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第一章 その十二

 傾いていく陽射しで、影が伸びていく。

 木や校舎、鉄骨や給水塔の影―――その影に、新たに人影が加わる。

 その影は、斜めに傾いた校舎の影に“垂直に立ち上がる”。


「あーあー」


 真っ黒なパーカーが校舎から突き立っていた。

 人影の正体たる男―――鴉は、口に三つならんだピアスを舌で転がす。

 薄化粧でもしているかのような白い顔、その目元に二本の筋が入っていて、その部分を骨ばった指先がなぞる。

 外見だけで言えばまるで何か道化師のようですらある。


「くそぉ、めんどくせぇな」


 鴉は目標を見失って業を煮やしていた。


「ええと、あそこの扉から入ったんだろ?だから」


 そうやってぶつぶつ呟いている間中ずっと、その手はせわしなく顔の表面の二本の筋をなぞっている。

 落ち着かなくなると、彼はこういった仕草を見せる癖があった。


 鴉と言えば『索敵』や『偵察』といったイメージを持つものが多い。

 同様に彼も圧倒的な数の鴉を用いる場合、それは多くは情報収集を目的とした索敵行動が多い。特に上空というのは非常に情報量が多く、偵察として用いるには有効な視点であった。

 事実その圧倒的な情報検索能力によって、方々に飛ばした分身たちの膨大な情報の中から彼はいちはやくこの学園にたどり着いたのである。

 だが彼に言わせれば、見つけ出すのは非常に簡単であった。

 例えば鴉は目が良いが、実はそれはただ視力が良いというだけではない―――人とは異なる別の色が見えているという。

 通常ニンゲンは原色である三色をあわせてセカイを認識しているが、カラスはその色が一色多い。

 もちろん普通のカラスなら単純に色識別がひとつ増えただけに過ぎないが、彼の場合だともっと違う現象を引き起こしているかもしれない。

 例えば色を認識するということは、究極的には光を波長としてとらえた眼球が、それを電気信号に変換して脳へと送る―――つまりクオリアを発生させるという事だ。

 その識別できる色が一種類多いという事は、変換されたときに生じる視界のクオリアがニンゲンのそれよりも多いという事になる―――ではもし鴉が認識できるものが色だけに限らず、別の次元や別の認識回路だったとすれば、それはどういう事を指すだろうか。

 ほとんど概念や観念的なレベルで、人と見えているものが異なっているとすれば―――単純な光の反射だけではない別の、例えば聡雅などには普段見えない錦の本当の姿や、聡雅の中に納まっている案山子が見えるとすれば―――生まれるクオリアそのものが人とは異なっているのであれば、彼が認識できるものは、人が目に見えるものには留まらないだろう。


 結論を簡明に略せばこうなる―――彼は、“種”の波長を探し出したのだ。

 “種”の波長―――それを彼は『匂い』と呼ぶが―――植物は様々な香りを持っているが、蜂などはそれを嗅覚と視覚で捉えて探し出す。その様子は人間が空気中に漂う匂いに色がついて見えているような状態であり、非常に鮮明で明快だ。

 彼もまた同様に“種”の落下の形跡から辿り、その匂いを探す事で瞬く間に居場所を突き止めたのだ。匂いは物体に移る―――波長も同様に物体に移る。後はそれを探せば良い―――実は流生が大量の鴉の分身に追われたのも、彼女に鮮明にその“種”の波長が染み付いていたからなのであった。


 だが種を居場所を突き止めた彼の能力―――これには欠点もある。

 上という空間は見ようと意識しなければなかなか見るものではないが、逆に言えば一度意識してしまえばそれだけで相手からもこちらが容易に視認できる―――なまじ空という場所が広大かつ障害物の存在しない空間であるために、むこうからもこちらが丸見えになっている。

 彼の操る分身“鴉”もまた同様であり、相手にバレるバレないを気にしなければ非常に効果的な索敵・警戒方法ではある。だが逆にこちらの存在やネタが割れてしまうとむしろ相手に「今からお前達を攻撃しに行く」「こちらはお前達を監視している」というメッセージを残してしまうため、相手が篭城状態―――いわば一箇所に留まっていれば良いような状況には向かない能力でもあった。

