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第一章 その二十(終わり)


 薄緑色の芝生の上で、男が仰向けに寝転んで空を見ている。

 芝生はほとんどが枯れていて、薄緑色のあちこちが茶色に侵食されている。


「あーあ、こりゃダメだな」


 男が、笑う。


「九郎くんねえ…ずいぶんとかわいい名前つけてくれたじゃねえの―――こりゃほんっともうダメだな」


 このご時世で学園の芝生に寝転がるようなメルヘンちっくな行動だけでも、それなりには浮いている。

 だが寝転がっているだけでは、まだ奇人・変人とはいえない。

 だが、その男を見た者は誰もが息を呑み、見つめるだろう。


「もう、本体あっちは死んだな。となると次は俺が本体だが…俺、今“核”がねえんだよな」


 何故なら男には心臓がない―――それどころか、胸部を白塗りの長い杭によって刺し貫かれているのだ。

 しかも血すらまともに流れておらず、ただ身動きがしずらそうに顔をしかめながら欠伸をして空を眺めているのだ。

 もはや変人・奇人どころの話ではない。

 ただひたすら―――異常だ。


「魔女の言霊ことだま…強くて便利だが、その分発言ひとつひとつが重たいってのもまあそれはそれで大変そうではあるなぁ」


 まるで他人事のように言う―――鴉と呼ばれていたはずの男が、今遠くにいる本体が性質を変え、自分という存在から切り離されつつあるのを彼は感じていた。

 彼はもう鴉ではない。

 鴉という名の本体から切り離された予備の、小さな分身のひとつでしかない。

 とはいえ九郎でもない。

 では彼は何なのだろうか。

 これから、彼は何になるというのか。


「む?」


 ふと、その眼が空ではない別の方向へと泳ぎだす。

 芝生を踏んだとき特有の、掠れたような、乾いたような、擦れたような、軽いのにどこかじゃりじゃりしているような音が、等間隔の響きで徐々に近づいてくる。

 影が差し、陽光を遮る細い影―――その姿を捉えたとき、男の目がやや残念そうな色合いを見せる。


「ま、結局何やかんや言って、やっぱり俺は下僕でしかねえってことか―――そういうことなんスかね?我が主人(マイ・マスター)・イバラの魔女殿」






 キイキイとした悲鳴―――よくある人間の台詞を早送りにすると起こるミニマムのような声と共に、小さな黒い影が観測室の窓から飛び出してきたのが、聡雅さとまには見えた。


「なんだありゃ」

(おいおいまさか…)


 見た瞬間にパッとひらめく。


「あれはもしや…」


 同様の考察に至ったにしきの眼にも、混乱の色が見てとれる。

 その華奢で小さな小さな三本足の人面鳥―――恐らくからすだ。


「くそったれがああああああああああ」


 活字では太く強く粘着質な怒りと恨みの恐ろしい声音にしか取れないが、実際にそれを叫ぶ媒体が小さく華奢で頼りなく、未発達で未完全の声帯から発せられるような―――一言で言えば可愛い声では、どうにも重さと迫力が足らぬ。 


「…」

「…」


「…どうしてこうなった」

「…一体、何が」


 二人の間を沈黙が通り過ぎていく。


「ひょええぇぇ、お前らッ」


 こちらに気付いたからすが血相を変えて羽ばたくが、いかんせん体躯がミニマムサイズであると、動きもそれ相応の範囲にしかならない。


「チクショウッ、チクショウッ」

(なんだこいつ、一気に小物になったな…)


