第一章 5
翌日。リヴィアは珍しく涙を零さずに目覚めた。
だが寝起きの気分は最悪に近い。
(くそ、一度寝ればすべて夢だった……なんてなるはずがないか……)
どうやら随分と寝過ごしてしまったらしく、太陽は空高く昇っていた。肉体よりも精神的な疲弊が凄まじく、リヴィアはのろのろと起き上がる。ベッドの縁に腰かけていると、いつものようにメイドが扉をノックしてきて、着替えの支度が始まった。
されるがままになりながら、リヴィアは改めて昨日の出来事を思い出す。
(私の前世が『ベアトリス』という女隊長であったことは間違いないだろう……しかし、どうしてそこから急に、結婚という話になる?)
前世でベアトリスの部下であったという『ルイス』。
その生まれ変わりを名乗る青年。
リヴィアが思い出した記憶の中にも、確かにルイスという青年の覚えはあった。髪の色こそ違ったが、特徴的な深紫の目はまったく同じだ。ベアトリスが彼に対して、厚い信頼を置いていたことも理解している。
だが昨日出会った青年とは完全に初対面だ。齢もおそらく向こうの方がずっと上だろうし、何やら立場のある役職についているようでもあった。
(いくら前世で結婚の約束をしていたといっても……今の私では、釣り合わないのではないだろうか?)
おまけに突然のプロポーズに驚いたリヴィアは、馬車を待たせているので! と返事どころか目も合わせぬまま、王宮を飛び出してしまった。そのせいで青年の名前も家も聞かずじまいだ。挙句、自身の今の名前すら教えていない。
(でも逆によかったのかもしれない。あのパーティーには他にも多くの令嬢たちがいた。あの中から、私がどこの誰かを探し出すのは容易ではないだろう……)
青年には申し訳ないが、今のリヴィアはベアトリスではないのだ。終わってしまった前世の約束に縛られるよりは、新しい人生を満喫してもらいたい、とリヴィアははあと息をつく。
気づけばピンク色のドレス姿に様変わりしており、リヴィアは相変わらずひらひらとした裾を眺めては苦笑する。すると廊下を駆ける慌ただしい足音が近づいて来て、バタン、と部屋の扉が開いた。
「し、失礼いたします! お嬢様、旦那様がすぐに来るようにと!」
「父上が?」
尋常ではないメイドの様子に、不安になったリヴィアはすぐに書斎へと向かった。中には父親と珍しいことに母親の姿もある。二人はリヴィアの顔を見た瞬間、あわわと困惑した様子で口を開いた。
「た、大変だリヴィア!」
「何があったのですか、父上!」
「え、縁談が来たんだよ!」
は? とリヴィアは思わず眉を寄せてしまった。だが両親は興奮冷めやらぬといった状態で、頬を真っ赤にしてまくしたてる。
「昨日のパーティーで出会って、是非結婚したいという申し出なんだよ!」
「それは……大変急な話ですが、ありがたい限りで……」
「それが! 相手はあの! ランディア卿のご子息なんだよ!」
「ランディア卿……公爵家ではないですか!」
その家名には、リヴィアもさすがに覚えがあった。
ルーベン王国内に五つしか存在しない『公爵家』。その地位は王族の次に位置し、古くは王族とも血のつながりを持つと言われている。
ランディア家はその一つで、東の肥沃な領地と凄腕の騎士団を抱えているという話を耳にしたことがあった。もちろんただの伯爵家であるリヴィアとは、面識はおろか接点があるはずもない。
(昨日のパーティーに参加していたのか? しかし、それらしき人物と会話した記憶は……)
だがすぐに悟ったリヴィアは、恐る恐る父親に問いかける。
「父上……その、ランディア卿のご子息というのは、こう、黒髪で背の高い……?」
「え? どうだったかなあ、小さい頃式典に同行しているのをお見かけしたことはあるけれど……」
「思い出してください! 今すぐに!」
「え、えっと、そうだな、多分黒髪だったと思うよ」
(あいつだ……! 昨日話した奴なんて、あいつ以外にいない!)
はっきりとした証拠はない。だがリヴィアは何故か確信していた。こんがらがって来た思考の紐をほどきながら、盛り上がっている両親を宥める。
「父上、お喜びのところ大変申し訳ないのですが……どうかその縁談は、断っていただけないでしょうか」
「ど、どうしてだい⁉ うちが公爵家とつながりが持てる機会なんて、もう二度とないかもしれないんだよ⁉」
「そうですよリヴィア! 成人の儀からすぐにお話をくださるなんて、なんて熱烈な愛情表現なのかしら!」
「そうだよ。思えば僕がマリアに求婚したのだって、パーティーで出会って翌日のことだった。きっと相手方もそれだけ本気なんだよ」
「そうだったわ貴方! 思えばあれが運命だったのね……!」
「ああマリア! 僕の愛しい薔薇よ……」
「いいから二人とも落ち着いてください!」
このまま両親のいちゃいちゃを見せつけられてはかなわない、とリヴィアは勢いよく会話を断ち切った。常識では考えられない破格の縁談に、きゃっきゃとはしゃぐ両親を落ち着かせようと、リヴィアは出来る限り冷静に話を続ける。
「彼はその、……違うのです。彼が好きなのは私ではなく、いえ、私だったのですが、今は違うというか……」
「リヴィア?」
「すみません。上手く言えないのですが、今の彼にはその……きっと私よりもふさわしい相手がいるはずなので……」
どう言い表したものか、とリヴィアは四苦八苦する。だがその背後から、よく通る声がリヴィアに向けて放たれた。
「――いいえ。俺には貴方しかいません」
「ッ⁉」
聞き覚えのあるそれに、リヴィアは慌てて振り返る。すると扉のところにいつの間にか、昨夜の青年が立っており、リヴィアを見てにっこりと微笑んだ。
その隣には額を押さえた執事の姿があり、盛り上がりすぎるリヴィア達一家に声をかける隙がなかったのだ、と容易に想像できる。
その一方で、彼の姿を初めて見た両親は、あまりの美貌を前に完全に言葉を失っていた。
「失礼。何度外から呼びかけてもお返事を頂けず、代わりに聞き捨てならないお言葉が聞こえてきましたので」
「お、お前は……」
「昨日は名乗りもせずに、大変失礼いたしました。改めまして、クラウディオ・ランディアと申します」
「クラウディオ……」
「現在は父が領主をしているため、騎士団長の任を仰せつかっております」
そう言うとクラウディオは、颯爽とリヴィアの前に立った。硬直したままのリヴィアの手を取ると、騎士が姫に対するような仕草で口づける真似をする。