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第二章 竹草少女と五月姫会長

 六つの影が暗くなった校舎の敷地内を並んで歩いている。

 先頭を歩くのは日本人形をそのまま大きくしたような色白に無表情の瞳を讃えたこけしのような少女。

 その少女が呟く。


「…おかしいですわね」


 スポーツ刈りを放置して伸ばしたような、綺麗な丸い緑がかった短髪がその呟きに応じて答える。


「ああ、確かにおかしいな。だがこう言っちゃなんだが…考えるのが面倒くせぇ」


 話の流れを無視するかのように、こけし少女に負けず劣らず小さな―――だが小さくて黒いショートヘアである事以外にこれといった特徴のない少女が、やや興奮気味で快活な声を上げる。


「なあに?なにかあったの?わっ、なにこのおっきな杭!真っ白!」

「説明が面倒なんだよな」

「ふふふ、面倒臭がりやさんなのね…まあ大体何が起こったかは見当はつくのよ」


 六人の中では最も長身でしっとりとした肢体が、外見とマッチした声音で穏やかに周囲を見渡していた。


「え、なんで?全然わかんないのアタシだけ?」

「それで、この杭はどっちなのかしら」


「どっちってのはどういう意味だよ」

「可能性としてはにしきちゃんの方が高いけれど…案外聡雅きみの方だったりしてね」


「無視?ねえ無視??」

「当てずっぽうって感じはしねえし、こっちとしても嘘を言う必要はねえが…紆余曲折しすぎて本当マジに説明すんのが面倒だからな。とりあえず“そうだ”とだけ言っておくわ」


「なるほど…」

聡雅あんたがやったの!?」


流生おまえは事情がわかんねーと思うし、説明とかそーゆうのは今はもういいよ…とりあえず話題にしてるのはそこ(・・)じゃねえんだ―――だろ?にしき


 最初の発言から一言も語句を発しなかったこけし少女―――にしきがようやくそこで口唇を開く。


聡雅さとま、一応あなたに聞きます。貴方はからすを、その分身を確かに白塗りの杭で―――突き刺しましたよね?」






 六人がいる場所は、校舎の前にある芝生の空間だった。

 それだけなら何の変哲もないよくある日常空間に過ぎない。

 だがそこは白塗りの巨杭が突き刺さっているという点―――そしてそこに人間もどき(ホムンクルス)、“鴉”の分身が突き刺さっていたという二点で大きく異なっていた。

 そう、突き刺さって―――いた(・・)


「それは、お前も見てただろ」

「一応です。目撃証人が複数いるという事実が大事なのです」


「言ってる意味がよくわからんが、でもどう見たってあれは刺さってただろ?」

「意味がよくわからなくてもそれは重要なのです。何故なら刺さっていた、という事実が明々白々になった段階で、一歩結論が前進します」


「てことは、やっぱりいたのか。“魔女”が」

「やはりその結論が妥当かと…」




 そう―――今、その白塗りの杭に刺さっていたはずのあの軽薄そうな分身の男の姿が、ない。

 錦と聡雅の間でいくつかの問答が行われ、いくつかの仮説や仮定が交錯しては散っていく。


「…どゆこと?」


 流生はといえば、二人の間で流れる単語や言葉の意味が分からず、ひたすらちんぷんかんぷんな会話に首を捻っている。


「推測で良ければ説明するけれど?」

「お願い!」


 事態を掴みかねている流生に、五月姫が近寄って微笑みかける。


「きっとね、あそこには九郎クロウ君が刺さっていたのよ」

「は?」


「あの杭は九郎君にとってはきっと致命的なくらいの弱点か何かだから、普通あれで固定されたら動ける動けないなんて話をしてる場合じゃないくらいの影響があるはずなのよね」

