第五章 3
「リヴィア」
「ラウル?」
「やはりお前は、もう戦いの場に出るべきではない」
「……」
「今回助かったのはたまたまだ。次も同じようになるとは限らない。いい加減に騎士の真似事などやめて、普通の令嬢としての生活に戻ることは考えられないか?」
ラウルの言葉は、以前のような頭ごなしの否定ではなく、心からリヴィアのことを思っているのだとはっきり理解出来た。
リヴィアはその言葉を噛みしめ、そしてゆっくりと顔を上げる。
「ありがとうラウル。……でも私はやっぱり、剣を握るよ」
「ベアトリスとしての前世は、もう今のお前とは関係ないことだろう」
「うん。だから私は――『リヴィア・レイラ』として戦う。私の大切な人と、私自身を守るために、この道を選びたいんだ」
真摯なリヴィアの瞳を前に、ラウルはしばし不機嫌そうに眉を寄せていた。だがすぐにはあと息を吐くと、面白くないとばかりに髪をかき上げる。
「まったく……結局前世と同じじゃないか」
「す、すまん……」
「ということは、前世と同様に、また僕は振られるんだろうな」
突然のラウルの言葉に、リヴィアは途端に飛び上がった。背後でクラウディオも言葉を失っているのが分かる。
「な、あの、それは」
「あいにく僕はそこまで鈍くない。お前たちの態度を見れば、だいたいの察しはつく」
「そ、そういう、ものなのか」
いよいよ逃げ場を失ったリヴィアは、覚悟を決めるとラウルの目を見つめた。
「私は……クラウディオが好きだ」
「……」
「まだ精査期間が残っているのに、返事をすることの無礼は重々承知している。だが私はもう……クラウディオしか考えられないんだ」
すまない、とは言わなかった。
それは正式に婚約を申し込んでくれたラウルに対して、一番の非礼に当たると思ったからだ。
簡潔なリヴィアの言葉に、ラウルは一瞬視線を足元に落とした。しかしすぐに顔を上げると、いつものように優雅に微笑む。
「――わかりました」
「……ラウル」
「きちんと言ってくださり、ありがとうございます」
するとラウルは、すっとクラウディオの元に歩み寄った。
そして次の瞬間、まだ包帯が巻かれているクラウディオの腹めがけて、すばやく拳を打ち込む。
「ぐっは⁉」
「クラウディオ⁉」
「このくらいの腹いせはお許しを。……後日、家には事情を伝えておきます」
突然の逆襲にその場にうずくまるクラウディオと、どうしようと困惑するリヴィアを残し、ラウルはひらひらと手を振って廊下を戻って行った。
「だ、大丈夫か、クラウディオ」
「は、はい、なんとか……」
ラウルに殴られた腹を押さえつつ、二人はようやく病室へと戻った。ベッドに腰かけたクラウディオが眦を下げながら苦笑いする。
「だいぶ本気で殴られました」
「す、すまない。私があのような場で言ったばかりに」
「いえ。……むしろ俺は、すごく嬉しかったです」
するとクラウディオはわずかに顔を陰らせると、そっと手元に視線を落とした。
「……ずっと、不安だったんです」
「不安?」
「だって前世でお二人は、婚約者だったんですよね。知らなかったとはいえ、俺はそれに横入りする形になってしまったわけで……もちろん、俺としても譲るつもりはなかったんですが、正直、リヴィア様に選んでもらえるなんて、奇跡にしか思えなくて……」
「クラウディオ……」
「す、すみません、女々しいことを言ってしまって……」
忘れてください、と首を振るクラウディオを見て、リヴィアは顔をほころばせた。
「奇跡などではないよ。クラウディオ」
「リヴィア様?」
「私はずっと……本当にずっと、君に救われて来た。ルイスだった時には命を。そしてクラウディオになってからは、私の心までも大切にしてくれた」
美しい大地に建てられた弔いの墓標。
満開の花畑。
単なる令嬢の形にあてはめず、リヴィアの望む生き方を一緒に探してくれた。剣を握ることも、料理をすることも。
「前世の私の後悔を、今の私の願いを、君は全部受け止めてくれた。……気づいたら、君のことを好きになっていたんだ」
「……」
「大好きだよ、クラウディオ。長い間、私を覚えていてくれてありがとう」
穏やかに紡がれるリヴィアの吐露を、クラウディオは一語一語確かめるようにして聞いていた。
だがいよいよ耐え切れなくなったのか、目の前に立っていたリヴィアの手を掴むと、ぐいと引き寄せる。
バランスを崩したリヴィアは、どさりとクラウディオの膝上に倒れ込んだ。
「す、すまない! 傷口に」
「黙って」
するとクラウディオは、そのままリヴィアの両腕を掴み、流れるように口づけた。
(――!)
突然のことにリヴィアは目を見開き、懸命に顎を引こうとする。だがクラウディオの力は強く、離れることが叶わないまま、リヴィアの体からは少しずつ力が抜けていった。
ようやく唇が離れた時には、リヴィアは羞恥で顔も上げられなくなる。
「ク、クラウディオ?」
「そういうことを、二人きりの時に言うのは、ずるいです」
「え?」
「離したく、なくなるじゃないですか……」
かすれた声でそれだけ零すと、クラウディオは力強くリヴィアの体を抱きしめた。
そのまま彼の手が頬に添えられたかと思うと、二度目のキスが降りてくる。柔らかく唇を啄むような口づけに、リヴィアは限界を迎えていた。
(なんだこれ、恥ずかしい……けど……)
クラウディオの熱に触れられるのは気持ちがいい、とリヴィアはこのふわふわとした感覚が何なのか分からないまま、ただ必死に彼からの愛を受け止める。
時が止まったかのような感覚が終わり、リヴィアはようやくはふ、と小さな舌をちらつかせた。
「す、すみません、苦しかったですか?」
「い、いや……初めてだから、少し、要領が掴めなかっただけで……」
「……初めて?」
クラウディオがきょとんとした様子で瞬く。それを見たリヴィアは若干の恥ずかしさを覚えつつ、拗ねるように口にした。
「だ、だって、こんな経験をする機会など、今まで一度もなかったから……」
「でも、ベアトリス様だった頃の記憶には」
「あ、あるはずないだろう!」
「ラウルの前世とは」
「し、していない!」
するとクラウディオは、何度かゆっくりとまばたきすると、そろそろとリヴィアの体を離した。自身の手で口元を覆い隠すと、何故か彼の方が真っ赤になっている。
「……待ってください。じゃあもしかして、こういうことは、初めてで……?」
つられて頬を紅潮させたリヴィアが、こくりと上目がちに頷く。それを見たクラウディオは口を覆っていた手を額に移動させ、苦悶の表情を浮かべた。
やがて恐る恐るといった風にリヴィアに謝罪する。
「大変、申し訳、ございません……」
「な、何がだ⁉」
「その、俺、嬉しすぎて、少しがっついてしまったというか……ふ、普段はこんなのじゃないんです! ただその、抑えが、少し利かなくなったというか……」
「クラウディオ?」
「ほ、本当にすみません! だめだな俺、年上なのに……ちゃんとリード出来なくて、情けない……」
どよんと重苦しい空気を被ってしまったクラウディオに、リヴィアはどうしたらと困惑する。だがすぐに口を引き結ぶと、今度はリヴィアの方からクラウディオの腕を掴んだ。
え、とクラウディオが顔を上げた瞬間、リヴィアは彼の頬に手を伸ばすと、自ら唇を押し当てる。







