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第一章 その二

 聡雅はぼんやりと腕時計を見た。

 昼食がまだだ、と言って流生が出て行ってから、まだそれほど時間が経っていないように彼には感じられた。


「あと五分か…戻るかね」


 流生から「放課後よろしく」と言われた事は気づいていたが、もともと朝と昼の二回が日課であるはずなので、彼が放課後まで植物の面倒を見る必要はない。

 それでも彼はこの部屋に寄る気でいた。特にそうしたいと思っていたわけでもなかった―――むしろ切実な動機がないことが理由であった。


(そこまで断る程、予定があるわけでもないしな…)


 アルバイトのある日は彼女に伝えてある。そうでない日は、言われようが言われなかろうが、結局自分はこの部屋に通っているのだ。

 芽の様子を彼は見た。


(まだよくわかんねえな。元気なのか、それとも調子悪いのか)


「どうなんだ?お前…」


 ぼそっと彼は呟く。

 やがて自分のそんな行動を恥じるかのように、手にしていた本を棚に突っ込む。


(バレねえかな)


 棚を戻しながら彼はそんな事を考える。

 なんとなしに彼は出るとき辺りを見渡す癖があるが、ほとんどそれは杞憂と言って良い。

 この学校の図書室は、図書館と表現したほうが良いくらい広いのだ。

 入り口は上階にあるが、図書室自体は床を撃ち抜いて作られているので、実質五階建て分の容積を持つ。しかも資料室等、分館や分室が作られている程なので、蔵書量は相当なものなのだろう。

 だから彼は今日も、いつものように辺りを見渡して、いつものようにひっそりとその場を後にするだけだ。

 図書室を出て廊下の冷えた空気を感じた聡雅は、新校舎への渡り廊下を目指して階段を降り始める。

 その足が止まった。


「あ、もういいんですか?」

「おう…」


 見知った少年と聡雅はすれ違った。

 目元まで前髪を垂らしているが、後頭部の髪は短めに整えられている。

 よくいる平凡で目立たないタイプの男子生徒だ。


(えーと、図書委員…だったか?)


 聡雅がその希薄な人間関係からどうにか探り出そうとする横で、少年は話しだす。


「じゃあ閉めさせてもらいますよ。と言っても、しょっちゅう壊れて開いちゃうんですけどね」


 肩をすくめて少年は図書室のドアを示す。


「内鍵でもつけときゃいいんじゃねえのか。安物でもないよりマシだろ」


 口ではそう言うが、聡雅にとってはそれはあまり都合の良い話ではないのだった。


(内鍵つけられたらどうすっかなぁ…)

「まあ、こんなでかい図書館、ほとんど誰も来ないんですけどね」


 聡雅の内心を知ってか知らずか、少年はやや苦笑して話す。

 これには聡雅も同意していた。


「紙質の媒体はもう古いからな…本じゃないとわからない良さもあるが」

「ネットや携帯で文章を読む人間の気持ちが分かりませんよ。僕にとってはそれは好都合ですけどね」

「たしかに。忙しいよりは楽な仕事の方がいくらかマシだ」

「死ぬ直前に『もっと仕事をしてよかった』と言う奴はいませんしね」

「そいつはちっとオーバーだがな。たらたらしてるのが許されるなら、あえてたらたら生きる事にしてる奴の方が賢いというのは一理ある」

(こいつの名前、なんつったかな…)


 名前は知らないが、聡雅はこの少年と妙に気があうのだった。


「それはどうでしょう。そうやって生きてても、やっぱりどこかで僕らは必死になる事を求めているし、そうやって生きたいと願っていると思いますよ」

「自己実現の話か?どうかね。今の俺には何とも言えない」

「自己実現に限った話ではないですが…でも意外ですね。君がそういう言い方をするなんて」

「基本的に俺はいろんなことを保留にする人間だよ。即座に結論を出したってしょうがねえだろう。現実に適応したところで、今の俺達はせいぜい数年が限度だ。すぐ環境なんて変わっちまうし、自分だって変わっちまう」

「学生であるうちはしょうがないですよね。実際適応している人間よりは、適応していない人間の方がはるかに適応力があるのだと思うし」

「そーいう風に周りが思ってくれりゃいいんだけどな…現状俺みたいな人間はやたらと周囲を見下す虚しい輩の一人って事にしかなんねーからな」

「それはお互い辛いトコですね」

「あんまりそーいう上から見てる感じは好きじゃねえんだが、しょうがねえよなぁ…あわねーもんはあわねーんだ」


 ようやく聡雅は自分の記憶が明瞭になっていくのを感じた。


(思い出した、こいつ学年一位の…)

