序章 回想その四
「で、どうするんだこれ」
校内菜園の土を勝手に持ってきてどんどん植木鉢に放り込んでいく様を眺めていた流生は、聡雅の言葉に疑問符を浮かべる。
「どうするって…育てるの」
「それは分かってる。どこで育てるんだ」
「そりゃあ…」
自分の家で、と言おうとして|(これを家まで持って帰れるのだろうか)と思い直す。
「自分の家の部屋にこんなでかい植木鉢を置いておくつもりかよ?しかも得体の知れないエイリアン」
「うーん」
エイリアン云々はともかくとして、確かに自分のあの狭い部屋にこの植木鉢を置いて育てていく自信はない。
「考えてなかったのか」
「はい…」
素直に答えるしかない。
「どうしよっか、あはは」
分かりやすく笑顔で誤魔化してみたが、聡雅は真面目でかつだるそうな顔をまったく崩さない。
一瞬彼氏の家で育ててみたら、という考えがよぎったが、恐らく断られるだろうと思って流生は断念した。だいたいこの少年は寮生なのだ。四畳半の部屋に置いておけるスペースなど無いに違いない。
「どこで育てたいんだ」
そう言って空になった土袋を丸めて放り投げ、聡雅がくすんだ灰色の双眸をこちらに向けてくる。
「うーん…」
流生はいろいろと思い浮かべてみる。
暖かくて涼しい所、静かで周りの音が聞こえるところ、明るくて暗いところ、じめじめしてて爽やかなところ―――。
「なぞなぞか?」
「ううん、違う。だって答え知らないもん」
そのまま言うと、これまた生真面目に返される。彼女はひたすら笑うしかない。
ただ意外にも彼が真面目に考えてくれているようだ、という事がそのとき流生には分かったのだった。
「…あくまで」
「うん、なになに?」
しばらく顎に手を添えて考えていた聡雅が口を開いたので、彼女は身を乗り出して聞く。
「あくまで俺の主観だが、そういうところがないわけじゃない」
「ふうん?で、どこ?」
答えを急かす流生に、聡雅は渋い顔をしながら校舎を指す。
「口で説明すんのも何だし、実際に見たらいいんじゃないか」
「校内にあるの?まさか変なとこ連れて行く気じゃないでしょうね」
「図書室を変なトコと言う奴にはじめて会ったわ」
「図書室!?」
いいからちょっと来いよ、とゴム手袋を外した彼氏は、彼女に手招きをする。
図書室は旧校舎の最上階―――ちょうど彼らが利用していた校内菜園の頭上―――にあるのだった。
中庭から通ずる階段を二人は土足で登っていく。
「ちょ、ちょっと…」
やや抵抗する流生を半ば押すようにして案内した聡雅。
彼はなんともない顔で既に施錠された図書室の扉を前にしてノブをしきりに回し始めていた。
「ねー。もう閉まっちゃってるんじゃないの」
扉の前に立つ聡雅を、後ろで手を組みながら流生は眺めていた。
聡雅はそんな流生の方を一瞥すらしない。
「大丈夫だよ」
「何が大丈夫なのよ」
「いいから待ってろ」
そう言った瞬間、変な音がしてドアノブが回り、扉が開く。
「ほらな、大丈夫だろ」
「なんかすっごく…やっちゃいけない仕方で開けた気がするんですけど」
明らかにノブの回し方が変だと感じた。
「鍵をノブに引っ掛けてまわす方法があるんだよ」
「空き巣とかやったことあるの?」
「ねえよ。使えるのはこういう古い扉だけ」
ぶすっとした顔で流生を一瞥すると、聡雅はどんどん奥へと進んでいってしまう。流生は黙ってついていくしかない。
「はぁ、重たい…」
堆肥の時の比ではない重量に膨らんだ植木鉢を持って、なんとか聡雅のいるところまでたどり着いた流生は、本棚をおもむろに叩きはじめた聡雅をいぶかしげに見つめた。
「なにしてんの」
「あった、これだ」
聡雅は短くさがってろ、と言った後、本棚の枠をつかんで思い切り前方に引き出した。
木が擦れる、あまり心地よくない音が辺りを揺らす。
途端に、がこん、と何かがかみ合ったような音がして、不協和音を奏でていた本棚が嘘のように前方に滑り出す。
「この床板、板と板が不自然に開いてるだろ。これ、レールになってんの」
そう言うと、聡雅は本棚がズレて出来た空間に身を滑らす。
手だけが出てきて手招きをするので、恐る恐る流生も中に入ってみる。
「わっ」
「お前のリアクションも俺と五十歩百歩じゃねえかよ。まったく、つまんない女だな」
呆れた声を出す聡雅だったが、流生の方は、こちらはこちらで呆気に取られていたのだ。
「これってもしかして…噂の“七番目の窓”!?」
七不思議というのは、どこの学校にでもよくある話だったが、これはそのひとつなのだった。
校舎の外からだと図書館の位置には七つの窓があるように見えるのだが、実際に図書館に入ってみると、どうしても窓は六つしか見つけられない―――その七番目の窓が、今彼女の目の前にある。
「“秘密の小部屋”ってヤツかな。日当たりもいいし、風通しもいい。湿気も適度にあるし、何より暗くて明るいだろ?」
そういいながら、彼は中に備えてあるレトロな照明やら暗幕やらをいじってみせる。
そう、ここは図書室の本棚によって仕切られて隠された、孤立した部屋―――それ自体が凹んだ四方の本棚に囲まれて、扉にあたる本棚で表からは見えない―――なのだった。
「こんなところがあるなんて…」
「この学校、もしかしたらもっとこういう場所があるのかもしれないな。俺は深く探した事はないが」
流生は私生活が謎、と言われる男の一面を見た気がした。きっと彼は休日もよくここに来ているに違いない。
さっそく植木鉢を置いてみる。日当たりのいいところを選んだ。
「ここならきっと、よく育つよねえ」
種を取り出すと、さきほどより心なしか温もりが強くなっている気がした。
そっと土の上に乗せてやる。
「土はかぶせなくていいんじゃないか。根付いたら土をかぶせてやれよ」
「そうだね」
聡雅の言葉に頷き、流生は植木鉢の上に乗った種を見つめる。
「卵だったらどうする?」
「またその話。もういいですから」
「そうは言うがな…うおっ」
「なによ…きゃっ」
少年と少女が驚いた声を上げる前で、土を掴んだ種が自ら穴を掘って植木鉢の中に沈んでいく。
腐葉土や堆肥やらが混ざった土が跳ね飛び、流生は顔を腕で覆う。
「わわっ」
「き、気持ち悪ぃ…」
一部始終を眺めていた聡雅が呟く。
「種とか卵ってのはジッとしてるからいいんだよ…こんな風に動いちゃいけねえ」
「い、いいじゃない、きっとお転婆さんなのよ」
「お前面白いな」
「そう思うならもっと笑った顔なさいよ」
二人ともどこかぞっとした顔でその場を立ち去る。