第五章 2
「……あんたたちかぁ」
「レガロ。無事だったようだな」
「ほんと……死にぞこないって感じだよねえ」
青痣の残る口元を緩めるが、そこに覇気はない。リヴィアはその様子をしばらく見つめていたが、ようやく話を切り出した。
「……私の前世の名は『ベアトリス』という。ロランド王国で一つの隊を任されていた」
「もしかして『ロランドの戦乙女』? 噂は聞いたことあったけど、そっか、アンタだったんだね」
「ああ。だが私の隊は、ある作戦の失敗によって全滅した。……ゾアナ渓谷での話だ」
それを聞いたレガロは、視線を天井へと向ける。
「なるほどね。オレのせいってわけだ」
「……」
「それで? オレを殺しに来たの?」
挑発するようなレガロの目と、リヴィアの薄紫の瞳が一瞬だけ睨み合った。だがレガロはすぐに相好を崩すと、静かに目を細める。
「別にいいよ。それでも」
「レガロ……」
「好きにしなよ。アンタには、その権利がある」
その言葉に、背後で見守っていたクラウディオとラウルがじっと様子を見守っていた。リヴィアもまた沈黙を続けていたが、やがてレガロの胸元にそっと手を伸ばす。
「私は、……お前が憎い。お前のせいで、私の大切な部下は無残な死を遂げた。私自身も、屈辱と後悔ばかりの中で死んでいった。その悲しみは、今も、これから先も、一生晴れることはないだろう」
「……うん」
「だがここで今お前を殺しても、かつての仲間たちが生き返るわけではない。時間が過去にさかのぼるわけでも、あの惨劇が無かったことになるわけでもない」
「……」
「もう戻ることは出来ない……。お前の生死とは関係なく、私も、仲間たちも、こうして新しい生を受けているのだから」
随分と長い時間が経ってしまった。
かつての敗北の地は花に包まれ、戦い続けてきたかつての敵は自ら身を滅ぼした。失われた仲間たちは性別も名前も変えて、新しいこの世界で幸せに暮らしている。
「確かに、前世のお前は罪を犯した。……でもそのせいで、今のお前までその罪にとらわれる必要はないと、私は思う」
「オレを、赦すと?」
「……仲間たちのことを思えば、絶対に赦すとは言えない。ただ、私がここで前世の復讐を果たしたところで、もう意味などないと思ったんだ……」
もしもここでレガロを手にかければ、それはきっと――前世の栄光に、今なお囚われ続けていたサルトルと同じことになってしまうだろう。
過ぎてしまった過去を悔やんで、取り戻したいともがいて、そのために今生きている人間の命を奪う。
それが正しいことだとは、リヴィアにはどうしても思えなかった。
「それにお前だって、帝国に裏切られた被害者だろう。あの時に罰を受けた、自分でそう言っていたはずだ」
「それは……」
「過去は変えられない。私たちが犯した過ちも消えることはない。どれだけ前世の行いを悔やみ、毎日のように悲しみに包まれても……ロランドも帝国も、もう存在しないんだ。私たちはそれを知ってなお、生きていくしかない」
それはきっと楽な道ではないだろう。
下手をすれば、ここで命を終えるよりもつらい贖罪の日々が続いていく。
それでもこうして、新しい命を得るという奇跡を得た。
「生きろレガロ。前世と同じ後悔をもう一度しないために、今この世界で必死になってもがき続けろ」
「……」
「そしていつかは……共に戦いたい、と私は思っている」
リヴィアの強い思いの籠った言葉を、レガロは静かに聞いていた。是とも否とも返さぬ彼に憤るでもなく、リヴィアは最後に微笑みかけるとすぐに踵を返す。その背を追って、ラウルも病室を後にした。
やがて、一人残っていたクラウディオがぽつりと口にする。
「先日、陛下の発案で、刑罰法に新しい量刑が追加された」
「……」
「罪状の度合いにもよるが、現行の生命刑だけではなく、労役による自由刑――懲役が加わった。殺人などでなければ、王宮内の指定された部署や辺境地での労働によって、その罪をあがなうという仕組みだ」
「それが、なに?」
「この受け入れ先に、俺の第二騎士団もある。もちろん武器を持つことは許されないから、雑務や厩番の下働きといった、本当にきつい仕事ばかりだ。もちろん監視もつく」
