第一章 鴉
「やっぱり植物だったじゃない」
うららかな風が少女の髪を揺らし、揺れた髪の下から憮然とした表情が覗く。
「植物じゃないなんていつ言ったんだよ」
少女の髪を揺らした風は、少年が手元に置いている本の裏表紙を揺らす。
醒めた少年の目がぱっちりと彼女を見ている。
反対の手にはジョウロを握っていて、静かな音を奏でて散っていく水が同じ風に揺られ、極小の飛沫が遠くへ飛んでいく。
「だって“卵”かもって!」
「かも、だろ。俺はただどっちでもいいっつったんだ」
春の終わり、夏へと進む最後の工程。
五月の終わりは、連休明けの生徒達のいまだかったるそうな顔で埋め尽くされていた。
季節の変わり目に特有の吹き荒れる風も徐々に納まり、停滞した空気が厚さを溜め込む季節の入り口にきている。
木質の堅い音が響き、ジョウロを置いた少年が椅子に座りなおす。
少女の目がそれを見咎める。
「そのジョウロ、どこから持ってきたのよ」
「学校の備品かなんかだろ」
日替わりで違うジョウロを手にしている聡雅を流生が見咎めていた。
「あー!そーいうのってね、部活とか学校行事運営する側からすると、いざってときにすっごい迷惑なのよ」
「戻せばいいんだろ。じゃあお前やれよ」
「それは…無理」
その言葉を聴いて聡雅はじろりと流生を睨む。
「お前、なんだかんだ言って三日坊主だったよな…文字通り最初の三日は欠かさず見に来てた」
最初の三日、という部分を強調する。流生は中途半端な笑いを見せて誤魔化すしかない。
この少年の前だと流生はこのような笑いばっかりしているのだが、その事を流生はあまり嫌じゃないと感じていた。
聡雅と流生はお互いに―――聡雅からすれば「いつの間にか」だったが―――この植物を一緒に育てようという事で、この秘密の部屋に毎日集まる事を日課にすると約束しあっていた。
朝と昼の二回…のはずだったが、流生はまったく来れておらず、むしろ巻き込まれた形の聡雅が定期的に訪れては世話をして帰るという不思議な関係になっていた。
あの謎の飛来物―――(流生は「“植物の種”だ」と主張する地球外生命体)と出会ってから、早くも一週間が経っていた。
「だって忙しいんだもん」
「忙しい忙しいっていつも言ってるなあお前…」
「ほんとよ」
ほんとかねえ、と呟きながら少年は脇に置いたジョウロの方を見ながら、椅子に座る。
これではまるで新婚の妻が夫がなかなか帰ってこないのを嘆いているようである。
なんだか流生はおかしくなってきてしまう。
「芽、出たんだねえ」
本を読み始めた聡雅の隣で、流生は植木鉢をじんまりとした気持ちで見ていた。
うららかな風が白いカーテンをまくり上げて、小さな部屋の中へと入り込む。この部屋はどういう構造なのか、とても風通しがよく作られているようだ。
「いつ出たのかなぁ…」
「…」
「かわいいねぇ」
「…」
「どんな風に育つんだろ」
「…」
聡雅が答えないので、流生の一人問答みたいになってしまう。
「ねえ、あんたっていつもそんなんなの」
「何だよ」
無反応の聡雅に流生がやや剣呑に突っかかると、聡雅が面倒くさそうな顔で顔を上げる。
「女の子に対していつもそんな感じなの?」
ケースによるだろ、と言ってまた彼は本に目を落とす。
「基本的に俺、ニヒルな男は好きじゃねえしな。悟ったみたいな顔しやがって現実に目の前にいる女と馴れ合う努力をしない奴は嫌いだ。気取ってるがその実自分には何の中身もないのを隠そうとしているか、自分でも気付かずただ無意味にパフォーマンスをするだけの幼稚園児だろ。相手の関心を買いたいからって無関心気取って、自分で孤独の道を突き進む男は正直滑稽すぎる。格好悪いわ」
「なんか、すっごい話が飛んでるんですけど…ていうかまさにあんたじゃん!」
「心外だな。俺はあんたといるときはこうなだけだ」
「それは、そうかも」
その通りなのだった。むしろ彼は非常に親切な男ですらある。話しかければなんだかんだ言って受け答え、雑談を流せばしっかりキャッチしてくれる。
頼めば大抵の事はしてくれるし、機転も利く。ただ一番最初の段階―――話しかけるのが難しいというだけの事なのだ。
よく見ていれば彼もまた人並みによく話す友人を持ち、気さくに自分から話しかけたり、話しかけられたりしている。回数こそ少ないが。
彼女も聡雅のそういったところを理解しつつあった。
「ねえ、それってあたしだけにそういう姿を見せるって事?」
「うわぁ…出たよ」
本から勢いよく顔を上げて、聡雅は天井を仰ぐ。
その動作に流生は目を丸くする。
「何よ」
「お前らって何でそうやってすぐにツンデレ認定するんだ」
「え…」
唐突過ぎて彼女には話が分からない。
「面倒くさいったらありゃしねえ、そうなると俺はツンデレ風に振舞わないとその度に『おかしい』『似合ってない』って事になるじゃねーか。あーあー馬鹿らしい、これだからお前らはガキだっつーんだよ」
彼はよく唐突に話を広げて自説を展開する。
流生からすれば何を言っているのか分からないのだが、ともかく心底そういうときの彼は嫌そうな顔をしているのだった。
「だいたいお前らの人間に対する印象ってのはどいつもこいつも大雑把で適当だよな。“やさしそう”だの“かわいい”だの、まともに人様の事を見たことあるのかと。問いたい、小一時間問い詰めたい」
「それは、分かるかも…」
「だろ?結局お前らは自分の見たいようにしか世界を見てないし、それがすべてでそんなもんだって思ってやがる。あーむかつくわ、人を何だと思ってやがる」
言いたい事を言い終えたかと思うと、また本に目を落とす。
(で、結局どうなの?)
とは彼女は聞けなかった。でもどうやら、こっちが彼の素である事は間違いないようだ。
それに、なんだか彼女は彼の言ってることが正しいような気がしていたのだ。
(あたしもそうかなぁ…どっちかって言うと周りが勝手に私のこといろいろ思ってて、それにあわせてる感じ)
的確にそれを表現してもらって、むしろすっきりした気すらしていた。
「そっかぁ。うんうん…そうなのよねえ」
流生と聡雅の関係は、いつもこんな―――あやふやでいい加減だが、どこか爽やかなものだった。
急遽投稿。
いやほんと、こんなくだらないとこまでしか書けてないんです。