第12話 魔王が交わした契約
「ほい、お土産」
迷宮の共有スペースに戻ったハルトは、暇そうに寛いでいたクロエに一冊の本を見せた。
クロエはそれを見るや否や、目を丸くする。
「これって、小説じゃない……どうしたの、これ?」
「買ってきたんだよ。本ならページを捲るだけだし、クロエも気に入るんじゃないかと思って」
顔を逸らしながら、ハルトが頬を掻く。
「でも、高かったでしょう? 今の給金で足りたの?」
「お手頃価格で、銀貨三枚だったよ。いやぁ、写本魔法さまさまだな」
十七年前までは書物はあまりにも高額で、貴族しか所持できなかった。しかし、最近になって庶民に行き渡るようになったのだ。
「ま、近くの村で買ったから、ちょっと古い本だけど」
「ありがとう、ハルトっ……大切に読ませてもらうわね?」
本を受け取ったクロエは、唇の端を僅かに上げ、心から嬉しそうな顔を浮かべた。
お淑やかな微笑みの中で、幼い子供のような笑顔を垣間見た瞬間、ハルトの胸の奥はじんわりと温かくなった。
「お、ちゃんと渡せたみたいで何よりだ」
そんな二人だけの共有スペースに、ネモが遅れて入ってくる。
クロエは彼女の登場に気付くと、ハルトから貰った本をガラス机に置き、ネモに声を掛けた。
「ネモ、今ちょっと良いかしら?」
「構わないが……どうかしたか?」
ハルトにそっと視線を向けてから、ネモが聞き返す。
「あの契約について、少し確認したいことがあって……」
「ああ、なら書類が保管してある執務室で話そう――」
クロエはネモに用があったようで、ネモに付いて行く形でその場を去っていった。
「…………あ、あれ?」
共有スペースに一人と一冊が取り残され、ハルトは意味も解らず途方に暮れた。
「いやいやいや! そこは、『ハルトがくれた本を読まないとね……』だろ!? 暇じゃなかったの!?」
数瞬遅れて、ハルトは腹を立てた。
クロエの声真似をしながら、本を読む光景まで再現してみせる程だ。
「それに、なんだよ契約って! お、俺を一人にするなよぉ!」
涙ぐみながら、ハルトは二人の後を追った。
執務室にそっと侵入し、会議用テーブルで対面して座る二人の傍に座ると、堂々と聞き耳を立てる。
「それで、〝リバイブ契約〟について何が聞きたいんだ?」
「契約期間よ。理由があって救助が遅れたでしょう? 実際のところ、どうなの?」
(リバイブ契約? なんじゃそりゃ?)
ハルトがあまりにも堂々としている為か、クロエとネモが気にした様子はない。
「商会の不手際だから無期限……と言いたいが、この迷宮に支援価値がなくなった場合……つまり、全財宝を取られでもして、契約の履行が不可能と判断されると……」
俯き、苦渋の表情をしたネモは唇をぎゅっと噛み締めて、
「即……撤退になる」
「当然の結果ね。契約とはいえ、タダで援助している訳でもないのだし」
(…………成程、分からん)
ハルトは肝心の〝リバイブ契約〟の意味を知らない。
なので二人の会話を理解できる筈もなく、顎に手を当てたハルトは無駄にしたり顔をした。
その後も話は続き――
辛うじてハルトに理解できたのは、会話の最中クロエとネモが真剣な表情をしていた、ということだけであった。
「すげえ無関係な俺だけど、質問いいか?」
二人が話し終わったタイミングで、ハルトはおずおずと手を上げる。
「全くの無関係という訳でもないわよ。それで?」
クロエはデリカシーのないハルトを責めず、むしろ優しく微笑んで続きを促した。
「今まで訊くに聞けなかったんだけど、二人は結局どういう関係なんだ? ネモはクロエの配下じゃないのか?」
ハルトは、常々疑問に思っていた。
クロエとネモの距離の近さを。互いに呼び捨てで呼ぶことを許していることも。
「……そういえば、私達の関係について話したことはなかったわね」
「クロエは、〈ボロモウケ商会〉の顧客であり友人でもあるんだ」
クロエが思い出したように言うと、特に隠すような話でもないのか、ネモはアッサリと答えた。
「だから最初から呼び捨てだったのか」
「ああ。クロエと出会ったのは、新人の頃でな。封印される数年前に、商会に来たクロエがさっき言ってた契約を結んだんだよ」
「それ以来、プライベートでも会うようになったのよね……懐かしいわ」
クロエが、思い出を嚙み締めるように口元を緩める。
「それじゃ……リバイブ契約ってのは?」
二人の関係について分かったところで、ハルトは次の質問に移った。
「復活や救出を目的とした魔導契約保険のことだ。保険は知ってるか?」
「冒険者だから、それくらいはな」
冒険者をしていれば、死ぬこともある。
その際、冒険者ギルドと保険の契約をしておくと、七日間までなら、個人またはパーティが再起する為の支援金を受け取ることができる制度があった。
ハルトは利用したことはなかったが、中にはその制度を利用して荒稼ぎする者もいた。
「でも、そんな契約をしてたなら、何で封印直後に復活させなかったんだ?」
「うぐふっ……!?」
ハルトが指摘すると、ネモが耳が痛いとばかりに体を仰け反らせる。
「魔力を使った契約だし、強制的にでも履行しなきゃいけない筈だ。でなきゃ、五百年間待たせる理由がない」
「ガハッ――!?」
珍しく知的に分析し、問題点を告げるハルト。その肩が、優しく二度叩かれた。
