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第一章 その十三



 逃げる。


 逃げる。


 逃げる。




 窓ガラスが割れる。

 炸裂音が彼女の後方で弾けて耳膜を揺るがす。

 もう先刻の黒い羽根(ミサイル)のような、甘っちょろい攻撃ではない―――壊す対象もすべて無視した、貫通だ。

 例えば赤外線を超高密度にしたもの―――収束振動波粒子レーザービームは、射程の障害物の干渉を受けながらも、なお直進し続ける。

 いわば刀と刀、矢と盾のような、単純な物理障壁が功を奏しにくい。

 精度や貫通力こそ落ちていくとはいえ、基本的に光は屈折しながらも、拡散するまでは焦点たる目標までは必ず到達する。

 では―――影とは?

 鴉の能力の本髄である影とは、いわば光が当たっていない箇所を指すに過ぎない。

 だがそれが“力”であるとは一体―――?


「はあっはあっはあっ…くっ」


 全速力で校舎の壁面を駆ける彼女が、一定のリズムで刻んでいた足音をある瞬間で乱す。

 そこへ狙い澄ましたかのように漆黒の羽根が突き刺さる。

 大蛇うわばみを操る彼女は、中・近距離の戦闘は出来ても、遠距離にはなすすべがない。

 ないこともない(・・・・・)のだが、影たる鴉相手にだけは、運の悪い事にその手が通用しない。


(何とか校舎内におびき出す事に成功した―――だが聡雅は一体何処に?)


 駆ける錦は努めて冷静にしながらも、肝心の作戦の要である聡雅がなかなか姿を現さないことに焦りを感じていた。


「うあああっ」


 痛々しい叫びを上げて錦は派手に転げ落ちる。

 足元を数陣のカラスが突き抜けて行った。

 それでも彼女は壁面に爪を立てて立ち上がり、走る。

 背後に向けて無造作にうわばみを放つが、空を切る音が虚しく響く。


「こっち向けよオラ」


 彼女の正面へと飛び走っていった黒い羽根が、目の前で結合して鴉が現れる。

 まるで花びらが散っていくかのようにその背から肘にかけてクロスされた翼から、羽毛が吹き流れてくる。

 それは中空で鋭利に向きを変え、錦の方へと向かっていく。

 その羽根を次々にしなる鞭のような蛇の体躯とあぎとが叩き落していく。

 飛び散っていった黒い羽毛は、弾け飛びながらその姿を変え―――カラスの姿となって再び彼女へと襲い掛かる。

 永遠に続くかと思われるような猛攻。猛襲。猛撃。

 捌ききれない錦の体の各部が―――腕が。太ももが。肩が。わき腹が。徐々に裂けて傷口から黒い血が流れていく。


「くっ…」


 ついに錦の膝が地をつき―――そこは校舎の壁面だったので、そのまま彼女の体はずるずると下へ転がって―――落ちていく。

 さも当然のように黒き羽毛のカラス達が、まるでそれ自体でひとつの生き物かのように群れを成して、一直線にそれを追う。



 喰われる。



 その感覚だけがひたすら彼女を襲う。

 わずかに開いた瞳孔で、カラスの群れの頭部を視認する。

 幾十ものくちばしの、開いた口腔から覗く怒りと怨嗟の人面達が、赤い舌を懸命に開けながら彼女の肉体を待っている。


 錦はその正体を知っている。


 鴉も錦も、厳密には魔女ではない。

 あくまで魔女の使い。魔物といった方が分かりやすい。

 彼も彼女も、魔女によって造られた存在。

 生きているとはいえ、本質的に人とは異なる生命体だ。

 何故、鴉は影を能力として用いる事が出来るのか―――それは影こそが、生命の代替物的概念の象徴シンボルだからだ。

 生命が生まれてセカイへと解き放たれるとき、同時に生命は影を得る。

 影は自分の生命の象徴であり、プシュケーそのもの―――だからこそ生命として曖昧な鴉も錦も、その影から己の分身を創り出す。

 人のように確たる魂の形を持たないからこそ、彼らは自分の影を操れるのだ。

 その影が怨嗟の声を上げている―――彼と、彼女の魂を造った“基”となる生命が、怒りと哀しみの意志を捨てないからだ。


(裸にされるのはヤだな…)


 ふとそんな事を思う。

 彼女の身体は、生傷が耐えない。

 彼女は自分の役割に忠実であるからこそ、身を呈してその職務に忠実であろうとする過程で、どうしても自分の身体を酷使する。

 だから彼女は素肌を晒そうとしない。

 タイツを履き、袖は手首まで伸ばし、ネクタイを決して緩めない―――その覆われた下では、凝固した黒い傷口が笑っている。

 ふっ、と彼女は気付く。



 ああ、そうか―――そういうことだったのか。



 自分が“あの男”が気に食わない理由が、彼女にはピンとこなかった。

 彼もまた自分の事を気に喰わないのだろうなとは分かっていて、でもそれがどういうことなのかよく分かっていなかった。


 だがその理由に、こんな状況でようやく気付いた。


(はは…馬鹿みたい)


