第五章 前世の部下が婚約者になった件
革命軍の暴動事件から数日後、リヴィアは王都の病院にいた。病室に入り、衝立の奥へと顔を覗かせる。
「クラウディオ。調子はどうだ」
「かなり良くなりました。あと数日すれば、運動してもいいそうです」
ベッドの上に座るクラウディオは、いつものように穏やかに笑った。白いシャツの隙間から見える包帯を目にし、リヴィアは申し訳なさそうに視線を落とす。
「本当にすまなかった……誘拐事件の時に、もう二度とお前を傷つけるような真似はすまいと思っていたのに……」
「来るたびに謝られても困ります。本当に大したことのない傷なので」
でも、と床を見つめるリヴィアを見かねて、クラウディオはちょいちょいと手招いた。恐る恐るリヴィアが近寄ると、ベッドの傍の椅子に座るよう促される。
「それより、毎日見舞いに来る方が大変でしょう? 無理をなさらなくていいのに」
「いや、せめてそのくらいはしないと私の気が収まらない。君は私を庇ってその傷を負っているのだし、何か手伝えることがあるかもしれないし、それに……」
「それに?」
「……少しの時間でも、君に会いたいんだ」
恥ずかしそうに零したリヴィアの言葉に、クラウディオはしばしきょとんと目をしばたかせていた。だがすぐに柔らかく目を細めると、リヴィアの方に頭を傾ける。
「リヴィア様」
「なんだ?」
「少しだけ、動かないでいてもらえますか」
するとクラウディオは、そうっとリヴィアの肩に自身の頭を乗せた。頬のすぐそばにクラウディオの睫毛や唇があり、湿り気を含んだ呼気が耳にかかる。まるで甘えるようなクラウディオの行動に、リヴィアはあわわわと赤面した。
(い、いかん、動くなと言われているだろう!)
だがあまりの近さに、リヴィアの心臓は一気に跳ね上がる。やがてクラウディオの口から掠れた声が漏れた。
「貴方が無事で、本当に良かった……」
「クラウディオ?」
「誘拐されたと知った時も、礼拝堂で貴方が捕らわれた時も……不安で不安で、俺はどうにかなりそうでした……」
「……すまない。心配をかけたな」
「本当です。少しは俺の気持ちにもなってください」
すこし拗ねたように告げると、クラウディオはそうっとリヴィアの体に腕を回してきた。恐々と引き寄せると、先ほどよりぐっと肉迫した距離にまで抱き寄せる。
そのまま鼻先を、強くリヴィアの頸元に押し付けてきた。
「ク、クラウディオ?」
「本当に、本当に、怖かった……また貴方を失うのではないかと、……」
「大丈夫だ。私はこうして生きている」
「……はい」
「だから、泣くな」
首筋に触れた冷たさに気づき、リヴィアは静かに微笑んだ。ゆっくりと手を伸ばすと、すぐ傍にあるクラウディオの頭を優しく撫でてやる。
指先が触れた瞬間、わずかに反応したクラウディオだったが、よしよしと髪を梳かれる感触に身を任せていた。
穏やかな午後の昼下がり。
暖かな陽光が、白いカーテンを通じて差し込んで来る。
まるでここだけ時間が止まっているかのようだった。
どのくらい経っただろうか。
リヴィアの手が止まったのを合図に、クラウディオはようやく顔を上げた。その目元はわずかに赤くなっている。
「……すみません。今は俺の方が年上なのに、こんなみっともない姿を……」
「構わない。私も何かの時には、君の胸を借りることにするよ」
「そんなもの、いつでもお貸ししますよ」
そう言うとクラウディオは、嬉しそうに微笑んだ。
どうやらいつもの様子に戻ったようだ、とリヴィアが安堵していると、ふと彼が真面目な顔つきに変貌する。
「それで、あの」
「なんだ?」
「結婚の件なんですが」
今度はリヴィアが固まる番だった。
思わず立ち上がりかけたが、先手を打ったクラウディオから手を掴まれる。
「本当なんですよね」
「な、何がだ?」
「あの時、俺に言ってくれたこと」
途端に礼拝堂での告白を思い出し、リヴィアはかあっと頬に朱を走らせた。もちろん適当に言ったわけではないのだが、あの時は湧き上がった感情がどうしても抑えきれずに、つい口をついてしまった。
冷静になって改めて問われると、なんとも恥ずかしい。
「あ、ああ」
「良かった……てっきり致命傷でもないのに、死ぬ前に見る夢を見ていたのかと思って……ずっと確かめたくて、うずうずしてました」
「ゆ、夢ではないぞ? 私はたしかに――」
「もちろん、ちゃんと聞いてました。あの時答えられなかったから、今、言いますね」
「ま、待て、クラウディオ――」
「俺も貴方が好きです。大好きです。どうか、俺と結婚してください」
嘘も偽りもない真っ直ぐなクラウディオの言葉が、リヴィアの目の前に差し出された。 初めて受け止める素直な愛の言葉に、リヴィアは少しだけ逡巡し――やがてゆっくりと口角を上げる。
「ああ。……よろしく頼む」
「――ああ、良かった……」
はあああ、と今までで一番大きなため息を零すクラウディオが面白く、リヴィアはつい微笑んだ。それを見たクラウディオも顔をほころばせていたが、やがて一方の腕をリヴィアに向けて再び伸ばす。
ごく自然に引き寄せられ、リヴィアはようやくはっと身構えた。
(こ、これは、く、口づけをするということか⁉)
リヴィアの予想は当たりらしく、クラウディオはわずかに顔を傾けると、リヴィアの顔へと迫って来た。
前回の未遂事件のあれそれを思い出してしまい、リヴィアは覚悟を決めて目を強く瞑る。
(だ、大丈夫だ。何も、恥ずかしいことなど……)
無意識に引いたリヴィアの顎に、クラウディオの長い指が添えられる。瞼の上に影が落ちてきて、リヴィアは思わず呼吸を止めた。
するとその直後――ガラリと病室のドアが開く音がする。
「おい、リヴィアがここにいると聞いたが」
「ラ、ラ、ラウル! わ、わわ、私ならここにいるぞ!」
「……」
突如現れたラウルの前に、衝立の裏から躍り出るようにして、リヴィアが慌ただしく姿を見せた。その一方、ラウルの死角となる衝立の陰では、クラウディオが苦悶しながら頭を抱えている。
そんなことはお構いなしに、ラウルはずかずかと病室に踏み入ると、リヴィアとクラウディオに向けて告げた。
「レガロが、目を覚ましたそうだ」
「! そうか、無事だったんだな……」
「かなり危機的な状態だったらしいがな。運よく致命傷は避けていたようだ」
あの戦いで、腕と足に銃弾を食らったレガロ。
彼がサルトルに牙を剥いてくれなかったら、被害はこれ以上に悲惨なものになっていたに違いない。だが彼は同時に、ベアトリスやルイスの死の原因を作った因子でもある。
その事情はラウルにも伝えられており、彼は窺うようにリヴィアを見た。
「どうする? 会いに行くか」
「……ああ」
そうしてリヴィアたち三人は、レガロの病室を訪れた。
衝立の奥に足を進めると、全身を包帯に巻かれ、薬品を投与するための管が取り付けられたレガロが、ベッドの上で眠っていた。
来訪の気配に気づいたのか、鋭い目がわずかに押し開かれる。







