序章 回想その一
放課後の委員会招集をホームルームで連絡されたとき、彼女の頭の中はいかにしてその時間を乗り切るかという事だった。
(はぁーっめんどくさい!)
もともと彼女は委員長を立候補したわけではなかった。ただ周りの流れで、何となく押し付けられて、なってしまったのである。
「なんとなくできそうかなぁ、とか思っちゃったのが失敗だったなぁ…」
今思えばノセられていたのであるが、新学年でクラス替えがあった事もあり、少し浮かれていたことは否めない。
彼女はどちらかというと他人に追従してしまうタイプで、同調したり愛想笑いとかを浮かべてしまう方だった。本来ならそういう人間はすぐにそれと見破られ、その意志薄弱な所を付け込まれたりあざ笑われたりしてしまうものだったが、彼女自身のそれとは気づかぬナチュラルな“ズレ”が、偶然にも好意的に解釈されてしまっているのだった。
彼女自身も何となく自分のそういうところに気付いていて、どうにかその“ズレ”を何とかしようと思うのだが、そうやって周りをちらちら窺って観察して行動する度にまたしてもいろいろと“やらかして”しまう彼女はすっかり自分に幻滅してたりするのだった。
(絶対誤解されてると思うんだわ…あたし)
天然だけど、どっか芯があって頼れるかも、とか思われている彼女は、その実それが体の良い“お使い”である事を見抜いていて、それでもあえて自分はそうするしかないことも分かっていて―――。
(天然って皆ゆーけど、結構いろいろ考えてんのよ?)
基本的に人間とは他者から規定されている部分と自己の認識による部分があり、そのどちらもが正しく、どちらもが間違っている。自身の印象やキャラクターなんてものは、ひどく曖昧で適当である以上、そもそもいちいち気にするようなものではないのだ。この他者から見れば些細でどうでもいい事が、本人にとっては切実で大げさな悩みになってしまっているところが“天然”と言われる理由なのであったが、彼女はその事に気付かない。だから彼女はたまにムキになってしまって―――本当は周りにノセられていただけなのに委員長なんかをやってしまうから―――周りに“ああ見えて実は責任感がある”と、誤解されていくのだった。
今日もまた、彼女は教師から肩を叩かれて、円卓上に並ぶ会議席に座っているのだった。
人とはいつも違うところで頑張っている彼女は、こういうときどうしてもぼーっとしてしまう。普段余計なことをたくさん考えている分、こういうとき何を考えたらいいか分からないので、ひとまず思考を停止して身体を休ませているのだ。
だから突然発言を求められたとき、彼女は実は話の内容も流れもまったく理解していなかった。
ただ、曖昧に頷いてみせた瞬間、事態が一気に進んでしまったのだ。
「本人が頷いているわ。なら、それで大丈夫なのでは?」
「オーケイ、じゃあ六月の体育祭行事は、総括はいつもどおり会長、現場担当は“陸上部マネージャー”さんって事で」
「えっ」
それが自分の事を言ってるのだと、ハッとなって悟る。
「大丈夫かしら、少し話が急過ぎたようだけど」
ぽーっとして声のした方を向くと、案件が終わってすっきりした顔で書記に指示をしている生徒会副会長と、会長の姿があった。
(会長の髪って、長いのになんであんなに清々しく爽やかなんだろ…)
彼女の脳内では、五月姫のその姿を見てまたどうでもいい事に思考が流れていたのだが、周囲はどこか“うんうん”“分かる分かる”というような共感的な視線を彼女に送っていた。
水泳部部長にして生徒会長。成績は上位三位以内―――常に一位か二位のどちらかだが―――身長一七三センチにして肩幅は広く、小顔で長い手足。華奢なパーツが細さを主張するのに対して、四肢を支える肉体の方は成長を主張し、適度に熟れた各部がしっとりと丸みを形づくる。
彼女の名はサツキ。五月の姫と書いてサツキ。
五月という単語にはそれ自体で様々なイメージが内包されている。春を象徴する豊穣の月でありながら、かの魔女達の夜会もまた五月に行われ、その晴れ晴れとした姿の中に、密かで些細な悪戯心や小さな悪意・皮肉を含む。
彼女の端正な顔立ちには、見つめられる者すべてを眩しくさせる天使のような光も、小悪魔のような人を翻弄する赤い舌と深い眼差しも、すべてが備わっていた。
“ザ・パーフェクト”。全員がそう判定する。
後は相応の歳を重ねるだけで、本物の女の誕生だ。
「聞いているかしら」
「はっ」
彼女の深くそれでいて透明な髪の色が、長く直毛の芯の強い毛髪を神聖化しており、美しい光の輪を頭頂部に讃えながら、その裏に隠された切れ目の瞳が優雅に流生の方を捉えていた。
思わずどきっとしてしまうが、その動作はむしろ彼女を前にすれば当然のようにすら映り、周囲もまた動揺する流生の挙動を責めない。
「ぜ、全然大丈夫です」
それは“聞く準備が出来ている”という意味での事だったが、この場ではもっと別の事を意味していた。
「そう」
「じゃあ体育祭の件、備品関係と設置、人員は完全に任せたから。プログラムは従来どおり、生徒会が担当するということで」
会長がにこやかに笑い、パン、と副会長の手が鳴り、一気に会議室の中がお開きムードになる。
「ねえ、あんたホントに意味分かってた?」
「ううん、あんまり」
横で副委員長として出席していた友人の追及に、彼女は曖昧に笑うしかなかった。
後で知らされた事だが、陸上部のマネージャーなら体育祭関連の備品は勝手が効くだろうから、すべて任せてしまおうというとても乱暴な話だったのだそうだ。実際には設置用具はすべて陸上とは関係ないものばかり―――それこそパイプ椅子から事務職員専用の給湯設備の移動まで―――だったりするわけだが、そういう細かいところの事情はもちろん彼女達は知る由もない。
「はーめんどくさー」
口とは裏腹にどこか軽い彼女―――というのも彼女はあくまで副委員長だからなのだろうが―――が軽く目を閉じて伸びをする姿を(なんかいいなぁ)なんて笑って見つめながら流生は呟く。
「なんかいろいろ任されちゃったけど、大丈夫かなあ」
「男子がちゃんと動いてくれれば何とかなるとは思うけどねえ」
彼女の言葉に少し首を傾げる姿で思案したが、すぐに顔を明るくして言う。
「でも大丈夫よ、何とかなるんじゃない?ちゃちゃーっと終わらせちゃいましょ」
「うんうん」
「それじゃあ委員長殿、プラン・シートはよろしくですっ」
「え?」
軽やかに笑って去っていこうとした副委員長を慌てて引き止め、呆れ顔でいろいろと説明を受けた彼女は「詳しいことは五月姫会長に聞いたら?」と最終的にあしらわれてしまい、困った顔で生徒会室の前に立つことになるのだった。