 そのため彼が得意なのは、相手を追い詰めたり囲い込むような“追撃”であり、主にそれは長期戦によって効果を発揮するのであった。

 常に相手を緊張状態に置くことによって煽り、ミスを誘い、徐々に弱らせていく―――だがそれが今回に限って言えば。


「あんまりなぁ…」


 そうなのだった―――別に“種”は逃げも隠れもしていない。

 ただ“守られている”だけなのであった。後はどこにあるかを見つけ出して、とっとと奪ってくればいいだけの話である。

 しかし―――。


「“星の子ら”がこーいう形で守られてると、ちょいと俺はやりづれえんだよな…あぶりだしてどっかに逃げてくれればいいんだけど、建物がでかすぎるしなぁ」


 鴉はこのようにして、うんうんと独りで唸っている。


「やっぱ誘い込まれてでも中で勝負するしかねえのか。となるとさしあたって問題になるのは錦だが…まあそれはなんとでもなるか?」


 本人が聞いたらかっとなりそうな事を平然と呟きながら、意を決したかのように鴉は校舎の壁面を“下に”歩き出す。

 適当な窓を見つけると、中を覗き込む。

 覗きこむとそこに、陽光から照らされた彼の影が中に入り込む。

 同時にずるり、と鴉の体が歪んで―――もうその一瞬後には窓の向こう側に彼が立っている。


「さてと…ん?」


 廊下に立ち上がった鴉は、前方を見てわずかに顔を歪める。

 しばらく見ていたかと思うと、突然片腕を突っ張らせる。

 その瞬間彼の肘から漆黒の翼が突き出て、爆発する。

 否、その翼から十数枚の羽根が射出された―――そのときのあまりの速度に空気がたわみ、細かな羽毛が飛び散って粉塵のように見えたのだ。

 その漆黒の羽根ミサイルは、彼の狙ったとおりに校舎の柱を攻撃する。

 不思議なことに攻撃された柱は傷ひとつついていない―――彼の能力の本髄である“影”は、彼の望む破壊しかしないのだ。

 だが彼はニヤニヤ笑いながらも、わずかに舌打ちをする。


「まあ外れるとは思ってたけどよ…にしきちゃん、ボクちんの視力の良さは知ってるんだろう?そんな迷彩じゃ騙されないなあ」


 彼の視線の先で、柱の壁面に擬態していた鱗が剥がれ落ちる。

 その鱗の中に、少女―――錦がいた。


「突撃のタイミングも場所もバレバレか…鳥が降りてくるのって丸分かりだもんなぁ、やっぱ俺の能力って襲撃よりもホントにただの監視・偵察用って感じだわねえ」

「あなたのその一人称がコロコロ変わる話し方もですが、何よりも遠巻きにジロジロ見られるのが不愉快です」


「だから逆に地面に擬態して上から見られても見つからんよーにするってか?それ小動物の手口で、有鱗目のキミがやる手口じゃないでしょ。まあトカゲの一種なんかは似たようなことする奴いるけど?」


 鼻でせせら笑う鴉に錦は動じず、身体を強張らせる。

 攻撃態勢を察して、鴉は目を丸くして両手を前に出し、おどけたような仕草を見せる。

「アーちょっと待った。まず質問をさせてくれ」


 むっとした顔をみせた錦にむけて「まずそのいち」と鴉は指を立てる。


「まあどうせお前も俺も“魔女”には逆らえない立場だが、見たところボクちんなんかよりもはるかに早く“星の子ら”を見つけたあんたが、いまだにそいつに手を出さない理由はなんだ?おいらたち魔女と魔女の下僕の役割は、“空から降ってきたものども”を監視・警戒し、あわよくば回収して徹底的に“中身を知り尽くす”事だろう?だがあんたらは違う。一体何を考えてるんだ?いやそれはキミのことじゃない」


 言葉を区切って彼は続く言葉を強調する。


「てめえのラビとその一派―――“東方魔女連盟”は何を考えている?ヴァルプルギスの夜にあんたらは何をやらかしたんだ。何故お前らは“いまこの時期”になって世界中の魔女を敵に回した?」

