第一章 その十四
爆ぜた空気が焦がす風。
鼻をつく、まだ熱い灰の匂い。
燃えたのは、本来燃えないはずのもの―――影形ある影の羽毛。
「く、そ…」
何が起こったのか。
その疑問だけが鴉の頭の中でずっと渦巻いていた。
「て、めぇは」
そしてこいつは一体誰なのか。
「自己紹介が必要なのか?」
冷え切った魚のような醒めた目つきでこちらを見下ろす聡雅。
対する鴉のほうは、丸焦げになった身体が地面に縫い付けられている。
本来ならすぐにでも身体を存在の本質―――影たる黒き羽毛に千切って縛鎖から解放されるのだが、どういうわけかそれが出来ない。
(白塗りの杭…だと)
うつぶせになりながら、鴉は自分に刺さる杭が普通の杭ではないことを悟る。
白塗りの杭―――魔女や魔物といった、人ならざるものの恐怖の象徴。
生命として曖昧な彼らの、その曖昧たるが故に強靭な身体や能力が、その一本の杭で貫かれ、固定される事で容易く打ち破られる。
(他の分身たちはどうした…まだその辺を飛んでいるはずだ)
満足に動かせない首を何とか動かしながら、目で上空を探って愕然とする。
戦闘中は気がつかなかったが、今になってその気配がほとんど無くなっている―――こいつがやったのか…?
一方、先程から鴉の疑念と怨念の目を向けられている聡雅の方は、それをやや困った顔で受け流している。
「言いたい事が山ほどあるって感じだな…こいつも、お前も。あれ、“お前”ってのは駄目なんだっけか忘れてたわ」
「もう何でも良いです…」
“お前”―――錦の方は、ボロボロになった華奢な身体を何とか立ち上がらせて気丈に微笑む。
「そういうこと言ってくれるとマジで助かるわ。男ってのは女と文化が違っててさ、基本的に相手の名前は呼ばないんだよね」
そうこう言っている間、聡雅の案山子達は一体を除き、せわしなく上空で暴れている。
目玉の案山子と人参―――アーリマンとキャロット・フェイスが、上空で次々と鴉達を叩き落しているのだ。
“人参面”の吐く爆炎が、カラス達を散らす。
“目玉法師”が瞬きをすると、カメラのフラッシュが焚かれたような閃光が貫き、ボロボロとカラスが落ちていく―――その背からキラキラしたわずかに銀色にきらめく半透明の糸のようなものが飛び出している。
鴉の視力の良い目はそれを捉えていた―――その糸はそこらじゅうへと伸びて学園の校舎や裏庭中を張り巡らされており、目玉法師の瞬きによって生まれた閃光がどこまでも反射してギラギラと怪しく揺れる。
風が吹くと弛む糸に反射した光が揺れて炎が生まれる。
カラス達はその光に当てられて次々と奇声を上げながら消滅していく―――霧散して、空中に溶けていく。
(あっちは不知火―――闇殺しの提燈灯りか…)
それは不恰好な形をした提燈なのだった。
そして聡雅の背後に悠然と佇む最初の一体、背に杭を背負った鋼の身体にボロキレを纏った人形―――その杭は今、片手に握られており、鴉の身体を貫いている。
鴉の中で、様々な要素が交錯し、一点で収束する―――すべてが一致した。
(まさかこいつが…鴉にとっての恐怖の対象だってか?)
魔女の世界では、大局的には相性がすべて―――まさにその通りの事が、彼にもおきているのだった。
かかおどし―――つまり案山子。
鴉は自身や自身に連なる存在のルーツに残る、ひとつの神話を知っている。
それによれば、太古の昔から魔女に使役されてきた存在である鴉達は、本物の生きているカラスの心臓を大量に使って造られたという―――それは今も同様だ。
彼もまた同様の手法によって造られたからだ。そのときに一緒に“生命の影”を取り出して煮詰める事で、彼らは自分の分身として、変幻自在の鴉の姿を得るのだ。
本当の生命ではない彼らに生命は宿らない―――だから他所から持ってきた“生命の影”を、切って貼り付けるのだ。
群にして個、個にしてひとつの意志―――その性質からして出される答は一つ。
非常に、使い勝手が良い。
だからこそなのだろう―――鴉に対抗する存在として、恐怖が作られた。
魔女達はとある存在を模倣し、真似て創り上げた。
そして、それをこう呼ぶ―――恐怖の鴉脅し。
VS鴉用の戦略兵器。
だが目の前にいる聡雅は、それとはやや違う。一線を画している。
ただの物真似や都合の良い独立対人兵器とは思えない。
なにより効果が劇的すぎる。
たった一本の杭で、本体とその分身に連鎖的に影響が及ぶ―――“種喰い”たる自分が、種を前にして無力同然だ。
追い出すとか、追い払うとか、そんな次元ではない。
むしろもっと広義での“種の敵”を駆逐する存在。
はっきり言って、歯が立たない。
(案山子…種とまったく同じ波長がするな)
つまり―――
(こいつが、こいつらが―――案山子の始祖型だってことか……ッ!)
