第2話 枯れ迷宮の探索
「――それじゃ、そろそろ聞かせてもらおうか」
モネイと出会った翌日。
馬車の荷台で揺られながら、ハルトは正面にいる女に問いを投げた。
「もう報酬の話か? 欲張りだなぁ、金貨五枚で即答したくせに」
肩を竦めるモネイは、他に乗客がいないのを良いことに、妙にリラックスしている。
「前金どーも! 風呂も飯も助かりましたぁ! でも、そうじゃないっ!」
「まだ不満か? 前金も払ったし、身なりも整えてやったろ?」
「あんた、わざと誤魔化してないかっ……?」
半目で睨むハルトに、モネイはどこ吹く風で楽しげに鼻歌まで口ずさんでいた。
(なんか軽いんだよなぁ。掴みどころがないっていうか……まぁ、胸はあるけど)
わざとらしく顔を逸らすモネイに、ハルトは溜息を吐いて続ける。
「俺が聞きたいのは――なんで商人のあんたが、あんな辺境の迷宮に潜りたいのかだ。あそこは随分前に探索され尽くして、宝なんかもう残ってない筈だ」
その問いに、鼻歌を止めたモネイは荷台の床に視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「……期待してるから、かな」
「……えっと、何に?」
「ある重大な仕事を――やっと……やっと、再開できるかもしれない――そんな希望に」
「そ、そうなのか。良かったじゃないか」
淡々と、しかし妙に重みのある口振りだった。
(話が通じてない、わけじゃなさそうだ。訳アリか……?)
拳を握るモネイの目に浮かぶのは、まるで執念にも似た強い光。
それは――希望に執着し、成功を渇望する者の眼だった。
(生活費目当てで引き受けたけど……こりゃ失敗だったかもなぁ)
ハルトは外へと視線を向ける。青空に漂う雲は、どこまでのどかだった。
(――いや、当たりハズレなんて関係ない。迷宮が好きだから行くんだ)
◆◇◆
それから馬車に揺られること、約二時間。二人は迷宮付近の村に到着した。
「うし、ここからは徒歩だ。遅れんなよ?」
そう言い、馬車を降りて勝手に歩き出したモネイを、ハルトは慌てて引き留める。
「ちょ、待てって! 俺が先行する。魔物と遭遇するかもしれないだろ」
「おっと、そうだったな。だが、大丈夫か? 弱いんだろ?」
「いざとなったら全力で逃げるから、そのつもりで頼む」
「ははははっ! 清々しいまでヘタレ発言だなぁ!」
モネイが豪快に笑い、ハルトの肩をバシバシ叩く。
しかし次の瞬間には、妙に落ち着いた顔で言った。
「ま……多分、平気だと思うがな」
「……はぁ?」
その余裕と自信の根拠は何なのか――ハルトはすぐに知ることとなる。
「やばっ!? フォレストウルフの群れだ……!」
雑草の生い茂る森を北に進んでいた二人は、早くも魔物の群れに遭遇した。ハルトは慌てて茂みに身を隠す。
「おぉー、あいつらの毛皮はそこそこ売れるぜ? 貧乏冒険者くん」
モネイは丸眼鏡を押し上げながら、何故か立ったまま呑気に語る。
「……よし、狩るか! ――って無理に決まってんだろ!? 死ぬわ!」
思わずノッてしまった自分にツッコミながら、ハルトは回れ右をする。
だが、その声がまずかった。
「「グルルルル……」」
背後から唸り声が響き、振り返ると、数匹の狼が牙を向いていた。
「やべぇ気付かれた!?」
「なに焦ってんだ?」
「逆になんで冷静っ!?」
モネイは変わらず呑気していて、焦るハルトは裏返った声と涙目で再度ツッコミ。
対照的な二人に、狼達は唸りながらにじり寄り――
「「!?」」
唐突に、唸り声が止んだ。
ほんの僅かな静寂。
狼達はモネイを凝視し――次の瞬間、震え上がって情けない声を上げ、逃げ出した。
「……あるぇ?」
「ありゃ、逃げちまった。こりゃ残念」
残念と言う割には、モネイの表情には感情の色が見えなかった。
(今……モネイを見た瞬間に逃げた……? 気の所為か?)