ラビの考えは私には分からない。分かる必要もない」


「出たよそれ。結局お前は“何も分かっちゃいない”。いつもそうだな。知ってるか?“真なる忠誠心は無知からは生まれない。飽くなき探究心と正確な知識を基礎とする”。そうやって主君と心から同調して始めて忠誠心が生まれるんだぜ?ま、その点で言えば基本的に俺も忠誠心ゼロって事になるわけだけどサ。実際俺も興味ないしね。でもお前とはやっぱ違う」


 ひどく底意地の悪いような表情を鴉は浮かべる。


「俺は自分の好奇心や興味がある事は、節操も分別も差別もなく徹底的に追及するぜ…そこがお前との違い―――ひたすら超然として周囲に関心を払わないお前との決定的な違いだ」

「それがどうしたというのです。今の状況にどのような関係があるというのですか」


「それが“感覚的に分からない”っていうところが、お前の限界なんだろうな。まあいいよお前はそれで。知るべきコトだけ知って満足しとけや」

「…話したいコトはそれだけですか」


「あーもうひとつあったんだけどよ、それはもういいや。なんつうかお前に尋ねてもしょーがねえわ、だってお前何も知らねぇもんな(・・・・・・・・・)


 ひどく馬鹿にしたような声だった―――その言葉が終わると同時に、鴉の姿が千切れて掻き消えている―――その空間に錦の放った大蛇の顎が虚しく喰らいつく。


「くっ!」

(そっちか…ッ)


 振り向いた彼女の視線の先で、窓の外にいつの間にか移動していた鴉がにんまりとこちらを見ていた。


「オラ、ぼさっとしてると返り討ちに遭っちゃうヨ」


 カタカタと乾いた笑いを響かせながら鴉は中空に飛び出す。

 錦もそれを追って飛び出していく。

 それを見て、ニヤリと鴉が笑う。


「はい、失点。空中戦は圧倒的に俺が有利です」


 彼の体から大量の黒い泡が吹き出していく―――泡かと思えたそれは黒い羽であり、当然それは散らばった後形を成していって―――カラスたちの怨嗟の絶叫が空間を揺らす。

 それはさながら水中に落ちた獲物に群がるピラニアのようだった―――喉の奥の顔、その血走った目が錦をぞっとさせる。

 背筋を何かが這い登るような嫌悪感の中で、彼女もまた大蛇うわばみを顕現させる。

 髪や背から、幾条もの大蛇うわばみが体躯をうねらせて応戦していく。

 宙を飛んでいく大蛇の尾がカラスの小さな身体を穿いて黒塵へと霧散させていく。

 だがその霧散した黒塵から、また新たに数匹のカラスがうまれていく。


 そして次々と増殖していく。


 飛ぶ。


 穿つ。

 裂ける。

 叫ぶ。

 散る。


 増える。



 飛ぶ。


 穿つ。

 裂ける。

 吼える。

 散る。


 また(・・)増える。


 次第に大蛇の方の鱗が、ついばまれてボロボロと分解していく。


「…ッッ!」


 激しい痛みが彼女を襲う。

 一匹の大蛇うわばみの腸の鱗がすべて剥がれ落ちていた―――その剥がれ落ちたところにカラスが喰らいつく。


 一度穴が開けばそこが弱点になる。

 次々とカラスが増えていく。

 食い破る。

 食い裂く。

 食い進む。

 肉を引きちぎり、爪で皮を引き裂きながら、腸の中を進む(・・)


 ピラニアの群れに大魚を放り込めば、引き上げたときにははらわたがすべて彼らに食われて、まるでセミの抜け殻のようになった死骸が返ってくる。

 まさにそれと同じだった―――尾から胸までを皮と骨以外すべて食い荒らされた数匹の大蛇が、ゆらゆらと揺れながらやがて縮んでいく。

 錦が校舎から飛び出して地に着地するまで、わずか十数秒というところ―――そのわずかな時間で、彼女は満身創痍になっていた。

 ケタケタと乾いた笑いが響く。


()()な。弱すぎる。まあ相性もあるんだろうがよ」

「……」


 錦は何も答えない。

 その様子をややいぶかしんで、すぐに鴉は気付く。

 決して彼女は校舎を背にして離れようとしない―――あくまで彼女は鴉を追い払おうとしているだけなのだ。

 積極的に彼女は戦おうとはしていない。

 むしろ彼の思惑に気付いている―――建物から過度に離れて誘い込まれれば思う壺だと。


(へぇ…あの感情的なお嬢ちゃんが、今回はちっと冷静気味なのか?)