 聡雅の内心を他所に、容易くにしきあぎとに捕らえられたからすが、悪態をわめきちらしながら唾を吐く。


「うわ…きたねぇなお前、死ねクソ」


 額に青筋を浮かべた聡雅は、鴉の顔面に拳を突き入れる。

 声にならない呻きと叫びを上げた鴉が、さらに悪態を上げて眼を血走らせる。

 その様子はまぎれもなく、聡雅が見た鴉の分身の一体と同様だ―――異なる点があるとすれば、足が三本である事か。


「お前、何があったんだ?」


 あまりの変貌に聡雅はどうしても確信が持てない。


「黙れ黙れ黙れくそったれが!虫ケラ!虫ケラ!案山子野郎!」

「…いいよもう、喰っちまえ」


「ですね。何にせよ、食べれば分かる事です」

「!」


 その言葉に聡雅が顔を上げる。

 “魔女でなければ、魔物―――造形生命ホムンクルスは倒せない”。

 恐らくそれは、造形生命ホムンクルス同士の食い合いの事を指しているのだ。




 輪廻転生。

 永劫回帰。

 生命力の循環とは、即ちひとつひとつは失われたり、あるいは得たりしているようで、その実全体を見れば総量は増える事も減る事もないということ。

 失われた生命は、循環してどこかで新たな生命となり、新たな生命はいずれ失われて次なる生命へと受け継がれていく。

 食物連鎖の過程すら、それを示したに過ぎないとする思想哲学。

 造形生命ホムンクルスたちを形作る根幹たる力が何であれ、彼らにはそれぞれ容貌や姿は違えど同じ力が吹き込まれている事に疑いの余地はない。

 本質がなんであれ、その存在を支える生命力が、喰われて循環する事だけは間違いがないのだ。

 “喰う”―――つまり生命力を奪うということ。

 存在の無限性を支える大元を断つということ。

 それは、存在の否定を意味する“殺害”とは根本的に異なる。

 何故なら存在は消えないからだ。

 喰われるということは、生き続けるということを意味する。

 無限に立ち上がる存在―――無限に生き返る存在を殺すことは不可能でも、“喰う”ことは可能なのだ。

 そしてそれによって、事実上殺したと同義の結果を得る事が出来る。


 喰らいつく。

 咀嚼する。

 丸呑みする。




(なるほどね)


 そしてどういう仕組みかは分からないが―――造形生命ホムンクルスは相手を喰うことによって何らかの情報データを受け取る事が可能なのだろう。

 “食べれば分かる”とはそういう意味なのだと聡雅は推測した。


「ふざっ、ふざけんなオラッ!」

「諦めろカス」


 抵抗する小さなからすを聡雅は突く。

 やりたい放題だ。


「クソがっクソがっ、魔女めッ魔女めッ魔女めッ魔女めッ魔女めッ魔女めッ魔女めッ魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め魔女め……」


 まるでその言葉がセカイで一番汚い言葉であるかのように―――狂ったようにその言葉を吐き続けるからすを、にしきが哀れな目で見つめる。

 その目とからすの眼が合った瞬間、からすが言う。


「絶対ぶち犯すッ」


 その次の刹那にからすが一瞬で吸い込まれていく―――錦の大蛇の顎、その喉奥深くに。


「…あっけねぇ」


 呆気ない。

 本当に呆気ない最期だった。


「おい、大丈夫か?」

「…大丈夫です」


 だがそれでもにしきは―――気付くとへたり込んでいた。


「どうにも…疲れたな」


 聡雅も長く息を吐いて座り込む。

 実は二人が今まさに座り込んでいる場所は校舎の壁面であるのだが―――そんなことがどうでもよくなるくらい、本当に疲れていた。

 いろいろなことがありすぎた。


「これで終わり、か?」

「ええ、恐らく」


「あれは本当に、からすだったのかな…」

「ええ、恐らく」


「そういや流生るいはどうしたんだ…よくわかんねえけど大丈夫なのかな」

「ええ、恐らく」


「…」

「…」


「お前とは本当に会話が噛み合わないな」

「ええ、まったく」


 聡雅はため息をついて空を仰いだ―――いつの間にか、落ちていた夕陽が完全に消えて、辺りは暗くなっている。






 一方錦にしきの方は、彼女の方で、違う事に気を取られて心ここにあらずだったのだ。

 からすを飲み込んだとき、その感触で彼女は理解していた。

 既に自分が喰ったからすが、もう彼女の知っているからすではないことを。


(既に肝心の部分は誰かが持ち去ったか分離した後で…これはせいぜい残りカスというところ―――?)


