<愛に狂った女>
世の中は不公平だ、と妹は言う。
お姉様は聖女の力を持つ上に王太子の婚約者だなんてズルい、彼女はそう言うのだ。
両親は言う。お前は姉なのだから、聖女であり王太子殿下の婚約者でもある幸せな娘なのだから、妹を思いやってあげなさい、なんでも言うことを聞いてあげなさい、と。
世の中は不公平だ、と私は思う。
両親は私を愛さない。
私が聖女であることで、王太子の婚約者であることで得をしているくせに、目立って伯爵家に注目を集めていることが気に食わないのだ。
テスタ王国に住むのはヒト族ばかりだ。
隣国パリージ帝国にどんなに助けられていても、王国の人間は帝国の獣人を蔑んでいる。そして──伯爵家には獣人の血が混じっている。
両親は私が有名になることで、それが世間に知られることを恐れていた。そのくせ聖女であり王太子の婚約者である娘には寄生したい。その歪みが妹への偏愛、私への冷遇につながった。
世の中は不公平だ。
危険な魔の森開拓の前線でどんなに聖女として頑張っても、毎日のように手紙を送っても、婚約者のはずのトンマーゾ王太子が慈しむのは平和な王都で両親に愛されている妹なのだ。
命を削って聖女の力で治療した兵士達は、主家からの命令に逆らえず私を襲って穢そうとする。
どこにも私の味方はいない。
浄化、治療、感知、魔力譲渡、結界──私に出来ることはだれにでも出来ると言われる。聖女などいなくても魔の森開拓は進むと嘲られる。
そのくせ死にかけでもしない限り王都には帰してもらえない。
恩知らずの兵士から助けてくれた獣人傭兵のエドアルド様は、番の気配を感じてテスタ王国に来たのだと言った。
番を探すときは自分の体ひとつでなければならないという掟のため、彼は帝国の皇太子だということを隠していた。
私は王太子の婚約者だ。彼への恋心を必死に飲み込んだ。
そもそも彼の番は私ではない。
聖女の感知の力で、この身に流れる獣人の血で私は察した。
エドアルド様の番はスコンフィッタだ。
ああ、世の中はどこまで不公平なんだろう!
私が聖女としての力を最大限に使って死にかけたエドアルド様を救っても、彼の番になれるわけじゃない。
彼が隣国の皇太子だと知らない人間に、獣人傭兵ごときに力を使うなど聖女の資格がない、と罵られながら回復のため王都へ戻ると、伯爵邸ではスコンフィッタと王太子が睦み合っていた。
もう嫌だ、もう嫌だ、もう嫌だ! 私は聖女の持つ力のひとつ魔力譲渡で、残っていたわずかな魔力を妹に注ぎ込んだ。もう嫌だ、王太子の婚約者も聖女も妹がなればいい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「あなた……あなただわ。私がずっと探していたのはあなた……」
鉄格子越しの妹の言葉に、エドアルド様は嫌悪の表情を隠さなかった。
スコンフィッタはエドアルド様が自分の番だと気づいたのだ。
彼女を溺愛していた両親は、伯爵家に獣人の血が混じっていることを秘密にしていた。獣人傭兵に囲まれて暮らしていた私を見下していた妹は、番という言葉すら知りはしない。
「そうなの? トンマーゾ陛下よりもエドアルド様を愛しているの?」
「ええ、そうよ! あんな人、好きじゃない。お姉様の婚約者だから近づいただけよ。それと……魔力が増えるから」
「エドアルド様……」
「レベッカ。あなたを愛しているが、その願いだけは聞けない。あなたが俺をその汚らわしい女に与えるというのなら自害する。パリージ帝国の獣人達はあなたを慕っている。俺を喪った怒りはあなたではなくテスタ王国とその女へ向かうだろう」
「スコンフィッタが傷つくのは嫌だわ」
「トンマーゾ殿に投獄されたことで一時的に心が離れているだけだろう。あなたの妹は、あの愚かな男とお似合いだ」
「違うわ、私は……っ!」
エドアルド様は強引に私を抱き寄せて、スコンフィッタのいる牢から離れる。
背後からあの子が叫ぶ声が聞こえてくる。
番という言葉を知らなくても、心と体がエドアルド様を求めているのだろう。運命で結ばれた番と離れるのだ。運命で結ばれているはずの番が、ずっと見下してきた姉と去っていくのだ。どんなに悔しく悲しいことか。
世の中は不公平だ。
ほかの女性と交わっても男性の放つ番の匂いは消えないが、ほかの男性と交わると女性の放つ番の匂いは消えてしまう。それは番の匂いに興奮した男性が、野性の獣のように女性が産んだべつの男の子どもを殺したりしないようにだとも聞くけれど。
私が与えた魔力を王太子との関係で生じたものと思い込んで、私から聖女の座を奪おうと、さまざまな男性と関係を持って魔力を増やしていたつもりのスコンフィッタは、もうエドアルド様の番としての匂いを失っている。むしろほかの男の匂いと混じったその匂いは、鼻の効く狼獣人のエドアルド様の嫌悪しか呼び起こさない。
こんなに上手く行くとは思っていなかった。
いや、こんなことになるとは最初は想像もしていなかった。
あのときの私は、エドアルド様の命を救えたという喜びだけを胸にこの世から消えるつもりで、体に残っていたわずかな魔力を妹に注いだのだ。私にとって一番都合の良い形で妹が誤解するなんて、わかるはずがない。
その上聖女からも王太子の婚約者からも解放されて、私はエドアルド様の妻になれた。
とはいえ世の中は不公平なものだから、どんなにほかの男の匂いに塗れていても、エドアルド様があの子を選ぶ可能性も考えていた。
もしそうなったなら、かつて命懸けで救ったこの人を今度は命懸けで殺すつもりでいたのだけれど。
「……ふふっ」
「どうしたんだ、レベッカ」
「トンマーゾ陛下があの子を妃にすると言ってくださったのが嬉しくて。だってあの子は、ずっと前から陛下のことを愛していたのだもの」
「ああ、そうだな。ほかの男の匂いもしたが、あの男の匂いが一番強く染みついていた」
優しいエドアルド様はよく効く鼻で、私の心の奥底から立ち昇る憎悪を嗅ぎ取っている。
でも彼は、私がそれを自覚していないと思っている。辛いと思ってもいい、憎んでも良いのだと言ってくださる。
見つからなかった番よりも命の恩人である私のほうを愛していると言って、この国から追放された私を妃にしてくれた。
エドアルド様の恩義を利用する私は汚い女。今回だって辛い思いをしに戻る必要はないと止める彼を説得してトンマーゾの招きに応じたのは、国や妹を案じたのではなくエドアルド様があの子に対してどんな反応をするのか確かめたかったからに過ぎない。
この国には聖女が必要だ、と愚かなトンマーゾは言ったけれど、今も昔もこの国には聖女なんかいない。
いるのは、愛に狂った女だけ──