「……」
「だが、決められた年数の服役を終えれば、そのまま同じ部署で働く機会も与えられる。もちろん施行されたばかりの法案だから、確実なものとは言えない。お前に課せられる懲役も何年になるか分からない」
やがてクラウディオは、わずかに目を細めた。
「それでも……もしもお前が希望するなら、第二騎士団はお前を受けいれる」
「……」
「まだ裁判までは時間がある。それまでゆっくり休んで……もしもその気になったら、俺に連絡をくれないか」
「……さあね」
そっけないレガロの返事に、クラウディオはわずかに苦笑した。
病室からクラウディオがいなくなった頃、はあーと大きなため息が零れる。
だがそこに以前のような悲壮はなく、レガロはようやく動くようになった手で、静かに自身の目を覆い隠していた。
レガロの病室を出た三人は、暴動事件の顛末を話しながら、長い廊下を歩いていた。その途中でリヴィアがううむと腕を組む。
「なるほど。お前に帰還命令を送ったのは、バルデス将軍だったのか」
「正確には王妃殿下だ。まさか、将軍が女性に生まれ変わっていたなんて……僕はあの日から三日ほど連続して夢に出て来たぞ」
礼拝堂の見事な体術を思い出したのか、ラウルは険しい顔つきのまま額に手を当てた。クラウディオも苦笑しており、リヴィアも「気持ちは分かる」と深く頷く。
「おそらく、王都に潜伏していた革命軍のわずかな動向に気づいたのだろう。ロランド時代も、ああした策謀関係では右に出るものがいなかったからな」
「ああ。本当にいろんな意味で恐ろしい人だ……」
「それよりリヴィア。領地に戻る僕たちを追っている途中で、誘拐されたと聞いたが……何故そんなことをしたんだ?」
「え、ええと、それは、だな……」
内通者が判明した今、口にするのも恥ずかしい勘違いだ。
しかし訝しむラウルの目から逃れられるはずもなく、リヴィアは正直に白状する。
「――コサ・リカが内通者だと思ったから、だと?」
「ほ、本当にすまない! お前の部下に対して失礼な話だと思っている! だがその、王宮の書庫で、同じ名前の貴族がロランド出身であるという本を見つけたんだ」
「本? 何の本だ」
「それは、その……」
リヴィアは反対側にいるクラウディオをちらりと覗き見た。
目が合った途端、ん? と子犬のように首を傾げる様が愛らしく、リヴィアはにやける口元を抑制するため、頬の内側を強く噛みしめる。
(だめだ! 絶対にタイトルだけは言いたくない!)
「ええと、その、あれだ。各国の伝統料理に関する、資料的なものというかなんというか」
「であれば、コサ・リカの先祖によるものだろう」
先祖? と首を傾げるリヴィアに向けて、ラウルはさっさと説明する。
「あいつの始祖はロランド出身だが、家柄が少々特殊でな。王の料理人という地位を代々引き継いで来たそうだ。聞いたところによると、ロランドが併合された後も、その腕を買われ帝国で料理の腕をふるっていたらしい」
「りょ、料理人?」
どうやら貴族という立場ではなかったが、そのあまりに優れた料理の才を惜しまれ、帝国でも破格の扱いを受けていたのだという。
文字を書いたり読んだりという博識さも、レシピを書き残しておくために必要だったからだそうだ。
そしてリヴィアが勘違いした、一番大きな理由の『名前』だが――
「もう一つ。あいつの家では、その代で最も優れた料理の腕を持つ者が、始祖の名である『コサ・リカ』を引き継ぐそうだ」
「名前を、引き継ぐ?」
「ああ。僕の元にいるあいつは、当代で最も料理が上手い。だから『コサ・リカ』という初代料理人と同じ名前を持っているというわけだ」
「つまり、本を書いたのは今のコサ・リカではなく……」
「あいつの数代前の祖父か、祖母というところだろう」
理由が分かれば何ということもなく、リヴィアは自らの暴走ぶりが今更恥ずかしくなっていた。それを確かめるためにわざわざ単身ルメンザールに行き、挙句サルトルに捕らえられているのだから情けない限りだ。
やがてクラウディオの病室に到着した三人は、扉の前で足を止めた。部屋に戻ろうとするリヴィアとクラウディオだったが、ラウルがすばやくリヴィアの腕を掴む。







