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レベッカはテスタ王国へ戻って来た。
かつて彼女はこの国で伯爵令嬢として生を受け、聖女としての力を認められ、王太子トンマーゾの婚約者に選ばれていた。
妹のスコンフィッタに聖女の地位も王太子の婚約者という立場も奪われて、着の身着のままで国から追い出されたのは三年前のことだ。
「大丈夫だ、レベッカ。俺がいる。絶対にあなたの隣を離れない」
どこか不安げな彼女の肩を抱き寄せたのは、隣国パリージ帝国の皇太子エドアルドだった。
帝国にはさまざまな獣人の種族ごとの小国が集まっていて、それらを皇帝として統べているのは狼獣人だ。黒い毛皮の狼獣人のエドアルドは一族と帝国の掟により、一介の傭兵としてテスタ王国の魔の森開拓に参加していた。
森の奥から襲い来る魔物達との戦いで彼が死にかけたとき、救ったのは当時聖女だったレベッカだ。狼獣人は恩義を重んじる。なんの荷物もなく国外追放されたレベッカを今日まで支え続けてきたのはエドアルドだった。
テスタ王国の王宮に招かれたふたりは大広間に案内され、若き王トンマーゾの前に立った。
王国の版図を広げるために始められた魔の森開拓は、逆に王国の領土を削っていた。森から襲い来る魔物達の群れが、王国に属していた多くの村や町を滅ぼしていったのである。
トンマーゾの父である国王と母である王妃は、二年と少し前、心労でこの世を去っていた。レベッカがこの国を去るまでは、魔の森開拓は順調に進んでいたのだが──
「レベッカ……いや、レベッカ殿。今回は招待に応じてくれて感謝している」
当たり障りのない挨拶の後、トンマーゾがレベッカに呼びかけた。
エドアルドの青い瞳に睨まれて、トンマーゾは敬称をつけて言い直す。
テスタ王国とパリージ帝国の国力は、帝国のほうが遥かに大きい。皇太子の恩人を呼び捨てにする権利は王国の国王にはなかった。
帝国の獣人が傭兵として魔の森開拓に参加していたのは貧しさや王国からの圧力によるものではない。武を尊ぶ彼らは、魔の森開拓を絶好の修業の場と考えたのだ。
王国にとってもヒト族よりも体力があり、腕力の強い彼らの参戦はありがたかった。
レベッカがこの国を去ると同時に獣人傭兵が王国からいなくなったのも、魔の森開拓が上手くいかなくなった原因のひとつである。
王太子の婚約者だったレベッカは見事なカーテシーを見せた後、非礼にならない程度に辺りを見回した。
三年前に自分を追い出したトンマーゾの側近や魔の森開拓で活躍する聖女を疎んでいた貴族達を瞳に映しても、彼女の表情は変わらなかった。
しかし、実の家族である伯爵家の夫婦を見た途端、顔色が変わった。怪訝そうな表情でもう一度周囲を見回し、最後に視線をトンマーゾに戻す。
「恐れながらトンマーゾ陛下。あの子は……私の妹スコンフィッタはどこにいるのでしょうか? 妹はあなたの婚約者となりました。ご婚礼の話はまだお聞きしたことがございませんが、未来の王妃がどうしてこの場にいらっしゃらないのでしょうか?」
エドアルドが鋭い牙を見せて舌打ちを漏らす。
彼は命の恩人であるレベッカを追い出した彼女の妹とは会ったことがない。
会ったこともないのに、生まれてからこれまでの間に出会った、あるいは存在を知った人間の中で一番に忌み嫌っていた。レベッカ本人から悪い話を聞いたことは一度もないが、その濁った心根は現在の状況を見るだけで十分嗅ぎ取れた。
「スコンフィッタは……そなたの妹は牢にいる」
トンマーゾの返答に、レベッカは瞳を見開いた。