「……」


「なのに現にその姿がない―――一体九郎クロウ君には何があったのかしら…?っていう話を多分してるのよ」

「…?」


「ふふっ、分かった?」

「ええっと、いろいろ質問はあるんだけど全部とりあえず後回しにするとして」


 流生はそこで振り向いて指を挿す。


「会長が言ってる九郎君って、こっちの事なんじゃ…?」


 そう、人影は六人分ある―――にしき聡雅さとま五月姫さつき流生るいと―――そしてもう一人、九郎クロウと名づけられた少年の姿が。

 だがその姿は明らかにおかしい。

 造形生命ホムンクルスは普通、人の姿に擬態させられている。

 からすもまた同様に、少年の姿を象っていたはずだった。

 だが今流生が目の前に見ている九郎クロウ少年の姿は、既に人とは明らかに異なる次元にある。

 ふと思い出したように聡雅もまた錦に耳打ちする。


「そういえばよ、“アレ”はなんなんだ?」

「あれは恐らくゴーレム。どうやったかは分かりませんが、からすから“何か”を“どうにか”して切り離して、形状フォルムだけを流用しているのでしょう。とはいえ既にからす自体が別の魔女の使い魔でしたから―――ゴーレムと化された時点で主たる魔女の魔法が解けて、擬態が解けかかっているのです。いわば絵の具の色彩が剥げた紙粘土ですよ」


「言うに事欠いて紙粘土かよ」


 実際、少年の姿をしていたときの、紙粘土のような青白さはない。むしろその肌は、土器のような赤土ラトソルの色―――文字通り赤い土の粘土(ラテライト)細工のような色をしている。

 既に服をクロウは着ていない。

 もともと擬態同様、視覚認識を誤魔化すための影の一部であったに過ぎない。

 もはやその魔法が解けた今、目を騙していた“何か”が次々と剥がれ落ちていっているのだ。

 粘土細工のような生命。

 基となる生命を解かされ、こねくり回されて作られた造形物。

 単純な話である―――一度創られた土器の器が別の持ち主の下へと渡り、気に入らないのでぶち砕かれ、粉々にされて再度こねくりまわされたのだ。

 今はまだカタチを決めかねているが、いずれ持ち主の思うままの形になるのだろう。


(…形容しがたいものを感じるな)


 それはただただ平凡に生きていれば、人に対してそうそう抱くことはない感情―――あまりに凄惨な状況を見せ付けられたときに、発作的に起こる嘔吐感に似た感情。

 人を見てそう思う事は滅多にないはずだ。

 だが確かに今、聡雅は思った―――これは、反吐が出る。


「彼女は恐らくからすに新しい名をつけることで支配下に置いた。しかも都合の良いことに彼女の目の前で鴉は分身したのでしょう。その一部を彼女は運良く手に入れた」

「運良く?都合良く?お前本当にそう思ってんのか?」


「…いいえ」

「確かに“こっちの鴉”を連れてったのは別の魔女だろう。だがお前の話の通りなら、“あそこの鴉(クロウ)”を引っぺがした五月姫あいつは紛れもなく―――魔女ってことだろうが」

「ッ」


 錦がキッとこちらを睨み返したことではじめて、聡雅は最後の言葉が思いの他大きい声になってしまったことに気付く。


「どしたの?」

「いや、別に…」


 こちらの様子を感じたのか、流生が駆け寄ってくる。

 その背後で、すべてを察しているのか、五月姫が柔和な微笑みを浮かべながらこちらを見ている。


「もしかして、会長のこと疑ってる?」

「それは錦に聞けよ」


 聡雅の方に擦り寄っていそいそと尋ねてくる流生を、彼はやや冷ややかにあしらう。


「ねえねえ、会長を疑ってるの?」


 ほんの少しむっとしたような顔をした流生は、同じ質問を錦に投げかける。


「それはないでしょうね。時系列アリバイの関係から見ても可能性はほぼ(・・)ゼロでしょう」

(ほぼ、ね…)


