第一章 その三
「錦、か」
「気安く名前を呼ばないでくださいと以前言いましたよね。わたしもあなたの名前は呼びません」
少年は複雑そうな顔で少女の前に立ち、少女は挑むような姿勢で少年の前に立つ。
とても仲睦まじきとは言えぬ二人の表情と、対照的な二人の姿―――不良っぽい少年の姿と和風人形のような可憐な少女―――だがやや困った顔をしているのは少年であり、怒り心頭という表情をしているのは少女の方であるという奇妙な二項が、状況を複雑に演出しているのだった。
聡雅が錦を“やばい”と思った理由はいくつかあった。
だがその最大の理由は、彼女が発する気配と、その気配の根源たる彼女の正体だった。
「じゃあ俺はお前をなんて呼んだらいいんだ。魔女とでも呼べばいいのか?」
「その呼び方は適切ではないと言ったはずですが。私はあくまで“魔女の使い”でしかありません」
「どっちにしたって同じ事だ。俺たちフツーの奴にとっては“魔女”も“魔女の使い”であるお前も、どっちも化けモンだからな」
聡雅の軽薄な声が紡ぎ終わる前に、彼女の圧するような気配が膨張し拡大していく過程でついにその本性を顕す。
「“主”を侮辱することは許さない…ッ!」
その本性は彼女の闇色の髪と廊下に落ちた影から、凄まじいスピードで彼に襲い掛かる。
その様はまるで怒涛のごとく大地に注ぐ大水の奔流のようでもあり、ぶくぶくとそこかしこが脈動しながら進む一筋の真っ黒な塊は―――のた打ち回る数匹のヘビなのだった。
そのヘビは襲い掛かって聡雅を丸呑みにしようとする直前で、別のものに遮られる。
「まあ…いまとなっては俺も化けモンだけどな」
嘆息する聡雅の体が―――裂けていた。
彼の体の節々が裂け、形成された裂け目から歪な形をした腕が塊を受け止めていた。
否、腕とは言いがたい。
例えるならそれは、鉄筋コンクリートが割れた後に剥き出しになった鉄骨のような―――それ自体は一つのパーツだが、本来はもっと大きく、ただ今見えているのはそこだけなのだというような―――。
やがて伸びた鉄骨のひとつひとつが伸びて絡まり、彼の背後と頭上で一つの形を成していく。そのたびに彼の体のあらゆる場所が裂けていくので非常に不気味な様子だったが、特に血が流れたり欠損していく様子もなく、するすると出て行くものが出て行った後で自然に塞がっていくのでただひたすら気味が悪い。
「“案山子”だったか?俺に与えられた役割っつーのは」
ひときわ大きく聡雅の体が裂け、帽子や手袋や目玉などが抜けていく。それらは先に伸びていた鉄骨を辿るように移動していって、やがて定位置に収まっていく。
帽子を被り、藁のような鉄骨群で形成されたみすぼらしい身体をぼろきれや帽子や手袋で覆い隠した姿は―――その背に大きな一本の杭が突き刺さっているところも紛う事なき―――いびつで恐ろしい形をした案山子なのだった。
最後にずるりと聡雅の頭を割って飛び出した仮面が、無機質な眼球の上に被さって完全に姿を現す。
「種を守るのがこんな不気味な“案山子”じゃあどーにも格好つかんな」
今この二人を外部の者が見たら絶句するに違いない。影と毛髪からヘビを象った黒い泥状のような奔流を噴出させる少女と、裂けた体から歪な案山子を顕現させた少年が向かい合っているその様子は、まさに猛禽類同士が互いに殺すか殺されるかの緊迫した空気と同一だからだ。
いくら旧校舎とはいえ、人目無しに見せられるようなものではない。しかし聡雅も錦と呼ばれた少女も、何か確信している根拠のようなものがあって、決してお互いに引き下がるつもりはないようだった。
普通に考えれば奇妙なことではあった。学園における昼の始業の鐘は清掃の合図なのだ―――いくら旧校舎とはいえ、誰一人として彼らの周辺に人が訪れないのはいささか不審だ。まるで彼らの周辺に結界でも張られていて、近づくことを許されていないかのように。
そして奇妙な事に、彼らの周辺の大気はまるで灰色がかったように硬直しているのだ。
廊下を少女の黒い泥蛇が這って擦れる重低音が響く。
「主からの伝文を授かっております。それと『役割に圧倒されて飲み込まれていないか確認しておけ』とのこと」
「それで、魔女様の忠実な“弟子”がわざわざ出向いてきたというわけか」
「主は別の事で忙しいのです。“使い魔”たる私が代理を務めよと仰せつかりました」
「ふん」
(どう見ても確認なんて生易しいもんじゃない雰囲気だったがな)
鼻を鳴らしながら聡雅が案山子を身に収めていく。
少女の方は既にヘビの跡形もなく、ただこちらをねめつけるように見ている。
「…お前は俺の何が気に入らないわけ」
鬱陶しそうに聡雅は言うが、錦はそっぽを向いてしまう。
(ガキが)
それを見た彼の額に青筋が浮き上がる。
聡雅もまたこの少女の事が気に入らないのだった。
何となく好きになれない人物というのは明確に存在する―――しかもその上で理由も分からず相手が自分の前でひたすら不機嫌な顔をするならなおさらであった。
自分が気に入らない理由なら、自分の中で咀嚼納得もできる。だが―――
(一方的に嫌われてたら好きになる事もできねえだろうが)
「あー面倒くせえなぁ」
聡雅はあえて声に出して嘆息する。錦を刺激すると分かっていても、彼は呟かざるを得ない。
案の定少女の方は「それはこちらの台詞だ」と言わんばかりに瞳孔を開いてこちらを見てくる。
(クソが…)
彼はこういう事が嫌いであった。
人は互いを理解しあうように出来ている。
そうでなければ生きることそのものに支障が出るからだ。
その事実や現実に対してどう思おうと、それそのものはひっくり返す事の出来ない真理である。
ビルから落ちれば人は死ぬ。
それに対して「飛べたらいいのにな」と思っても、その現実は変わることは無い。
どう足掻いても他者の存在というのはどこかで自分も認めなければならないし、同時に相手にも認めてもらわなければならないのだ。
他者と自分が理解しあう―――その言葉を定義するとき、特に感情的な部分での理解という概念は不可欠であり、常に他者の存在というのは誰かに認められ、誰かを認めるということの連鎖で成り立っている―――これが聡雅のコミュニケーションやヒューマン・ソーシャルライフについての理解であり、これが行えるか行えないか、厳密に言えばこの必要性を、意識にせよ無意識にせよ理解し行動しているかいないかが彼の人間に対する評価へと直結しているのだった。
だからこそ彼は「ニヒルな男は嫌いだ」と述べたし、今自分を前にして完全に理解を拒絶する少女を前にして、はらわたが煮えくり返る程の苛立ちを感じているのだった。
(どーせ俺達は接触して生きていかにゃならんのだぜ?)
ならば気に入らない他人も、気に入る他人も、最後は認めるしかない。自分の中で何となく気に入らないなと思っても、その他者を自分の中でどうにか認めるには、やはり相手の事を自分の中で整理するために“知っておく”しかないのだ。感情と理屈というのはそうそう切っておけるものでもないのだから、ならばやはりどこかで感情的に理解しておく事が要になる。
しかしその感情的理解を最初から拒絶しているような主体に対しては、これは聡雅のようなスタイルではどうしようもない存在なのだった。
このはたから見る者は苦笑しかできないような関係の二人が最初に出会ったのは、聡雅が“種”に出会ったすぐ後―――連休後すぐにまで遡る。