東公先生 数える男を語る
ある時東公先生、田のあぜ道を歩きし時に、田に生えたる草の数を数える男に遭う。
近くを農夫通りかかり、数える男を見る東公先生にいわく。
かの男の祖父また父、恰も仙術使うがごとく田の実り、他の数倍を得る。
されど、かの者、草の数数え始め、実り大いに減る。
草は抜くべきものにて数えるべきものにあらず。大愚なりと。
農夫数える男を罵り去る。
東公先生、数える男に近寄りていわく。
子何故草の数を数えるかと。
数える男答えていわく。
我が祖父、良き肥を作る術を見いだし田に施す。これにより田の実り倍となる。
我が父、この術を受け継ぎ改め、田の実り三倍となる。
されど祖父また父の肥、草にも良きものとなり草の数四倍また五倍となる。
我、父祖よりの肥の術を受けつぎ、田の実り減らさずして草の数減らす術を究めんとす。
東公先生問いていわく。
草減らす術成りたるかと。
数える男喜びの表情にて答う。
僅かに草減る。
やがて、我が子、あるいは孫の時ならば実り数倍にして草の数少なき肥を得ること必ずなりと。
東公先生、見聞きしたること、また書より知りたることにて数える男の術に関わること全て伝えたり。
後、東公先生、数える男の田実り倍にして草の数やや多しとの噂聞きて大いに頷いたりという。




