第一章 その五
そして再び時は、聡雅が図書室から教室へ戻ろうとして錦に呼び止められた日に戻る。
校舎裏へと移動した聡雅は、錦から手渡された便箋を開いていた。
それは恋文が書かれていたものとまったく同一の種類で、通常よりもやや分厚く、たかが便箋にしてはやたらと凝ったデザインが施してあるのだった。
「君の案山子は今日も機嫌が悪そうなんだねえ」
そしてその便箋が―――聡雅に話しかけてくる。
錦の主にして“先生”であり、自身を魔女と名乗るその声は、陽気な女性のそれと遜色ない。
ひどく爽やかですらある。
声からして女性―――彼女は、恋文の日に彼に“危機”を教えるために錦を遣わしたという、その本人なのであった。
既にあれから数度、この“伝文”と言うメッセージを受け取っているからこそすれ、当初は自分がおかしくなってしまったのかと聡雅は正気を疑った。
なにせ「これは一体なんなんだ」という聡雅の問いに対して錦は「ラビからのメッセージです」としか言わず、「それは分かるが“コレ”は何なんだよ!」となおも食い下がった聡雅に対しても馬鹿にしたように「ラビはよく伝文を使われるのです」としか説明しようとしなかったのだ。もちろん締め上げられた直後であったし、互いに剣呑な空気だったのでそれ以上はなしたくないという気持ちもあったのだろうが、何よりも錦の目が「理解できない能無しには教えてやる義理なし」と雄弁に語っている事が聡雅には分かったので、どうにも彼としては釈然としない―――というよりむかつくのだった。
何であれ誰かに嫌われたり馬鹿にされるというのは嫌なものである。事実彼とて、まぎれもない錦の手で意識を失いかけたのだ。
「むしろあんたの“下僕”の方が機嫌が悪かったみたいだが」
先刻の事と“そのときの事”と、両方を思い出してぼそっと聡雅が呟く。
当然それは彼女の耳にも届いていて、明らかにムッとした表情を作った錦の背後の影が、またしてもビクビクと脈打つ。
「こらこら、もっと大人にならないと駄目だよ。特に女性に対してはね。この前みたいに首を締め上げたりしてはいけないよ?」
それを聞くと、聡雅の顔も同じくらい曇るのだった。
聡雅はあのとき錦を締め上げた“何か”の正体を聞かされていた。
そして深く反省していたのだった。
何であれ、結局は自分の怒りが引き起こした事なのだろうから―――それでもやはり「悪いのは俺か?」と考えている自分を捨てきれないでいるのだが。
だが、と彼は言葉を少し濁した。
「本当に、あれは流生の持ってきた“種”のせいなのか?種が俺に“役割”を与えて、あんな化け物が出てくるようになったのか?」
聡雅としてはどうにもそのことがいまいちイメージできないし、確信も持てない。
彼が魔女から受けた説明はこのようなものだった。
「“種”が何なのかそれ自体は定義による。遠い宇宙の彼方からの飛来物と考えれば、それは地球外生命体なのだろうし、しかし引き起こす現象やこいつらが元々住む世界から考えれば、古来より伝奇に記された魔や妖怪の類と考えることもできる。あるいは魔女や悪魔と同様の類の何かと捉えることも出来る。だが重要なのは、それがどう定義されているかではなく、どういう性質のものかだろう。そうした考え方に沿って考えると、この“種”はいわば漂流して自己繁殖・増殖していく一個の生命体であり、広大な世界の中での食物連鎖や自然淘汰の中で生きるひとつの種族だという事は分かっている」
「ひとつの種族で、ひとつの生命体ねえ…」
「当然、そうした世界法則に則って生きている以上、こいつらには天敵も存在する。わたしが君に伝えたい“きたるべき危機”とはその事だ」
「つまりあの“種”は天敵に狙われてるってことか。そうするとさしずめあんたらが言う俺の“役割”っていうのは」
「ご明察。君の役割は、その天敵から種を守る事、ただその一点に尽きる」
「いまいちイメージがわかねえなぁ」
「具体的にどのあたりが分からないんだい?」
「結局“種”ってなんなんだ?流生が言うように宇宙人、つまり地球外生命体なのか?それとも妖怪かなんかなのか?」
「君たちの言う“宇宙人”と“妖怪”はどう違うのだと思う」
「そりゃ宇宙人は…地球の外に住んでいる奴らのことで、妖怪は化け物のことだろう」
「そうかい。なら、地球の外に住んでいて化け物なら、それは宇宙人であり、妖怪なのかい?」
「いや、それは宇宙人だろう」
「何故だい?」
「だって、地球の外に住んでいるわけだからさ。妖怪は地球に住んでいることが前提だろう。発祥が地球だからよ」
「ふむ、そういう考え方もあるか」
「なに納得してんだよ」
「いや、なんだかんだ言って筋の通ったことを言っているなと思ってね」
「笑ってんじゃねえよ、結局説明になってねえだろう」
