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第一章 9



「この感じ、やはりいいな!」

「はは、やっぱり全然怖がりませんね」

「当たり前だ。アルヴィスがいれば私だって」

「ではもう少し、速度を上げても大丈夫ですかね」


 するとクラウディオがわずかに体を持ち上げた。

 そのままゆったりとした常歩(なみあし)から、小走りの速歩、駈足(かけあし)へと移行する。平坦な道だが、馬上には結構な揺れが伝わって来て、リヴィアはおっとと体勢を崩しかけた。

 すぐにクラウディオが気づき、馬の足を緩める。


「失礼。急ぎすぎましたか」

「いや、すまない。どうもこの横乗りというものには慣れないな」

「ご婦人方はドレスですし、鞍を跨ぐわけにいきませんからね」

「む、むう……」


 確かにこのひらひらとした衣装では、余計な怪我を招きかねない。ベアトリスだった時分であれば、とっとと着替えて単騎で駆け出したいところなのだが――とリヴィアは不満げに口をつぐむ。


(しかし……こんな悠長では、いつ到着することやら)


 このままでは日が暮れてしまう……とリヴィアが心配していると、クラウディオが突然ぐいと腰に手を回してきた。驚き目を剥くリヴィアの頭上から、冷静な彼の声が降りてくる。


「すみません、少しだけこうして、俺に掴まってもらってもいいですか」

「き、君にか?」

「はい。このままだと目的地に着くのが遅くなりますので」

「あ、ああ、そうだな」


 確かに荷物が固定されている方が、クラウディオとしても走りやすいだろう。そう心の中で言い訳をしながら、リヴィアはクラウディオの腰におずおずと腕を回した。

 彼の胸元にぴったりと体を押し付ける形になってしまい、どうにも落ち着かない。


(く……アルヴィスがいれば、こんな迷惑をかけることもなかったのに)


 情けないやら恥ずかしいやら。複雑な気持ちを抱えるリヴィアをよそに、クラウディオは再び馬脚を走らせ始めた。前後の大きな揺れを耐え忍ぶように、リヴィアは懸命に彼の体に縋り付く。


(やはり……私とは全然違う身体なんだな……)


 ルイスもよく鍛えられた体ではあったが、やはり今のクラウディオは筋肉の付き方や頑丈さが全然違った。

 ベアトリスであった頃ならまだしも、リヴィアの小さな体や細い手足では、とても太刀打ち出来そうにない。


(組み手をしても、勝てる気がしないな……)


 そんなことを考えていると、足場が悪かったのか馬上が大きく傾いだ。リヴィアが慌てるよりも先に、クラウディオは彼女の体を手繰ると、自身の腕の中に強く抱きかかえる。

 彼の軍服にリヴィアの頬は押し付けられ、その生地越しにどくん、どくんという大きな心臓の音が伝わって来た。

 今まで経験したことのない密接さや、クラウディオの呼吸を肌で感じてしまい、リヴィアの緊張はいやおうなしに高まっていく。

 だがリヴィアが行きたいとお願いした以上、ここで帰ると言うわけにはいかなかった。


(だ、だめだ、目的地に着くまでの、我慢だ……)


 リヴィアは自分の鼓動がうるさく高鳴るのを感じ――どうかこの音が、クラウディオに聞かれませんようにと祈りながら、強く瞑目した。






 そうして馬を駆ること数時間、二人はようやく目的の場所に到着した。先に下りたクラウディオの手を借りながら、リヴィアもそっと地面に降り立つ。


「ここが……?」

「かつて、ゾアナ渓谷だったところです。ただし今は特に名称はなく……地元の方だけは、ジアナ平原と呼んでいるそうです」


 そこは最期の土地――二人が命を落とした場所だった。

 場所はルーベン王国の東。

 年月の経過により切り立った崖はなだらかに崩れ、今は山からの水が流れ込む美しい河に変貌している。敵兵たちが潜伏していた森も切り拓かれ、今はただの広大な平野と化していた。

