9 『Dragon Night』
輝く軌跡が夜の帳を切り裂いて踊る。
それは流れ星のようにも蛍のようにも見えた。
私の周りで飛び回るそれは、熱と火花をまき散らして夜の屋上をぼんやりと照らしていた。
光跡は二本だった。その光跡がサイダーのような音を立てながら上下左右に暴れ回る。両手の先から放たれる閃光は闇に複雑な模様を描き、一瞬だけ静止した後、すっと消えていく──。
私は全身を躍動させていた。体力のことなんてどうでもよかった。ただ思うままに体を動かしていた。観客のいない舞台で踊っているようだった。
私の耳には、火花が炸裂する音と、私の息遣いと、ステップを踏む音しか聞こえない。
私は両手に花火を握りしめて、狂ったように回っていた。
手持ちの花火が静かになるとそれを放り投げ、新しい花火を用意する。地面では蝋燭が力強く燃えている。蝋燭は風に煽られながらもその灯火を絶やすことなく、堂々と屹立している。
その小さな明かりに花火の先っぽを当てると、そこから閃光が生まれる。そして私はまた踊りの続きに戻る。
漂う火薬のにおいのなかで、自分がとても間抜けなことをしているという自覚はあった。こんなことに何の意味があるのかと問われたら、間違いなくないと即答出来るほどの冷静さは持ち合わせていた。
だけど心の底から湧き上がってくる、やりたいと思う気持ちは止められない。
それを責めたりする他者は、もうこの世界にはいないのだ。
だから自分の気持ちにはとことん正直でありたかった。
すると薄闇の向こうから、ぼんやりと《敵》が現れて、私に襲い掛かってきた。
私はその悪意に満ちた攻撃を紙一重でかわし、その《敵》を両手の火剣でもって薙ぎ払う。
しかし《敵》は一体ではない。《敵》は次々と現れては、私を押し潰そうとする。
私は剣を振り続ける。
剣が軌跡を描くたびに《敵》は真っ二つになって消えていく。
だが《敵》を切り裂いたという感触はない。《敵》は煙を斬っているように手応えを感じないからだ。
ふわふわしていて、ゆらゆらしていた。
だけど殺している実感は確かにあった。
《敵》の悲鳴なき断末魔が、私にはちゃんと聞こえていたからだ。
使えなくなった剣を投げ捨てる。
そしてまた新しい剣に火を灯す。
私は声を上げて笑っていた。
私は止まらない。大きな使命を与えられた戦士のように《敵》と戦い続ける。
膝が震え始め、肩で息をするようになってきた。
体を少しずつ疲労感が包みこんでいく。
だけどその感覚を纏えば纏うほど私の体には力があふれていき、もっと声を出して笑えるようになった。
──そしてその終わりは、あっけなく訪れた。
持ってきた手持ち花火が底をついたのだ。私は立ち尽くして、辺りをゆっくりと見回した。《敵》はすべて消えていた。《敵》はもう一体も現れなかった。
足もとには燃え尽きた花火がたくさん転がっていて、白い煙を漂わせていた。その光景を私は、力尽きた兵士が打ち捨てられた戦場のようだと思った。死体だらけの惨状のなかで、生きているのは私だけだった。白い煙が霧のように私を取り囲んでいた。
自分の心臓の音しか聞こえない。
夜は静寂に支配されていた。
眼下に広がる薄闇のなかに、明かりはない。地球のブレーカーが落ちてしまったようだった。ときおり雲の切れ目から月が顔を覗かせる。そのかすかな月の光が、弱々しく立ち上がる白い煙を浮かび上がらせている。
吐息も心臓の音も、冷え込むように落ち着いていく。
地面で屹立していた蝋燭も、いつのまにか倒れて火を絶やしていた。
雲に穴が開いた。月がはっきりと見えた。
屋上には、私を中心にいくつもの筒が針山のように配置されていた。筒の先端はすべて夜空へ向けられていた。
打ち上げ花火──。