「わたしが冷静だとでも思っているのでしょうね」

「あん?」


 思っていた事が、そのまま錦の口から出た事で鴉は虚を突かれる。


「最初から分かっている事でした―――わたしではあなたには適わない。魔女の世界は大局的には相性がすべて。よっぽどの事がない限り、所詮下僕(・・)ではその相性を覆せない。蛇が猛禽属に対して圧倒的に消極的ネガティブな戦いをしなければならない事くらい、わたしにも分かる。だからこそ(・・・・・)です」


 鴉は錦が感情的な女であることを知っている。

 無感情な言葉の言い回しや台詞、話し方もすべてそのおまけのようなものだ。

 こいつはすぐに怒る。

 すぐにキレる。

 すぐに目の前が真っ白になる。

 それを鴉は嘲笑って楽しんでいた―――馬鹿正直で素直な女は可愛い。

 何より自分の思い通りになる。

 いたぶるのが楽しくでしょうがない。

 彼女の見せる反応のすべてが面白くてしょうがない。

 だから彼女がそんな顔をする事は、彼の予想もしないことであった。


「圧倒的有利を見て楽しむあなたのような男のつまらない嗜好は、本当に単純―――さあどうぞ、心ゆくまでお召し上がりくださいませ?」


 あろうことか錦はこの状況で、完璧にも近い皮肉な―――それでいて見る者がぞくっと引き寄せられるような艶やかな笑顔をしてみせたのだ。

 まるで「こうしてやりゃお前は喜んでキャッキャと騒ぐんだろ?」と言わんばかりの態度―――遊女が喘ぐふりをして男の下で冷たい表情で見上げているような―――こちらは確かに相手を圧倒して支配しているはずなのに、女の方は決してそれに対して屈していない。

 それはひどく腹が立つのだった―――この女ッッ!!!


「もう一度言ってみろやオラ…ぶち犯すぞこのくそアマ


 空気がたわむ。


「言っておくが俺は自分の分身をせいぜい半分程度しか集めてねえ。残りは全部ここら一帯に散らばって散開させたままだ」


 錦の肌を悪寒と大量の鳥肌が襲った。

 言わんとしていることはすぐに伝わる。

 せいぜいが錦は鴉の半分程度(・・・・)ということだ。それは圧倒的な実力差―――偵察専門を称する男と、実戦を経験し鍛えられているはずの彼女との―――魔女の使い、魔物としての埋まらない歴史と年数の差だ。

 錦と鴉では、魔物としての年数が違う―――先に生まれればその分、強い。

 加えて相性で圧倒的に不利だ。

 五歳児が二十歳の成年相手に立ち向かおうとするようなものだ。

 まるで勝負にならない。

 改めて冷や汗が錦の肢体をつたう。


「殺してやるよ、錦―――食い破って食い荒らしてやる。八つ裂きにして全裸にして晒してやる。四肢を切り落として髪を剃り落とし、涙目になったお前の口にぶち込んでやる」

「そのときは、食いちぎられないよう注意することですね―――蛇の顎は、喰らいついたら離しませんよ」


 鴉の目が完全に狂っていた―――狂気をはらんだ目と纏う空気オーラが邪悪に歪む。

 同時に錦の周辺、彼女を中心にして三百六十度四方八方遠方から、ざわざわと黒い羽影が飛び立っていく。

 空を覆いはじめた塵粒のような黒点の群れが、どんどんと彼女と鴉の方へと近づいてくる。







 鴉が空を舞うとき、死人が出る。

 腐肉を漁るその姿から、口々に古今より人々からそんな噂が流れる。

 まさに今、死を予言するカラス達の叫びが、大気を充満していった。




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