“空から降ってきたもの”どもは、自身の存在を保存していくために、保護者を自動的にコピーする。
生命をこねくりまわし、いじくりまわす魔女と同様―――彼らもまた、その辺で見つけた適当なヤツの生命をいじくりまわし、保護者に仕立てあげる。
間違いなく、目の前にいる“こいつ”が、その守護者の象徴、その役割を担う者なのだ。
「おい、お前」
「む?」
唐突に話しかけられた聡雅が、鴉の方へと振り向く。
鴉は笑う。
「…お前種蒔かれてるな」
「らしいな」
「すっかり芽が出て育ってやがる。蒔かれたのはつい最近だろ、よくまあ育てたもんだ」
「いろいろとその必要を感じたもんでね。お前、見えんのか?」
鴉は笑う。
「見えるサァ…それに“それ”が何なのかも知ってる。そしてお前が何なのかも」
「?」
聡雅の表情が怪訝なものへと変わる。
「つまり、お前は……って事だ」
「あ?なんだよ、なんて言ったんだ?」
「へへっ」
鴉は笑う。
(てめぇもオレとおんなじ、『“使い捨て”だな』って言ったんだよ…)
「…?」
意味が分かっているのか分かっていないのか、あるいは本当によく聞こえなかったのか、聡雅はほんの少し眉根を寄せただけだった。
鴉は笑う。
「ところで一体あなたは今まで、何をしていたんですか」
錦が口を挟む。
その姿はボロボロでいたいけだ―――場違いではあるが、裂けて破れたタイツがどこか扇情的に映るが、聡雅が目をややそらしたのはそのせいではない。
「ああ…そりゃアレだよ、お前が戦ってるのを―――ずっと見てた」
「は?」
錦の無表情がそこでぽかんとしたものへと変貌する。
「あのなぁ…俺はトーシローなんだからよ、そんな敵さんとガチで向かえる技術があるわけないでしょうが。図書室にお前がいてくれりゃ必然的にこいつと出会って、んで勝手に戦ってくれるんだろ?なら俺は適当に隙を見つけて、そんでちょっかい出して糸冬ですよ」
「……」
「ぇ、何その視線」
徐々に冷ややかなものへと変遷していった錦の視線を聡雅が咎める。
「あなた、最初に何て言いました?」
「おう、あれはさ」
「あれはなんですか」
ややトゲのある口調で錦が先を促す。
だがその次に聡雅が言った言葉で、完全に言葉を失う。
「ああ言っておけば、お前は絶対逆切れして逆に自分から鴉と戦ってくれんじゃねーかと思ってさ」
「……」
「実際その通りになったろ」
「……」
「なんだよ」
「…いえ、別に」
「お前こそ最初なんつった?“無理に戦う必要はありません”“勝手に鴉を倒す”ってお前が言ったんだろ?俺はその通りにしただけじゃん」
言葉とは裏腹に何かを飲み下すような雰囲気を錦に感じた聡雅は、弁解と自己弁明という名の故意的犯行動機の説明を行う。
「ぐ…」
「ぐ?もういちど言って」
「なんなんでしょうか、この無性に腹が立つこの気持ちは」
「てめぇもよーやく俺の気持ちが分かったようで何よりです」
「あまりこういう汚い言葉は言いたくないのですが…クソッタレ」
「何故かお前に言われると気分が良くなる」
実際は錦は逆切れしたわけでもなく、また聡雅の思うようにコトが運んだわけでもない。
事態そのものはやや捻れてやや交錯し、やや重なって―――ただ“結果的にそうなった”、というだけの事。
予測も、予想も、当てたか当ててないか、なんて事はただの結果でしか分からない。
あるいは魔女の分析もその程度の事―――これはパンチの効いた皮肉なのだと、錦は悟るべきだ。
必然を言い当てたからといって、それはただそれだけのこと。
だが本当は―――聡雅が飛び出してきたのは、ボロボロの錦を見たからだという事もまた―――ただそれだけのこと。
「そういえば、流生様を観測室の方で保護しました。事情の方も、軽くですが説明しておきました」
「本当か?」
聡雅の顔が一瞬明るくなる。
「ええ、まあ彼女はどちらかと言えばあなたの方を心配しておりましたが」