「そう、その通り。説明なんかなってないんだよ。“種”が何なのか。それははっきり言って『わからない』。わかりっこないだろう?想像しようと思えばいくらでも定義に当てはめられる。空から落ちてきたのなら宇宙人かい?ならば竹取物語で有名なかぐや姫は宇宙人かい?でも彼女が妖怪だとしている説も多々あるね。空から落ちてくる妖怪だって多岐に渡る」
「ふむ」
「答えはいつも君自身が思ってることなんじゃないかい?」
「それは…」
「そう、“そんなものは、適当で、曖昧”なんだよ。ろくに主体を見てすらいない。それが本質的に何なのか、どういう事なのか、なんてことは分かりっこない。そういうものに対して『宇宙人だ』『いや妖怪だ』なんて言ったところで、なんの意味もない。そう思わないかい?あくまで“種”は“種”だ」
そのとき不覚にも聡雅は「なるほど」と思ってしまったのだった。
結局のところあの“種”が何なのかはわかりっこない。ただそれでも、『一つの生命体であり』『天敵が存在し』『生延びるためにその性質として他者に何らかの能力を撒き、開花させる』というその事実だけは重要なのだ。
「だからって、こんな化け物をいきなりよこさなくってもなあ…」
どうしてもその辺で聡雅は顔をしかめてしまう。
「何度も言ってるけど、化け物と自分で自分のことを言うのはやめた方がいいよ。君がどう足掻いても案山子は君自身を顕しているんだ。そして種を守るのは案山子の役目。君はあの種を守るためにその役割を与えられたのさ」
だが声の方は、相変わらずやけに確信を込めて話してくる。
「ということは、あくまで俺に与えられた能力だから、こいつが出てきたというわけか」
「そういうことになるね」
(…結局駄目じゃん)
魔女の方は、何がおかしいのか半分笑っているような声で続ける。
「その案山子は、“守護者”の象徴なんだよ。具体的に細かいつくりまでは本人に依存しているが、“守護者”の象徴だけは今も昔も変わらない」
「こいつがこんな姿をしているのは俺のせいってことか?」
「まあ、そういうことかな」
端的な事実であることは分かっていても、聡雅としては解せない。しかし事実だけはたしかにそこにある。
「姿に及ぼす影響を見ていても分かるように、これはいわば君の分身だ。そこを忘れないように」
「ああ…そのことは、よく分かったよ」
錦の方をちらりと見ながら、聡雅は答えた。
それにしても、と彼は呟く。
「でも天敵から守るって言っても、一体何からなんだ?」
「最初に来るのは間違いなく“鴉”だよ」
「だから何なんだよそれは…」
もちろん説明は受けていたのだ。
だがそれがあまりに突拍子もなさ過ぎて、彼にはいまいち具体的な危機というものがつかみきれていなかった。
あの日たしかに“魔女”は言った。
種の使命と、それを取り巻く危機の事を。
「説明しただろう?“種”には使命があるんだ。それは生物一般に備わる本能と言っても差し支えないね。“種”は自身を次の生命へと繋ぐために、花を咲かせて実をつける。種に襲い掛かる危機とは、その使命に襲い掛かる危険や困難“すべて”さ。強いて言うなら鴉の場合は、種を食いにやってくる。そして種を守る案山子の役目をもらった君は、それを防がなければならない。いや、この言い方は正しくないかもしれないね」
便箋の声が言い直す。
「君は、種に選ばれたんだ。種は君にお願いをしている。きたるべきときまで、自分を守ってくれと。そして君の能力が開花した。種が君に種を巻き、瞬く間にそれは開花したのさ。まあ“ショック”を与えて指向性を持たせたのはボクの計らいなんだけどね」
だから聡雅を“怒らせた”のだという―――それを聞いたとき聡雅は「怒るようなことを言われたから怒るなんて退屈」という錦の言葉を思い出してまた顔を曇らせたのだが、それにしてもやり方が粗雑過ぎはしないだろうか。
「それは完全にボクのミスというかなんというか。本当は恋文程度のちょっかいで終わらせるつもりだったんだけど、君が逆にうちの錦を怒らせちゃったからねえ…彼女、ああ見えてあんまり怒らないタイプなんだよ?」
確かに超然とした雰囲気を纏っている少女が、ああも憎憎しげな姿は想像がつきにくい。実際に見ていなければ聡雅もおいそれとは想像できない。
「まあ結果として、生命の危機と理不尽な事に対する君の怒りに大きく反応して、撒かれた君の役割が開花したというわけさ。良い触媒効果だったんじゃないかな、うん」
結局、良いように弄ばされていたように感じる。手のひらの上で都合よく転がされていた感触がどうしても否めない。
なんとも大雑把で適当に転がされていたものだ―――どうせ転がされるならもっとスマートに転がして欲しい。
(そう言えば、俺が流生からはじめて種を見せられたとき、種が震えたような気がするが…“種が撒かれた”っつーのはあのときのことか?)
