第1話 捨てる仲間あれば拾う人あり
彼の者は名をハルトといった。
平凡な顔からは想像もできぬほど卓越した冒険の手腕、
そして並外れた迷宮の知識と経験を以て、名立たる迷宮を単独で攻略し、
果ては、いにしえのドラゴンをも一太刀で屠り――――(いや、コレ俺じゃねえ! 夢だ、チクショウ!!)
……その翌日の昼。
「弱い弱い弱いって――そんなの、俺が一番分かってんだよぉぉぉ……っ!!」
王都の路地裏で、ハルトは地面に這い蹲っていた。それも、見るも無残な姿で。
黒髪は脂汗でくしゃくしゃ、その上をコバエが元気に旋回している。
――俺はできる男だっ! と豪語していた男の面影は、どこになかった。
別に追い剝ぎに遭ったわけでも、ギャンブルに負けたわけでもない。ただ単純に、支出に対して収入が少なすぎたのだ。
朝イチで冒険者ギルドに飛び込み、仲間を募集中のパーティに売り込んではみた――だが、返ってきたのは、門前払いのオンパレードだった。
『ウチは四人制でね、さっき埋まったとこなんだ』
『戦えないなら厳しいって。うちにお荷物を抱える余裕はねぇ』
ならばと、受付嬢に単独の依頼を尋ねても――
『現在の冒険者ランクだと、ゴブリン退治が――あ、無理ですよね。知ってます』
『迷宮での活躍は知っていますが……やはり薬草採取ぐらいしか……え、泣いています?』
良くも悪くも実力を知られていて、ロクな仕事さえ請けられない始末。
お情け程度に請けた薬草採取の報酬は、銀貨五枚――パンとスープで消える額だ。
安宿の宿泊費は倍の十枚(金貨一枚)。たったそれだけでも既に赤字だ。一日三十枚近く必要になるが、とても薬草採取の依頼だけでは賄えない。
「今日の食費すら稼げないとかっ……このままじゃ、確実に飢え死ぬっ……!!」
もはや、頭を抱えるしかないハルト。
「せめて、迷宮の知識と経験が活かせる天職が、どこかにあればっ……!」
だが、それは叶わぬ願いだ。迷宮とは〝探索〟するものであって、〝運営〟したり〝管理〟するものではないのだから。
「ああもう、とにかく金を稼がないと……!」
そうして、現状に焦ったハルトが立ち上がった、その時だ。
「きゃっ!?」
運悪く傍を通りかかった誰かと、体がぶつかってしまった。
「あっ、悪い! 怪我ないか?」
尻餅をついた女性に慌てて手を差し出す。その顔を見た瞬間、ハルトは思わず息を飲んだ。
「ああ、気にすんなよ。あたしも考え事してたしな」
(っ、凄っげぇ美人……! でも、口調はなんか男勝りだな……?)
ぶつかった相手は、淡緑の髪を肩口で束ねた麗人だった。彼女はニカッと微笑むと、薄汚れたハルトの手を躊躇なく掴んで立ち上がる。
「随分汚れてるな。お兄さん、冒険者か?」
「ま、まあ……ちょっと色々あってな。そういうあんたは?」
「あたしか? こう見えても商人なんだぜ」
「商人……?」
ハルトは、ニヤリと笑う彼女の姿をついまじまじと見た。
見た目は二十代半ばほど。黒のタイを緩めた白シャツ、黒手袋とスラックスを身に纏い、ヒールを鳴らす足取りも涼やかだった。スラリとした体型に洗練された気配が漂う。
丸眼鏡の奥、黄金色の瞳には――鋭い知性と、息を詰まらせるような威圧感が宿っていた。
「……とてもそうは見えないか?」
「あ、すまん! あまりにも美人だったもんで、ついジロジロ見ちまった」
「あぁ、気にすんなよ。なにもおかしくないなら良いんだ……」
(……なんだ? 妙に引っ掛かる言い方だな……)
不敵な笑みを残し、彼女は背を向けて歩き出す。
「……そうそう。そこで店構えてるからさ、気が向いたら寄ってくれよな」
指差された方向には、巨大な建物が見えた。
「えっ!? あれって〈アラカセギン商会〉の本店じゃ……!?」
驚いたハルトは咄嗟に視線を戻したが、既に彼女はこの場を去った後であった。
(ってことは、まさか……!)