「でも立場的にヤバイのはむしろあいつの方だろう。なんてったってもともと種を拾った張本人なんだからよ。俺なんかよりはるかに作用が大きいはずだ」
「ひとまず観測室へ戻りましょう。その男も一緒に」
錦はそう言うと、先に独り戻ろうと歩き出してしまう。
聡雅はすぐにその後ろには追従しようとせず、うつぶせに倒れて背中から杭を刺されながらも、何故かニヤニヤと笑い続けている鴉をしげしげと見つめていた。
「聡雅、早く」
「おう…しかし、なんていうんだろうな。本当にこいつが鴉なのか?」
頭をがりがりと掻きながら聡雅は言いよどむ。
照れたり恥ずかしがるとき。あるいは困ったとき。よく分からないときなど、彼はよくこういう仕草をしてみせる。
あるいは、確信が持てないとき。
錦はそれを知らない。
ただ彼の言葉にのみ答える。
「何を言っているのです?あなたも見ていたのでしょう、わたしと鴉が戦う姿を」
「まあ、ちょっとだけな。確かにこいつが鴉を操ったり、化けたり千切れ飛んで再生したりしてるのは見たけどさ」
でもなぁ、と煮え切らない様子を彼は一向に消す様子がない。
錦は彼のそういう様子を見ていると苛々してきてしまうようで、それを隠す事もしなかった。
「一体何がそこまで引っかかっているのです?それとも何に引っかかっているかも自分でも分からないのですか?」
「怒んなよ…」
なおも彼の手は後頭部を撫でている。
「お前、鴉がどんなヤツかを聞いたとき、こう答えたろ―――『造られた生命の中では、一番“原型”の形を留めた姿』」
それにしては、と顎を撫でて聡雅は続ける。
「こいつ、どう見ても人間の姿にしか見えないが…それとも俺が勘違いしていただけで、もともと鴉どもは人間だったのか?」
「鴉は元々古来よりひとつの魔物の種族、派閥として力を持っていた勢力です。彼らは元々存在していた姿である“容れモノ”に、自身の影と他に生命を混ぜたモノを入れた、オリジナルの“改造製”。仮にヒトの形をとってはいても本来の姿ではなく、それはただの擬態でしかないのです」
「だから姿かたちの特徴を聞いても曖昧なコトしか言わなかったのか、実際に見てみないと分からねえもんな…てことは、こいつもそのうち化けの皮が剥がれるってコトか」
そう言いながら指先を、くいっと動かすと案山子が杭ごと鴉を抱え上げる。
鴉はまだニヤニヤと笑っている。
その笑いを不気味なものを見るような目で見ていた錦が、ある事に気付き―――突然鴉の喉仏を掴む。
「お、おい」
錦の暴挙は見慣れているとはいえ、それでも唐突な彼女の行動を聡雅はたしなめようとする。
だが彼女はそんな彼の行動には構わずに、鴉を問い詰める。
「心臓はどこ?」
「え?」
その言葉を聞いて、彼女を押し留めようとした聡雅の手が止まる。
錦の視線を辿って、ふと彼も鴉の胸元を見る―――有り得ない。
錦の裂けたタイツの網目から滴り落ちる黒い血の流れがそれを証明している。
「まさか…」
血が流れていない―――それどころか、その空間だけ最初から何も無かったかのような空洞がぽっかりと広がって、彼は苦痛の表情すら見せずにニヤニヤと笑っている。
「いやぁ、これでも結構驚いてはいるんだぜ?いくらこっちが本体じゃないとはいえ―――いくら心臓を抜き取ってあるからとはいえ、それでもこの杭が刺さった瞬間、俺の分身も、本体もかなり動きが鈍ったからな。そもそも本来影でしかないこの姿を質量で捕捉できるだけでもたいしたもんさ。でもな」
次の瞬間二人は一目散に駆け出していた。
「“種”は俺がいただくぜ?」
白い部分が存在しない彼の見開いた目が―――真っ黒なはずの彼の目が―――瞳孔をなくしてひたすらに真っ白だった。
誰かを疑うとき、まず目を見ろ。
目を見て話せば、言葉の意味するところが分かる―――そのときは、話している相手が“本人かどうかを疑え”。
次話更新するときに、ちょっちつけたしてから更新します。
******
2010.3.3.WED
付け足しました。