思い当たる節が彼にはあった。とすると、流生もまた、何かを種から受け取っているという事になるだろう。
彼は先程からそのことを考えていたのだった。
(あいつはもう、自分の変化に気付いているのか…?)
「まあそういうわけだから、君は種の使命が終わるまで、上手くその能力と向き合っていく事だ。まあ自分自身と向き合うっていうのもどこか滑稽な話だけどね。でも哲学的に言えばそれはとても難しいことだとも考えられるのかな?かな?」
軽薄な便箋の声に聡雅はふん、と鼻を鳴らして反応しない。どうにもこいつの言葉には重みというものが感じられない。
そもそも魔女というのも得体が知れないのだ。
一体何のために彼の前にこうして現われて忠告をしにきたのだろうか。
直接聞いても本当の事を言ってくれるとはとても考えられない。しかし信用できないからといって、こちらにその真偽を確かめる術はないのだ。
アンフェア―――どうにも納得のいかない話だ。
言いようのない苛立ちが、やはり聡雅の中ではうずまいているのだった。
しかも聡雅の中で合点がいかない点はほかにもあった。
「どうにも俺はスッキリしねえな。不明な点が多すぎる。説明されても、正直まだよく分からん」
「でも事実だけはそこに間違いなくあるからねえ。“種”はたしかに存在しているし、君の“案山子”も存在する」
「それもあるが、俺が話しているのはもっと根本的な部分だ」
(―――例えば、それをベラベラお節介にも近い形でわざわざ説明しにきてくれるお前らは一体なんなのか、とか)
内心で聡雅が考えている事を既に見透かしているのか、便箋からはなおも薄っぺらな笑いしか響いてこない。
「まあ諸事情はそのうち話すけど、今はそんなことを気にしている場合ではないだろうよ。もう“鴉”は動き出しているはずだから、早急に対策を立てることをお勧めするよ」
「クソッたれ」
「はっはっは、まあ伝えるべき事は伝えたからな。ひとまず錦を貸してやるから、上手く対処することだ」
一方的にそう告げると、便箋が突如炎上する。
文字通り火を上げて、灰の残りカスまで一瞬にして消えてしまう。
(ずいぶんと凝った演出なことで)
聡雅は胸中で呟く。
錦はというと、黙って聡雅を見ている。
「結局事実性ばかりが目の前に押し寄せて、何も分かりゃしねえ…」
ここ数日の彼はとにかく頭が痛い。
(だいたい貸してやるって言ってもな…)
目の前の少女―――錦が、おいそれとは聡雅のいう事を聞いてくれるとも限らない。
“種”のことも、魔女の目的も、これから先のことも―――なによりも自分がそれを前にしてどうしたいのかも、どうしたらいいのかも。
何もかもが不透明で掴みきれない。
なんとも適当で大雑把―――だが彼はそれでも。
「こんなもん貰って、俺はどうすりゃいいっていうんだよ…」
いつの間にか、案山子が彼の太ももから片腹にかけて、身体を引き裂いて出てきていた。
困ったように彼はそれを見つめる。
―――間違いなく、もう彼は後戻りが出来ない。
よろしければ、竹草少女物語の 『第一章 鴉』 の回をもう一度ごらんください。
聡雅が不覚にも納得できた理由がお分かりいただけたでしょうか。
まあ要するにボクの小説はこーいう感じで進んでいくわけです。