「…………ハルト、もうその辺にしてあげて」
「あ」
クロエに指摘された時には既に遅く。ネモは吐血してテーブルに突っ伏してしまっていた。
「っ……いや、だがお察しの通りだ」
「おお、復活した」
口元の血を袖で拭いながら、ネモが上体を起こす。
「『封印または幽閉された際は商会が即座に救助を行う』契約だったんだが、そのぅ……」
そして、いたたまれない様子でクロエに視線を注いだ。
それはまるで、怒られると分かっていながら自らの悪事を報告する子供のようで。
クロエは叱るでもなく、むしろネモの心を優しく包むように手を握る。
「もう謝ってくれた、それで充分よ。それに、こうして契約を果たしに来てくれたじゃない?」
「ク、クロエぇぇっ」
五百年放置されても腹を立てず、寛大な心で失敗を許すクロエ――否、魔王。
感極まって、ネモが号泣していた。
(〈残虐の魔王〉にも案外優しいとこがあるんだな……ま、めちゃ怖い面もあるけど)
言い伝えとの齟齬を感じながらも、ハルトは感動ムードに容赦なく水を差す。
「おーい、感激してるところ悪いけど、理由の説明はよ」
「そ、そうだったな。すまない、ンンッ……」
腕で涙を拭って、ネモは咳払いをして調子を戻す。
「えと、復活させるタイミングを逃したのは、あたしの上司が不祥事を起こした所為なんだ」
「不祥事? 横領か」
「それもあるが、商会長婦人との不倫が発覚したんだよ」
「えぇっ!?」
契約の履行が遅れた訳が、まさかそんな理由だとは思わず、ハルトは面を食らってしまう。
「上司は商会長に殺され、商会長の一家は不倫が原因で離散したんだ」
「な、なるほど。それで契約の強制力が失われたのね……」
そして更にヘビーな内容を聞かされ、ハルトは軽く引いていた。
「部下だったあたしは、その後上司が担当した契約を全て受け持つことになった。新しい契約の対応にも追われ、契約の履行は『優先順位が低い』って理由でどんどん後回しに……新人社畜は、権力に逆らえなかったんだっ……うぅぅっ、うあぁぁっ……!!」
すぐに救出へ駆け付けられなかった後悔が、今も尚ネモの心に巣食っているのだろう。
彼女の目尻からは大きな涙がポロポロと零れ落ち、その様はまるで懺悔する罪人のようであった。
「クロエぇぇ……ごめんぅぅっ……!!」
「わ、悪かった……! そんな事情とは思わなくて……ほら、涙拭けって。な?」
そんな事情も知らずに過去を暴いてしまい、無神経なハルトも流石に罪悪感と申し訳なさで胸が一杯になり、ネモに手拭いを渡していた。
「あ、ありがとうぅっ……チーンッ!」
ネモはハルトから受け取った手拭いで涙を拭き、ついでに鼻も噛んだ。
「そ、その時、あたしは誓ったんだっ……たとえ何百年掛かろうが、商会で地位と権力を手に入れて、絶対にクロエを復活させてみせるってなっ……!!!!」
決意に満ちた瞳で、ネモがハルトを射貫く。
(クロエの為に、そこまで……まさか、あの時馬車で言ってたのって、このことだったのか?)
依頼で迷宮に向かう際にネモに聞かされた『ある重大な仕事』とは、まさに〝エンタメ迷宮の運営〟だったのだろう。
ハルトは遅れながらネモの計画に気付き、またその強い覚悟に深く感銘を覚えた。
「そして、あたしは出世し幹部となった! クロエの件で負い目のある商会長に契約の不履行について糾弾し、ある約束を結ばせた。一つは、あたしを責任者として派遣させること。二つ目は、迷宮運営の補助役としてハルトを商会で雇うことっ……!!」
「ネモ、あなた……っ」
「す、すげぇ……仮にも自分が所属する商会でそこまでやるとかっ……」
邪悪な顔でくつくつと笑うネモに、クロエとハルトは思わず戦慄する。
「商会には忠誠を誓ってるが、それはあくまで親友のクロエの為に仕方なくだっ!!!」
「言い切りやがったっ……!?(ヤバ、ちょっとカッコいい)」
自分の意思を貫くネモの姿に、ハルトは驚くと同時に格好良さも感じてしまっていた。
「まあ、私達のことについてはそんな感じね。どう? 疑問は晴れたかしら?」
「い、色々とかなり予想外だったけどな。二人のことを知れて良かったよ」
「よろしい」
話題を切り上げたクロエの問い掛けに、スッキリした顔で頷きを返すハルト。
「ではネモ、ハルト。これからも、私の復活に全力を尽くしなさい」
「「任せろ!」」
二人は、力強く返事した。
「……とはいえ、流石に資金不足」
そんなやる気を挫くように、不本意ながらもハルトは現状の差し迫った問題を提起する。
「流石のあたしも、継続的な資金援助は確約させられなかったっ……すまん」
「しょうがないわよ。なにか金策を考えないとね……」
両手の指を組んで顔を伏せたネモを慰めつつ、クロエが顎に手を当てる。
「よし、ハルト! 金儲けの方法を他にも考えるぞ!」
「そうだな、今からここで意見を出し合うか!」
「私も参加していいかしら? 商会のエースさん」
「ああ、もちろんだ!」
そうして、三人は夕食の時間まで当面の金策について意見をすり合わせるのだった。
ネモの、このエンタメ迷宮に懸ける想いはそれほどまでに強く、重かった。
〈ボロモウケ商会〉、結構ダメダメですなぁ。(いや、作者が言うことじゃないか笑)
★感想・誤字・脱字などがございましたら、ページ下部から行えます★




