第一章 4
(そうだ、私は……『ベアトリス』だった)
前世、というのか。
今のこの体になる前、リヴィアはベアトリスという名の女隊長だった。
(私は敵兵に襲われて、逃亡して、それから……)
あまりに膨大な情報量に、リヴィアはしばし混乱する。だがそれを整理しようとするより先に、目の前にいた青年がリヴィアの元に駆け寄り――勢いよくその場に跪いた。
急な展開に周囲はどよめき、リヴィアもまた驚きに目を見開く。すると青年は目にうっすら涙を浮かべたまま、震える声で告げた。
「ずっと……ずっと、探しておりました。ベアトリス様」
「え、ええと」
「あの日からずっと、貴方のことだけを考えて生きてきました」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、悪いが今思い出したばかりで、混乱していてだな」
「ああ、本当に……こんな奇跡が起こるなんて……神よ、感謝いたします!」
いよいよ感極まったのか、青年はリヴィアの手をしっかりと握りしめたかと思うと、そのまま滂沱の涙を流し始めた。ぎょっとするリヴィアと同様に、異変に気付いた客人たちが何事かと騒ぎ始める。
このままでは変に注目を集めてしまう、とリヴィアは慌てて青年の腕を掴むと、力強くパーティー会場を後にした。青年は途端に嬉しそうな顔になったかと思うと、先導されるままリヴィアに付き従う。
やがて会場から離れた回廊の一角で、リヴィアはぜいはあと息を切らしながら、ようやく足を止めた。
「ここならいいか……で、ええと、ルイス、といったか」
「はい」
「君はその……前世を、覚えているのか?」
すると青年は、深紫の目を静かに細めた。愛しいものを見つめるようなその眼差しに、リヴィアは少しだけ動揺する。
「もちろんです。俺はルイス。貴方の――ベアトリス様が指揮する隊で、副隊長を務めておりました」
「そう、……そうだ。私はベアトリスという名で、剣を握り、馬で駆けていた……」
「ベアトリス様は『ロランドの戦乙女』と呼ばれるほど、勇壮で大変お強い女性でした。並の男では太刀打ち出来ないほどで」
「その呼び名は思い出してほしくなかったが……でもそうか、私は隊長で、そして……」
だが次を思い出そうとした瞬間、リヴィアの視界が一瞬暗転した。
水たまりに伏す仲間たち。
全身に飛び散る血痕。
ぐらりと体が傾き、リヴィアは慌てて体勢を立て直そうとする。だがそれより先に、青年がリヴィアの体を抱き寄せ、自らの体で支えた。
「大丈夫ですか?」
「す、すまない……では、……あれも、覚えているのか」
リヴィアが呼び起こした最期の記憶。
それを理解しているのか、青年はそっと睫毛を伏せた。
「……はい」
「……すまなかった。私の力不足で、お前たちを……」
「いえ、あれは隊長のせいではありません。貴方は最後まで勇敢に戦った。それは俺たちがよく知っています」
「しかし」
「それよりも、貴方を最後までお守りできなかったことが、悔しいです……」
リヴィアの体を抱きしめていた青年の腕に、ぐっと力が込められた。
父親以外の男性と、こんなに密に接しているのは初めてかもしれないと、リヴィアは少しだけ緊張を走らせる。
だが恥ずかしいという思いよりも、過去――自身の命を懸けて守ろうとしてくれた部下への気持ちが上回ってしまい、リヴィアはそのまま身を委ねた。
「いや、お前は十分私を守ってくれたよ。本当に……感謝している」
「ベアトリス様……」
言葉を失うかつての部下を労わるように、リヴィアはそっと彼の背中に腕を回した。青年もまた、リヴィアの細い体を離すまいと、しっかりとかき抱く。
やがて青年はこくりと嚥下すると、静かに口を開いた。
「ベアトリス様」
「なんだ?」
「約束、覚えていますか?」
約束という単語に、リヴィアははてと思考を巡らせた。するとリヴィアが思い至るよりも先に、青年が嬉しそうにはにかむ。
「結婚、してください」
その瞬間、リヴィアの思考回路は一旦全機能を停止した。
慌てて体を引きはがすと、真顔で青年に問いかける。
「……待て。何を言っている」
「死ぬ直前に約束したじゃないですか。次に会えた時は、結婚してくださると」
「け、結婚って、なに、が」
途端に状況を理解出来なくなったリヴィアだったが、脳内回路がようやく稼働を再開し、件の『約束』の場面を捜し当てた。落下した崖下。今まさに命の火が燃え尽きようとしているルイスに、好きだったと言われ、そして。
肌寒かったはずの首筋に、じわじわとした熱が上り始める。そんな動揺を知る由もなく、青年はリヴィアの両手をしっかりと握りしめた。煙り立つような深紫の瞳に、真っ赤になったリヴィアの顔が映り込む。
「ずっと、貴方のことが好きでした。どうか、結婚してください」
(な、なーー!)
生まれてから一度も――それどころか前世でも発したことのないような絶叫を、リヴィアは心の中であげた。