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第一章 その六

 終業の鐘が鳴る。


 しかし鐘が鳴ると同時に教室から出られるクラスはといえば、これは稀だ。大抵の場合ホームルームというものは、要領を得ない教師の連絡や報告・幾ばくかの世間話や身辺注意・個人的指摘などによって時間を潰され、肝心の話自体は三分にも満たないというのに、何故か数十分も水増しされている事が多い。

 何を隠そう聡雅が所属するクラスの担任がそのような人物であり、彼は先述のような不満を常に内心で漏らしているのだった。


(いいから…もう終わらせろ)


 十数秒に一回、同じサイクルで同じ苛立ちが循環してくる。

 こういうときは、まったく関係ないことを考えて時間が過ぎるのを待つに限る。

 彼は視線をつい、と横にずらす。

 窓際列後方から二番目。教室におけるベストポジションと考えられている席を、聡雅はぼんやり見ていた。

 彼自身はその斜め後ろ、窓際二列目最後尾に座っている。

 少女はやや肩にかかりかけた黒く短い髪を垂らしながら、黒板の方を見ている。

 真面目に聞いているのかいないのか、それは彼からは判別できない。

 彼女―――流生の方に目線だけを向けながら、聡雅は悩む。


(どうやって説明するか…)


 “種”について魔女ラビから得た知識は、彼なりに整理はしてみたものの、やはりどこかお伽話のような突拍子のないことにしか思えない。

 当事者である自分がそうなのだから、実際にその場を目にしていない彼女にしてみればなお更の事だろう。

 ここ数日彼はそんな事を考えながら彼女と接していたのだった。

 しかし魔女ラビの話によれば、もうすぐ“種の危機”―――最初は“カラス”だと言っていた―――が訪れるはずなのだ。

 既に向こうは動いている可能性もある。


(何が『伝えるべきことは伝えた』だよ…ただの事実報告なんざ何の役にもたちやしねえ)


 落ち着いて彼は整理する。

 疑問点は二つ。


 ひとつ。

 そもそも“カラス”とは文字通りの鳥なのか、あるいは何らかの呼称なのか。相手の姿かたちが分からない。

 流生の元にやってきた“種”と同じような、何らかの怪異もしくは外来生物の類なのか。あるいは自分の“案山子”のような、異形な能力か何かなのだろうか。


 ふたつ。

 “種を食う”というのは、つまりどういうことなのか。文字通りだとして、具体的にどのようにして襲ってくるのか。相手の出方が分からない。

 そして、他にもうひとつ引っかかる点があった。


(そういえばあの魔女ラビとかいう奴は、『危機に合わせて“種”の方も適応変化をする』とか言ってたな…あれはどういう事なんだ?) 


 はたから見れば気だるい午後の放課直前儀式を乗り切らんとするだらけた少年だったが、彼は今その場の誰よりも真剣に頭をフル回転させているのだった。


「起立」


 週直の気の抜けた声が響き、いつの間にか担任のくどい話が終わっている事に彼は気付く。

 怒られない程度の声で挨拶をして、怒られない程度の礼をする。

 そして次の瞬間にスイッチが切り替わり、一転して室内が想像しくなる。

 同時に教室を出て最下階の昇降口へと降りる人々。

 その多くは課後活動か課外活動へと出る者たちで占められている。彼のように、そのまま寮に直帰する者はほとんどいないだろう。

 彼は再度椅子に座った後、もう一度彼女の方を見る。

 流生と聡雅は教室では全く話をしない。

 彼女の方で何を感じているかは分からないが、少なくとも彼の方には多少なりとも理由はあった。

 “話せない”のだ。どうしてもあの小部屋の観察室でのような話し方が、教室になるとできない。

 恐らく周りに人がいるからだ。

 一対一で話しているときと、周りに人がいる(それも多少なりとも関わった事のある人ばかりがいる)場所だと、どうしてだか上手く彼女と話せない。


 人にはスイッチがあると思う―――誰かと接するとき、人はそうやってスイッチを切り替えている。ラジオのチャンネルと似ている。

 あの人にはこの周波数―――この人には別の周波数―――そうやって常に自分をいつも切り替えている。

 それは人だけではなく、場や空気にも大きく左右される。

 教師の話し方が、教壇に立つとき、講堂に立つとき、面談で話すときで異なるのと同じだ。

 それは突き詰めれば状況に合わせて適応しているという事になる。人はそのようにしてシチュエーションにコミットするとき、自分をある程度騙し、演じているのだ。

 それは極々自然なことであり、なんでもないことである。

 しかしそれが聡雅に限っては―――


(どーにも上手くいかん…難しいな)