これが、今日のメインイベントだった。今までの踊りは、ほんの前座にすぎない。
私はこの光景に言いようのない達成感を覚えていた。
私は努力や苦労といったものが嫌いだ。何をやってもどうせ死んだらおしまいなのだから。
人生は生きるに値しない──。
それは親友が私に残していった命がけのメッセージだ。
私もそう思う。
だけど、だからこそ、私には散る前の花が美しい理由がわかるのだ。
終わりを見据えることで、始まりは輝きだす。
死という親友が自分の傍にいるからこそ、人生は最高に楽しいものになるのだった。
●
──綺麗だね。
シナモンの声がした。私は、そうだね、と言った。
過去の私が、言った。
彼女との思い出はいくつもあるが、そのなかでも一番心に残っているのは、二人で一緒に行った花火大会のものだ。
花火に照らされた親友の横顔が、忘れられない。
それはこの世のどんなものより──美しく見えた。
★
夜がもっと夜になっていく。
私は筒の一つにしゃがみ込んで、火を灯したマッチ棒を導火線に近づけた。
導火線は小さな火と触れ合うと、蕩けるようにうねった。そして音を立てて弾け始めた。私はマッチを軽く振って火を消すと、筒から離れた。
火をつけるのは一か所で十分だった。これは導火線どうしを連結出来る打ち上げ花火で、私は何日もかけてそれを町中からかき集めてきたのだ。
自分の足で一軒一軒お店を回って、学校まで何度も往復した。
《ラグナロク》の姿は見えないが、もうまもなく地球に衝突することはわかる。その瞬間を想像して、お腹の奥がうずいた。
そして筒の先端から勢いよく光が弾け飛んだ。光は一瞬で夜空に吸い込まれ、破裂音とともに煌めく花を咲かせた。赤色の花火だった。薄闇のなか、屋上が明るく照らされた。花は一輪ではなかった。すぐに隣の筒から同じように閃光が発射され、闇夜をさらに明るく染めた。青色の花火だった。火はどんどん広がっていく。今度は黄色と紫色の花火だった。もう止まらなかった。火はドミノ倒しのように私の周りを巡った。
とめどなく咲き誇る花々に、私は目を奪われていた。
他にも緑色や桃色、金色や銀色の花火が次々と打ちあがった。
花火は正円や楕円を描き、なかには星形やハートマークの形に広がるものもあった。
私は花火を見つめながら、ほっと息をついた。
私は無事に、今日の夜を鮮やかに彩ることが出来たのだ。
私の顔には満面の笑みが貼りついていた。
花火は夜を照らし続けた。
それは蛍の群れを思わせる、甘美な輝きたちだった。
終わりが訪れると、夜は本当に静かになった。すべてが終わってからも、私はずっと立ち尽くしていた。閉じたまぶたの裏には、まだ光の余韻が残っていた。もちろん音や匂いも──。
私はあらゆるものに想いを馳せた。
振り返る価値があるほどの人生ではなかったが、悔いだけは残さず逝けそうだった。
もう今生でやり残したことは、何もない。
後は死ぬだけだった。
私の小さな光は、彼女に届いただろうか。
そう思いながら私は、閉じていた目を開けた。
その瞬間、後頭部に強烈な痛みが走った。
雷に打たれたようだった。
目の前が真っ白になった。
脳が震えている。
耳のなかで音が鳴り響いている。
私は受け身も取れず、前のめりに倒れた。屋上の地面はひんやりと冷たかった。その冷たさが特に頬でわかった。体が動かない。
何が起こったのだ?
その答えはすぐにわかった。私は殴られたのだ。後ろから金属バットで──。
この感覚には身に覚えがあった。あの日の私が、私を殴りに来たのだと思った。
私は暴力の匂いを嗅ぎ取った。
動かなくなった私の体に、何かが覆いかぶさってきた。そしてその何かが、セーラー服を荒々しく脱がせ始めた。私は何も出来なかった。ただ事の成り行きに流されるしかなかった。