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第一章 その十九

 

(なん、なの、これは…)


 一部始終を流生は見ていた。

 そしてただ、唖然と見ているしかなかった。

 ―――網だ。

 それもただの網ではない。

 ことばの網だ。

 それは流生の知らぬ―――恐らくは今地上で生きるほとんどの人々が知らない太古の、あるいははるか未来の言葉。

 ひとつひとつが具現化して、八方へ伸びる、七色の言葉の虹で張り巡らされた、光の網。

 それが次々と捉えていく。


「ぐおおおおおおおおおお」


 分身する影。

 己を千切り、引き裂き、割いて割いて割いて。

 小さく小さく自分を分裂させた鴉が、その中心で吼え声を上げている。

 そしてその網の先端―――引き網をするかのようにして先端を握る少女、五月姫。

 彼女の足元では、まるで道化師のような姿の少年が、呆けた顔でへたりこんでいる。


「こ、この女…この、魔女めっ!!」


 鴉の―――化け物の目が、己から切り離されて、手羽先九郎と名づけられた少年の方を見ていた。

 九郎少年の眼は完全に光を失い、ただ宙を茫洋とさまよっている―――意識が完全に、五月姫に食われている!

 鴉は何が起きたかをおぼろげに理解しはじめていた。


(俺を…俺の分身を、“人称認識コグニッション”で俺から切り離しやがった!!)




 端的に似た状況を人間社会の現象から説明すれば―――彼はあだ名を付けられたのだ。

 それはなんでもいいのだ。

 ただ、ピッタリであれば、それでいい。

 何となくピッタリあっているような、どこか滑稽であったり、言い得て妙であったり、どこか馬鹿にされたような感じすらする。

 肝心なのはただひとつ―――誰が、言うか。

 その場の空気を支配しており、一番状況が読めていて、一番的を得た事を言う人物。

 誰もが多少なりとも一目を置いており、そういうことに(・・・・・・・)できる(・・・)―――そんな人物。

 そうした人物の言葉の力―――言霊の強さは、凡人が対抗するために並大抵ならぬの努力を要する。

 一度くっついてしまったあだ名。

 一度定められてしまったこと。

 一度印象に残してしまったこと。これを取り除くのは容易ではない。

 ときにはそれが、一生を変えてしまうことすらある。



 では、その言葉を発するのが、魔女であるなら。

 その言葉の力は―――名に付された重みある呪いの力は、魔女の下僕たる鴉の性質を、いとも容易く捻じ曲げてしまった。


 からすについて尋ねた聡雅は、にしきにこのような説明を受けていた。


からすの実際の姿かたちは、私は見た事がありません」

「なんだよ、じゃああいつらが来ても、すぐにソレだとは分からねえってことじゃねえか」


「その通りです」

「その通りなのかよ。()(かっこ)わらい


「聡雅、これは冗談ではすまない話です」


 そのときの彼女の顔があまりに大真面目だったので、聡雅には二の句が告げない。


「唐突ですが、聡雅。個の集団という名の群れ、いわばメタ的個に、単体と同等の意識が宿ると思いますか?」

「え、何言ってんだお前」


「聡雅」

「はいはいすいませんでした。でも質問の意味がよくわからねえ。群れがなんだって?」


「もっと簡単な言い方をしましょう。例えばそう…ニシンの群れに、意識や自我が宿ると思いますか」

「…宿るわけねえだろ。たかだが魚に意識や自我みたいな高等なもんが存在するのかっつー疑問は置いても、だ」


「何故ですか」

「簡単だろ、ニシンひとつひとつに意識や自我があるんだ。群れに自我や意識があるわけじゃねえ」


「しかし、彼らが群れになって泳ぐとき、それはまるでひとつの意志ある巨大な魚のように見えますよね」

「それはあいつらの意識や自我が低レベルである証拠だろ。漠然とした本能やひとつの指向性が奴らを突き動かし、同じような仲間が集ってるもんだから、結局みんな一緒に動いてそういう風に見えるだけだ。でかい魚に“見える”ってのは結果論なんじゃねえのか?」