 聡雅は鼻で笑う。

 その通りなのだ。

 何にせよ、ここで何が起こったかは自分たちには分からないし、誰がやってないという確証など何処にもないのだ。

 そして根本的な問題―――魔女が、何を可能とするのかも。

 それを人間という括りで考えて、安易に限界を作ってはならない。

 相手はその予想をはるかに超えて動き出しているからだ。


「嘘つくの、下手だね」

「申し訳ありません」


 流生が言い、淡々と錦が返答する。


「よくわかんないんだけどさ」


 お茶を濁すような声量で、流生がぼそぼそと言う。


「会長は、アタシを助けてくれたよ。今はそれでいいんじゃないのかな」


 わかんないんだけどさ、と彼女は再度同じ言葉で語尾をも濁す。

 だが間違ってはいない。


(まぁ…その通りだよな)


 ふう、と息をつく。


(ひとまず、そういうことでいいのか?)


 ここのところずっと、こんな呼吸の仕方しかしていないような気が聡雅はした。

 錦の方も同様の様子だ。


「私はたしかに五月姫様を疑ってはいます。でもそれは、十割中せいぜい三割といった程度です」

「そこはお前、嘘でも信じるって言っとけよ。にしても思ったより低いな。他にもっと大きな可能性でもあるのか?思い当たる節があるとか?」


「いいえ、そうではありません。ただ、これだけは明言しておきます。五月姫様が魔女である事は確実です」

「…話についていけないんだけど」


「魔女ね」

(まあ、ある程度は分かっちゃいたけどよ)


 流生が五月姫に救われた事は既に聞いている。

 ただの人間にそれが出来るとは到底思えないのだ。


「会長が魔女…」


 流生が呟く。

 確かにあの怪物と対峙したときにみせた五月姫の行動すべては、通常の人間の範疇や理解を越えるものだった。

 あの場には、何か超常的な力が関わっていることに疑いの余地はない。

 魔女といわれても、納得がいく。


「そうです、魔女です」

「何回も言うなよ」


 聡雅がうんざりしたような顔をする。

 “魔女”。

 その単語に、聡雅も大きく反応する。


(魔女同士は潰しあうものなんだろ?なら、どう足掻いても錦はいつかは戦わなきゃならないはずだ)


 仮にそうだとして、今のところ自分や流生にその戦いに巻き込まれるような接点はない。

 ない―――はずだ。


(あるとすれば、“アレ”だな)




 そう、影は六つある(・・・・・・)


 ひとり、流生。

 ふたり、錦。

 さんにん、聡雅。

 よにん、五月姫。

 ごにん、九郎こと人型のゴーレム。


 ろくにん、そして最後の一人―――淡い緑色の肌をした、竹草少女。


 その容姿は、シルエットだけ取ればただの少女と遜色ない。

 肌の色と髪の色は、両方とも淡い緑とはいえよく観察しなければ目立たない。

 聡雅が見たときにはブレザーを羽織っていたので分からないが、肉体の構造もほぼ人間と同一である事は流生の話から察する事が出来た。

 背骨に当たる部分から緑色の葉が、たてがみのように突き出ていることを除けば、極東地方の人間ではないという説明だけで誤魔化せそうな範囲ではある。

 体型的に判断すると、通常の人間で言う所の十歳程度だろうか。

 流生が抱えられるくらいの小さな身体だ。当然、この六人の中で影が最も小さい。


 今は羽織っているブレザーの持ち主、五月姫と向かい合っている。


「“いー”って言ってごらん?」

「ぇぁーぃ」

「ぇぁーぃ、じゃないわよ」


 どうやら発音器官も有しているようで、不恰好で不気味な声ではあるが、そこそこ判別可能な発声も出来る。


「あいつらは何やってんだ」

「言語教育だって」

(アホか…)


 この場所までは、流生が抱えて持ってきた。

 身体の各部をまだ上手に動かせないようで、立ち上がらせてもすぐに崩れ落ちてぽかんとしている。

 立ち上がろうとするとだぶだぶのブレザーが非常に乱雑に跳ねるため、唯一男子の聡雅は何回も流生と錦に「こっちを見るな」と叫ばれ、その度に「そういう趣味はねえよ」と呟く羽目になった。