モネイが腕が立つようには見えず、ハルトは魔物の行動を偶然だと思い込もうとした。
だが、その後も遭遇した魔物は全て逃げていった。
三度も。とても偶然には思えない。
(……何が起きてるんだ?)
◆◇◆
一時間近く森を歩き続け、ようやく岩山に口を開けたような迷宮が姿を現した。
「つ、着いたぁ……潜る前から、なんか疲労がっ……」
「おいおい、これからが本番だぜ?」
「探索は別腹だから! へーきへーきっ! でも、ちょい休憩っ」
ハルトは地面にどかっと座り込む。既に疲労困憊だ。
対照的に、息一つ乱さないモネイの姿はやけに目についた。
「……てか、あんたは疲れてないのか?」
「体力がなきゃ商人は務まらないんでな。あとはまあ、こいつのおかげかな?」
モネイが中指の指輪を掲げてみせる。
「魔除けの指輪か?」
「まさか、魔物が逃げ出すほどとはな」
モネイは肩を竦め、やや芝居がかった笑みを浮かべた。
(でも、魔除けってあんな効果てき面だったか……? まるで身の危険を感じ取ったように見えたぞ)
不自然なほど魔物に対して冷静なモネイの態度に、ハルトの疑念は膨らんでいく。
(本当に、ただの商人なのか……? 気になるな)
「どうかしたか?」
「……いや、なんでもない」
モネイの笑顔に、ハルトは反射的に視線を逸らし、目的の迷宮へと目を向ける。
岩肌が口を開けたような洞窟——
それが〈祭魔山〉の〝枯れ迷宮〟だった。
山は国境における天然の要害だが、最北端で王都からは遠く、宝も疾うの昔に尽きて、その存在は半ば忘れ去られている。
(昔、父さん達と来たっけか。ほんと、何も変わってない)
子供の頃の思い出が脳裏を過ぎる。だが、今は感傷に浸っている時ではない。
「確認するけど、マジで一緒に潜るだけなんだな?」
「ああ、二言は無いぜ」
「分かった、少し時間をくれ」
探索に備え、ハルトは装備の点検を始めた。剣の刃こぼれや柄の状態、罠解除に使う工具の緩みなど――細かくチェックしていく。
「何してるんだ?」
「見ての通り、点検だよ。冒険ってのは常に命懸けだからな。点検を怠ったり、装備をケチる奴が居たら、そいつは冒険者じゃない。命知らずの阿呆だ」
実際は出発前にも点検済みだが、念には念を入れて損はない。しかし、使い始めてもう五年以上は経つ。そろそろ替え時かもしれない。
「超エリート冒険者の一家言……本にしたら売れないかな」
「いや誰得だよ。さてと――」
最終確認を終えたハルトは装備を整え、松明を火を灯す。
「んじゃ、行きますか。ちゃんと指示には従ってくれよ? 商会長様」
「了解、お手並み拝見といこうか」
モネイに背を預け、ハルトは迷宮の中へと足を踏み入れた。
ひんやりとした空気が頬を撫でる。足元に広がる粗く削れた岩肌を、陽光と松明の灯りが無理やり闇から引き剥がしていた。
通路は他の迷宮と比べてやや狭いが、戦闘するには充分な幅がある。
「……とはいえ、枯れ迷宮だからな。そこまで警戒しなくても大丈夫だと思うんだけど」
「ほうほう。それはまた何故?」
キラキラとした目で顔を覗き込んでくるモネイに、ハルトは呆れたように溜息を吐いた。
「……まさか、枯れ迷宮の意味も知らずに依頼したのか?」
「知ってるぜ? ヘタすりゃ、お前よりもな」
「はぁ?」
意味不明な返しに眉をひそめるハルトに、モネイは笑いながら続ける。
