼夕を問わず、腕自慢の冒険者達が財宝や強者を求めて次々と足を踏み入れてくる。それはもう、「守護者に休みなんか与えねえ!!」と言わんばかりにだ。
一日の挑戦者数は多い時で百は超え、十名以上のパーティが襲来する時もあれば、三~四人のパーティが寄せては返す波のように挑んでくることも少なくなかった。
果たして冒険者達の思惑は功を奏し(?)、ハルト達防衛要員は連日の防衛で疲労困憊に。
しかし、その甲斐もあり、冒険者達からしっかりとエモトロンや金品を回収することができたのだった――
「フヘッ……フヒヒヒヒ」
――そうして、迷宮運営に少しばかりの余裕が出てきたある日のこと。
共有スペースの一角で、酷くだらしない笑い声が上がった。
「いやぁ、良い物が揃ってて目移りしちゃうなぁ~!」
その主はハルトだった。
普段ならば防衛戦に出ている時間――にもかかわらず、長椅子の上で寝そべっている。休日を満喫するお父さんの如く、迷宮のカタログ本を読んでいる。それも、非常に締まらない表情で。
だが、別にサボっている訳ではなく――
「ふふっ、随分とご機嫌な様子ね、ハルト」
だらしなく寛ぐハルトの元へ、魔王クロエがふわりとやってくる。
その表情は柔らかく、怒声を浴びせるどころか、むしろ微笑んでいた。
その理由は至極単純――
「休日を満喫しているところ悪いけれど、少し頼みたいことがあるの」
今、この状況が魔王公認だからだ。
現状の忙しさでは、ハルト達が体を壊してしまう。そう憂いたクロエが、臨時ではない週二回の休日を設けたのだ。なので、現在迷宮内の全ての扉には鍵がかかっており、侵入者が訪れる心配はない。
それ故、クロエにハルトを怒る理由など微塵も無いのだが――
「ちょっと王都に行って、『冒険者転生』と『ニート魔王』の続巻を買ってきてほし」
「――なぬ!? ドラゴンやゴーレムまでも雇えるだと!?」
両手を合わせて、コテンと首を傾けたクロエの言葉が、ハルトの愕然とした声に遮られる。
「いやでも待て? 折角貯めてきた迷宮の資金がごっそり無くなるのは……しかし、男のロマンも捨てがたいっ……くっ、困った」
否、ハルトの鼓膜が妄想の壁に隔たれていて、その声は届きすらしていなかった。
己の迷宮欲をどのように具現化させるか、ひたすら妄想に耽っている。
「っ……ま、まあ良いわっ。また今度でもっ……ええ! 私的には死活問題だけれど許してあげるっ……!」
クロエにとって、暇潰しアイテムが手元に無いのは、砂漠にオアシスが存在しないのと同義だ。その手は、禁断症状でも起こしたかのように震えている。
だがしかし、そこですぐさま怒らないのが魔王クロエだ。
「か、代わりと言ってはなんだけれど……エンタメ迷宮の噂を払拭してくれないかしらぁっ……!!」
違った。
無視されたことを酷く根に持ちながら、必死に怒りを堪えている。
「近頃、王都で流れているらしいのっ。ねっ、お願い、ハルトォ?」
目尻がピクピクッと吊り上がる中、クロエは強引に作った笑顔で頼んだ。
迷宮に関係する仕事ならば引き受ける筈――という、深い信頼があったのだ。
「――あぁヤバッ、妄想が止まらん! こんなに捗るのも、他の冒険者が金落としてくれてるおかげだよなぁ! アハハハハ!!」
だが、その思惑は眼前で上がった上機嫌な声に打ち砕かれた。
どうやら、妄想の迷宮に囚われ中のハルトを引きずり出すには至らなかったらしい。
「皆! 俺の迷宮欲の糧になってくれてありがとうっ!! 迷宮万歳っ! イェーイッ!」
「ふぅん、あくまで妄想に耽るというのね。そう――」
クロエの表情から怒りの感情が消えた。
次の瞬間、魔王としての権限を遺憾なく発揮する魔法の言葉を、淡々と口にした。
「今月と来月の給金を私の書籍代にするわ」
「――ハイィィッ、何でしょう魔王様ぁぁぁぁっ!!? このハルトめに、なんっなりとお申し付け下さいッ!!」
「そう、それでこそハルトね。偉いわ」
言葉の強制力には抗えず、ハルトは即座に十八番の土下座を繰り出していた。
まさに魔王……否、鬼畜の所業か。
