第1話 俺が彼女と暮らすまで
学校、一限目前、すなわちショートホームルーム(SHR)。イケメンの担任に先んじて黄色い声のおはようが飛び、会釈しながらも担任の青木先生は教壇に乗ってこちらへ向き直った。
「あー、おはよう。欠席者チェックするぞ…っと、今日は空野がいないのか。なんか聞いてるやついるか?」
途端、ざわめく教室内に青木先生は重ねて問いかけるも、
「知らない」「聞いてもない」「てかそもそも男の中にあの子の連絡先持ってる人いないでしょ」「たいがいウチらも持ってないけどねー!」「それなー!」
ろくな答えは入っていない。まあ、ミステリアスな空野のことだからと1人納得はしつつも珍しいこともあったものだと、クラスの中央最後方の1つ前、後ろから2番目の列から1人俺は考えていた。
俺は草城凛人。一般男子高校生…を名乗るにしては少しばかり家が太い、陽とも陰ともつかぬ位置にいる男子高校生だ。
俺の後ろの席に座るべき少女、空野奏音は、不思議な雰囲気を持った人と言うべきだろうか。眼鏡をかけて勉強をしているかと思えば、微笑みを浮かべながら本を読んでいることもある。投げかけられた言葉にはしっかり受け答えをこなす。それらの受け答えと授業中以外は自分と自分の作る世界に入り込んでいる人間と言ってもいい。しかしながら、空野はこれまでに学校を休んだことも遅刻したこともない。いつもきっかり学校始業の30分前に席についていて、その雰囲気と豊満な身体つきから男人気が高い…俺の知る空野さんという女の子の全てだ。投げかけられた言葉のうちには、「呼び出し」が混ざっていることもあったが、それらを華麗にいなすのは見事の一言だった。
とにかく、そんな奴が来ていないとなると、不思議なこともあったものだ。優等生もいいところな彼女がなぜ無断欠席などという禁を犯したのか、ひとまず俺は考えるのをやめた。
チャイムが鳴り響く。と同時、クラスメイトの武田が勢いよく声をかけてきた。
「草城ー!今から暇かー?」
「いや、ごめん。今日は悪いけど予定があってな…」
「お、悪いなー。カラオケでも行こうと誘いに来たんだが、ごめんなー。また今度行こうぜ!」
「おう、また今度な。気になるし彼女連れてこいよ」
「最初からそのつもりだったっつーの!」
武田の誘いを断って、バッグを背負い教室の外に出る。アイツと行くカラオケも悪くはないのだが、生憎と今日は気分が乗らない。俺も突然無から用事が湧くことだってある。それが俺の日常だった。
『次は〜終点〜』
高校から歩いて、最寄駅から電車に乗り込み揺られること暫しして、家の方の最寄駅…終点のアナウンスを聞くのも日常だ。駅前のハンバーガーチェーンを通り過ぎ、住宅街に入り込むと家までは残りわずかだった。住宅街のド真ん中、謎に作られた公園を突っ切ることが最短のルートであるから、俺はそこを行くことに決める。それもまた、日常だった。
とんでもない非日常は、その次にあった。公園のブランコが、珍しく占拠されていた。それだけならいいのだが、空を見上げるその女は間違いようもない。
「…空野?」
「……ぇ?」
空野さんだ。間違いなく、空野奏音その人だった。酷く目が虚ろだった彼女、纏う雰囲気を諦観と絶望から一瞬で怜悧に切り替えた彼女は、それでも隠しきれなかった驚きを声に出した。
「草城、くん?どうしてここに…」
「ここは、俺の家が近いんだ。ここを通るのが近道でね」
「そう、なんだ…家が、近いんだね」
彼女は必死に話を上手く続けようとしている。が、普段の彼女らしくなく言葉が出てこないのだろうか、少しばかり会話が途切れた。そこで、切り出す。
「どうしたんだ、空野さん。そんなバカデカい荷物持って」
「あはは…わざわざ学校に来なかったことじゃなくてそっちから聞いてくれるんだ?」
「どっち聞いてもアレな気はするんだけどな。でも、気になるよ俺は」
そう返すと、空野さんは言葉を選ぶように目を閉じた。その後、とりあえず一言だけでもとばかり、口を開いた。
「私ね、家出したの」
俺には、その言葉が咄嗟に決心したという間違いなさと、いつかやっていただろうという計画性と、行く宛てのない先を見る不安が入り交じっているように感じて、なんとなく先を聞くことに徹することにした。だが、それにはここは不適当だ。
「そう、家出…家出、だよね。色々と、あって」
「とりあえず、ひとついいか?」
「なにかな?」