 だから彼としては、教室では彼女と話さないというスタイルを貫いている方が好都合なのだった。

 そして彼女もまた、無理に話しかけてくる様子もない。

 交わす言葉といえば本当に二言三言。


「“種”はどうなの?」

「いつも通りじゃね」

「ふーん、そっか。今日は?」

「いく。あんたは」

「いけたらいくかも」

「いつも通りか。了解ス」


 それだけ見ていれば実に淡白な関係に写る―――それが好都合でもある。

 言葉数が少なければ、それだけ違和感もない。

 言うなれば、彼女との関係において、彼はもう既に満足してしまっているのだった。


(さて、俺はどうするか)


 何か仕事でもあるのだろうか、副委員長の女子と何処かへ去っていった流生を目を向けずに見送った彼は「ふーっ」と息を吐いて、椅子を引いて立ち上がる。

 今日こそは言わなければならないだろう。

 彼女が今日は様子を見に来るというのであれば、彼としては状況が動く前に説明しておきたいと思う。


(とはいったものの…どうやって説明するか)


 ホームルームの段階で彼が悩んでいたところへと堂々巡りをしてしまう思考に自分で呆れながら、彼は昇降口へと向かう階段を下りる。

 職員窓口の前を抜けると、見知った顔がいた。

 自動販売機の前に、彼女は立っていた。

 彼は一瞬無視しようか迷って―――結局声をかける。昇降口まで来たのは、もともと彼女を探すためであった。


「おい錦」

「名前はやめてください」


 予想通りの返事が返ってきて、彼はあきれてしまう。

 分かっていた反応だけに、彼はもう驚いたりイラつく事すらできない。


「…何飲んでんの」


 ふと彼女―――にしきが手に持っている飲みかけに目がいく。

 彼女が無表情に答える。


「『旨味トロトロくりぃむシチュー』」

「どうみても地雷です本当にありがとうございました」

「美味しいです」

「お前の味覚が地雷でしたか」

「“お前”はやめてください」

「ていうか、それコールド飲料かよ」

「“お前”はやめてください」

「冷たくなったシチ」

「“お前”はやめてください」

「…」

「…」

「…わるかった」

「許しましょう」


 少女が微笑む。基本的に可憐な少女の微笑みというのは、条件抜きで良いものだ。


(相変わらず会話にならんが…まあ、良しとしよう)


 聡雅は頭をがりがり掻く。少なくとも以前よりはマシになっているはずだ。

 そして別の問題点に気付く。


「じゃあなんて呼べばいいんだよッ」





「…やっぱりやめないか」

「ええ。気持ち悪いですね、やめましょうか」

「お前が言わせたんだろうが」

「“お前”はやめてください」


(こいつ…うぜぇ)


 聡雅と錦は小部屋の中にいた。

 聡雅と錦は昇降口から小部屋の中まで、ずっと錦を聡雅がどう呼ぶべきかについて話していたのだった―――無論一方的に聡雅が錦の要望に答えていただけではあったが。


「やはり、名前で呼ぶのが自然なのでしょうか」

(そりゃあまあ…“貴女様”よりは)


 英国紳士を名乗る男達と接して育ったという少女にとっては、それが自然なのかもしれなかった。

 錦は人間でないのだという。

 当たり前の事かもしれない―――魔女ラビと人間は、やはり決定的に違う。魔女の使いもまた同じなのだ。

 人間では魔女にはなれない。血統が異なるのだ。努力しても黒人が白人になれないのと同じである。

 動物は同じ種族間であっても科目が異なる。同様に人にも種類がある。

 単純な肌色の違いだけではない。

 異なる血統、異なる骨格。容貌でそれと分かる場合もあれば、傍目では違いの分からない場合もあるだろう。


「それにしても、魔女ラビの言った通りだな…『種も適応し、変化する』」

「過去の例でも同様のことがありましたからね。魔女ラビ達には先見がありますが、しかし基本的には積み重ねてきた先例や前例の研究・観測結果によるところの方が大きいのです」