「ぅぁら」

「んー?今のはなんて言ったのかな?」

「ぅぁら!」

(意味分からん…)


 特殊な言語を用いるというよりは、本当に単純に発声をしているだけという感触である。

 おもちゃの太鼓や笛を渡された無邪気な幼児が、適当に音を出してはキャッキャと騒いでる様子に似ている。


「あはは、なんか可愛い」


 隣でその様子を見ていた流生が、口元を綻ばせて竹草少女へと駆け寄っていく。


流生あいつは明らかに事態を理解してねえだろーな)


 聡雅から見ると、流生からは「何となく話は聞いているが、よく分からない」という印象を受ける。

 とりあえずワケの分からない事がいっぱい起こっており、なんとなく怖いがそれ以上に楽しくて興奮している感じである。

 その証拠に先程から竹草少女や錦、聡雅の周りを行ったり来たりしている。一言で言えば、落ち着きがない。

 対する聡雅の方は、あまり楽観的にモノゴトを考えられない。

 というより―――


「―――面倒くせぇ」

「またアナタはそういうことを…」


 同じような顔をしていた錦があきれたような目で見てくる。

 今のところ、たしかにあの竹草少女の存在が自分達と魔女の争いを繋ぐ唯一の接点であることに違いはない。


「んなこと言ってもよ、結局あれこれ悩んだって俺やお前が状況を変えたり解決することはできねーんだ。流生は流生で楽しんでるみたいだし、会長あのひとはよくわかんねえけど適当にやるんだろ。おまえはお前で、俺より年数キャリアがあんだし。あれこれ気を回したり気負ったって疲れるだけじゃね」

「まぁ、そうかもしれません」

(この男は…)


 平然と言ってのける聡雅に錦は呆れを通りこして感心してしまう。

 錦は自分が無能であったり状況を整理したり理解できていないことに我慢がならないタイプだ。

 サラリと諦めたり、面倒だ、というようなつまらない理由を自分に許したくない一面がある。何より自分が一番この事態を何とかしなければならないと気負っている部分がある。

 だが肝心の本人が無邪気に笑ったり、面倒くさそうな顔をしているのだ。

 なんというか―――吹っ切れる。


「もういいだろ。そこに刺さってたからすの身体もよ、無いもんは無いんだ。適当にお前のラビとやらに報告でもしとけよ。とにかくあれだ―――風呂に入りたい」


 ぷっ、と錦が吹く。


「え、俺今めちゃくちゃ真面目に言ってんだけど。風呂入りたい」

「…帰りましょうか」

「おう」


 その言葉を待ってたかのように聡雅の身体がぱっくりと裂ける。

 今の今まで彼の体内に納まっていた案山子がにゅるりと出てきて、真っ白な杭を引っつかみ、自らの口内に押し込んでいく。


「曲芸かよ」


 裂けて半分だけになった顔で、聡雅が独り言を言う。

 どうやら案山子も完全に彼の制御下にあるわけではなく、ある程度の自由意志を持って行動しているようなのである。

 時にはその行動に、聡雅自身も驚いたりする。


「俺も随分と面白いことになったもんだ…」

「ですね」

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょっと待っていまの何?」

流生おまえはいいよもう」

「えっ?えっ?もっかいやって」

「言っとくけど断面は見えないぜ。真っ黒い影みたいなのになっちゃっててよく見えない」

「あっそうなんだ…でももっかいやって」

「うっせえな一回だけだぞ」

「ほらほら、こうやって後ろを向いて親指を咥えて、振り返ってごらん」

「ぅあー」

「セクシーポーズ!あはははは」

(この人たちは…)


 錦はため息をつきながら、この場で最も静かな九郎ゴーレムを見る。


「ニヤリ」

(…気持ち悪っ)


 どういうわけか親しげに笑いかけてきた赤粘土のゴーレムに生理的嫌悪感を感じて、錦は口元を押さえる。


どっちかっつーと一章の終わりっぽいよな、この話。

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