その建物に掲げられた看板を見て、ハルトは目を見開く。
「今のが、あの有名なモネイ商会長だったのか!?」
〈アラカセギン商会〉――
十数年前に突然現れ、瞬く間に〈オネスティ王国〉で名を馳せた商会だ。
珍しい素材や魔導具を扱うことで知られ、莫大な利益を上げる一方で、入手経路と会長の素性は全て謎に包まれている。
「でも、なんでこんな場所に……ん?」
顎に手を当てて考える。その時、ハルトは足元の落し物に気付いた。
「財布? さっきぶつかった時か……って重っ!?」
財布を拾い上げだ瞬間、驚くほどの重量が手に伝わった。そして、ふと興味が湧く。
果たして、いくら入っているのかと。
「……誰も見てない、よな?」
周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。
そして、高鳴る胸の鼓動に促されるように財布の留め具を外し、中を見た――
「はいぃぃぃぃっ!!?」
日差しを照り返す無数の輝きに、ハルトは目を疑った。
「こっ、これ白金貨じゃん!? なんでこんなの持ち歩いてんだよ!?」
中には、金貨十枚分の価値を持つ硬貨が、十枚近く、ぎっしりと詰まっていたのだ。
「け、けど……これだけあれば、新しい装備も揃えられる。しばらく食ってもいけるぞ……!!」
突如、貧乏冒険者の前に転がり込んできた幸運。
そんな大金を前にすれば、誰しもつい魔が差してしまうもので――
「っ……いや、駄目だ駄目だ!! 冒険者は信用第イチィ……ッ!」
無意識に白金貨を摘もうとした手を、ハルトは理性を振り絞って引っ込める。額から冷や汗が伝う。
「というかっ、こんなことで捕まりたくないっ……さっさと返そう! 後が怖すぎる!」
頭の中で、「ネコババしろよ」「どうせ分からない」と囁いてくる悪魔を蹴散らし、ハルトは路地裏を飛び出した。
大通りを見渡し、露店の前に立つ麗人を見つけて駆け寄る。
「おーい! モネイ商会長!」
「……あれ、お前はさっきの……って、それ」
「さっきの路地で拾ったんだ、ほら。あんたのだよな?」
手渡された財布を受け取り、モネイがニッコリ笑う。
「ん、拾ってくれてありがとさん。……にしても、ネコババしなかったんだな。中身、見たんだろ?」
「勿論欲しかったさっ……なにしろ白金貨だからな! 思わずラッキーだって思った!」
「だったら、どうして……」
モネイが不思議そうな眼差しを向けてくる。
確かに、惜しいと思う気持ちはある。だが、それ以上に、大切な矜持がある。
「信用ってのは、一度でも裏切ったらお終いなんだよ。それを踏み躙るのは馬鹿のすることだ」
冒険者としての誇り。それを失えば、報酬次第で殺しをも請け負う無法者に成り下がってしまう。
「…………ははっ、流石プロ。冒険者らしい、良い建前だ。だが――本音はどうかな?」
指で丸眼鏡を押し上げたモネイに、ぐいっと肩に手を置かれ、耳元で囁かれる。
「財布はわざと落としたんだ――」
「は……?」
「お兄さんを試すために、な」
息が掛かるほどの至近距離。ゾクリと背筋が粟立ち、ハルトは思わず一歩下がった。
だが、モネイの瞳は獣のように細くなり、更に一歩詰め寄ってくる。
「商会長のあたしに恩を売るつもりだったのか? それとも、単に親切心からなのか……教えてくれよ」
「っっ!?」
肩を二度、軽く叩かれる。それだけで、心臓の鼓動は跳ね上がった。
鼓膜を直接撫でるかのような優しい声色は、心の鍵を開くかのようだった。
「……っ!!」
優しく、それでいて執拗に追い詰めてくる。その脅迫めいた追及に、負い目のあるハルトが耐えられる筈もなく――
「大好きな迷宮に潜れなくなるのが嫌だったんだよ! 迷宮だけは――俺を裏切らないからっ!」
思わず声を張り上げていた。
「…………くくっ、あっはっはっはっはっ……!」
ヤケクソ気味の告白に、モネイが耐えられないといった様子で大笑いをし始める。
「な、何がおかしい!」
「いやぁ、ここまで馬鹿だとは思わなくてさ!」
「いや馬鹿言うなし!?」
「試して悪かったよ。こういう時こそ人の本質が出るからさ」
散々笑い尽くしたモネイが目尻に浮かんだ涙を拭う。
「その点、お兄さんは合格だぜ――ってことで、仕事の話をしようか」
すると、目付きの鋭さが商人のソレに変わった。
「唐突だな……俺への依頼か? 言っとくけど、俺は相当弱いぞ」
「〝自称超エリート冒険者〟で有名だしな。だが、目当ては戦闘能力じゃないんだ――」
ハルトが顔を引き攣らせていると、今度はモネイから手を差し伸べられる。
「あたしと一緒に潜ってくれればいい……〈祭魔山〉の枯れ迷宮にな」
「…………は?」
そうして、ハルトは思いもよらぬ依頼を請けることになった。
〝旨味を失った迷宮の探索〟という、前代未聞の仕事を。
露店の店主「あのぅ……店の前で話されると、商売の邪魔なんですけど」
ハルト&モネイ「すみませんでした」
露店の店主「あとキミ臭い」
ハルト「マジすみませんでしたぁあああああああああっ!!!」
※2025/04/16に大幅に改稿しました。