「“観測”ね…お前らは一体なんなんだ?何を目的にして行動しているんだ」


 聡雅には別の仮説が頭の中に浮かんでいた。だがそれは取りとめもなくまだ彼の中で成熟しきっておらず、未消化なままだったので、上手くそれを口に出来なかったのだ。

 そう“観測”―――魔女たちは何かを観測しているのだ。

 時折彼は感じることがある。自分がつまらなくも平穏無事に生きているこの世界の片隅では見えない事がある。実は自分の預かり知らぬ所で、壮大な何かが動いていて、自分はその大きな流れにちっぽけに生きているに過ぎないのではないか―――あっという間にそれは広がっていって、まったく同じような速さで収束していく―――自分のような人間からはそういうものは覆い隠されているのだ、と。

 それはひどくぞっとする感触なのだった。

 どうにもならない事が存在する―――そんなものは自分の周りにありふれるほどある。だがそんなありふれてどうしようもない事すら、まるで道路の蟻のように踏み潰すような“何か”が、実は根源的なところで自分の存在に関わっているのに、誰もそれに気付いていないかのような感覚。

 そのことを意識するたびに彼の中で、俯瞰してはじめてそのぞっとするような真相に気付くような―――恐怖の一歩手前のもぞもぞとする感覚が彼を襲う。まるで自分が今日の今日までのんきに眠っていたベッドの下は、大量の虫の死骸とそれを食う別の虫の温床で、壮絶な生存競争の場だったのだと知るような―――。


「少し口が滑りましたか」


 暗い思考に沈んでいた彼の意識を、にしきの淡々とした声が呼び戻す。


「しかし私はあくまで“従者オキュペー”。出すぎた真似は許されませんので」


 ただただ彼女もまた、事実を彼に告げるのみ―――だがその無駄なものが一切ない態度は、むしろ聡雅を冷静にさせた。


(考えたってこれはしょうがないことだな…今はとにかく目の前の“こいつ”を何とかしないと)


 聡雅は我に返って、小部屋を大きく占拠している“こいつ”を見る。

 『種は適応し、変化する』。

 ある種の生物や植物は、先見的に危機や環境の変化を機敏に感じ取って、自身の成長を早めたり遅くしたりする事が出来る。

 だがこの場合、その反応がやや劇的過ぎた。


「昼まではあんなに小さな“芽”だったんだが…」


 時間にしておそらくわずか数時間だろう。既にその体長は、五メートルを越していた。

 植物の分裂細胞が集中する先端部分は成長しすぎて天井にぶつかり、歪に形を捻らせている。


「これでもまだ発芽すぐの段階です。子葉が本葉になるかならないかという程度でしょう」


 よく見ればたしかに芽だったころについていた小さな葉が、根に近い部分に小さくついている。

 代わりに子葉とは比べ物にならないほどの大きさの葉がついているが、しかし確かに蔓や蔦全体と較べて確かにその大きさはたいした程ではないようにも感じられる。

 一言で言えば、大きすぎたのだ。


「葉なんかより…問題はこれだろ」


 聡雅はその大きすぎる部分、“問題はこれ”に触れる。

 あまりにその部分が大きすぎて、他はすべて小さく見える。

 五メートルほど体長がほとんどその部分のためにあるのだと考えても違和感がない。

 例えば“人桃果”という果物が有名な伝奇小説・西遊記にある。

 桃は元来仙人に力を与えるものとされているが、その中でも人桃果は非常に美味であった半面その姿かたちが一見して赤子のような姿をしているなど、非常に特殊だった。その姿ゆえに三蔵法師は「赤子を食べるなんてとんでもない」とためらい、その様を嘲りながら孫悟空たちは遠慮なく人桃果を食べるという一シーンがある。

 そのときは聡雅は「食い物だと言ってるんだから黙って食えよ」などと思ったものだったが―――


(気持ちは…わからんでもない)