「でもさ、生の声って貴重だろ? なんたって超エリート冒険者様の解説だもんな~。ぜひ聞かせてくれると有り難いんだが……?」
「っ……!」
露骨すぎる煽り。実にわざとらしい。
だが――
「しょ、しょうがないなぁ~! この俺が〝枯れ迷宮とは何たるか〟を教えてやろうじゃないか!」
「よっ、待ってましたぁ!」
まんまと乗せられていることには、ハルトも気付いていた。それでも語らずにはいられなかった。迷宮について熱く語れる機会など、ここ最近はまるでなかったのだ――つまり、仕方ないのだ。
「まず迷宮ってのは、有史以来――あるいは、神代の遺構とも言われててな。洞窟型、地下型、塔型……罠や財宝の配置に、その時代の文明や思想が色濃く出てるんだ!」
「ふむふむ」
モネイが黙々と手帳に走り書きを始めたのを見て、ハルトの語りは更に熱を帯びる。
「たとえば罠ひとつとっても、単なる防衛手段じゃない。素材の選び方、誘導の仕方、設計思想――その全部が、迷宮創設者の哲学なんだよ!」
「おおっ、なんか職人っぽいな~」
「そうなんだよっ……あと、迷宮の正体には諸説あってな? 滅びた古代都市の残骸とも、神の気まぐれが産んだ箱庭とも考えられててだなぁ――!」
己を曝け出せる久々の機会に、ハルトはすっかり悦に浸りきっていた。好きなことを語る高揚感が、全身を支配していた。
――だからこそ、見落とした。
普段なら、喋りながらでも気付けた筈の〝違和感〟に。
カチッ。
「……カチ?」
音の正体に気付く前に、空気が裂けた。
左の土壁から、何かが音もなく飛び出す。
ヒュンッーー!
「…………ふぁ?」
鼻先を掠めた風――それは鋭い矢だった。壁に突き刺さった矢羽根を視界の端に捉え、ハルトは鼻へ手を伸ばす。
指先に、赤いものが触れた。
それは、ほんの数滴の血。だが、それは充分過ぎるほどの衝撃があった。
「おーい、大丈夫か?」
「少しチビった――じゃなくてっ! いま死にかけたんだぞ!? 平気なわけあるかぁ!」
どこか他人事のような声を浴びせてきたモネイに、ハルトは感情を爆発させた。
(……あと半歩踏み込んでたら、今頃――)
脳裏に最悪な結末が過ぎり、思わず生唾を飲み込む。全身から血の気が引いていき、同時に胸の奥からジワリと込み上げるものがあった。
しかし、今の最優先事項は仮定の話ではない。
今、この迷宮で罠が〝作動した〟という事実そのものだ。
「くっ……なんで罠があるんだ!」
ハルトは狼狽えたように口走った。
「宝も、罠も、全部枯れ果てたからこその〝枯れ迷宮〟なのにっ!」
「成程。じゃあ、体を張ったデモンストレーションだったってことで――あんがと!」
「爽やかに流すなっ! こんなの普通じゃない……! 迷宮内部が勝手に復元されてるなんて、そんなの神代の迷宮ですら不可能なのにっ!」
「そんなものか?」
「そんなもんなの! ……ったく、村の連中がイタズラでもしたか……?」
本来、迷宮の内部構造や罠、財宝などが、自然に復元・修復することはない。もし仮にそれを可能にするなら、特殊な仕掛けや魔導具が必要になる――そして、そんな技術は今の時代には存在しない。
だとすれば、可能性は一つ――
〝人の手が入っている〟ということだ。
(なんにせよ……)
ハルトの口元が吊り上がる。
死の気配、張り詰めた空気。微かな音までも鮮明に響く――
(上等だ。この、肌がひりつく緊張感――これがあるから、冒険者は……迷宮探索はやめられないっ!)