ビクビクと借金取りに怯えるように震え上がるハルトの姿に、クロエは満足そうな顔で頷く。
「そ、それで、俺はいったい何を……? やっぱ、本を買えば良いのか? いや、大穴狙いで下着か!?」
「ハルトが履きたいなら買いに行きなさい。って、そうではなくて……最近、この迷宮に関する嫌な噂が王都で流れているらしいのよ」
対面の長椅子に座ったクロエが、「聞いたことは?」と真面目な顔付きで尋ねると、ハルトは首を振った。
「いや、ないな。どんな噂だ?」
「『〈祭魔山〉の迷宮に魔王が居る』という噂よ」
「なんだって!?」
聞かされた噂の内容に、ハルトは驚愕のあまり顔を上げた。
「さっき、〈アラカセギン商会〉の仕事から帰ってきたネモに報告を受けたの。出所は不明らしくてね。商会の部下にそれとなく調べさせているみたい……それで、あなたには噂の火消しをして欲しいの」
「火消しか。でも、なんたってそんな噂が……いや実際、その通りなんだけどさ」
その噂の内容に危機感を覚え、ハルトは腕を組んで思案する。
(まさか、迷宮に挑んだ冒険者が負けた腹いせに流布した……? 神託の件もあるし、広まる可能性もなくはないけど、そんな異端者を〈聖教会〉が看過する筈ないし……)
噂の真偽がどうであれ、魔王が居るかもしれない迷宮に、進んで足を踏み入れる冒険者がどれほど居ようか。
否、居てもごく僅かであろう。それが、〈残虐の魔王〉の恐ろしさを知る王国の者なら尚更だ。
「私が、魔王がいる事実だけは何が何でも隠し通したい。迷宮に来る冒険者には純粋に楽しんでもらいたいし、何より〈聖教会〉に目をつけられると厄介極まりないから」
「クロエ……」
魔王に対する恐怖心を利用したエモトロン収集を、当のクロエは嫌っている。先程、クロエが〝嫌な噂〟と形容した理由がそこにある。
憂いと面倒さが混在したクロエの顔を見たハルトは、
「分かった。任せてくれ」
気付けば、そう口にしていた。
その返答が意外だったのか、クロエが目を丸くする。
「……良いの? 休日は邪魔するなって、以前言っていたでしょう」
「か、勘違いするなよ? 俺はただ、エンタメ迷宮を楽しむ機会を失いたくないだけだっ」
腕を組み、ハルトは照れくさそうにそっぽを向いた。
ハルトの耳が真っ赤に染まっているのを見て、クロエは笑みを溢す。
「ありがとう。それじゃあ、頼めるかしら」
「あ、ああ! さて、どうするべきか…………」
ハルトは、そのまま暫し目を瞑った。
人の口に戸は立てられない。となれば、方法は一つと、ハルトが目を開く。
「――よし、迷宮の看板に『まおうの迷きゅう(笑)』とでも書こう。子供の落書きみたいに! その噂で上書きすれば、誰も噂が真実だなんて思わない筈だ」
「! 成程ね……確かにその方法なら、冒険者か村の子供の悪戯と思われるかもしれないわね」
「だろ?」
すぐに打開策を口にしたハルトに、クロエの顔が驚き一色で染まる。
広まった噂を止められないなら、その内容自体に変化をもたらせばいい、という考えだ。
「落書きの内容に、若干の不満があるけれどね」
「良いだろ別に。それとも、他に案が?」
「いいえ。でも、よく思いついたわね」
「これくらい、誰でも思い付くって」
ハルトが、「昔、似たような依頼を受けたこともあったしな」と肩を竦める。
大したことなさそうに言ってのけるものの、その対応力にはクロエが目を見張るほど。これも冒険者の経験がなせる業なのだろう、と素直に感心するレベルだ。
「今、落書きするのはヤバいから夜にするとして、嘘の噂の方は明日以降に王都に行った時にでも広めておくよ」
「それで構わないわ。流石は超エリート冒険者のハルトね?」
「ふははは! この俺の手腕に恐れおののいたか!」
落書きの件を作業員に頼もうと立ち上がったハルトは、気分が良いまま部屋のドアノブに手を掛けようとして――
「おい皆! 重大発表がある!!」
「ほぐっ!?」
「あら」
直後、唐突に開いたドアに頭をぶつけてぶっ倒れたのだった。
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