 今聡雅自身がそれを目の前にして、三蔵法師が食べなかった理由をまざまざと悟る。

 五メートルあるかという成長した植物の、その真ん中が、大きく膨れ上がっている。

 緑色の袋状に成長した部分がやんわりと曲線を描き、ぴったりと“中身”に張り付いてその輪郭を丁寧になぞっている。

 足を組み、手で抱えている。頭は膝の間に入っていてよく分からないが、やや人とは異なる形をしてはいる。

 だが全般的に見てそれはまぎれもない―――人。

 人が、中に入っているのだった。


(女…だな)


 腰の形や肩を見てそう確信する。専門的な知識がなくとも、大抵おおまかな形を見るだけで同種族の性別は分かる。

 それだけ毎日人は人を見て生きているのだ。

 天井や壁を見ると、植物がその蔦や蔓を伸ばして中心部を支えているのが分かる。

 それを見て、“スピーシーズ”という妖艶な雌の宇宙人が次々と男達を襲っては交尾を繰り返すホラー映画が思わず彼の脳裏をよぎる。

 登場シーンでは一人の少女を寄り代にした“イヴ”と呼ばれるその宇宙人が、逃亡中の少女を電車内でいわば剥き出しの肉膣の形に変貌させ、一人の客室乗務員を喰らった後に成人女性を模って出胎するのである。

 感動的な出産シーンだが―――(あれは普通にグロテスクだったな…)

 今目の前にある状況が、まったくそれに似ている。

 それは大いに彼にとって問題であった―――交尾をした後、男は全員殺されているからだ。

 それでなくとも彼は既にこのわけのわからない“種”―――といってもこの形態を見るに植物よりも動物的な成長であり、彼が最初に提唱した“卵”もあながち間違いではなかった事が分かるが―――によって“改造”され、化け物と同義になっているのである。

 不思議と魔女ラビと話していたような苛々は感じなかったが、それは恐らく事態があまりに超然としすぎていて、いちいち反感を持っている余裕すらないからだという事は、聡雅には分かっていた。

 だからこそ、いつものように彼は冷静に分析をする。


「『種が適応し、変化する』の意味は分かった。つまりこいつは人間だらけのこの世界に適応するために、人間の形を取ることにしたわけだ。俺か流生がそのサンプルなんだろう。女みたいだから流生がサンプルか?まあ何にせよ既にコピーは終わっているみたいだ。だが、ここで別の問題点が浮き上がる」


 彼は昼から気がかりになっていた点を話し出す。


「それが“このタイミング”で行われることに、どうも意味があるような気がする。そうなんだろ?魔女ラビの台詞や忠告の根拠となる“予見”と、“前例”からすれば、いまこのタイミングで“種”がこういう成長した事には、相応の理由があるはずだ」

「頭の回転は早いようですね。その通りです。魔女ラビが折に触れて忠告をしたように、“危機”が迫っている。だからこそ、種は短時間でここまで形態を整えた」


「ならば敵はココにくるはずだ。そうだろう?お前たちの言う“鴉”は種を食うのが役割だ。何故なんのアプローチもしてこない。あるいは既に攻撃ははじまっているのか?」

「その点に関して魔女ラビは何も申してはおられませんでしたが…」


 はじめてここでにしきも語尾を濁す。彼女もまた同様の疑問を抱えていたのだろう。

 種を襲う時間などいくらでもあったはずなのだ。

 基本的に生物の本能というのは謎が多く、食事に関しては特にそういえる。例えばある哺乳類は、生まれてすぐの状態では目が見えないにも関わらず、巧みに母乳の位置を探り当てるのだという。それは既に本能として掘り込まれているのだ。中指の発達したある種の猿も、その実の食べ方やくり抜き方を教わらずとも知っていて、最初は見よう見まねで練習しながらだが、それでも着実に掘り込まれた指の使い方が徐々に洗練されていくのである。

 仮に見つけにくい場所にあったのが理由だとしても、本能というのはそういった単純な理由で機能しなくなるほど柔なものではない―――やはり“からす”が種を食いにくるというのならば、必ずその姿を現すはずなのだ。

 聡雅は魔女ラビからは得ることの出来なかった情報を、にしきにたずねてみる。


「“からす”は、どんな姿かたちをしているんだ?一体どうやって“種”に近づく」

「そうですね…私もそれほど何度も目にしているわけではないのですが、彼らは―――」





 次に少女はなす言葉を聞いたとき、聡雅は血相を変える。

 そう、彼の言った通りなのだった―――攻撃は既に、始まっている。



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