 何より驚いたのは、その見渡す限りが花で埋め尽くされていたことだ。


「どうして……こんなに花が?」

「俺が種を蒔きました」

「君が?」

「はい。……ここは仲間たちが、眠っている場所ですから」


 ルーベン王国内でも辺境に位置するこの地域は、人の往来がほとんどない土地らしい。おまけに長い年月を経たことで、ここで凄惨な戦いがあったこと自体、忘れられているようだ。

 邸にあった地図にも地名が表記されていなかったことを、リヴィアはひっそりと思い出す。


「では君も、この場所を思い出していたのか」

「記憶を取り戻して、すぐに捜しに行きました。当時は雑草すら生えない、荒れ果てた土地でしたが、ここ数年でようやくここまで」

「そう、だったのか……」


 リヴィアはためらいがちに、そっと一歩を踏み出した。

 ピンクやオレンジ、黄色といった艶やかな花が揺れる中を、白銀の髪をなびかせて歩いていく。まるで天国のような情景を前に、リヴィアはかつての仲間たちを思い出していた。


(イルザ、ベイルード、レオルド……)


 一人、また一人と彼らの名前を呼ぶ。そのたびに彼らの笑い顔と、同時に死に際の事切れた光景が浮かんできた。

 美しい花畑の只中にあまたの死体が重なり合う。

 二度と覚めない悪夢が、はっきりとリヴィアに襲い掛かった。


(私は……私は、隊長失格だ……)


 幻覚から逃れるように、自然とリヴィアの足が進む。

 鼻の奥がつんとなり、リヴィアは何かから逃げるように走り始めた。だが救うことの出来なかった部下の背中ばかりが浮かんできて、たまらずこくりと唾を呑み込む。

 そうしてたどり着いた先に、一つの石碑があった。


(これは……)


 それは墓標であった。

 埋葬者の名前はおろか、家名や日付も書かれていない。ただ一行だけ――『勇敢に戦った仲間たちへ』とだけ刻まれていた。

 リヴィアはそれを指でなぞると、ずる、とその場に座り込んだ。気づけばリヴィアの瞳からは、次から次へと涙が溢れ出ており、やがて短い嗚咽に変わる。


「すまない……すまな、かった……」


 石碑に手のひらを添えると、リヴィアは額を押し付けて泣き続けた。何度も何度も謝罪を口にするが当然答える声はなく、時折ざあと風が花々を揺らしていく。

 遅れて姿を見せたクラウディオが、ぽつりと口にした。


「ベアトリス様、どうか泣かないでください」

「……」

「俺たちは、誰一人として貴方を責めてはいません」

「違う、……あれは私のせいだった……! 私にもっと力があれば、皆を死なせることなんて……なかった、はずなのに……」

「いいえ。貴方は十分に強かった。いつだって、俺たちの前で勇壮に戦っていた」


 覚えていますか、とクラウディオは目を細める。


「ラグルーシの戦いで敵兵に囲まれた俺を、貴方はたった一人で助けに来てくれた。あの時俺は、貴方に心臓を掴まれたんです」

「……」

「イルザは『隊長がいなければ、片足になっていただろう』と笑っていたことがありました。ベイルードはいつも他の隊に、ベアトリス様の強さを自慢していたそうです」

「そんなもの、無意味だ……」

「いいえ。貴方にとっては無意味でも、俺たちにとって貴方は誇りでした。『ロランドの戦乙女』と共に戦える。それがどれだけ、兵たちの心の支えになっていたことか」


 続く言葉を失ったリヴィアは、ようやくゆっくりと顔を上げた。

 するとクラウディオが歩み寄り、泣き腫らしたリヴィアの隣にしゃがみ込む。固く握りしめたリヴィアの手を取ると、優しく自身の手を重ねた。


「貴方は……俺たちの希望でした。貴方がいたから、最後まで戦うことが出来た。誰よりも凛々しく、先頭に立って戦う貴方の勇姿に、俺たちはずっと救われていたんです」

「ルイス……」

「ずっと伝えたかった。ようやく、願いが叶いました」

「……」


 リヴィアは長い間押し黙っていたが、やがてクラウディオの手を離すと、しっかりと立ち上がった。

 真っ白い墓標の前に向かうと、静かに黙祷する。



 

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