ハルトは、心の底から昂っていた。
腰を落とし、視線を足元に這わせる。松明の火が揺れる中、地面の僅かな膨らみ――見落とした罠の痕跡が、そこにあった。
「こんな初歩的な罠を見逃すとか……一生の不覚だぁっ!」
「で、これからどうすんだ?」
「さっきまでと変わらない。罠を避けて進むから、後ろを付いて来てくれ」
モネイが静かに頷いたのを確認し、ハルトは再び一歩を踏み出した。
罠を警戒しつつ進むと、重厚な両開きの扉が現れる。
「見せかけじゃないなら――」
ハルトは扉を軽く叩き、耳を澄ませる。反響音で奥に続く道があると判断すると、力を込めて押し開けた。
その先は、細長い通路。磁器の床に、細く鋭い金属杭が隙間なく並ぶ。とてもそのまま進めそうにない。
だが、その上の空間には何も阻むものは無かった。
「これくらいなら飛び越えられそうだなっ」
「いや待て」
何故か自信満々に脇から進み出ようとしたモネイを、ハルトは声だけで制した。
(これは定番のアレだな……)
剣の切っ先でタイルを剥がし、杭の向こうへと放り投げる。
落下の衝撃で床が崩れ、黒い穴が口を開けた。
「おぉっ……!」
「やっぱりな」
「あの落とし穴によく気付いたな! どうして分かったんだっ!?」
モネイが感嘆としてハルトに詰め寄る。
「経験と勘だ。飛び越えられそうないかにもな場所は、逆に最も危険なんだ」
「ほほ~! 勉強になるぜ……!」
モネイは手帳に走り書きし、満足げに呟いた。
「……こりゃ、結構期待できそうだ」
「ん? なんか言ったか?」
ハルトが振り返ると、モネイは一瞬肩を竦めて、笑って誤魔化す。
「や、なんでもない。さ、どんどん先に進もうぜ!」
「お、おう……?」
違和感を覚えつつも、ハルトはそれ以上の追及はせず、持参した金槌で杭を破壊し始めた。
背後で、モネイが何かを含んだように微笑んでいることなど、知る由もなく――
その後も罠があったが、ハルトは次々にそれら看破し、時に回避し、時に破壊しながら突破していった。
そして、遂に迷宮の最奥へと辿り着いた。
「ここが最奥の間だった筈だ。依頼完了ってことでいいか、モネイ商会長?」
「ふぅ……収穫の多いな時間だったぜ」
眼鏡を押し上げながら、モネイが満足げに笑う。
今回は個人依頼なので、冒険者ギルドへの報告は必要ない。
だが――
「それで報酬の件だけど」
今更思い出したように、ハルトは依頼主に視線を向ける。が、当のモネイは手帳に没頭していた。
「……また何か書いてる訳ね。はいはい」
呆れつつ、暇を持て余したハルトは周囲を見渡す。
――そして、視界の端で何かに引っかかった。
「……玉座? こんなの、前来た時あったか……?」
壁際にポツンと据えられた玉座。幼少期の記憶には無かったものだ。
(俺の記憶違いか? 罠の復活も含めて、なんかおかしい)
疑念を抱きつつ、再びモネイを見る。依然として何食わぬ顔でペンを走らせている。
(まあ、今更か。これで依頼は終わりだしな)
思考に打ち切り、ハルトは気を抜いた。地べたに腰を下ろしかけた、まさにその時――
「――は?」
「よっと」
視界が反転し、体が宙を舞う。次の瞬間、背中を床に打ち付け、息が詰まった。
「ガハッ……!」
苦悶の声と共に倒れ込むハルト。
鈍い痛みに顔を歪めながら視線を上げると、相変わらず手帳に向かうモネイの姿が視界に映った。
「罠の看破能力は……まあ、最初以外は超一流。迷宮の知識も申し分ない。うん、これなら充分役に立つはず……っと」
ペンが走る音が、鼓膜の奥に響く。
「お……ま、え……っ」
かすれた声を絞り出すが、意識が朦朧とする。
そして、手帳を閉じる音が静かに響き――
「おめでとう、冒険者ハルト。お前は見事、選ばれた」
それを最後に、ハルトの意識は闇に沈んだ。
ネトコン締切(2024/7/31)に合わせ、18時以降と21時以降に1話ずつ投稿するぜ!!
※2025/04/16に大幅な改稿を行いました。