「まずは俺の家、来ないか?そこで色々、聞きたい。勿論、お前に行く宛てがあるとか、相談できる人がいるならいいんだが…なんとなく、そうじゃないって気がする。…何も話したくなければ、飯食ってくだけでもいいからさ」
空野さんは、逡巡したような色を眼に見せてから、考え込むように少し瞼を閉じた。そうして、次に開いた時、彼女は「お願い…ありがとう」と言ったのだった。
空野さんを連れ、家の扉を開く。と言っても誰かが迎えてくれるわけではない。両親は仕事で遠く海の向こうまで旅をしているだけだが、今は家にいないのだ。恐らくは、俺の高校卒業までずっと。
「散らかってて悪いがまぁ、勘弁してくれ。奥のテーブル辺りで話そうか。荷物は…そこにでも」
「お邪魔、します…お言葉に甘えて、よいしょっと」
空野さんがソファに座り、俺が椅子に座る。俺がソファを押し付けた時は困惑していたが、最終的に空野さんが根負けした形だ。
「じゃ、詳しく聞かせてよ…といっても、言いたくなければそれでいいけど」
「ううん、大丈夫…家出の理由だったよね?私、その…身体を宗教に使われそうになって。それを容認するお母さんが怖くて、逃げたの。以前から、荷物はまとめてあって。いつか逃げようって思ってたけど…今日逃げるなんて思わなくて、考えも計画もなくて。これからどうするかを考えていた時に、草城くんが来たの」
「そうだったのか…ごめん、辛いことを言わせた」
「ううん、平気だよ。私も口に出して整理する必要があったって、今わかったから」
いくつかの言葉を繋ぎ合わせると、性行為をすることで悟りを開く、という頓痴気な宗教に母親が精神を依存してしまい、娘を他の信者の相手に差し出すまでになってしまったので、「使われる」前に逃げてきたのだという。それを知ったのが2日前、逃げ出したのが昨日の夜だと言うから、家出は本当に突発的にやらなければならない逃走行為だったのだろう。見つかれば、連れ戻される。連れ戻されれば、次こそはこの身体はキズモノで済めば安いほどの地獄行きだろうと、空野さんは空野さんらしくなくぼやいた。
「だいたいは、理解した。空野さんが現状どうにもできない事も、親御さんは空野さんを探しててお前が見つかればもっとどうにもならないことも」
「うん。だから、より安全な逃げ場所を探さないと…」
「そこでだ。空野さんさえ、良かったらなんだが…」
「うん?」
「ここに、居座ってみるか?」
「えっ!?」
俺は、冷静ではない。間違いない。こんなことを言い出すとは俺も思わなかったレベルで冷静ではない。目の前の、困っている女の子はもしかしたら助けられるかもしれないという気持ちと、空野さんという女の子の置かれた境遇に対する思いが俺をそうさせていた。
「それは、その…私としては素晴らしいことなんだけど…良いの?お母様とかお父様は?」
空野さんが首を傾げつつ問いかけてくるが、述べた通りだ。
「一応、連絡はする。だけど、実は2人とも海外にいるんだ。俺の親も…いやそれだけじゃない、実家にも手を回す。みんなきっと協力してくれるさ」
そう告げれば空野さんは立ち上がって、俺の目を真っ直ぐ見つめて、最後に問いかけてきた。
「草城くん…本当に、良いの?」
「いくらでも居てくれ。あぁ、俺と一緒なのは嫌だろうがそれは勘弁してくれな…?」
そう返してやると、空野さんは。
「いやいやいやいや!草城くんは私個人的にはだいぶ好みなタイプだしカッコイイと思うからすごく望むところというか惹かれる所があるというかって私はなにを…!そ、そっ、その、私はとにかく大丈夫だから!」
バグった。顔を真っ赤にしながらのすごい早口でまくし立てられて、俺は情報量に圧倒されながらも、一言俺は言葉を反射で返した。
「あー…その、ありがとう?」
「うぅ…!」
空野さんってそんな顔して照れるんだ、と思うほどに顔を赤らめた、可愛い少女がそこにいた。
空野さんが落ち着いたあと、声を掛ける。
「とりあえず、テレビ電話で連絡するのでそちらに行っても良いですか?」
「なんで敬語なの…!?」
「さすがにさっきの喰らったら気恥ずかしくてさ」
「一思いに、殺してほしいかな…!」
うん、可愛い。この1面を見せずに男人気がクラス1位だったってマジですか?と思っていると電話が繋がった。
『はいもしもし!どうしたのかなりんくーん?』
「あ、母さんか。もしもし、父さんもいるかな?」