「それは突き詰めれば、ただの認識論でしかない、ということでしょうか?しかしそのような答え方は、裏を返せばどちらの認識が正しいというわけではない、と認めているに過ぎません」

「…で、何がいいたいの」

「鴉の姿かたちをあなたに教えようとしているのです」


 そこでにしきは言いよどむ。

 その沈黙がどういう種類の沈黙であるかを、何となく聡雅は嗅ぎ取る事ができた―――それは適切な表現の言葉を知らず、ただ無理やり言葉という型に押し付けているような、そんな感覚。


「鴉たちの恐ろしいところは、集であり、個であるというところ―――いいえ、個であるのに集であるというところです。それも集団でありながら、ほとんど高等生物と同等の思考を集において維持している。

 普通、生物というのは脳が発達すればするほど個を重んじ、自我が強くなるでしょう」

「鴉の場合はそうではない?」


「まったく違います。例えば三人集まれば文殊の知恵、などと言いますが、からすの場合は、それがベタなレベルでその通りなのです。思考を共有し、それぞれがひとつの目的に向かって個人であるかのように動く“集団”。よく『身体がふたつあったら!』などと言う人間がいますが、それが本当に可能になると、からすになるのです…」

「…怖いな」


ラビからすが既に行動を開始している可能性があることを指摘なされました。それは恐らくそのとおりかと。からすとはいわば、生命の寄せ集め―――そこらじゅうの死に際の魂から生命を集めて巣にストックしておくような怪物なのです。そこに存在して鳴き声を轟かせるだけで、死を暗示させ、生命をかき集めることができる―――だからこそ彼らは“鴉”(枯らす) と呼ばれるのです」


 それを聞いたときには、正直言って聡雅はまだ実感が湧いていなかった。

 ただ漠然と、倒すのが面倒くさそうな相手としか考えていなかった―――だが実際に目の当たりにして、痛感することになる。

 たしかにこれは、厄介な敵だ。

 厄介な敵なはずだ。

 厄介な敵だったのだ。




(これは、どうなってるの…)


 図書館の入り口で立ち尽くす流生―――目の前で起こっている事が理解できない。

 真実そのものは、単純な事ではあった。

 個を縛るのが名であるなら、たしかにからすにその手は通用しない。

 恐らくは太古から、既に彼らの名前はからすですらなかった。だが名が与えられ、そして取り去られて生命を奪われるまでは、確かに彼らはセカイに溶け合っていたのだ。

 だが名とは―――集団にも付けられるのだ。それも個に対するのと同程度の、重みを持つレッテルを。

 名をあえて取り去られたままで、セカイと溶け合うことにより、無限さと底知れぬ影をその身体に秘めていたからすの本質が変容し、名を与えられた事で完全にセカイから切り離された。

 そして今、言葉の網によってがんじがらめにされ、捕まっている。


「き、さま、この俺様を捕らえて、一体どうするつもりだというのだ…ッ!」


 もはやその姿が―――分身を千切りすぎて流生よりも小さくなってしまったからすが、押しつぶされるような声で五月姫に問いかける。


「うーん…別にどうするつもりというわけではないのよね。ただ、私としては自分にどんな事が出来るのかをただ知りたかっただけだし。それに…」


 ただただ五月の姫は、可憐に微笑む。


「何となく、あえて何かせずこのまんまでも、何とかなると思うのよね」


 勘なんだけどね、とおかしそうに彼女は笑う。

 場違いでも、なんでも、やはり清廉な少女の笑顔は美しく映える。

 絶対可憐少女。

 まるでセカイは彼女を中心に回っているかのような、そんな様子がひどく、たまらなく不愉快だ。

 そう、不愉快―――ダメなのだ。


(なんでだろ…なんだかすごく)


 流生はそのとき自分の心に生じる気持ちに驚いていた。

 駄目だ。

 それは駄目だ。

 このままではいけない。

 このままだと何かがまずい―――何が?

