第四章 3
(出血がひどい……だが、ここは病院から離れすぎている)
二、三人ならアルヴィスに乗せて運べるだろうが、すぐにでも処置が必要な状態だ。のんびり往復している時間はない。
だが応急処置をしようにも止血くらいしか……と苦悶するリヴィアの背に、聞き覚えのある声が届く。
「リヴィア⁉」
「……アルト! どうしてここに?」
「僕の家がこの近くで……じいやたちと避難しようって準備していたんだけど、リヴィアの姿を見かけたから、つい」
確かにこの付近には、地方の貴族たちが住まうための邸が多数存在する。だがアルトも言っていたように、彼らはこの騒ぎから逃れるため、ひっそりと逃亡の準備をしていることだろう。
「リヴィア、一緒に逃げよう! ここにいたら危ないよ」
「ダメだ……」
「どうして⁉」
「いまは少しでも戦える者が必要だ……それに今ここを守り切れなければ、私はまた後悔する……」
「リヴィア……」
苦し気に紡がれるリヴィアの言葉を、アルトは辛そうに聞いていた。そんな彼の姿を前に、リヴィアはわずかな可能性を見出していた。
しかし、と瞑目する。
(どうする……これを言えば、この子まで危険な目に遭わせるかもしれない……だが、……)
決断に時間はかからなかった。
リヴィアはまっすぐにアルトの目を見ると、ゆっくりと口を開く。
「アルト、お願いがある。……君の邸を解放してもらえないか」
「僕の、家を?」
「ああ。この人たちを避難させるだけでいい。もちろん、医師がいればありがたいが……」
「僕の主治医の先生はいるけど……でも」
「頼むアルト。彼らを死なせたくないんだ……」
すがるようなリヴィアを前に、アルトはしばし押し黙っていた。やはり難しいか、とリヴィアが諦めかけた瞬間、アルトはわずかに口角を上げる。
「分かった」
「……! 本当か……?」
「うん。僕はあの時、リヴィアに助けてもらったから。今度は僕がリヴィアを助ける番」
「アルト……」
リヴィアは目にうっすらと涙を浮かべた。
アルトはすぐに立ち上がると、急いで来た道を戻って行く。ほどなくして執事らしき人物を連れて来たかと思うと、使用人総出で怪我人の搬送を始めてくれた。リヴィアもそれを手伝いながら、深々と頭を下げる。
「ありがとうございます、急な、お願いで……」
「いえ、坊ちゃまの命ですので当然でございます。此度のように必死になって願われたのは、私どもとしても初めてのことで……。それに貴方様には、アルト様を助けていただいた御恩もあります」
「……」
怪我人たちは責任をもって看護する、他にもこの付近の負傷者を一挙に引き受けるという頼もしい言葉を受け、リヴィアは感謝を口にすることしか出来なかった。
再び剣を携えたリヴィアを、アルトがたまらず引き留める。
「リヴィアは大丈夫? 少し休んだ方が……」
「いや、私にはまだやるべきことがある」
リヴィアは改めてアルトに礼を告げると、ボロボロの体のままアルヴィスの背へと舞い戻った。不安げに見上げてくるアルトを見下ろすと、わずかに微笑む。
「すまないがここを任せた。本当に……ありがとう」
「リヴィア、どこに行くの?」
「――王宮へ」
市街地の喧噪が少しずつ収まって来た。
騎士団が上手く機能し、革命軍たちを追いつめつつあるのだろう。
(まだ私には、すべきことが残っている――)
リヴィアは剣を腰に佩くと、白い風のように王宮への道を駆け出した。
・
・
・
王宮に続く門をくぐると、さらに苛烈な世界が広がっていた。
(なんてことだ……)
どうやら市街地にいた革命軍はただの攪乱目的でしかなく、その倍以上の戦力が王宮内へと入り込んでいた。
第二騎士団の多くが必死の抵抗を続けており、乱戦状態となっている。そのうち敵の一人が背後から襲い掛かろうとしているのを見つけ、リヴィアはすぐさま駆け寄ると、剣をふるってその騎士を救出した。
「無事か?」
「あ、ありがとうございます!」
「クラウディオはどこだ?」
「団長なら、礼拝堂の方に!」
すまない、と言い残しリヴィアは礼拝堂へと急ぐ。
かつん、かつんという甲高い蹄の音とともに、道行く革命軍たちを倒しつつ、回廊と王城を一息に駆け抜けた。
やがて礼拝堂に辿りつくと、アルヴィスから飛び降り一直線に扉へと向かう。
(確か両陛下は毎朝礼拝堂で、民の安寧を祈りに捧げていると聞いたことがある……もしや革命軍の奴らは、それを狙ってこんな早朝に?)
荒々しく肩で息をしながら、一呼吸置いたのち強引に扉を開け放つ。突然現れたリヴィアに驚いたのか、中にいた人間たちが一斉にこちらを向いた。
嫌な予想は的中し、礼拝堂の最奥に陛下と王妃が庇い合うようにして身を寄せていた。そしてそれを守るように立つクラウディオとサルトルら騎士団員たち、そして――革命軍の中でもひときわ目を引く赤髪に、リヴィアはこくりと息を吞んだ。
(レガロ……!)
すると彼もリヴィアの存在に気づいたのか、振り返るとにたりと口角を上げる。
「お前……本っ当にしつこいなぁ」
「陛下から離れろ!」
「ヤダね。オレは王族を、一人残らず消すと決めたんだ」
左右から襲い掛かっていた革命軍を斬り払い、リヴィアは一足飛びにレガロめがけて突進した。だがレガロはわずかに笑みを浮かべたまま、リヴィアの渾身の一撃をいとも簡単に躱す。
「キミさぁ、ただのご令嬢じゃないよね? その動き、どこで習ったの?」
「貴様に教える義理はない」
「何かさ、見覚えがあるんだよね、何だったか……」
するとレガロはああ、と目を細める。
「『ロランド』だ」
「――!」
「あいつらの動きによく似てる。でもキミの動きはその何倍も綺麗だ」
リヴィアが振り下ろした剣を、レガロはナイフの背で受け止める。互いの顔が近づいた瞬間、リヴィアは囁くように疑問を吐き出した。
「貴様も『前世を覚えている』のか?」
「……もしかして、キミもかい?」
直後わずかに出来た隙をついて、クラウディオが背後からレガロに斬りかかる。だが軽やかな身のこなしでそれを避けると、レガロはすぐに二人から距離を取った。
「驚いた。まさかオレ以外にも前世を知っている奴がいるなんて」
「貴様は何者だったんだ」
「名乗るほどの者じゃないよ。生まれてすぐ親に捨てられた、はぐれ者の傭兵団の一人」
「傭兵?」
「そ。戸籍もないから、どの国にもいられない。ロランドに金で雇われていただけ」
確かにロランドの軍には、元々の国民ではない傭兵たちも多く在籍していた。もしも生前のベアトリスと面識があれば、以前の接触の際に思い出しているだろうから、おそらく前世で出会ったことはないのだろう。
だが続くレガロの言葉に、リヴィアは耳を疑った。
「でもロランドがいよいよやばくなってさぁ、逃げ時かなって言ってたら、帝国の使者ってやつが来てさ、仲間にならないかって言われたわけ」
「帝国だと?」
「うん。ロランドを潰すネタを持って来たら、俺たちに戸籍を与えて、帝国の一員として迎えてくれるって」
「まさか貴様たち……それを……」
「やったよ。沈む泥船に乗り続ける趣味はないしね」
次の一瞬、リヴィアは理性を忘れてレガロに斬りかかった。