「ところで聡雅君、ボクの名前は思い出してくれましたか?」


 まるでタイミングを見計らったかのように少年が笑う。

 随分と軽薄な笑いだな、と聡雅は思った。


「智也だろ?木枯らしの智也。二つ名みてぇな名前だなと思ったのを今思い出した」


 聡雅は正直に述べる。

 聡雅が思ったとおり、智也は笑った。こういう笑いが、聡雅は嫌いではなかった。


「正直ですね。まあ下手に本心隠す人よりは良いですが。聡雅さんは相変わらず演技が下手だ」

「うるせぇよ…お前の偽善者っぷりは見てて心地よいもんがあるが、俺自身はお前みたいな生き方はとてもじゃないが出来ねえんだよ。うだうだ喋ってみせるのも本当は好きじゃねえんだ。どうせ伝わりっこないんだし」

「ボクの前でそんなに喋ってくれるのは君ぐらいですからね…それは少し残念です」


 ここで聡雅は少し苦笑いした。


「俺だけじゃねえだろ?というかお前やっぱり“あいつ”の性格が移ってきたな?だいぶ口調が似てきているぞ。演技が上手いのは結構だが、役に嵌まりすぎるのもどうかと思うぜ」

「そうですか?それは嬉しくもあり、やや意外でもあり…」


 その言葉に智也はやや眉根を寄せて複雑な心境を表に出す。


「ま、頑張れよ少年。あの手の女は俺はどーにも駄目だ」

「聡雅さんはしないんですか?恋愛とか」

「あー…どうだろうな、それもアレだよ」

「保留、ですか。まあそれだけ相手に対して誠実という事にはなるんでしょうか…」

「お前が誠実じゃないとは言わないよ。ただ俺はああいう奴を見ると、どうしても矯正してやりたくなっちまうってだけでさ。お前みたいにただ見守っててやるって事が出来ないときがたまにあるんだ」

「たしかに彼女は…きっと良い結果にはならないでしょうね、あのままだと」

「それが分かっていながら、でもお前はあの女のそーいうところが好きなんだろうなぁ…複雑だな」

「ですね。実はボクのような人間が、彼女を駄目にしてるのかもしれません」


 やや沈黙が二人を包んだ。

 その沈黙を、始業の鐘が砕く。


「じゃあまたな」

「あ、そうそう」


 去ろうとした聡雅を智也が呼び止める。


「最近、聡雅さん女の子と一緒にいますよね…委員会の子」

「ん?ああ…ちょっと色々用事があってさ」

「そう、でしたか」


 聡雅は怪訝な顔をしたのを、智也はじっと見ていたが、やがて首を振る。


「いいえ、何でもないんです。また放課後にでも」

「まあ、会えたらな」


 これは二人の間で暗黙に了解していた事だった。二人は特に出会うために約束したりすることは無い。ただ偶然会えばお互いに会釈を送り、その場限りの会話をする。

 だから会わないときは本当に、まったくコンタクトを取らない。そんな彼らは、図書館で偶然に顔をあわせたときだけ、こうして短い会話をするのだった。

 互いに互いをよく知らない…だからこそ、こうした接し方が出来るのかもしれない。


(聡雅さん…あなたは、彼女の事が好きなのではないのですか?)


 渡り廊下を新校舎へとたらたら歩いていく聡雅の姿を、智也はどこか寂しそうに見ていた。


(智也はよく分からねえんだよなぁ…話なげぇし。これ授業遅れるかな。もうちっとゆっくり行くか)


 智也がそう考えている事を、聡雅は知らない。

 こんなすれ違いばかりがこの二人を成り立たせている事に、二人とも気付かない。

 だが少なくともこのことだけは真理であった。


“だいたいお前らの人間に対する印象ってのはどいつもこいつも大雑把で適当だよな!”

「そこのあなた、待ちなさい」


 だからまさに教室へ戻らんとしていた聡雅を呼び止めた少女の事も、彼にとっては曖昧でどこかぼやけた風にしか掴めなかったのだ。

 ただそれでも聡雅はその少女のを見て感じた事があった。


(こいつぁ…やべえヤツがきたな)


にしき、か」

「気安く名前を呼ばないでくださいと以前言いましたよね。わたしもあなたの名前は呼びません」


 聡雅はこめかみに青筋を浮かべながら、彼女の方へと向き直った。

「ネットや携帯で文章を読む人間の気持ちが分かりませんよ。僕にとってはそれは好都合ですけどね」




ぇ、まさにネットに小説投稿してる俺はどうなんの…?

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