 なによりも、鴉の肉体に残った力の残滓が、事の重大さの複雑性を多弁に語っていた。



“魔女同士は惹かれあい、かつ反発しあうもの”

 反発する―――つまり互いに打ち消しあう。



 にしきは、宙を飛んでいた黒い羽根―――からすの残骸に手を伸ばす。

 小さく。

 だがそれでも強く。

 一瞬にしてその羽根が弾けて、細かい粒子に分解されていく。


(―――錯覚?)


 ほんの刹那、極彩色が映る―――真っ黒なはずの鴉の羽根が色鮮やかにきらいたような気がしたが、彼女には確信が持てなかった。



 それでもこのことだけは、間違いがない。






「聡雅」

「次はなんだよ…」


「近くに魔女がいます」

「魔女…?あー、“ラビ”か?」


「いいえ。別の魔女(・・・・)です」


 息を張り付かせて搾り出すにしきの様子に、口をつぐむ聡雅。

 思わずその腰が浮く。


「…近い、のか?」

「ええ。それも、すぐ(・・)近く」


(簡便してくれ…)


 そんな顔をしていた聡雅を見て、にしきもまた心の中で思う―――(それは、自分わたしの台詞だ…)


「どうする…闘うのか?」

「闘えると思いますか?」


 錦は心底面倒臭そうな顔をしている聡雅に向けて、馬鹿にしたような顔を向けてやる。


「…お前魔女なんだろ?」

「私はあくまでその下僕(オキュペー)です」


「立場を聞いてるんじゃねえよ、やるかやんねえかを聞いてるんだよ」

「少しは自分で考えなさいっ」


「お前らほとんど万国びっくりショーな癖して俺に何を考えろって?」

「あのー」


「あなたこそ偉そうなことを言える立場かしら?」

「もし?」


「俺は好きでこうなったワケじゃないんだが」

「あのさあ!!!!!!!」


 校舎の壁の上で争う二人の近く―――いつの間にか窓際に来ていた。


「そんなとこで話してると、すっごい目立つと思うよ」


 突如注目を受けた少女―――流生るいは、やや申し訳なさそうに少し歪んだ窓を無理やり押し開けて、二人を招き入れた。

 その背後に立つ別の少女の姿を見て、聡雅さとまが驚く。


「は?あれ、おま…なんで?」

「えへへ…ちょっと説明しづらい関係―――なんつって」


 言葉になりきっていない驚きのまま、聡雅は流生を問いただし、同じくらい言葉になりきっていない説明で流生は追求を受け流す。


「はじめまして、かしら?まあ私はキミのことは知ってるんだけどね。それと…―――アナタの方もね、にしきちゃん」

「!」


 当の本人―――五月姫さつきはといえば、嫣然として微笑みを崩さぬまま、にしきの方を真っ直ぐに見つめてくる。

 その視線に、にしきたがわぬものを感じつつも、あえて気丈に微笑み返す。

 ―――(そうか、彼女が…)


 両者に流れる微妙に異なる空気に怪訝な顔をしつつも、聡雅はやや息をつく。

 空気を察してやや冷や汗気味に、なだめるべきか否かを思案してるような流生の姿を横目で見て、聡雅はほんのすこし、自嘲気味に笑う。


 どうやら自分があれやこれやと思索し、悩みふけっている間に、事態はずっとずっと先の方へ進展していたらしい。

(まったくもって、適当だな―――俺も)






 外はもう、夜だった。





第一章 終わりです。

第二章に続きます。まだまだ、終わりません。

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