家のない猫はどこに行く
2022.6/27
不揃いな部分を揃えました。内容は変わっていません
「かなめくん、ここにお小遣い置くからね」
丸くなって猫のように寝ていた男は、同じく猫のような瞳をこすりながら「いつもありがとう」と笑った。
男性というより男の子のよう。
ふわふわした髪と成人としては小柄な体格。
ふらりとうちに来て、私を褒めて欲を満たすだけの存在。ヒモ、というより飼い猫だと思っている。
「お仕事頑張って」
玄関で靴を履こうとしていたら、ぎゅう、と
しがみつくように抱きしめてきたので、頭を撫でる。
キスはしない。何故か暗黙のルール。
「行ってきます」
次にいつ会えるの、とか、またね、は言わない。
彼も何も言わず「行ってらっしゃい」と手を振るだけ。江田まりえはそれでいい、と納得している。
***
『頑張ってるの知ってるよ』『偉いね』『お疲れ様』『いいこいいこ』
かなめの膝枕で頭を撫でられながら、夏美はうつらうつらしている。
夜勤明けで帰ったらマンションの前に彼が座っていた。2週間ぶりくらいか。今回は間があいた。また立ち寄る家が増えたのかもしれない。
ひと眠りと、欲を満たしたら、夕方だった。
シャワーを浴びている間に、彼はナポリタンを作って待っていた。パスタをあと茹でるだけの状態だ。
「疲れてるのに無理させてごめんね」
彼は私からタオルを奪い、髪を丁寧に拭いてくれる。
「今日はいつまでいるの?」
「ほんとは朝までいたいけど……今日は用事があるから21時には出なくちゃなんだ」
「じゃあ、今のうちに」
私は財布から1万円抜いて渡す。
いつからか、お小遣いを渡すようになっていた。
彼からお金が欲しいと言われた事もないのに。
彼は「いつもありがとう」と猫のような瞳を細くして笑った。
嬉しそうに笑うから、
お金で繋ぎ止めているのかもしれない。
***
「沙希さん、これ持っててよ」
かなめは封筒にいれたお金を渡す。
彼女はまたあざの増えた顔を上げ、困った表情を見せる。
「どこからこんなに用意したの? 私はお金なんて必要ないから大丈夫よ」
「あいつから逃げるのに必要だろ」
以前、今のようにエサ場がなく、行き場がなくてフラフラしていた俺は、ヤバイ奴の女に手を出して男に半殺しにされた。
ゴミ捨て場で動けないでいたら、沙希さんが手を差し伸べてくれた。自身も傷だらけなのに。
好きになった。
でも彼女は、彼女を傷つける最低男に惚れていて、離れる気がない。
俺は、庇護欲をそそる見た目しか取り柄がない。
高校も途中で辞めたし、新しい父親は俺に手を出す最低野郎だ。殴り飛ばして家を出てそれっきり。
沙希さんを連れて逃げる事もできず
家を渡り歩き、猫なで声でエサをねだる事しかできない男に何ができる?
「私の事はいいから。彼に見られたらあなたも危ない。もう来ないで」
俺は、ただ頷くことしかできなかった。
***
「連続なんて珍しいね」
まりえは、かなめの頭を撫でる。心なしか元気がない。
「ちょっとまりえさんに癒されたくて」
「いつもと逆ね」
「頑張ったねって撫でてよ」
まりえは言う通りにする。
彼は気持ち良さそうに目を閉じて、ありがとう、と小さく呟いた。
翌朝はお小遣いは置かなかった。
彼も特に何も言わなかった。
玄関でのハグがなかった。
お金を渡さなかったからとは思いたくない。
私は啄ばむように彼の唇にキスをした。
彼は拒否しなかった。
「行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
彼はまた来るだろうか。
来たらもっと甘やかそう。
傷ついた猫を私が手に入れよう。
もうどこにも行かないように
閉じこめよう