『あなたー!愛しき我が子が呼んでるわよ〜?』
『ごめん、お待たせ。テレビ電話とは珍しい。どうしたのかな、顔でも見たくなったのかな?』
「いや、真剣な相談事があるんだ」
相変わらずイチャついてる2人を半目に見ながら、真剣な相談事があると告げると2人の空気が変わった。
『なんだい?なんでも言ってくれ』
「親が宗教にハマって身の危機を感じた女の子が家出してきた。今うちにいるのでできる限り匿いたいが、俺はそっち系の知識がない。どうすればいい?」
その言葉を聞いた途端、2人は顔を見合わせたので、俺はより詳しく説明を加えていく。2人は説明が終わるとよぉしとばかり頷いた。まず、父さんが、
『よし、事情は分かった。ひとまずその当人を電話に出して貰えるかな?』
と言うので、俺は空野さんの方に画面を向ける。
「ほら、空野さん」
と声をかけてあげると、
「初めまして、空野奏音と申します」
とさすが優等生という雰囲気とともに礼儀正しく一礼する。
『君が当人の…空野さんと呼ばせてもらうよ。僕は草城翔。草城凛人の父です。こちらの女性は僕の妻で飛鳥。どうぞよろしく』
『私は奏音ちゃんでもいーい?』
「え、あ、はい…?」
「母さん、ノリを出すなよ。空野さん困っちゃうだろで、父さんは何を言いたいんだ?」
母さんのテンションに飲まれそうになった空野さんを救いつつ、話を促すと、父さんは優しい微笑みを浮かべた。
『なに、難しい話じゃない。僕らは君たちを全面的に支援する。本家にも僕から話を通す。お爺様にも協力を仰ぐからそこから色々と派遣してもらえると思う。かかる先立つものは僕らの口座から出そう。凛人なら通帳類のある場所は分かるね?好きに使って構わない。長く長く放置した結果、ひとりでなんでも出来ちゃうようになった僕らの1人息子が持ってきた初めての本気の相談だ…全力で当たらせてもらうことを、約束しよう』
その微笑みのままに父さんは全面協力を確約してくれた。
「えっと、その…いいんでしょうか」
戸惑う空野さんへ、テレビ電話のタブレットを隔てた2人の男の声が重なった。
「『いいんだよ、空野さんは頑張ったんだからさ』…親子同士、似た者同士かよ?」
『そうみたいだね、良かったよ。最後に言われるまでもないだろうけど、草城家の当主として我が子に命じます。君の望みのままに、その子を守り抜きなさい。出来るね?…ふふ』
「万事、お任せくださいますように…はは、馬鹿らしいな」
古臭いやり取りを交わして、通話が終わろうとした瞬間母さんの一声が響く。
『あ待って、待ってよー!奏音ちゃーん、LINE交換しましょう?LINE!』
「え?え?あっはい!」
そんなやり取りが行われ、ぐだぐだのうちに通話が切れて、なんとかなったかとほっと胸を撫で下ろすと、その横で目を開いたままつぅっと涙を流す空野さんがいた。
「本当に、ほんっとうに、いいんですね」
「もちろん」
「私は、ここに居てもいいんですか…?」
「好きなだけ居てくれ、と先に言った」
「私は、希望を持ってもいいんですか…?」
「当然だよ」
花のような笑顔と、零れ落ち続ける涙を俺の前にさらけ出して、彼女は飛びついてきた。
「ありがとぅ…ありがとう、ございます…!」
柔らかな感触にそっと凛人の男を見せないように感性を殺す。
「よろしくね、空野さん」
「さん付けじゃ、嫌です。奏音で、呼んでください…っ」
「……っ!?」
可愛すぎる。なんだこの女の子。学校の姿と違いすぎる…!
「……奏音さん?敬語はいいよ、ひとつ屋根の下、なわけだし…」
「さん付けは、ダメです!どうか奏音、だけで…!」
「…奏音」
「ふふ…意地悪だったかもしれないね。その、私、私を受け入れてくれたあなたに尽くしたいから。受けた恩は、返すから。改めて、よろしくお願いします!」
「よ、よろしく…ね…?」
同棲生活になってしまうわけだが、これからどうなることやら…不安で、それ以上にすごく…あぁそうだ。すごく、楽しみなんだ、俺は。
青春系甘々モノには初挑戦となります。
初手はだいぶシリアスが混じりましたが次回分からは彼女を取り巻く問題を雑に解決するなどして甘々に特化させていこうと思っています。
文章力は未だ稚拙ですがこれを書く中で良くして行けたらと心から思います!
甘々特化が好きなそこのあなたの需要に答えたい、そう思っていますのでぜひ評価お気に入り等よろしくお願いします!!