 こんなことは嫌に決まってる―――こんな状況に置かれて、普通それをまるで良い子のように頷いて平然としていられる者などいない。

 言うなれば彼女は―――誰かから心配されるという事が、いまいちピンと来てなかったというだけなのだ。

 誰かと馴れ合ったり、誰かと話したり、親しくしているという事が彼女にはよく分からなかった。

 いまいちそれがどういうことなのか“掴めなかった”という、ただそれだけのこと―――。


(『てめえこそ図書室にでも篭ってじっとしてろ』…かぁ。なぁんだそれなら、もっと大人しくしてれば良かった、かな)


 ふっ、と彼女は笑う。









 おや、と鴉は錦を見て思った。

 ほんの一瞬―――わずかな表情の変化だったが、彼には彼女が笑ったように見えたのだ。

 それは幾分自虐的で、どこか自分自身を嘲笑っているかのような笑いに見えた。

 否、笑ったというよりも、それはむしろ―――。


(“笑いかけた”…?)


 ―――それは誰に?


(俺に?まさか…いや違うッ!)


 その目線の先を辿ろうとして、自分がそのためには一度背後を振り返らなければいけない事に気付く。

 だがもう遅い―――既に迫りくる巨大な影がスッポリと彼を包んでいた。



 大爆発。


 一言で表せばそうなる。




 胸元を見ると、鴉の胸に真っ白な杭が刺さっていた―――その杭の根元を辿ると、無機質な鋼色の手首があり、その腕を伝うとそれ以上に無機質な仮面と、ギョロリとした目が存在を表明する。


(“案山子”…だとッ!!)


 鴉の身体を戦慄が襲う。

 よく見ると仮面の表面に、マジックインキか何かで書かれたような文字で「へのへのもへ」と書かれている―――まるで冗談のようなその容貌と姿に、度肝を抜かれている暇は彼にはなかった。

 空中を散布していたはずのカラス達がいない―――叩き潰されても再生し、千切られてもまた集まって形を成すはずのカラス達が、霧散したまま戻ってこない!!!!


 何が起こった!?


 何が起こった!?


 何が起こった!?



 背後からの鋭い衝撃と痛みと爆発で、完全に鴉の思考が吹き飛ばされていた。






 対する錦の方は、落ちながらその一部始終を目にしていた。

 彼女が見た事のある案山子以外に―――他に二つの案山子がそこにいた。


 ある一体はまるで巨大な目玉のような姿をしていた。

 丸い巨体にダーツの的のような赤い同心円が描かれ、さらにその中心にこれまた不気味だとしか言いようがない半眼が収まっている。

 その的を支えるようにキシキシと音を立てる針金細工の細い腕と翼が、隙間のいたるところから突き出して開いている。

 よく見るとその腕と翼は指であり、丸い胴体は手のひらのような配置になっている。


 別の一体は―――こちらは案山子とも言い難い奇抜な形をしている。

 一見しただけでは何かは分からない。

 だがよく見るとその形はあるものに似ている。

 そのある“もの”とは…。



(にんじん??)

(にんじんだとおおおおおおお)



 それはにんじんに目と口と鼻をくりぬいたような、そんな造型をした案山子なのだった。

 まるでアメコミ風の変態怪人のような―――冗談みたいな姿なのに、背筋がぞわっとなるような―――そんな姿の“顔だけ”案山子が、口腔を開けている。

 その口腔は舌が当然のように突き出ており、その先端に炎が灯っている。


 案山子男が杭を持って鴉の身体を背後から貫き―――にんじんが火を噴いて辺りが爆発した。

 起こったことを説明するとすれば、そんなところであろう。


 燃え盛る空気と、丸焦げになりながら胸を杭で突かれた鴉―――その背後に、見慣れた姿を見つける。

 急接近してきた彼氏―――聡雅が、落下する彼女の胸倉をつかむ。

 落ちながらも彼は確かに彼女に話しかけていた。


「俺、お前になんつった?」


 錦はその声を聞いて―――やっぱり、自分はこの男が気に喰わないと思った。

 その言葉が発せられるその前に、もう一度大爆発が起きる。

 にんじんが再び火を噴いた。

 その音を聞きながら、錦は彼氏の次の言葉を待つ。


「“じっとしてろ”つったろうが、なんでそんなボロボロなの?」

「…すみません」


 彼女の謝罪と同時に、再び爆音が辺りを満たした。




学校崩壊フラグ

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