 流生もまた何か(・・)に突き動かされている。


 「何かがうまくいっていない」。


 その感触が、流生には分かった。


五月姫会長このひとが倒しちゃ、ダメ…?)


 混乱状態にあって、かえって自分の違和感の正体をそっくりそのまま翻訳することが出来た流生は、その答えに驚く。

 何がダメだというのだろう。



 特筆すべき点だったが、流生が普段から感じている違和感や、ただひたすら「何かがうまくいっていない」というその感情・感触は、実は五月姫がある種の予兆や予感を得ているときの感触と非常に似ているのだった。

 その感触が、流生に教える―――五月姫会長がからすを倒してはいけない。

 それは五月姫かのじょも、自分も、ひいては聡雅や錦も危険に晒す行為であると―――自分はそれを止めなければいけない!


「か、かかか会長!!危ない!!」

「なあに?」


 突如として背後から上がった聴牌状態てんぱった流生の声を、五月姫が怪訝な顔で迎える。


「ダメですダメ!それ以上やったら危険が危ないです!」

「危険が?」

「危ないんですって!」


 そう言いながら流生はとにかくからすから五月姫を引き剥がそうとする。

 だが五月姫が持つ虹色の網が、からすの身体を徐々に分断していく。

 闇色の肉体が、ぞりぞりと鋭い網目によってブロック状に下ろされていく―――耳をつんざくような悲鳴があがる。


「うっ」


 あまりの悲鳴に二人は耳に鋭い痛みを感じる。

 だが流生はその瞬間を見逃さなかった。


(会長ごめんなさいっ)


 短く心の中で謝った彼女は、背の高い五月姫に足払いをかけ、全体重をかけて押し倒す。


「ッ」


 床に倒したその衝撃で、五月姫の手にしていた虹色の網が弾け飛ぶ。

 宙に霧散したことばの光が、からすを解き放つ。

 もう“種”などと言ってる場合ではない―――寸瞬のためらいもなく、鴉は行動に移る。

 逃げの一手。

 去り際の言葉も、捨て台詞も、遠吠えの余裕すらない、ひたすら生命の危機から遠ざかるための一手。

 巨大な図体では通れなかったEXIT―――だが既にことばによって本質を変えられ、切り刻まれて分断させられた鴉の本体は小さい。

 またたくまにその姿は図書館の奥、観測室の方へと消えていく。

 それを見届けた流生はほっとして―――ぎょっとなる。

 何故自分はこんなことをしてしまったのだろう。

 どういう理屈かは分からないが、とにかくあの化け物を倒す絶好のチャンスだったはずだ。

 それを自分はふいにしてしまった―――もう敵はこちらを知った。それ相応の対応をしてくるはずだろう。


(なんてことなの…)


 自分がものすごく馬鹿に思えてくる。

 つい先程まで自分を突き動かしていた謎の使命感をのろいたくなる。

 意味が分からない。

 彼女の行動そのものが、既にして理屈ではない。







「ねえ、流生さん」


 うんうん唸って自分を罵っていた流生は、ハッとなる。

 そんなことをしている場合ではない。


「す、すいません」


 今の今まで五月姫の上に馬乗りになっていたことに気付き、慌てて退こうとする流生。

 その手を、五月姫がつかむ。

 意図が掴めず、顔を赤くしたままきょとんとする流生―――彼女を下から微笑む五月姫の顔が、ぎょっとするくらい胸に込み上げてくる。

「いいえ、構わないわ」

「そんなわけにはいかないです…」


「強引な子は嫌いじゃないわ」

「は?」


 素っ頓狂な声が流生の薄い口唇から紡がれるのを、どこかうっとりした表情で五月姫が見つめていた。









 聡雅ならその状況をこう表現するだろう―――こりゃあ、面倒くせぇことになった!!





五月姫会長…

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