第五章 4
「――⁉」
突然の奇襲に、クラウディオは目を見開いたまま石像のように硬直した。時間はさほどかからず、すぐに顔を離したリヴィアはぷは、と堪えていた息を吐き出す。
呼吸の仕方を忘れたかのように、はくはくと口を開閉させるクラウディオに向けて、真面目な顔つきで尋ねた。
「ど、どうだろうか」
「な、……何が、ですか……」
「そ、その、君があまりに謝るものだから、私からもすれば、少しは気が楽になるのではないかと思って……」
「……リヴィア様」
「す、すまない! あまり上手くないことは許してほしい。さっきの君からのだって、正直いっぱいいっぱいで、何が何だか分からなかったんだ」
「……」
「次までにはきちんと練習する。だから――」
「しなくていいです」
途端にくすりと破顔したクラウディオから、リヴィアは強く抱きしめられた。再び心臓がどきどきと音を立て、リヴィアは不思議な感覚に取り込まれる。
クラウディオの腕の中は暖かくて、頼もしくて――でもやっぱり、少しだけ恥ずかしい。
「するなら、相手は俺だけにしてください」
「あ、相手なんていないぞ? 本とかで勉強するつもりで」
「俺が教えますから」
にっこりと笑うクラウディオは、普段の爽やかな彼とはほんの少しだけ違っていて――リヴィアはたまらずふいと目をそらした。
すると耳のすぐ下にクラウディオの手が伸びてきて、手繰るように彼の方を向かされる。
「これから二人で、少しずつ始めましょう?」
「……ああ」
やがてクラウディオは、触れ合うか否かという程度のかすかな口づけを落とした。リヴィアが恐々と目を開けると、目の前に嬉しそうに微笑むクラウディオがいる。
最後にすり、と互いの鼻先をこすり合わせると、二人はベッドの上で静かに笑い合った。
そうして数日が経過し、ようやく人が戻って来た騎士団で食堂が再開された。
「いやーもう驚いたわ~! リヴィアちゃんがでっかい馬に乗って、革命軍を倒してるんだもの!」
「そうそう! あれ本当にリヴィアちゃん⁉ って」
「面目ありません……」
昼食の準備をしながら交わされる会話に、リヴィアは恥ずかしそうに俯く。
暴動事件の後、姿を見られたということもあり、リヴィアは食堂の女性陣にすべて事情を説明した。
もちろん前世のくだりは省いているが、クラウディオから剣を習っていること、本当は伯爵家の令嬢であることなどを告げる。
へえーと感心していた女性たちの反応に、リヴィアは最初少しだけ身構えた。だが女性たちはさしたる非難もなく、むしろ好意的に受け入れてくれる。
「まあでもいいんじゃない? あの時のリヴィアちゃん、すごく強くて格好良かったし」
「逆に頼もしいわ。この食堂、時々荒っぽい子もくるから」
「あ、ありがとうございます……!」
「それよりお嬢さんなのに、こんなところで働いていていいの?」
「それでしたら問題ありません。皆さまのご迷惑でなければ、これからも一緒に働かせていただきたいと」
「やだもう、こっちからお願いしたいくらいよ!」
「ほんとほんと、これからもよろしくね!」
朗らかな笑いを浮かべる女性たちを見て、リヴィアはほっと胸を撫で下ろした。やがて外がにぎやかになり、一組、二組と訓練終わりの騎士たちが食堂を訪れる。
その中にはイルザたちの姿もあり、リヴィアを見つけるや否や、こっそりと話しかけてきた。
「リヴィアちゃん新メニュー三つ! ……そしてベアトリス様、先日は大変お疲れさまでした」
「二百五十年ぶりの指示、素晴らしかったです」
「わかる。やっぱなんか、魂に刻まれてんだろな」
「大げさだな。でも私も、もう一度お前たちと戦えてうれしかったよ」
「隊長……!」
三者三様、涙を浮かべるかつての部下たちをテーブルに押しやり、リヴィアはやれやれと苦笑する。すると少し遅れてクラウディオが顔を覗かせた。
「リヴィア様、今日もよろしいですか」
「あ、ああ、少し待ってろ」
どことなくぎくしゃくと離れていくリヴィアを見て、かつての部下たちは白い目をクラウディオに向ける。
「――それで? おれたちにベアトリス様のことを黙っていたどころか、しれっと婚約まで結んだ奴がどこかにいるらしいなぁ?」
「……」
「なんかはっきりしない言い方だと思えば……随分とやるようになったな、ルイス」
「いや俺はもうルイスではないので……」
「いやーでもまあ、また前世みたいに、ひたすらうじうじしてたらどうしようかとも思ってたぞ!」
「う、うじうじなんてしてませんよ」
「してたぞ。俺ではベアトリス様には相応しくないからーとか、遠くで見つめているだけで幸せなんですーとか」
「わ、忘れてください! それ絶対ベアトリス様に言わないでくださいよ!」
「どうする?」
「どうすっかねえ」
苦虫をかみつぶしたような表情のクラウディオを、かつての先輩たちは末の弟を見守るかのようににやにやと眺めていた。
そこに巨大な盆を持ったリヴィアが現れ、テーブルを取り巻く不思議な雰囲気にわずかに首を傾げる。
「出来たが……なんだこの空気は」
「な、何でもありません! ……リヴィア様、もしかしてその丼は」
「ああ。新メニュー『肉肉丼・極』だ」
以前の肉肉丼は、切り分けた肉を焼き、塩胡椒で味付けしただけのものだった。だが書庫で発見した料理本を参考に、塊肉を低温で長時間焼成。さらに薄く切り分けることで今までにない肉の柔らかさとうまみを引き出すことに成功したのだ。
ちなみに味付けには赤ワインベースのソースを使用しており、調合にはコサ・リカの力を借りている。
帝国にも重宝された料理人一族、その当代一の腕前というだけあって、リヴィアでは思いもつかない調理法や食材の提案を教授してもらった。
美味しそうに頬張るクラウディオたちを見て、しっかりとした手ごたえを感じたリヴィアは嬉しそうに微笑む。
だが背後で聞こえて来たどよめきに、わずかに眉を寄せながら振り返った。そこにいたのは傷一つない白の騎士団服の一団と――ラウルだ。
「相変わらずここは騒々しいな。食事の時間くらい、もっと静かに出来ないのか」
「ラウル……」
「ああリヴィア。久しいな」
どこかうんざりした様子のリヴィアに、ラウルは柔らかく笑みを向ける。それに気づいたクラウディオは思わず立ち上がった。
「ラウル、どうしてまたここに――」
「先日の暴動事件で、第一騎士団の専用サロンも被害に遭った。修繕が終わるまで、我々もこちらを利用するだけだが?」
すぐに始まった団長同士のにらみ合いに、それぞれの背後に立つ騎士団員らも互いに火花を散らし始める。
だがリヴィアはその間に割って入ると、すぐに手で制した。







